吾なるものの境を見失ってからといふもの
私が私と呼ぶものは
既に私を形成してはをらず、
形相エイドスも質料ヒレーもあったものぢゃない。
それでも外部に溶け出たものではないので、
石原吉郎の『海を流れる川』ではないが、
他との差を感じざるを得ぬままに
頑として吾であることを断念してゐながら
体臭の如くに滲み出てしまふ吾特有の悪癖は
何につけても
――私は……。
と、ぼそりと呟いてしまふその思考の端緒に陥穽があることである。
――私は……。
と、呟いたが最後、
私は既に私が私である根拠を失ってゐるにもかかはらず
恰も私が此の世に存在してゐるといふ錯覚に気を良くして
私の思考を推し進めてゐるといふ虚妄の快楽に耽溺することで、
私を成立させてしまふのである。
さうして出来た私は深海生物の如くGrotesqueグロテスクな態なりをしてゐて
それだから尚一層、吾は満足の体でその私を頬張るのである。
当然、その私は蜜の味をしてゐて、
私は私を貪り食っては
腹一杯になり、
それだけで十二分に満足してしまふのである。
しかし、その直後に嘔吐を催すことで、
私が既に私の摂食障害であることを自覚せざるを得ぬのであったが、
鱈腹私を喰らった私が嘔吐した私は
掃き溜めに鶴ではないが、
未消化故に博多人形の如くに
憎たらしいことではあるが美しいのである。
吐瀉物特有の鼻をつく臭ひには辟易するのであるが、
私から嘔吐された私は
見目麗しくきりりとしてゐて
そのくりくりの瞳は
赤子の如くであり、
つまり、嘔吐とは私にとっては出産に等しいことなのであった。
然し乍ら、嘔吐された私は苦悶の表情をしてをり、
赤子の如くに泣かずに
――ううん、ううん。
と、呻吟してゐたのである。
積 緋露雪

物書き。

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