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小説 祇園精舎の鐘の声 十の篇

全ての異形の吾を丸呑みし終へた倉井大輔は、
――ぐへっ。
と、げっぷをしたのである。それが倉井大輔と異形の吾どもとの差異の全てであった。げっぷが出るからこそ倉井大輔はまだ、異形の吾どもに占有されてゐないと思へるのであった。
――異形の吾どもとはどう足掻いても一生、否、私といふ念が存在する限り必ず付いて回るものだから、何とか上手く付き合ひたいものだが、さうは問屋は卸さない。異形の吾どもは私の念が何かへまをやらかせば、『きゃっきゃっ』と嘲笑し、私の念が少しでも満足しやうものなら私を異形の吾どもの尻尾の槍で、チクチクと突く。どうあっても異形の吾どもは私を不快にさせずにはゐられない。しかし、さうでなくちゃな。
倉井大輔家は闇に包まれた雑木林を抜けると寺の墓場に行きたいとゆらりゆらりと歩き出したのである。眼前には昇り始めたばかりのどす赤く異様な昇り始めたばかりの十六夜の月があった。倉井大輔にとって赤い月は中中好きになれないものではあったが、しかし、その異様さには惹かれずにはいられぬ魅力があり、どうしても赤い月に目を奪はれてしまふのである。それは怖い物見たさに近いものがあった。その異様さが際立つ赤い月ではあったが、異様故に何物にも代へがたい存在なのである。唯一無二の存在は異様であればあるほどその存在感を誇示し、その存在感に一度囚はれると、蜘蛛の巣に引っかかった羽虫の如くじたばたすればするほど糸に搦め取られてこんがらがり、もう蜘蛛に体液を吸い取られて死すまで身動きが取れないのにも似て、倉井大輔は赤い月に生気を吸い取られるやうな感覚に囚はれてゐた。その感覚がまた、倉井大輔を酔はせるのであった。その当時、倉井大輔は死の匂ひがすれば、惹かれずにはいられぬ危ふい状態にあったのである。それは何故であらうか。それは、この私の思ひ通りに行かぬ私自身を捨て去り、つまり、死んじまって私からの脱出を思ひもしてゐたが、どうせ死しても自由の身にはなれぬだらうと、倉井大輔は死の道すら残されてゐない自身を呪ってゐた。自分で自分を呪ったところで何もいいことはありゃしない。それは己で己を喰らふウロボスの蛇のやうに自滅の道を辿るしかなかったからである。それもとても中途半端な仕方での自滅の道に違ひなかった。
――赤い月よ、吾の生気を吸い取れるだけ吸い取ってくれ。さすれば、吾、少しは生へと縋り付く力が湧いてくるやもしれぬ。今は生きたいのだ。だが、私ときたら、死ばかりを考へてゐる。この矛盾は、ちぇっ、嗤っちまふよな。自分ではどうすることもできないくせに、死なんぞ、大それたことを思ふ大馬鹿者とはこの私のことだよ。


十の篇終はり
積 緋露雪

物書き。

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