Categories: 小説

嗤(わら)ふ吾

嗤(わら)ふ吾

 

何がそんなに可笑しかったのかてんで合点のいかぬ事であったが、私は眠りながら《吾》を嗤ってゐた自身の覚醒する意識と共に確信した刹那、ぎょっとしたのであった。

――嗤ってゐる!

その時私は夢を見てをらず、唯、《吾》といふ言葉を嗤ってゐたのであった。

――《吾》だと、わっはっはっはっ。

頭蓋内の闇を、唯、《吾》といふ言葉が文字と音節とに離合集散を繰り返しながら旋回してゐたのであった。

――《吾》といふ言葉に嗤ってゐやがる。

眠りながら嗤ふ吾を見出したのはその時が多分初めてではないかと思ふのであったが、しかし、《吾》といふ言葉が闇しか形象してゐないこの状態をどう受け止めて良いのか皆目解からず、私は暫く呆然としてゐる外なかったのであった。それでも暫く経ってから、

――俺は夢を見てゐなかったのじゃなくて、《吾》が表象する《闇の夢》を見て嗤ってゐたのだ!

との思ひに至ると、何故か私は、私が眠りながら嗤ってゐたその状況を不思議と納得する私自身を其処に発見し、そして、これまた不思議ではあるが自分に何の疑問も呈さず納得するばかりのその私自身を自然に受け入れてゐたのであった。

――《闇》の《吾》……否、《吾》が《闇》なのだ!

私はたまにではあるが《闇の夢》を見る事がある。それを夢と呼んで良いのかは解からぬが、《闇の夢》を見てゐる私は夢を見てゐる事をぼんやりと自覚してをり、その《闇の夢》を見てゐる私は、只管(ひたすら)、闇が何かに化けるのを、若しくは何かが闇から出現するのをじっと待つ、そんな奇妙な夢なのであった。

多分、その日の嗤ってゐた《吾》を見出した《闇の夢》は、《闇》から一向に《吾》が出現しない様がをかしくて仕様がなかったのであらうとは推測できる事ではあった。

それは何とも無様な《吾》の姿に違ひなかったのである。夢とはいへ、闇の中から出現した《吾》が《闇》でしかないといふ事は嗤ひ話でしかなかったのである。しかし、《闇》から出現する《吾》がまた《闇》でしかないといふ事は言ひ得て妙で、而も、私にとってはある種の恐慌状態でもあったのだ――。

――《闇》=《吾》!

私にとって《吾》は未だ私ならざる《闇》のまま、未出現の形象すら出来ない曖昧模糊とした、否、私は《闇》そのものでしかなかったのである。

しかし、これは一方で容易ならざる緊急事態に外ならず、《吾》が《闇》でしかないこの無様な《吾》を私は嗤へない、否、嗤ふどころか、わなわなと震へるばかりであった筈である。それにも拘らず《吾》は《闇の吾》を見て嗤ってゐたのである。そもそも《闇の吾》を嗤へる私とは何ものであらうか? 不図そんな疑念が湧く事もなくはなかったが、それ以上に予測はしてゐたとは言ひ条、《吾》が《闇》である事に唯唯驚く外なかったのであった。

――《闇》から何も出現しない! 何故だ!

夢見中の私はさう《闇の夢》に向かって叫ぶべきであった筈である。しかし、実際はさうはせずに只管《闇の夢》を見てゐる《吾》を嗤ってゐたのであった。

――何故嗤へたのであらうか?

もしかすると私は《闇の吾》に《無限》を見出したのかもしれなかったのだ。否、多分、私は《闇の吾》を嗤ひながら、《無限》なる《もの》と戯れ遊んでゐたのであらう。いやそれも否、私は唯《闇》なる《吾》に翻弄される《吾》を嗤ってゐたのであらう。それは《闇》といふ《無限》を前にあたふたと何も出来ずに唯呆然とする外術のないこの矮小な《吾》の無様さを嗤はずにはゐられなかった筈である……。

――《吾》だと、ぶはっはっはっはっ。

《闇》以外何も表象しない《吾》を見て、その《闇の吾》を《吾》と名指ししてしまふ事のをかしさが其処にはあった筈である。そもそも《吾》を《吾》と名指し出来てしまふ私なる存在こそのをかしさが其処には潜んでゐたが、しかし、《吾》を《吾》としか名指し出来ない事もまた一つの厳然たる事実であって、その厳然とした事実を私は未だに受け入れる事が出来ずにゐる証左として、私は《闇の吾》の夢を何度となく見てゐるのかもしれなかったのである。

それにしても《闇》しか表象しない《吾》を夢で見ながら嗤ってゐる事は、私にとってはむしろある種の痛快至極な事でもあったのである。

――《闇》=《吾》!

さて、闇の《吾》とは一体何であるのか改めて考へてみると、それは誠に奇妙な《吾》としか形容できない全くの無様な《吾》なのである。例へば私が私の事を《吾》と名指してゐる以上、それは何かしらの表象上の《面(おもて)》を持った何かに違ひないのであるが、しかし、私の意識の深層のところ、つまり、無意識のところでは《吾》は《面》のない闇でしかないといふ事なのかもしれなかったのである。問題はその事をこの私が持ち堪へられるかといふ事なのかもしれなかったが、《闇の吾》の夢を見て嗤ってゐる処を見ると、《吾》が闇でしかない事を私は一応納得し、而も《闇の吾》を楽しんでゐるのは間違ひのない事であった。

其処で一つの疑念が湧いて来るのである。

――夢の中での《吾》とは一体何であるのか?

更に言へばそもそも夢は私の頭蓋内の闇で自己完結してゐるものなのであらうか、それとも夢見の私は外界にも開かれた、つまり、この宇宙の一部として《他》と繋がった《吾》として夢といふ世界を表象してゐるのであらうか。仮に夢が私を容れる世界といふ器として表象されてゐるのであるならば夢もまた世界である以上、《他》たる外部と繋がった何かに違ひないと考へるのが妥当である。換言すると、夢見中の私は無意識裡に《他者》、若しくは《他》と感応し、若しくは共鳴し、更に言へば《他者》の見てゐる夢の世界を共有し、若しくは《他者》の見てゐる夢に私が出現し、もしかすると《他者》の夢を私も見てゐるのではないかといふ疑念が湧いて来るのである。つまり、夢を見てゐるのが私である保証は何処にも無いのである。

――これは異な事を言ふ!

といふ反論が私の胸奥に即座に湧き出るのであるが、しかし、よくよく考へてみると、夢が私のものである保証は何処にも無い、つまり、夢といふ《他》との共有の場に私が夢見事訪ねると考へられなくもないのである。

ここで知ったかぶりをしてユングの集合的無意識や元型など持ち出さないが、しかし、それにしても私が夢の事を思ふ時必ず私は「夢を《他》から間借りしてゐる」といふ感覚に捉はれるのは如何した事であらうか。この感覚は既に幼少時に感じてゐたものであるが、私が夢を見るときに何時も朧に感じてゐるのは《他》の夢に御邪魔してゐるといふ感覚なのである。この感覚は如何ともし難く、私に夢への全的な没入を何時も躊躇はせる原因なのだが、私は夢を見てゐる私を必ず朧に認識してゐて、「あ、これは夢だな」と知りつつ或る意味第三者的に私は夢を見てゐるのであった。

――ちぇっ、また夢だぜ。

かう呟く私が夢見時に必ず存在するのである。これは夢を見るものにとっては興醒め以外の何ものでもなく、現実では因果律に縛られて一次元の紐の如く束縛され捩じり巻かれてゐた時間がその紐の捩じりを解かれ、あらゆる事象が同位相に置かれたかのやうに同時多発的に出来事が発生する、或る種時間が一次元から解放された奇妙奇天烈な世界が展開する夢において、所謂《対自》の《吾》が私の頭蓋内に存在する事は、最早夢が夢である事を自ら断念する事を意味し、其処では深深と呼吸をしながら深深と夢に耽溺する深い眠りの中で無意識なる《吾》が出現する筈の夢世界は、夢ならではの変幻自在さを喪失してをり、その当然の帰結として、私の眠りは総じて浅いのが常であった。つまり、私の夢は因果律からちっとも解放されずに、それは多分に覚醒時の表象作用に似たものに違ひないのである。

さて、其処で《闇の夢》である。私は《闇の夢》を見てゐる時、稀ではあるが深い深い眠りに陥る時がある。それはこんな風なのである。何時もの様に私は夢を見てゐる私を朧に認識しながら、私は一息深深と息を吸い込むと徐に闇の中へと投身するのである。それ以降は《対自》の《吾》は抹消され、私は意識を失ったかの如く《闇の夢》の中に埋没するのであった。最早さうなると何かを表象してゐる夢ならではの正に夢を見てゐるかどうかは不明瞭となり、《闇の夢》の中では無意識なる《吾》が夢世界に巻き込まれながら、因果律の束縛から解かれた、所謂《特異点》の世界の《亜種》を疑似体験してゐる筈なのである。

夢は因果律の成立しない世界が存在する、つまり、《特異点》の世界が存在する事を何となく示唆するもので、私の場合それは《闇の夢》なのであった。例へば、《存在》は絶えず変容する事を世界に強要され、世界もまた変容する事を《物自体》に強要されてゐると仮定すると、《存在》は夢を見るように《物自体》に仕組まれてゐると看做せなくもないのである。つまり、《存在》する《もの》全ては夢を見、換言すれば《存在》はその内部に因果律が成立しない《特異点》を隠し持ってゐると仮定できなくもない、更に言へば、《存在》は《特異点》を必ず持ってゐると看做す事が自然な事に思へなくもないのである。

ところが、私が《闇の夢》を見るのは誠に誠に稀な事なのであるが、一方で、その稀な《闇の夢》を見ながら夢で私が闇を表象してゐる事を睡眠中も朧ながら自己認識してゐる私は、秘かに心中では、

――ぬぬ! 《闇の夢》だ!

