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小説 祇園精舎の鐘の声 七の篇

嘗て「透明な存在」と己を名指して幼子の頭部を切断し、小学校の校門の前に切断した頭部を置いて、己の底知れぬ「欲」のその底の闇を見て、闇色に己を染めることで己の存在を確かめるといふ悍ましいことをしでかした思春期の少年がゐたが、闇色に染まることで神をも恐れぬ自由を行使できるといふ幻想に憑かれたその少年は、己が闇色に染まったことで自由に対する畏れを喪失し、幼子の頭部を切断するときに飛び散る血腥い血に蠱惑され、更に闇に惑溺しながら、夢中で幼子の存在を頭部のみで象徴するといふ残虐な行為を敢行してしまったそれを、当時、「心の闇」といふ言葉で語らうとした精神分析学者たちは、そもそもが間違ってゐて、心とはそもそもが闇であり、心の闇といふ言葉自体が矛盾してゐるのであるけれども、それさへ気付かぬものが精神分析を行ふこの浅はかな愚者どもを「専門家」たらしめるこの社会の仕組みは余りに皮相的で、重層化されてゐないからこそ神をも畏れぬ少年が己を軽軽しく「透明な存在」などと偉さうに言ひ切れてしまひ、悍ましい行為を――それは底無しの悍ましさであり、尋常ならざる蛮行である――行へてしまふ禁忌を犯すといふ一面ではFetishismフェチズムの「欲」を満たす、つまり、その少年は「死」若しくは「死体」好事家でしかなく、生命を「死」に至らしめることでしか存在を確かめられぬといふFetishismの為せる業であり、生から死へと移る苦悶の様に性的興奮を覚え、何度もMasturbationマスターペーションを行ひ、己の「欲」を満たしてゐた筈である。少年は、最早、その「欲」を満たすといふ快感から逃れられず己の「欲」を満たすのであれば、人殺しをしてもいいと自分で自分を許してしまった、つまり、禁忌を犯すのも厭はず、箍が外れたやうに、または糸が切れた凧のやうに己の「欲」の赴くままに自由を行使してしまったのであった。その少年は、幼子の切断した頭部を小学校の校門の前に置くことでしか、自己主張できなかった哀しい存在なのであるが、しかし、小賢しくもその少年は、幼子の頭部発見後の社会を嘲笑ふかのやうに声明文を新聞社などに送りつけ、其処に「透明な存在」と己を名指してゐたと倉井大輔は記憶してゐるけれども、高が「死」若しくは「死体」好事家に過ぎぬその少年をその世代の象徴のやうに取り上げたMassマス mediaメディアと其処に出演する名ばかりの精神分析学者ども愚者は、とんちんかんなことしかいはず、少年が唯単にMasturbationがしたいがために人殺しをしたといふことには一切触れずに――倉井大輔はフロイトは殆ど信用してはゐなかったがフロイトのLibidoリビドーは精神分析の基本だと思ふのだが、当時、Libidoといふ言葉には全く触れられてゐなかった――「心の闇」といふ言葉遊びに終始してゐたのである。
闇はさう軽軽しく遣ふものではないと倉井大輔は思ふのであった。あの少年はMasturbationの快楽に溺れたいがために人を殺して、頭部を切断したに違ひない。闇の中に胡座を舁いて座す倉井大輔は、己が闇色に染まることの危ふさに思ひを馳せるのであった。


七の篇終はり
積 緋露雪

物書き。

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