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小説 祇園精舎の鐘の声 十五の篇

これほど文明の発展に人間が怯えてゐる奇妙奇天烈な時代は人類史上、もしかしたならば初めてのことかもしれぬ。文明が驀進する速度が、想像を遥に超えてゐるので一部の人間を除いては文明の発展は恐怖でしかないのである。この時代に仮に司馬遷が生きてゐて現代史を歴史書として書き残すならば、一体どんなものが書き残されるのだらうか。『史記』は司馬遷の冷徹なまでに人間を見る目は冴え渡ってゐて、歴史はあの当時は人間が作るものであったが、現代では歴史は文明のシステムが作るものに変貌してしまってゐた。人間の自由度は文明が発展すればするほど狭められてゐるやうな気がしてならず、実際さうに違ひないと思はれるが、それといふのもコンピュータを操れないものは社会から弾き飛ばされる現在、人間が存在するための必然の要素にコンピュータを操る――それはプログラムが組めるといふことである――ことがこの高度に発展してしまった文明のシステムに参加できるといふ、つまり、人間に先立ちコンピュータが存在するといふ奇妙な現代を司馬遷だったならばどう書き留めるだらうか。この複雑にして細分化した社会において司馬遷と雖も見晴るかすことは不可能なやうな気がする。まず、その複雑怪奇な社会のシステムの本質を司馬遷は見抜けるだらうか。どう転んでも社会の主役は人間ではなくコンピュータに成り変わってしまったことだけは確かである。システム障害が起きれば人間は為す術がないのである。一部のシステムを構築し、保守できる人間のみしかシステム障害が起きたとき、手出しはできずに、数多の人間は途方に暮れるのである。この何とも無様な人間を司馬遷が見たならば、司馬遷が『史記』を書いた頃との余りの違ひに腰を抜かすに違ひないと思はれる。社会の主役は依然として人間といへるものは、社会に疎過ぎるといへる。疾うの昔に社会の主役はコンピュータを筆頭に様様な機器や機械に取って代はられてしまったのだ。その証拠にコンピュータが人間に合はせることは絶対になく、人間が例へばプログラムを組むときにはコンピュータの論理に人間が合はせるのである。
ところが、倉井大輔は現代の司馬遷と化して『史記』、若しくは『平家物語』のやうな歴史物を書かうと夢見てゐたのであった。それはメフェストフェレスに魂を捧げたファウスト博士にも困難なことは間違ひなかった。だからこそ、それは成し遂げられねばならぬと真面目に倉井大輔は夢想するのであった。ならば、文明の論理を身に付けねばならぬと、倉井大輔はプログラミングは勿論のこと、アルゴリズムなどの書籍を読み漁っては毎夜、コンピュータと睨めっこする日日を送ってゐたのであった。そんな倉井大輔は気分転換にと門前町の寺へ行き墓場で静かに考へ事がしたかったのであった。そのためには夜の暗闇が必要なのであった。


十五の篇終はり
積 緋露雪

物書き。

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