と、快哉の声を上げてゐるのもまた一つの厳然たる事実なのであった。これは大いなる自己矛盾を自ら進んで抱へ込む事に違ひなく、これは私自身本音のところでは困った事と思ひながらも、その大いなる自己矛盾に秘かにではあるが快哉の声を上げる私は、その大いなる自己矛盾を抱へてゐる事に夢見の真っ只中では全く気付ず、ちらりとも秘かに快哉の声を上げてゐる自身が大いなる自己矛盾の真っ只中にある事を何ら不思議に思はないのであった。ところで、その大いなる自己矛盾とは何かと言へばその答へは簡単明瞭である。それは無限を誘ふであらう闇に対して、私はその闇を《吾》と名指して無限へと通じてゐるに違ひない闇を、恰も《吾》といふ有限なる《もの》として無意識に扱ってゐるのである。ところがである。此処でf(x)=一/xはx=0のとき発散すると定義される《特異点》を持ち出すと、有限なる《一》が恰も無限大なる《∞》を抱へ込む事が可能な、或る種の倒錯した無限と言へば良いのか、その無限をどうしても誘ふ《発散》した状態の《一》たる《吾》といふ摩訶不思議としか形容の仕様がないそんな《吾》が、此の世に《存在》可能である事を、私が《闇の夢》を見る事は示唆してもゐるのである。つまり、《一》なる《吾》が《特異点》をその内部に隠し持てば、私が無限を誘ふ闇に対して《一》なる《吾》と名指ししても《発散》可能な《吾》ならば、換言すれば《∞》を抱へ込む事すら可能な《吾》ならば、或る意味無限を誘ふ闇を有限なる《吾》と名指す事は至極《自然》な成り行きなのである。

多分、無意識裡にはその事を確実に感じ取ってゐたに違ひない私は、その日、《闇の夢》を見ながら、

――《吾》だと、わっはっはっはっ。

と嗤へたに違ひないのである。また、さうでなくては闇がずっと闇のままであったその夢を見て、嗤へる道理がないのである。

しかし、闇を《吾》と名指す事には、大いなる思考の飛躍が必要なのもまた事実である。其処には恰も有限なる《吾》が無限を跨ぎ課(おほ)したかの如き《インチキ》が隠されてゐるのである。また、その《インチキ》が無ければ、私は闇を《吾》と名指す事は不可能で、更に言へば、闇を見てそれを《吾》と名指す覚悟すら持てる筈がないのである。

この《インチキ》は、しかしながら、此の世が此の世である為には必須条件なのでもある。つまり、《特異点》といふ有限世界では矛盾である《もの》の《存在》無くして、此の世は一歩も立ち行かないのである。有限な世界に安住したい有限なる《存在》は、一見してそれが矛盾である《特異点》をでっち上げて、その《特異点》の《存在》を或る時は腫れ物に触るが如く《近似》若しくは《漸近》といふこれまた《インチキ》を用ゐてその《災難》を何となく回避し、また或る時は、《特異点》が此の世に《存在》しないが如く有限なる《もの》が振舞ふ事を《自由》などと名付けてみるのであるが、それでも中にはこの《自由》が《特異点》の一位相に過ぎぬ事に気付く《もの》がゐて、運悪く此の世の《インチキ》に気付いてしまったその《もの》は《絶望》といふ《死に至る病》に罹っては、

――《自由》とは、《吾》とは何だ!

と、世界に対して言挙げをし、己に対して毒づくのである。さうして《死に至る病》に罹った《もの》は更に此の世にぽっかりと大口を開けた陥穽を《特異点》と名付けて封印する事を全的に拒否するが故に、更なる《絶望》の縁へと自ら追ひ込むしかないのである。しかしながら、さうする事が唯一此の世に《存在》した《もの》の折り目正しき姿勢に外かならないのもまた確かな筈である。つまり、《存在》する《もの》は、絶えず此の世の陥穽たる《特異点》と対峙して己自身を嘲笑するのが娑婆を生きる《もの》の唯一筋が通った《存在》の姿勢に違ひないのである。

ところが、一方で、此の世に《存在》する《もの》は絶えず此の世にぽっかりと大口を開けた《特異点》を私事として《吾》の内部に抱へ込む離れ業を何ともあっけなくやり遂げてしまふ《もの》なのでもある。また、さうしなければ、《存在》は一時も《存在》たり得ぬのである。

頭蓋内一つとっても其処は闇である。私の内部は《皮袋》といふ《存在》の在り方をするが故に全て闇である。そして、その闇に《特異点》が隠されてゐても何ら不思議ではなく、否、むしろ《皮袋》内部に《特異点》を隠し持ってゐると考へた方が《合理的》で至極《自然》な事なのである。さうして、更に更に更に更に《吾》が《吾》なる《もの》を突き詰めて行くと、内部は必然的に超えてはならぬ臨界をあっさりと超えてしまふものであるが、その臨界を超えると《外部》と相通じてしまふ底無しの穴凹を《吾》は見出し、《内界》=《外界》といふ摩訶不思議な境地に至る筈である。そして、それが娑婆の道理に違ひないのである。仮にさうでないとしたならば、私が外界たる世界を表象する事は矛盾以外の何ものでもなく、また、夢を見る事で其処に外界たる世界を表象する不思議は全く説明できないのである。

そもそも《吾》を嗤ふ《吾》は、さうとは知らずにそれは無意識の事だとは思ひたいのであるが、結局のところ、《吾》に対しての根深き侮蔑がその根底には厳然と《存在》してゐるのは確かなやうである。つまり、《吾》は倦む事を知らずに只管《吾》を嗤ひ侮蔑するやうに生まれながらに創られてしまった《存在》に過ぎぬのかもしれぬのである。更に言へば、多分に《吾》たる《もの》は絶えず《吾》を侮蔑してゐないと不安な《存在》に違ひないのである。では何故《吾》は絶えず《吾》を侮蔑してゐなければ不安な《存在》として此の世に在るのであらうか。多分、それは《主体》に対して慈悲深き神にも、将(はた)又(また)、邪悪な邪鬼にも変幻するこの宇宙若しくは世界若しくは《自然》と呼ばれるその変幻自在なる百面相を相手に《存在》する事を余儀なくされてゐる故にであらうと思はれる。しかし、頭蓋内の闇は宇宙全体をも更には無限をも容れる器と化す事も可能な《五蘊場》なのである。するとこんな問ひが自身の胸奥で発せられるのである。

――宇宙における想像だに出来ぬ諸現象は果たして《吾》の頭蓋内の闇たる《五蘊場》――私は頭蓋内の脳といふ構造をした頭蓋内の闇を《五蘊場》と名付けてゐる――に浮かぶ形象を遥かに超えた《もの》なのか? つまり、この宇宙は本当に《吾》の頭蓋内の闇たる《五蘊場》に明滅する形象若しくは表象を超え出る事が可能なのであらうか?

すると、

――へっ、宇宙の諸現象と《皮袋》たる《一》者として《存在》する《吾》の頭蓋内の闇たる《五蘊場》に明滅する《もの》を比べる事自体無意味だぜ。

といふ自嘲が私の胸奥で発せられるのであるが、しかし、どちらも《吾》を超えるべく足掻くやうに創られてしまった事は紛れもない事実であって、更に言へば、遁れやうもないその事実は、此の世に《存在》するあらゆる《もの》たる《主体》に刃の切っ先が首に突き付けられてゐるやうに突き付けられてゐるのは間違ひないのである。そして、それは私の場合は《闇の夢》として象徴的に表はれてゐるのかもしれないのである。

そもそも「闇」を夢で見て、それを《吾》と名指して嗤ってゐる《吾》とは一体全体何なのであらうか。

――《吾》だと、ぶはっはっはっはっ。

此の時、《吾》は《吾》をすっかり忘失してしまってゐるのかもしれない。否、《吾》は、あり得べき《吾》と余りに違ふ《闇の吾》を見出してしまったが故に――一方で其処には多分に《吾》が予期してゐた筈の《闇の吾》がゐるのであるが――己の内から湧いて来て仕様がない寂漠とした感情の尽きた処では最早嗤ふしかないどん詰まりの《吾》を見出してしまったが故に、《吾》は《闇の吾》を嗤ってゐる筈である。

さて、其処でだが、《闇の吾》以上に的確に《吾》といふ《もの》を表象する《もの》が他にあるのであらうか。

――分け入っても 分け入っても 深い闇。

種田山頭火の有名な「分け入っても 分け入っても 青い山」といふ一句を捩(もぢ)るまでもなく、《吾》とは何処まで行っても深い闇であるに違ひない。その《吾》の当然の姿である《闇の吾》が《吾》として《吾》の前に現はれたのである。当然ながら《吾》は腹を抱へて嗤った筈である。否、最早どん詰まりの《吾》は其処では嗤ふしかったのである。

尤も其処には《吾》に絶望してゐる《吾》といふ《存在》を見出す事も可能であるが、既に夢で《闇の吾》を夢見てしまふ《吾》は、《吾》にたいして何《もの》でもないと断念してゐる一方で、また、何《もの》でもあり得るといふ自在なる《吾》を、《吾》は、《闇の吾》を《吾》と名指す事で保留して置きたい欲望を其処で剥き出しにしてゐるのである。闇程《吾》を明瞭に映す鏡はないのである。つまり、私が《闇の夢》を見ながら

――《吾》だと、ぶはっはっはっはっ。

と嗤ってゐるのは、何《もの》にも変化出来る《吾》を其処に見出して悦に入ってゐるのかもしれぬ、いやらしい《吾》を嘲笑してゐるに違ひないのである。そもそも《吾》とは何処まで行っても《吾》であるいやらしい《存在》なのである。

――しかし、《吾》は《吾》以外の何《もの》になり得るといふのか?

といふ反論じみた嘲笑が再び私の胸奥で発せられるのであるが、《吾》の事を自発的にそれは《吾》であると嘯くしかない《吾》は、尤も一度も自発的に《吾》=《吾》を受け入れた事はなく、何時も受動的に《吾》なる《もの》を《吾》として受け入れるのである。それは諸行無常の世界=内に《存在》する《もの》の当然の有様で、世界=内に《存在》する以上、つまり、絶えず《吾》を裏切り続ける形で《吾》の現前に現はれる《現実》を前にして、《吾》はあり得た筈の《吾》を絶えず断念しながら《吾》を尚も保持しつつ、此の《吾》を容赦なく裏切り続けて已まない諸行無常の世界の中で世界に順応する外ないのである。そして、その《現実》での憤懣が《闇の吾》となって私の夢に現はれるに違ひないのである。

そもそも《吾》とは《吾》に侮蔑されるやうに定められし《存在》なのであらうか? 例へば自己超克と言へば聞こえはいいが、詰まる所、その自己超克は絶えざる自己否定が暗黙の前提として含意されてゐるのであるが、《吾》として此の世に《存在》した《もの》が仮令それが何であれ此の世に《存在》しちまった以上、絶えざる自己否定は《理想の吾》へと近づくべく、つまり、《理想の吾》に漸近的にしか近づく術がない《吾》は、《理想の吾》を追ひ求めずにはゐられぬどうしやうもない欲求が、遂には《吾》の内奥で蠢く底無しの欲望と結び付いて、自己超克といふ名の下に、結局は《理想の吾》が厳然と君臨する故に《吾》が《吾》を滅ぼさずにはゐられぬまでに《吾》は《吾》を追ひ詰めずにはゐられぬ《もの》なのである。さうして自己超克を見事に成し遂げた《もの》のみ生き延びられるこの残酷極まりない自己超克といふ宿命を負ってゐる《吾》は、《吾》をこのやうにしか此の世に《存在》させない摂理を呪ふ事に成るのである。

――自同律の不快!

