無題
天邪鬼が昂じて敢へて内発する情動とは反対の行動を取るのだが、
大抵は内部で感情の軋轢が起き、
それに振り回されて身動きが取れなくなるのが関の山。
雲の如く風に流され、
千変万化に形を変へるのが筋といふものなのだ。
さう、身軽に千変万化に内部の私が姿を変へられれば、
多分、私は何の抵抗もなく、
情動のまま柔軟に行動が取れるのだらうが、
それがままならぬのだ。
本質は変はらぬもので、
元来天邪鬼の私は頑なに塵芥に等しい私を捨て去ることができずに、
変容を拒み、私は私だ、といひたいがためのみに私にしがみ付く。
哀しい私の本質はそんなもので、
さうして、私は私を足蹴にすることで、
自己完結するCatharsisカタルシスの中で堂堂巡りを繰り返しながら
自己を奮ひ立たせる活力を得るが、
それは絶えず私を擦り切れさせることであり、
だから、私はいつも疲労困憊なのだ。
そして、それが心地よくもあるから始末に負へぬのだ。