《吾》の存続する術を手探りし己の内奥をまさぐってゐた《吾》をかう言挙げした先達に埴谷雄高がゐるが、彼もまた、此の宇宙を悪意に満ちた何かしらの《もの》としてこの宇宙の摂理を呪ってゐるのである。

――ぷふぃ。

その嗤ひ声にもならぬ、それでゐてどうしても息が肺から吹き出て已まないその

――ぷふぃ。

といふ嗤ひ声を埴谷雄高の畢生の作品「死靈(しれい)」の登場人物達は不意に発するのであるが、その

――ぷふぃ。

といふ嗤ひ声は、既に《吾》といふ己の《存在》を呪ひ、また此の宇宙をも呪った末に嗤ふ事を忘失してしまった《吾》が、やっと此の世に噴き出せた、つまり、辛うじて嗤ひ声となって声を発せた《吾》の無惨な姿が其処には現はれてしまってゐるのである。その埴谷雄高の、

――ぷふぃ。

とは違って、

――《吾》だと、ぶはっはっはっはっ。

と、《闇の夢》を見て眠りながら嗤ってゐた私は、その《闇の夢》に《吾》の無様な姿を見たと先に言ったが、私にとって闇は多分に見る者の状態によって様々に表情を変へる能面の如く作用してゐるに違ひないのである。

例へば能面のその表情の多彩さは、見者たる己の内奥と呼応してその状態を忠実に能面の面が映すからであるが、私にとってその内奥を忠実に映すのは先にも述べたやうにそれは闇なのである。私は独りそんな闇を、

――影鏡存在。

等と名付けて、瞼を閉ぢれば何時如何なる時でも眼前に拡がる闇と対峙しながら、果てしない自問自答の渦の中に呑み込まれ、最早其処から抜け出せぬやうになって久しいが、瞑目しながらの自問自答はひと度それに従事してしまふと已めようにも已められぬ或る種の自意識の阿片であるに違ひないのである。その瞑目し、瞼裡(まぶたり)に拡がる闇に己の内奥を映しながら自問自答の堂堂巡りを繰り返し、挙句の果てには問ひの大渦を巻く、その底無しの深淵にひと度嵌り込むと、私は、にたりと、多分他人が見ればいやらしいにたり顔をその顔に浮かべてゐるに違ひない事に最近気付いたのである。つまり、私は瞑目し瞼裡の闇と対峙してゐる時は、必ず嗤ってゐるのに最近になってやっと気付いたのである。そんな時である。眠りながら嗤ってゐる私を見出したのは。

――《吾》だと、ぶはっはっはっはっ。

しかし、それにしても《闇》とは摩訶不思議で面妖なる《もの》である。何《もの》にも変容するかと思へば、眼前にはやはり瞼裡の《闇》のまま《存在》してゐて、相変はらず《闇》は《闇》以外の何《もの》でもないのである。尤も《闇》は多分に頭蓋内の《闇》、即ち《五蘊場》に鎮座する脳といふ構造をした《場》が作り出した或る種の幻影と思へなくもないのであり、それは光が干渉する《もの》なのでその結果どうしても発生してしまふ《闇》を認識するのに、つまり、光の濃淡を認識する仕方として《五蘊場》が《闇》を作り出した事は、これまた多分に《吾》たる《主体》の《存在》の有様に深く深く深く関はってゐるのは間違ひないのである。さうでなければ、私が夢で《闇の夢》なぞ見る事は不可能で、将又《闇の夢》に《吾》を見出してしまった無惨な《吾》を嗤へる《吾》が私の《五蘊場》に《存在》する事なぞ、これまた不可能なのである。そして、《異形の吾》と私が呼ぶ哲学的には「対自存在」に相当するその《異形の吾》たる《吾》は当然の帰結として《吾》に無数に《存在》する筈で、さうでなければ《吾》は独りの《吾》の統一体としての有様は不可解極まりない事態に陥り、それは例へば、独りの人間が細胞六十兆個程で成り立ち、しかしながらその六十兆の細胞は全てが《生》ではなく、多くの細胞は自死、即ちApoptosis(アポトーシス)の位相に今現在もある事が不可解極まりない事になってしまふのである。《生》とは、詰まる所、《生》と《死》が等しく《存在》する摩訶不思議な現象の一つに違ひないなのである。

それにしても夢において闇を形象するといふ曲芸、否、《インチキ》を堂堂と成し遂げてしまって

――《吾》だと、ぶはっはっはっはっ。

と、自嘲の嵐の中で

――それは至極当然だ。

といった態度で恰も泰然自若を装ひ嘯くその《吾》は、その実、闇そのものを訝しりながらも途轍もなく偏愛して已まないのも、これまた厳然とした事実として自覚してゐる何ともふてぶてしい私は、闇を《物自体》として仮初にも仮象してゐるのかもしれなかったのである。つまり、

――此の世の根本は闇である。

と、何かを達観した僧侶の如く己を偽装したいが為に私は、夢でも《闇の夢》を、つまり、《闇》の虜と化した何《もの》かに変化し果(おほ)せてしまって、それは、また、恰も木の葉隠れの術の如き忍法にも似た《私》の隠れ蓑になってゐる可能性が無くもないのであった。その証左に

――《吾》だと、ぶはっはっはっはっ。

と、夢の中の私はその《闇の夢》たる《吾》を形象して、無意識裡に私自身から私が死ぬまで、否、私が夢を見なくなるまで永劫に隠し果したい醜悪極まりない《異形の吾》を《闇の夢》に隠してゐるのは間違ひなく、その氷山の一角として、若しくはその証左として、《夢》となって私の眼前に現はれる《闇の夢》は、大概何かに変容するのが常なのであった。そして、私はといふと、浅い眠りの中で見る《闇の夢》が何かに変容するのを何時も待ち構へてゐて、大抵は《闇の夢》は《世界》へと変容し、夢は夢見中の私の眼前にその可視可能な《世界》となって拡がるばかりの何の変哲もない《もの》へと変容を遂げるのであった。斯様に《闇の夢》は大概《世界》へと変容はするが、尤も、何かの具体物、例へば、人間や動物などの創造物たる《もの》への変容は稀であり、それは多分に《吾》によって《吾》の本質の尻尾を捕まへられるのを極度に嫌ひ何としても私に私の本質が見破られる事を避ける《インチキ》をする事で、《吾》と夢の中で対峙する事態を回避してゐるのも間違ひのない事であった。そして、その《闇の夢》に隠されてゐる《もの》の一つに《死》の形象が《存在》するのは確かで、もしかすると私は、《死》といふ《もの》が無上の恍惚状態であるかもしれぬ事を、何となく《闇の夢》が醸し出す雰囲気から無意識裡にでも感じ取ってゐたのかもしれなかったのである。其処で、

――へっ、《死》が無上の恍惚?

といふ半畳を《吾》が《吾》に対して入れる自己矛盾に自嘲するでもなくはないのであるが、しかし、仮に《死》が無上の恍惚状態の涯に《存在》する何かであるならば、《吾》が《吾》に問ふ自問自答といふ《吾》における「阿片」たるその問ひ掛けの源が《死》といふ無上の恍惚状態から発してゐる《存在》の欠くべからざる必須の《もの》の如く、換言すれば、《存在》が《存在》であり続けるには、何としても必要な糧が《死》の無上の恍惚状態との仮定に立てば、成程、細胞六十兆程の統一体として《生きてゐる》私の個々の細胞の多くは、しかしながら自死してゐる事態を鑑みれば、《死》の無上の恍惚状態といふ事態が不思議と納得出来てしまふのも、また、私にとっては厳然とした事実なのであった。

さて、其処で、私は、不意に腐敗Gas(ガス)で腹がぱんぱんに膨れ上がり、どろりと目玉が眼窩から零れ落ち、彼方此方で腐敗して肉体が欠落し白骨が剥き出した私の《死》の形象が脳裡を過る刹那に時々遭遇するのであるが、しかし、現代では死体は故意に遺棄されるか孤独死をしなければ腐敗するに任せる事はなく、小一時間程の焼却で火葬され、さっきまで死体であった《もの》が白き骨の残骸に劇的に変化を遂げる、否、焼却といふ激烈な化学反応によって《死体》を無機物へと無理矢理還元させる現代において、私の《死》の形象は、妄想以外の何《もの》でもないのであったが、尤も、私が徐に深々と一息吸ひ込み《闇の夢》へと投身した時の深い眠りの時に見てゐるであらう夢は、もしかすると私の腐乱した《死体》との出会ひでしかないのかもしれぬ可能性も無くはないのであった。そして、私が《闇の夢》の中に隠してゐるのが《死》の無上の恍惚状態であるならば、私は、私の《死体》が時の移ろひと共に腐乱して行く《吾》の醜悪な、しかし、《自然》な姿を凝視しながら、即自、対自、そして脱自を繰り返しながら、或る時は《吾》は《吾》と分離した《異形の吾》として、また或る時は眼前に横たはる《吾》の腐乱した《死体》と同化しては、この上なく《死》の無上の恍惚状態を心行くまで堪能し尽くす《快楽》へと《吾》は身投げをし、更にはその恍惚状態の《吾》から幽体離脱しつつも、《吾》は尚も恍惚状態のままでゐる大いなる矛盾の中で絶えず《吾》である事を強制された《存在》として、《吾》を《闇の夢》が生んだ更なる夢の奥深くに《吾》を投企してゐるのかもしれなかったのである。

死んで腐乱してゐる《吾》の死体を形象せずにはをれぬ、その《吾》のおかしな状況を鑑みると、《吾》が腐乱する死体として形象するのは、多分、《吾》が《生》の限界と、それと同時に《生》の限界を軽々と飛び越える《死》への跳躍を経て《超越》してしまふ《吾》、つまり、《生》と《死》の《存在》の在り方を《超越》する《吾》と名指せる何かへの仄かな仄かな仄かな期待が其処に込められてゐるのではないかと訝しりながらも、

――さうか。《吾》からの《超越》か――。

と、不思議に《超越》する《吾》といふ語感に妙に納得する《吾》を見出す一方で、

――はて、《吾》は《吾》に何を期待してゐるのか?

と、皮肉な嗤ひとともに《吾》を自嘲せずにはをれぬ私は、《超越》という言葉を錦の御旗に《存在》ににじり寄るれるとでも考へてゐるのか、

――腐乱し潰滅し往く《死体》たる《存在》のその頭蓋内の闇には、尚も、《吾》を認識する意識――意識といふ言葉には違和を感じるので、それを魂と呼ぶが――その意識若しくは魂が尚も脳の腐乱し潰滅し往く《吾》の頭蓋内の闇には確かに《存在》する筈だ!

と、考へると同時に、

――《生者》が《生者》の流儀で《存在》に対峙するのであれば、《死者》は《死者》の流儀で《存在》に対峙するのかもしれぬ。

と、無意識裡に、若しくは「先験的」に私は《生》と《死》に境を設けてしまふ単純な思考法若しくは死生観から遁れ出られずそれに捉はれてしまってゐる事を自覚しつつも、《生》の単純な延長線上に《死》は無いと、そして、また、私といふ生き物には、《死》は《生》が相転移し、全く新しい事象として《存在》する何かであると看做す「思考の癖」がある事を自覚しながらも、

――然り。

と、何の根拠もないのに不敵な嗤ひを己に対して浮かべながら、《生》から《死》へと移行するその《存在》が相転移する様に、もしかすると《存在》の未知の秘密が隠されてゐるかもしれぬと、私の頭蓋内の闇たる五蘊場に明滅する表象を浮かぶままにしながら茫洋とその《吾》の頭蓋内の闇たる五蘊場を覗き込むのであった。

…………

…………

――さて、《闇の夢》を見ざるを得ぬ《吾》は、其処に未だ出現せざる未知なる何かを隠し、それがほんの一寸でも姿を現はすのをじっと待ってゐるのであらうか?

と、不意に発せられた自問に、私は私が《闇の夢》を見るのはもしかすると、世界=内=存在たる《吾》の全否定の表はれではないかと訝しりながらも、

――それは面白い。

と、独りほくそ笑んでは

――私が《闇の夢》を見るのは、もしかすると《吾》は勿論の事、全世界、つまり、森羅万象の《存在》を無意識裡では全否定して、夢の中だけでも《存在》が、その見果てぬ夢たるこれまでの全宇宙史を通して《存在》した事がない未知なる何かが《闇》には尚も潜んでゐるに違ひないと看做してゐるのではないか?

と、私の《闇》への過剰な期待を嗤ってみるのであるが、しかし、《闇の夢》を見ながら

――《吾》だと、ぶはっはっはっはっ。

と嗤ってゐた私を思ふと、私は、やはり、《闇》に未知なる何かを表象させようと《闇の夢》に鞭打ち、《闇》が未知なる何かに化けるのをずっと待ち望んでゐたと考へられなくもないのであった。

――《吾》は、多分、これまでその《存在》を想像だにしなかった何か未知なる《もの》の出現を、Messiah(メシア)の出現の如くにあるに違ひないと《吾》は《吾》といふ《存在》にじっと我慢しながら、確かにその未知なる何かたる「Messiah」を待ち望んでゐる。ぢゃなきゃあ、私は「《吾》だと、ぶはっはっはっはっ」などと《吾》が夢で見る《闇の夢》に対して嗤へる筈などないに違ひないではないか――。

成程、私は、多分、《吾》のどん詰まりに私を私の自由意思で私を追ひ込み、遂に《闇の夢》を見るに至ったに違ひないのである。つまり、此の世の森羅万象を全否定したその結果として、また、その途上として私は《闇の夢》を見、その《闇》にこれまで《存在》が想像だにした事がない未知の何かを出現させる事を無理強ひしつつも、

――《吾》だと、ぶはっはっはっはっ。

と《闇の夢》に対して嗤ふしかない私は、私において何か未知なる《もの》の形象の残滓が残っていないかと私の頭蓋内の闇たる五蘊場を弄(まさぐ)っては何も捉へられないその無念さを心底味はひながら、

――何にも無いんぢゃ仕方ない……。

と、私の頭蓋内の闇たる五蘊場にその未知なる何かの形象を何としても想像する事を己に鞭打ちやうにして私は《吾》に課してゐたに違ひないのであった。

さて、私が、夢で見る《闇の夢》の深奥の深奥の深奥は、果たして、光に満ちた輝く世界なのであらうか、などと想像してはみるのであるが、《光》と《闇》といふ単純な二分法でしか《もの》を考へられぬ己を、

――未だ未だ甘ちゃんだな。

と、自嘲しながらも、私は、心の何処かでは《闇の夢》の深奥の深奥の深奥は、光に満ちてゐてほしいと望んでゐた事も、また、紛れもない事実なのであった。

――それでは、何故、私は《吾》の内奥に潜むであらう《吾》の五蘊場に《存在》するに違ひない《闇の夢》の深奥の深奥の深奥は光に満ちてゐなければならぬのか?

と、その事を不思議に思はなくもなかったのである。そして、それを、

――《特異点》!

と、名指しても、

――さて、虚数iを零で割った場合は、それはまた±∞、若しくは±∞×iに発散するのか?

と、余りにも幼稚な疑問が浮かぶのであった。さてさて、困った事に私は、無限大、若しくは無限に、∞といふ記号を用ゐるのは、今のところ《存在》がその「現存在」を宙ぶらりんのまま、何事も決する事なく、《存在》が永劫に《存在》に肉薄、若しくはにじり寄る事を止揚し、《存在》が《存在》から逃げ果す為の《インチキ》の最たる《もの》と看做す悪癖があり、

――そろそろ《存在》は己を語るべく、数学の世界も複素数を更に拡張した、例へばそれを《杳数(えうすう)》と名付ければ、《特異点》や虚数i÷零を∞と表記しない《もの》を考へ出さなければならない。

などと、考へてみるのであるが、∞は、その論理からするりと摺り抜けて、相変はらず∞として厳然と《存在》する事を已めないのであった。

――しかし、《無限》は何としても《超越》しなければ《存在》の新たな地平は拓けぬ!

と、己に言ひ聞かせるやうにして、私は、尚も沈思黙考に耽ざるを得ぬのであった。

――《吾》だと、ぶはっはっはっ。

それは、多分に《存在》の新たな地平を拓く、若しくは《存在》のParadigm(パラダイム)変換が何時迄経っても出来ぬ私を嗤ってゐる事に外ならないとも思へて来るのであった。

――《吾》が何時迄経っても《吾》でしかない事は、最早、《存在》する《もの》全ての怠慢であって、《吾》が《吾》でしかない事は、侮蔑の対象でしかないのではないのか?

と、不意に私の内部の深奥のところから浮かぶその疑問は、あながち何の根拠もない出鱈目ではなく、もしかすると、《存在》の本質、即ち《物自体》を衝いてゐるのではないか、と看做してしまへば、私が、夢で見る《闇の夢》は、もしかすると、《特異点》をも∞をも虚数iを呑み込んで恬然とした《もの》、即ち《杳数》が此の世に出現する為には何としても被らなければならぬ仮面なのかもしれぬと思はずにはゐられなかったのである。

――ふっ、《杳数》、ちぇっ、つまり、《杳体》か――。

それを《杳体》と名付けたはいいが、それが一体全体何を意味してゐるか皆目解からぬ未知との遭遇なのは間違ひないのであったが、しかし、《杳体》は、既に此の世に出現してゐて、《存在》は、《存在》自体を語り出すには、この《杳体》なる《もの》の《存在》を定義付けなければならぬ局面に、今現在、遭遇してゐるに違ひないと思へなくもないのであった。

――《闇の夢》が《杳体》の仮面?

私は、今のところ、《杳体》なる《もの》の《存在》について何ら確信めいた《もの》を持ち得、若しくは《存在》の物理的な事象が、まるで現在あるところの物理的なる事象とは全く別の《もの》へと相転移したかの如くに、自棄のやんぱちで「えいっ!」と一言の下に新たな《もの》たる《異=世界》とそれを看做して、強引に∞を発散から収束へとその持つ意味を逆転させてしまふ論理的な術など一切持ってゐなかったが、しかし、最早、《存在》はそれが何であれ《存在》において∞が未だ仮初の記号に過ぎず、《杳数》なる《もの》を持ってして数字の拡張を敢へて試みなければ、《存在》は《存在》を一言も語れないのではないかといふ、或る種の予感めいた《もの》は、既に私にはあって、だが、虚数、つまり、英訳するとImaginary numberたるiをごくりと呑み込んでも平気の平左でゐられる《杳数》、これを仮に英訳すると、Obscurity numberとなるのでその頭文字を取って《杳数》単位をoとすれば、そのoなる《もの》が、例へば【「杳数oの二乗」=虚数i】などと定義するなどして此の世に何となく異形の《もの》として《存在》してゐるのではないかと示唆が出来るのみであって、残念ながら今の私の能力では《杳数》若しくは《杳体》に、確たる具体的な姿形を思ひ描き与へる事は、それこそ杳としてをり、そして、未だ《杳数》並びに《杳体》にその《存在根拠》を与へられず仕舞ひなのであった。多分、その忌忌しい結果として、私は《杳体》なる《もの》の表象として《闇の夢》を見る外ない何とも歯痒い事態に陥ってゐて、

――《吾》だと、ぶはっはっはっ。

と、思はず《吾》を《吾》が嗤ふといふ、多分、此の世が《存在》する限りにおいて永劫に続くのであらう堂堂巡りを繰り返す外ないどん詰まりに、私は、とっくの昔に追ひ遣られてゐるのは間違ひのない事であった。

――《吾》だと、ぶはっはっはっ。《闇の夢》が《杳体》? ぶはっはっはっ。

――さて、《闇》は、光をも含めた森羅万象を呑み込み得るのか? どう思ふ?

――さてね。それより、何とも摑み処のない自問を私の頭蓋内の《闇》たる五蘊場にひょいっと抛り投げてみたところで、何の反響も無い事は端から解かってゐる癖に、然しながら、どうしてもさうせずにはゐられぬ《吾》は、そして、また、五蘊場に絶えず無意味な問ひを絶えず投げ続けずにはゐられぬ《吾》は、ゆっくりと瞼を閉ぢて、その瞼裡のペラペラな《闇》に《吾》なる面影を映さうと躍起である事は、何を隠さうそれは休む間も無く絶えず私に起きてゐる自問自答しながらの大いなる自嘲に過ぎぬとしたならば、へっ、《吾》もまた皮肉たっぷりの《存在》だといふ事だ。

――ふっふっ、《吾》において仮に《闇の夢》がそれ自体において瓦解したならば、《吾》はそれでも《吾》をして《吾》を《吾》と名指せるのだらうか?

と、既に私において《闇の夢》は《吾》を《吾》たらしめてゐる礎になり果せてゐるのもまた間違ひの無い事で、しかし、さうだとするとして、私はその頭蓋内の闇たる五蘊場へと直結する瞼裡の闇に映る《異形の吾》を仮象せずば、一時たりとも《吾》が《吾》である事はあり得ぬ程に、《吾》には「先験的」に《闇》を《吾》のうちに所持せず《生存》すら断念してしまふ羸弱な《存在》である事を自殺を例に出すまでも無く自明の事として、《吾》は《吾》の《存在》の所与の《もの》として《闇》が《存在》に組み込まれてをり、つまり、《闇》無くして《吾》は《存在》してゐないに違ひない《もの》なのは、間違ひのない事であった。

さうすると、《闇の夢》は私において、それはまさしく必然の《もの》に違ひなく、《闇の夢》こそが《吾》の確信、若しくは本質なのかもしれなかったのである。

――《吾》だと、ぶはっはっはっはっ。

しかし、私は夢の中で見てゐるその《闇の夢》がそもそも《闇の夢》である事から、それを或る種の幻燈と看做してゐるはずで、《闇の夢》が自在に変容するその《闇の夢》が映す《もの》に、私は嬉嬉として喜びの声も、私が《吾》を嗤ふ中で確かに上げてゐる筈なのであった。尤も私は、《闇の夢》が映し出す《もの》全てに《吾》との関係性を見出して、それ故に嬉嬉として喜んでゐるのであったが、しかし、例へば私が夢で見るその《闇の夢》が《吾》とは全く無関係な《もの》、つまり、今のところ此の世にその《存在》が知られてゐない、例へば先に言った様に《杳数》をObscurity numberと英訳してその頭文字を取って《杳数》をoとすると、その《杳数》の如き未だ発見されぬ未知なる《もの》が《存在》する事で初めて《吾》と《闇の夢》の関係が曲芸の如く導き出されるとしたならば、困った事に、私にとって《闇の夢》は《吾》を侮蔑するのに最も相応しい代物だと言へ、《吾》と《闇の夢》が例へば《杳数》の《存在》を暗示するのであれば、私といふ《存在》は、やはり、私の手に負へぬ無と無限との関係と深い関係にある何かであった事は間違ひの無い事であった。

――《吾》だと、ぶはっはっはっはっ。

それは、つまり、《闇》=《吾》といふ至極単純な等式で表はされるに違ひない筈なのに、《闇》=《吾》と白紙の上にさう書いた刹那、その《闇》=《吾》といふ等式は既に嘘っぽくなり、更にそれをまぢまぢと眺めてゐると、

――そんな馬鹿な!

と、《闇》=《吾》は完全に否定される事になるのが落ちなのである。

さうすると、《杳数》はそれ自体「先験的」に時間と深く結びついた何かであるかも知れず、また、時間を或る連続体の如く扱ふ事自体に誤謬があり、さうすると、そもそも時間とは、渦動運動だと看做す場合、その渦動する時間はほんの一時、連続体として此の世にカルマン渦の如く《存在》するが、しかし、例へば、時間を数直線の如く扱ふ、つまり、時間が微分積分可能な《もの》として、換言すれば、時間が移ろふ《もの》としてのみ、その性質を無理矢理特化させてしまふと、その時点で時間は「先験的」に非連続的な何かへと相転移を遂げた、詰まる所、微分積分が相当の曲芸技無しには全く不可能な何かへとその様態を変幻自在に変へる化け物として、または、《存在》に襲ひ掛かって来る時間は、その《物の化》の如き本質を剥き出しにするに違ひ無いと思へるのであった。

ところで、私が時折見るその《闇の夢》とは、潜在的に、私が忌み嫌ふ《無意識》なる《もの》と何らかの関係があると看做せなくもないのだが、《闇の夢》と《無意識》とを結び付けた処で、それはLibido(リビドー)とか死への衝動へと集約されちまふだけのそんな分析可能とも言へる夢の中で、《闇》と只管対峙する《吾》のそのそこはかとなく感じてゐるに違ひない恐怖心に思ひを致せば、《闇の夢》を精神分析や心理学の文脈で語った処で、この私が納得する筈もなく、

――だから、それで?

と、精神分析医か心理学者かに詰問するのが落ちなのである。

仮初にも、私が、《闇の夢》に対して或る恐怖心を抱いてゐるが故に、

――《吾》だと、ぶはっはっはっはっ。

と、私は、《闇の夢》を前にして己を侮蔑せずには一時もゐられぬ、切羽詰まった状態にある事は今更言ふまでもなく、その根底の処では、私は、

――《闇》も何かへと変容せずにはをれぬ。

といふ先入見があるのは確かで、また、その先入見がないとすれば、《存在》としては失格の烙印を押された何かに違ひないのである。つまり、《存在》はそれが何であれ己が《存在》する事を、而も、死すべき《もの》として此の世に《存在》する事を余儀なくさせられた《もの》であれば、《闇》が何かへと必ず変容するといふ事を「先験的」に賦与された偏見に満ちた《存在》としてしか、《存在》は此の世に《存在》する事は不可能なのである。

例へば人間を例にすれば、母親の子宮内といふ《闇》では、子宮に通じた膣より挿入された男性の生殖器から放たれた精子と卵子が受精する事で、その《闇》の子宮内には既に未来に《存在》するであらう《存在》の萌芽が《存在》する事から、此の世に《存在》する人間は誰もが《闇》を目の当たりすれば、その《闇》には何かが生み出され、そして、それが隠されてゐるか、その《闇》自体が何《もの》かへと変容する契機を含んだ何かなのである。

さて、そこで時空間を渦のFractalと仮定すれば、カルマン渦の発生の仕方より渦とはそもそも非連続的に、つまり、一、二、三……と数へられる何かでありながらも渦を取り巻く外界とは連続的に繋がる奇妙な特性を持つ《もの》で、また、一つの渦が、それよりも小さな小さな小さな渦が蝟集して出来上がった《もの》であるとすれば、此の時空間の究極の処では非連続的な、つまり、飛び飛びの時空間が表象される筈で、その飛び飛びにしか《存在》しない時空間はといふと、《闇》の大海に浮かぶ小島と看做せなくもないのである。

――《吾》だと、ぶはっはっはっはっ。

と、《闇の夢》を見る私のその如何にも高慢ちきな《存在》の仕方は、実の処、私が《闇》への途轍もない恐怖の裏返しでしかないかもしれぬのである。さうでなければ、私が《闇の夢》に対して、

――《吾》だと、ぶはっはっはっ。

などと嗤へる筈がないのだ。其処には《闇》に《吾》といふ箍(たが)を嵌める事で、辛うじて《闇の夢》に対峙出来る、情けない《吾》が私の瞼裡の薄っぺ

らな《闇》にか、頭蓋内の《闇》たる五蘊場にかやっとの事で何とか棲息してゐるに過ぎぬ哀しい《吾》の実像があるに違ひないのであった。

そして、《闇の夢》の《闇》とは分離してゐる《吾》の《存在》を無理矢理にでもでっち上げて信じ込まなければ、私は、眠ったまま永眠する可能性がある以上、《闇》に隠されてゐるに違ひない《死》からその私が《存在》する限り遁走し続ける外なく、《闇》が私を映す影鏡といふ《存在》の仕方をぴたりと已めた刹那に、私は《死》に埋没する外なく、もしかすると、時が止まった時空間を永劫に漂流するかもしれぬ可能性がある事に自分でも吃驚しながらも、私は、尚も、

――《吾》だと、ぶはっはっはっはっ。

と、《闇の夢》を嗤ひ飛ばしてゐるに過ぎぬ哀れな《存在》に違ひないのだ。更に言へば、先にちょこっと匂はせた《杳数》を例へば、oと表記できるとすれば、そのоを含んだ数式は《死》をも精緻極まりなく表記出来る、或る種魔術的な何かなのかもしれず、さうすると、《死》も数学的な論理で語られる何かへと変容してしまふに違ひないのであった。

さて、其処で、私が闇に対して抱いてゐた或る種の憧憬は、しかし、詰まる所、闇に対する恐怖心に根差した感情、つまり、或る種の怖い《もの》見たさといふ、《存在》に「先験的」に賦与された本能に近しい何かに違ひなく、私が《闇の夢》を前にして、

――《吾》だと、ぶはっはっはっはっ。

と、哄笑する私といふ《存在》は、如何にも矛盾してゐる《存在》なのだと自覚せねばならない筈なのであった。しかし、何故に《吾》といふ《存在》が、元来、矛盾してゐるかは、これまた詰まる所、解からぬままでありながら、私は自嘲するやうに、

――私の《存在》は矛盾してゐる。

と、言明すれば、《吾》は《存在》の責め苦から遁れられ、また、《吾》といふ《存在》は許されると、あざとく考へてゐる節もあって、また、そのあざとさがなければ、此の《存在》といふ得体の知れぬ《もの》に一時たりとも対峙出来ないと断定してゐるのもこれまた、否定出来ぬ事なのであった。

それ故にであらう。私が夢で《闇の夢》を見ては、その闇が何かへと変容して姿形のあるれっきとした《存在》へと変貌するその激烈なる変容の現場に立ち会ひたい欲があり、

――《吾》もまた変容す。

と、呪文の如くぶつぶつと呟きながら、その実、瞼を閉ぢて、眼前に拡がる薄っぺらな闇に無限を見出す振りをする、何かしら擬態する《存在》へと、つまり、闇に対して擬態する《存在》に己が為り得る願望すら抱いてゐるのが己に対して見え見えに見え透いてゐて、その瞼を閉ぢて眼前の薄っぺらな闇を見て、無限を思ふ錯誤を心の何処かで楽しんでゐる己を不意に発見すると、

――ふっふっふっ。

と嗤って誤魔化すのである。

ところが、此処で先に触れてゐた《杳数》といふ浅墓な考へを持ち出して新たな数字の更なる拡張する概念を持ち込むと、此の眼前の瞼裡の薄っぺらな闇もまた一気に無限へと変容可能なからくりが《存在》し得るかもしれぬと、期待半分で自嘲しつつも、ところが、私が、本気で《杳数》の《存在》を信じてゐるのを知ると、私は以外にも吃驚して、その照れ隠しも兼ねながら、私は、多分、《闇の夢》を前にして、

――《吾》だと、ぶはっはっはっはっ。

と、嗤ひ飛ばしてゐるに違ひないのであった。

さて、此処で、これまた先に述べてゐた事、つまり、此の世の時空が根源の処で飛び飛びの非連続的な有様であるかもしれぬと考へてみると、《存在》が孤独である事のその理由が解かるかもしれぬのであるが、しかし、此の世が飛び飛びの時空間によって成り立ってゐると考へる莫迦は、つまり、デカルトの時代ですらさうであった延長といふ《もの》をもってしての世界認識の一つの在り方とは相容れず、また、此の世の時空間が飛び飛びの非連続的な《もの》として表徴出来得た暁には、私は、此の世のアポリアは全て解決するかの如く考へてゐるのも哀しい事に、また、確かなのであった。

――《吾》だと、ぶはっはっはっはっ。

《闇の夢》は、さて、此の瞼を閉ぢて眼前に現出する薄っぺらな闇と同様の《もの》と看做せるのか、看做せないのかは、現時点では、私には、しかし、如何とも言ひ切れぬのであった。

さて、闇は闇であれば全て同質な《もの》であるのかどうかは、考へるまでもなく、不可であったが、それでも尚、闇は闇としてその闇に如何なる《もの》が呑み込まれてゐても闇である事に変はりはないと、例へば新たな数字《杳数》を導入する事で証明出来てしまふと、それはとても面白いと思ふのであったが、人間は既に《場》といふ考へ方で世界認識をしてゐるので、この闇とあの闇が《場》として認識すれば、それははっきりと違った闇、否、《場》である事は一目瞭然なのであるが、しかし、頭蓋内の闇、それを私は《五蘊場》と名付けてゐるが、その《五蘊場》と瞼を閉ぢた時に眼前に拡がる闇の区別は、今の処、ついてゐないのもまた、確かなのであった。

――闇の同質性か……。

と、瞼を閉ぢた薄っぺらな闇に明滅する数多の表象群は、さて、私が夢で見る《闇の夢》のその闇と何処かが似てゐる処があるのかと問はれれば、それは正しく、瞼を閉ぢて眼前に出現する薄っぺらな闇と、《闇の夢》の闇は、途轍もなく似通ってゐて、多分、その闇は異母兄弟の闇と言へなくもないのであった。

私は、《闇の夢》を見ながら、

――《吾》だと、ぶはっはっはっはっ。

と、毒づいてはゐるが、しかし、覚醒時の私もまた、

――俺は、ちぇっ、俺か!

と、絶えず己に対して毒づき、自虐的に己自らが先頭に立って《吾》を査問、若しくは総括しながら責め立ててゐるのであった。そんな時、私は、やはり、

――《吾》だと、ぶはっはっはっはっ。

と、内心ほくそ笑んでは、《吾》を責め立てる《異形の吾》を煙に巻くのを常としてゐたのであった。さうしなければ、《吾》の《五蘊場》に棲み付いて神出鬼没に出現しては、《吾》を責め立てるその《異形の吾》は、際限なく《吾》を責め立て続けるに違ひないのであった。

私は、既に幼少期に《吾》に対する違和、若しくは不信を、さうとは知らずに抱へ込みつつも、

――《吾》は《吾》だ!

と、呪文の如く唱へる如くに、何時も《吾》に対して感じてしまふ違和、若しくは不信を幼心でも

――これは、唯、ぢっとしてやり過ごすしかない《危険》な《もの》。

といふ無意識裡の危機意識として私は感じてゐたやうで、幼児期に既に私を不意に襲ふその《吾》に対する違和、若しくは不信は、

――うわ~~ん。

と、突然何の前触れもなく泣き出す事で、その言葉に出来ずに堪らない感情をやり過ごしてゐたのであった。

そんな私は、当然の事、泣き虫で、多分、親にすれば、私が不意に泣き出す事に大いに困惑を感じてゐたのは間違ひなく、何を隠さう、当の本人が《吾》に対して一番当惑してゐたのであった。

多分に、その《吾》に対する違和、若しくは不信が、私が時折夢で見る《闇の夢》の淵源になってゐるのかもしれず、私は、無意識裡に《異形の吾》を闇で塗り潰しては、

――《吾》だと、ぶはっはっはっはっ。

と、その《闇の夢》の闇に対して、常日頃、《異形の吾》に《吾》といふ《もの》がどん詰まりへと追ひ込まれてのっびきならぬ《存在》の恐怖とも言ふべきその思ひの丈を、或る種、侮蔑の念を込めて、腹癒せに《闇の夢》のその闇に浴びせ掛けるのであったが、その言は、

――《吾》、《吾》なる事を承服し難き《存在》なりや。

といふものなのであったが、その言は、或る種、《吾》に対して投げやりな言葉を《異形の吾》に宣告してゐると思へなくもないのであった。私は、それ程に《吾》が憎らしくて堪らなかったのが正直な処で、《吾》なる《もの》に底無しの深淵が《存在》してゐる事を、私に教へて呉れたのが、後年に出合ふ事となる、ドストエフスキイやエドガー・アラン・ポーやヰリアム・ブレイクや埴谷雄高や武田泰淳や何冊かの哲学書や物理学の専門書など、先達達が遺した数多の作品群なのであった。

多分に、《存在》は己に対する違和、若しくは不信に苛まれ、

――《吾》とは如何なる《吾》の事なりしや。

と、此の世に《存在》を出現させた《神》、若しくは此の宇宙の摂理に対して、絶えず、疑義の叫び声を、何に向かってか、上げて、さうやって、《吾》に潜む《異形の吾》を宥めすかして、現在に至ってゐるとも考へられなくもないのであった。つまり、《吾》が《吾》に対して疑義の念を抱くのは必然であって、能天気に己を全的に自己肯定出来る《存在》程、気色悪い《存在》はなく、さうすると、《吾》は絶えず、《異形の吾》に対して罵詈雑言を浴びせるのが、《吾》が此の世に《存在》する正しき作法に違ひないのであった。

しかし、それは私が《異形の吾》に対する形式的な作法に過ぎず、実際の処、私は、《異形の吾》の棲む処が、もしかすると私が夢で見る《闇の夢》ではないかと思ひ為し、その証左が《闇の夢》を前にして私は夢の中で、

――《吾》だと、ぶはっはっはっはっ。

と、嗤ふ事で、私は私なる《存在》を自己承認してゐるのかもしれないのである。

先づ、私は絶えず、《吾》なる《もの》を疑ってゐるので、《吾》の自己承認は私においては、自己否定でしかなかったのである。

ところが、《吾》といふ《存在》は、全く私に認められてゐない事には絶えず憤懣を抱いてゐて、その私が《吾》に対して抱いてゐる自己否定と自己肯定の狭間で、私においてそれを何とか摺り合せて、最後は私において、共存させる術が見つかれば、私は何とか此の《世界》の中で、その摂理に対して従順になれるかも知れなかったのであるが、《吾》は否定と肯定に完全に引き裂かれたまま、其処に底無しの深淵を見、多分に、それが、《闇の夢》として、私の夢の中に出現してゐるのかも知れなかったと合点してゐるのであった。

それにしても《吾》はそもそも不運な《もの》であるといふのは確かであったのかもしれない。つまり、《吾》は《吾》とは異なりながら《吾》であると名乗る《異形の吾》を絶えず抱へ込んでゐる事は、誰も同じ筈なのだが、此の《異形の吾》は、変幻自在で直ぐに《吾》にとって代わる事は、日常茶飯事で、そして、それが、《吾》が《吾》に対して大いなる不信を抱く契機となり、《吾》は絶えず疑心暗鬼の目を《吾》に向けて、最後は我慢が出来ずに《吾》に罵詈雑言を浴びせ掛けるのが、何時も繰り返し行はれる事なのであった。

――《吾》だと、ぶはっはっはっはっ。

また、この私が夢に見る《闇の夢》は、多分に私自身の醜悪で厭らしい部分が凝縮してゐる筈で、それらを私に見せない為に夢は、《闇の夢》として私に現はれるのは間違ひない事であった。つまり、《吾》といふ《もの》を容れる器は、闇以外在り得ないといふのが私の率直な感想で、これはこれまでも何度も触れた事であったが、絶えず、自己肯定する《吾》も気色悪いのであったが、絶えず、自己否定する《吾》もまた同じく気色悪い《もの》で、頭蓋内の闇の脳といふ構造をした《五蘊場》で、Neuronの発火現象が絶えず起こって、私はその《五蘊場》に《吾》なる《もの》をもまた表象し、そして、自問自答といふ陥穽に落っこちて、其処から這ひ出す事もせずに恰も岩窟王の如くその陥穽から出る気配は全くなく、しかし、棲家としても一時も休まる事はなく、然しながら、絶えず、《吾》なる《もの》と対話をする至福の時間を知ってしまってゐる私は、何にでも変容可能な、それは無限といふ観念に何処か繋がっている《闇の夢》に出合ふ事を、多分に望んでゐたのもまた確かなのであった。

――《吾》だと、ぶはっはっはっはっ。

《闇の夢》を前にして、何時も哄笑せずにはをれぬ此の《吾》とは、さて、何《もの》かと自らに問へば、自己が自己正当化するといふこの世で一番悪しき愚行を行ふ《吾》なのかもしれず、然しながら、善なる《吾》もまた《闇の夢》の中に或るひは《存在》してゐなくもないと思はれるのであった。そして、闇こそが《吾》を正確無比に映す鏡である事は先述したと思ふが、確かに闇は、《吾》を正確無比に映す鏡であって、不肖なる《吾》が仮に《闇の夢》に対峙してゐるのであれば、《闇の夢》は、そんな《吾》を映し出し、それ故に《吾》は、

――《吾》だと、ふはっはっはっはっ。

と、哄笑せずにはをれなかったのであったのもまた事実であらう。

さて、其処で、《闇の夢》は聾唖な《存在》なのかと言ふと、それは違ってゐて、《闇の夢》は絶えず私に語りかけ、謎を出し、そして、《吾》なる事を私に問ふのであった。そして、その度毎に《闇の夢》は水墨画の墨の如く濃淡が現はれ、そして、ぐるぐると渦を巻いてゐるのであった。

《闇の夢》が薄らとであるが、渦を巻いてゐる事に気付いたのは、しかし、つい最近の事なのであったが、それに対して、私の感慨は、

――やはりな。

といふものでしかなかったのである。つまり、《闇の夢》が渦を巻いてゐるといふ事は、《闇の夢》にも私とは別の自律的な時空間のカルマン渦が《存在》し、それは詰まる所、《吾》とは決定的に違ふ《存在》として《闇の夢》が私の《五蘊場》に《存在》してゐる事を意味してゐるに違ひはないのである。つまり、

――《吾》だと、ぶはっはっはっはっ。

と、《吾》が《闇の夢》を見た刹那、哄笑するのは至極当然の事で、元来が、別の《もの》である《吾》と《闇の夢》を一括りにして、《吾》として始末してしまふ事には無理があり、私は夢で《闇の夢》に対峙した時に、

――《吾》だと、ぶはっはっはっはっ。

と嗤ひ飛ばす事は、自然の成り行き上、至極自然の事で、然しながら、其処には大いなる矛盾が潜んでゐるのであるが、その矛盾を語る前に、《闇の夢》にはもしかすると《吾》を捕らへる罠が仕掛けられてゐて、《吾》は《闇の夢》を一瞥するだけで、その《闇の夢》が発する魅惑に惑はされ、ところが、《吾》はといふと一向にそれとは気付かずに《闇の夢》に《吾》は《吾》として映し出されてゐる、若しくは炙り出されてゐるのであるが、それを《吾》は《吾》の姿形とは露知らずに、《吾》は、

――《吾》だと、ぶはっはっはっはっ。

と、哄笑し、《闇の夢》に映る《もの》が《吾》の異形の姿である事を端から否定してかかるその心理状態は、もしかすると夢の中だけの事で、そして、それが《闇の夢》を前にしてのお決まりの事なのかもしれなかった。

しかし、《闇の夢》が渦を巻いてゐるとなると、どうもこれまで《闇の夢》に対して抱いて来た印象は全て虚妄に過ぎず、《闇の夢》には《闇の夢》にのみ当て嵌まる摂理が《存在》する事は、最早、否定する事は出来ぬ事なのであった。

それでは、《闇の夢》の摂理はどんな《もの》なのかと問へば、

――解からぬ。

といふのが正直なところで、その外に思ひあたる《もの》など全くなかったのであった。

しかし、夢に《闇の夢》を見てしまふ私にとって、《闇の夢》はどう考へても《吾》を生け捕りにするとしか思へず、また、実際の処、《吾》は《闇の夢》にまんまと捕らへられてゐる事は事実であって、さうでなければ、私が、《闇の夢》を前に、

――《吾》だと、ぶはっはっはっはっ。

などと、哄笑する筈はないのであった。しかし、其処には先にも言った通り大いなる矛盾が《存在》し、仮に《闇の夢》に《吾》が映ってゐれば、それは最早《闇の夢》ではなく、《吾》といふ姿形を持った何かを夢の中で見てゐるに違ひないのであるが、実際は、《闇の夢》は闇のままであり続けてゐるのであった。《闇の夢》を夢で見て、

――《吾》だと、ぶはっはっはっはっ。

と、《闇の夢》に対して侮蔑してゐる《吾》が、大間抜けであるが、確実に《存在》し、そして、《闇の夢》は闇であり続ける事を論理付けて語るには、夢の中で私が己の事を《吾》と意識した刹那に《闇の夢》は闇へと一変し、そして、その《闇の夢》の中に消えたであらう《もの》の《存在》を暗示するといふ事で、一応論理的に語った事になるかもしれぬが、しかし、さうして論理付けて《吾》が《闇の夢》と対峙しながら、《闇の夢》には《吾》が映ってゐて、さうして、私は夢で《闇の夢》を見ては、

――《吾》だと、ぶはっはっはっはっ。

と、哄笑してゐると考へた処で、結局は全てが曖昧模糊とした《もの》でしかなかったのである。

しかし、私が《吾》と看做してゐる《もの》が、果たして何なのかは、実際の処、幾ら煎じ詰めても私本人にすら解かる筈もなく、《吾》といふ《存在》の正体を知ってゐる《もの》は《神》を除けば、全宇宙史以来、《存在》した例がなく、私が《闇の夢》を見て、

――《吾》だと、ぶはっはっはっはっ。

と、哄笑してゐる処を鑑みれば、《吾》はもしかすると闇かもしれぬといふ事は、《吾》の正体を或るひは言ひ得て妙なのかもしれなかったのである。

――それにしても、私は、何故に《闇の夢》を見る次第に至ったのであらうか。

この問ひは煎じ詰めれば煎じ詰める程に、私が闇を此の世で一番愛してゐるといふ結論をもって納得せずにはをれぬ事に気付き、そんな時は、

――ふっ。

と《吾》に対して侮蔑の自嘲を送っては、闇に魅惑され、耽溺する事に、最早、虜になってしまった私は、闇から遁れる術などもう残されてないと観念するしかないのであった。

それでは、私は、何故にこれ程までに闇を偏愛してゐるのかと、その淵源を辿ってみると、その淵源はどうやら私が受胎した刹那の世界の闇への郷愁が、私をして闇を愛して已まないのではないかと思へなくもないのであった。

それは、多分に、将来、私に為るべく母親の子宮内で受精した受精卵が、受精の刹那に不意に垣間見てしまふ闇と言へなくもなく、また、私の闇への偏愛は、母親の胎内で発生、若しくは出現してしまった《存在》の根本を問ふに相応しい闇で、私が夢で《闇の夢》をしばしば見るのは、絶えず私が原点回帰を行ってゐて、其処で炙り出される《吾》の無様さが、私をして、

――《吾》だと、ぶはっはっはっはっ。

と、《闇の夢》、否、《吾》を見て嘲笑せずにはをれぬ私にとって、その嘲笑は此の世に《吾》が《存在》するといふ事の悲哀が多分に含まれてゐるのは間違ひない事のやうに思へなくもないのである。

――《吾》だと、ぶはっはっはっはっ。

また、これはもしかすると、私の悲鳴なのかもしれなかったのである。何故にさう看做せるのかと言へば、自己卑下する《吾》は、《吾》の此の世での《存在》たる《もの》としての作法としては、誠に合理的だと思はずにはゐられなかったのであるが、《存在》は即ち自己卑下するべくして此の世に出現した、つまり、須らく《吾》が《吾》を嗤ふのが、《吾》の《存在》に対する一つのCatharsis(カタルシス)なのであって、自己卑下して《吾》を嗤ひ飛ばす事は、多分に《存在》する事の屈辱に塗れた《存在》の有様の穢れを落とす禊に外ならないのである。

――《吾》だと、ぶはっはっはっはっ。

さて、私が、夢で見る《闇の夢》には一体《吾》の如何なる姿形が潜んでゐるのであらうかと、一時期はそればかりに執着してゐたが、今では、そんな阿呆らしい事に関はり合ふ暇などなく、只管、《闇の夢》に直に対峙する事で、私の心象のままに変容して已まないその《闇の夢》は、夢に開いた《パスカルの深淵》といふ陥穽なのかもしれぬと看做して、私は、不意に首をぬっと伸ばして、その《闇の夢》の中に首を突っ込む事ばかりを何時しか渇望するやうになってゐたのであるが、現在の処、夢の中で私が《闇の夢》に首を突っ込んだ記憶はなく、如何にも惜しい事なのであるが、夢の中での《吾》は、また、私の制御の利かぬ《もの》に違ひないので、夢の中の私が、私の渇望する通りに、恰も私の操り人形のやうに私の思ひ通りに動いて呉れる事は、また、ある筈もなく、然しながら、私は、《闇の夢》、つまり、それを夢世界の裂け目たる夢における《パスカルの深淵》と看做して仕舞へるならば、夢の中の《パスカルの深淵》に首をぬっと突っ込む私、それは、《闇の夢》と私における性行為に違ひなく、その時、多分、何か再び私の夢の中で発生、若しくは出現を余儀なくされる《存在》が出現するといふ、それは私にとってはえも言はれぬ悦楽を伴ってあるのではないかと秘かにその時を楽しみにして待ってゐる自分に不意に気付くと、

――何と無慈悲な事よ。

と私は私に対して諫めるのであった。

――《吾》だと、ぶはっはっはっはっ。

《闇の夢》に対峙せざるを得ぬ《吾》とは、さて、男根の如くに為り得るのであらうかと問ひつつも、何事も性行為に関連付ける私の思考回路の貧弱さに、自嘲しながらも、しかし、性行為こそに一つの《存在》に付された問ひに多分に対する答へであるかもしれぬと思ひながらも、今の処、私は、《闇の夢》を前にして、

――《吾》だと、ぶはっはっはっはっ。

と嗤ふしかないのであった。

フロイトを持ち出すまでもなく、確かに「現存在」の日常の振舞ひの淵源を辿れば、それは大概が性行為か《死》の衝動に結び付けられるのは、自明の事であったが、《闇の夢》に私の頭を突っ込みたくて仕様がない私の欲望は、多分に、《異形の吾》を《闇の夢》に頭を突っ込む疑似性行為で生み出す衝動の為せる業に違ひなく、その証左が《吾》をして懊悩せざるを得ぬ「自同律の不快」、つまり、《吾》が《吾》である事の不快が全ての端緒になってゐて、

――《吾》だと、ぶはっはっはっはっ。

と《闇の夢》に対して哄笑する私は、結局の処、《吾》である事に我慢がならず、或るひは出来得る事であれば、その魂をファウスト博士と同様に悪魔に売り渡したいのかもしれなかったのである。

然しながら、私が仮に私の魂を悪魔に売り渡した処で、私はファウスト博士とは違って「若さ」を欲するのではなく、只管、己の《死》を欲するに違ひないとしか思へぬのであった。それ程までに自己嫌悪する《吾》とは、さて、一体何に由来するのかと自問自答してみても、その答へは今の処さっぱり解からず仕舞ひであったが、その淵源に私が未だ胎児として母親の胎内にゐた時点まで遡れるかもしれず、また、「現存在」は、生きるのが当然との考へに思ひ為した事は、幼児期まで遡っても記憶にはなく、私は私ばかりではなく、《他》に蔑まされる《存在》であると勝手に思ひ込んでゐた事も《闇の夢》を見て、

――《吾》だと、ぶはっはっはっはっ。

と嗤ってゐるのかもしれず、また、私といふ《存在》は、傲岸不遜にも《神》と比べて見劣ってゐる故に《吾》を嫌悪してゐる事も事実で、私は、出来得れば、此の世界を掌中で握り潰し、私の思ふがままの新世界を捏ねくり出して創出したい欲望を抱いてゐるのもまた、確かで、つまり、ドストエフスキイの『悪霊』の登場人物、キリーロフならぬ《神人》が私が私である為の最低条件なのかもしれぬと思ふと、私は、そんな私を尚更嫌悪し唾棄するのであった。

然しながら、私が仮に《闇の夢》は闇でしかないと頭の片隅では高を括ってゐる節がなくもないのであったが、その闇をして私は《異形の吾》と敢へて看做す事で、自身の安寧を得てゐるのかもしれず、それ故に私は《闇の夢》を見て、

――《吾》だと、ぶはっはっはっはっ。

と哄笑してゐるのは間違ひなかったのである。つまり、私は私の憤懣やる方なしのその憤懣を単に《異形の吾》と名付けて、それを恰も《吾》の出来事でもあるかのやうに装ひ、その全てを《異形の吾》に負はせる事で、自己保身してゐると看做せなくもなかったのである。それ故に《異形の吾》は徹頭徹尾、その姿形を現はす事なく、私の頭蓋内の闇たる《五蘊場》に等しき闇である事が、何事においても私には好都合の事で、さうでなければ、私が《闇の夢》を見る事はなかった筈なのであった。

例へば、性と《生》と《死》が綯ひ交ぜになった《もの》が、多分、私の《闇の夢》の正体と思はぬ事もなかったが、しかし、それでは私は《闇の夢》を見て、

――《吾》だと、ぶはっはっはっはっ。

と自嘲する《吾》は、その深層の処では、性と《生》と《死》を侮蔑してゐる事になるのだが、私は、

――それもまたありなむ。

と妙に納得してゐる私に対して、これまた奇妙な目を向け、尚更の事、自同律の不快のど壺に嵌るのであった。

それにしても、私が見る《闇の夢》は一体全体何の象徴、若しくは隠喩なのかと絶えず自問自答してゐる私は、それを或る時は、陰毛を、女陰を、将又、《死》を、そして私自身の頭蓋内の闇を、と、挙げれば切がない程に私は不知不識の内に《闇の夢》に対して私の表象の塵箱の如く何でも投げ入れてゐる事を自覚するのであった。

或るひは、私が見る《闇の夢》はBlack holeの単純な表象でしかなく、仮にさうだとすると、私の推察する能力は、余りにも稚拙な《もの》と言はざるを得ず、実際の処、将に私の発想は貧弱そのもので、果たせる哉、私の想像力なんぞは、所詮、その程度の《もの》でしかないのも、また、真実で、然しながら、私は常常Black holeとはその名によって「漆黒の闇」を連想させるが、本当は、Black holeは光に満ち満ちた此の世の裂け目、否、画家のルドンが描く巨大な巨大な巨大な目玉の如き此の宇宙の目玉と看做してゐて、私は、其処に万華鏡の如き美麗なる鏡面界を見てゐるのであった。つまり、私にとってBlack holeと光とは同義語で、《闇の夢》がBlack holeを表象してゐる筈はないと思ひながらも、私は、もしかすると夢見中には、その覚醒時の心象を夢知らず、Black holeとの呼び名から単純な発想で、「漆黒の闇」と看做してゐるのかもしれず、また、さう看做した方が、どう考へても自然だと、私には思へて仕方ないのも確かなのであった。

――《吾》だと、ぶはっはっはっはっ。

成程、《闇の夢》は私が夢で頭蓋内の脳といふ構造をした《五蘊場》に出現する数多の表象群の全てをその《闇の夢》に投げ棄ててゐるのも、また、確かで、仮にさうでなければ、夢に闇が出現する筈もなく、更に言へば、私の世界認識が、古代人のそれに限りなく近く、それは、此の世の涯には断崖絶壁があり、それを以て此の世が尽きるといふ世界観が私の意識下にはくっきりと《存在》し、私が夢見中に《闇の夢》として見てゐるのは、多分に、此の世の涯のその断崖絶壁に対峙してゐるとも考へられなくもないのであった。仮にさうであるならば、成程、私が夢見中に見る《闇の夢》は此の世の森羅万象を呑み込んだ闇と看做すのが自然の道理に違ひなく、私の世界観に《存在》してゐる世界の涯に此の世のあらゆる《もの》を投げ棄てて、さうする事で、私は、私の世界観、若しくは世界認識を日日更新し続けてゐるとも思へなくもなかったのであった。

さうなると、私は、《闇の夢》を前に、

――《吾》だと、ぶはっはっはっはっ。

と嗤ふのは、もしかすると此の世の森羅万象を、艱難辛苦を全て堪へ忍んだヨブとは全く違って、己が神に為ったかの如くに錯覚して、さうして相手を侮蔑する事でのみ味はへる何とも言へない優越感といふ愉悦を味はひ、己が此の世の主人である事をたんまりと堪能したいのかもしれなかったのである。それ故に、私は、《闇の夢》に対して、

――《吾》だと、ぶはっはっはっはっ。

と、或る種の侮蔑の感情が籠った嘲笑を、何の衒ひもなく放てるのかもしれなかったのである。

――私は、《闇の夢》を見て、さて、何を侮蔑してゐるのか?

と、しばしば私は自問自答するのであったが、それは、考へれば考へる程、私は、此の世の禁忌を破って、神に為ったと悦に入ってゐる自身を見出さずにはをれず、また、さう看做す事が自然な道理に思へて仕方ないのも、また、確かなのであった。それは何とも矛盾した私の、その世界に対する屈折した感情の発露として、《闇の夢》が、現はれてゐると言へなくもないのであった。

――《吾》だと、ぶはっはっはっはっ。

この虚しく私の頭蓋内に響く哄笑は、一方で、無知で空っぽの私自身の《存在》の有様に対する侮蔑であり、一方で、私は単純故に此の世の主人と化して世界を握り潰し、さうして世界を創り直す創造神の如く、《闇の夢》をむんずと掴み世界を捻り出すか、若しくは、性交時の如く、女陰にも表象可能なその《闇の夢》に、男性器を突っ込む事を夢想する思春期の性に目覚めたばかりの若者の如く、女性を性の対象として見始めた《もの》における女陰のQualia(クオリア)、つまり、感覚質の如くに、私は《闇の夢》に頭を突っ込み呑み込まれる夢想を秘かに望んでゐると看做せなくもなく、《闇の夢》はそれ故に、私といふ《もの》の発生、若しくは起動装置として、私にとっては最早必要不可欠な《もの》に為ってゐるのは、間違ひない事であった。

尤も私は《闇の夢》を私にとっては《生》に必要不可欠な《もの》として、夢で出合ふのを秘かな楽しみにしてゐたのかもしれず、それは今もって処判然としないが、然しながら敢へて言へば、闇は光さへも呑み込むその貪婪さが、堪らなく私には心地よかったのかもしれなかった。否、もしかすると、闇を私の《存在》の天敵であると看做して、何とかして《闇の夢》を木端微塵にしたかったのかもしれなかったのである。

――《吾》だと、ぶはっはっはっはっ。

或るひは、さう哄笑する事で、私は、《闇の夢》から逃げ出したかったのかもしれず、さうならば、私は、私にとって《闇の夢》とはそれ前にすると途轍もない屈辱感に苛まれる《もの》でしかなく、そして、それに付随する含羞によって尚更私は《闇の夢》から逃げ出したくなる事大なのであった。

それでは何故に含羞が伴ふのかと言へば、《闇の夢》に対して女陰を喚起する己の想像力の卑猥で貧弱な様に対する含羞に違ひなく、しかし、生き物ならば、否、此の世に《存在》する森羅万象ならば、間違ひなく子を産み育てるために性欲があるのが自然な道理で、それに対する私の含羞は、私が性に対して何か隠微なものとして思ひ為し、それは私の《存在》に対して何か疚しさを隠し持ってゐる事とに違ひなく、それを知った《闇の夢》が声に為らない哄笑を上げてゐるのではないかとの疑心暗鬼に苛立ってゐるのかもしれなかった。

――否!

私が、そんな軟な《存在》か、と自嘲してみては、己を嗤ひ飛ばすのであったが、私が、しかし、《闇の夢》を前にして恥じらってゐるとすれば、それは《闇の夢》を女陰として眺めてゐる事に外ならず、ところが、女陰を見ても既に何の感慨も起きず、性交も面倒な私は、《闇の夢》を女陰として見てゐるとすれば、私は、その《闇の夢》から赤子が誕生する事を期待してゐて、ただ、ぼんやりと無表情に《闇の夢》を眺めてゐるのが関の山で、私が、《闇の夢》にほのかに期待してゐるの事は、新たな未知の《存在》の誕生その《もの》だったに違ひないのである。

――《吾》だと、ぶはっはっはっはっ。

私は、《闇の夢》に対して私の誕生を夢見てゐたのだらうか……。

或るひはさうかもしれなかったが、《闇の夢》が女陰を象徴していると看做せるならば、また、《闇の夢》は不意に此の世に開いた陥穽でもあり得、其処には異形の《もの》達が己の正体を求めて犇く《存在》の塵箱、否、《闇の夢》は真っ暗な深海にも似た異形の《存在》の宝庫に違ひなく、その異形の《もの》は悉く、私に違ひないのであった。そして、私は、その異形の《吾》をちらりと垣間見る事を、怖い《もの》見たさで、《闇の夢》を見たかったのかもしれず、さうして《闇の夢》に不意にその異形の姿を垣間見せる異形の《吾》を見つけては、

――《吾》だと、ぶはっはっはっはっ。

と、嗤ひ飛ばしたかったのかもしれなかったのである。それが、私の唯一つ残されたCatharsisに違ひなく、自分で自分を嗤ふ、《吾》の内部にひっそりと隠匿された衝動の発露が《闇の夢》となって、現はれてゐると思へなくもなかったのである。

――隠匿されし衝動?

つまり、それは、自殺願望に似た何かに違ひなく、《闇の夢》は、私が入水(じゅすい)すべき滝壺の象徴といふのか、《闇の夢》の正体に違ひなかった筈である。

それにしても、私の《生》は《死》の周りを堂堂巡りを繰り返す事で、何とか《生》にしがみ付き、将に砂を噛むやうな塗炭の苦しみの中でもがきながら《生》を繋いで来たといったもので、その様は、Grotesqueな深海生物も顔負けのGrotesqueな異形の《吾》の無様な《生》が《闇の夢》の前で繰り広げられてゐて、また、その《吾》の無様さを《闇の夢》から覗き見してゐた異形の《吾》はその《闇の夢》に棲息してゐたのは間違ひなく、それでも私がこれまで《生》を繋いで来たのは、その《闇の夢》に棲む異形の《吾》が縊死する様を唯見たかったのかもしれなかったのである。

(完)

 

積 緋露雪

物書き。

Recent Posts

死引力

不思議なことに自転車に乗ってゐ…

2日 ago

まるで水の中を潜行してゐるやう

地上を歩いてゐても 吾の周りの…

3週間 ago

ぽっかりと

苦悶の時間が始まりつ。 ぽっか…

4週間 ago

狂瀾怒濤

吾が心はいつも狂瀾怒濤と言って…

1か月 ago

目覚め行く秋と共に

夏の衰退の間隙を縫ふやうに 目…

2か月 ago

どんなに疲弊してゐても

どんなに疲弊してゐようが、 歩…

2か月 ago