壊れ行く日常の中で吾は座して死を待つのみか

自同律にかまけてゐられるのは選民思想の色濃い反映か

 

青年の流行病(はやりやまひ)の如き自同律に

今以て膠着する吾は

もしかするとその内心の奥底では

「私は高尚なことをしてゐる」

などとふんぞり返った選民思想に毒されてゐないか、

と、思はざるを得ぬこと屡屡である。

自と他の差異を暗黙の了解として繰り広げられる

自同律の涯なき思索は

約めて言へば、何の事はない

――こんなにも嫌ひな自分が好きで好きで仕様がない。

といふことに尽きる。

この矛盾した己に対する感情のAmbivalent(アンビヴァレント)に

振り回される快感が蜜より甘いのである。

 

 

静寂を求めて私はRadioheadを聴く

 

閑さや岩にしみ入る蝉の声と芭蕉が詠んだやうに

この灼熱の中でちょっとした涼を求めるには

静寂との無謀な戦ひを挑んでゐるとしか思へぬ

Radioheadの音楽に溺れることで

静寂に沈む快楽に惑溺しながら、

心は涼む。

この人工的な現代の涼み方は

Asphalt(アスファルト)に蔽はれてしまった路上の上に

その亡骸を転がせてゐる油蝉のその行く末の無念を思ふと

つまり、直に土の上に転がれぬ無念は底知れぬもので、

土から離れてしまったこの人工的な世界では

死もまた、人工的な印象を強烈に残す。

そして、灼熱もまた、余りに人工的で、

唯、そんな世界の中で自然を保持してゐると思はれる人間の歌声を

デジタル化したもので聴くことで

涼を求める私は

この人工的な世界にある意味適応してゐるといふことで、

吾ながら苦笑せずにはをれぬ。

ならば、瘦せ我慢をしてでも

この人工的な世界の中で生き延びることには

何かしらの意味があるやなしや、

と、自問自答する。

新形コロナウイルスが蔓延る現代において、

それは人工的な世界への自然の反乱であると

腹を括って

受容する諦念にこそもしかしたならば真理と呼べるものが

隠されてゐるかもしれず、

と、そんなことを人工的な静寂の中において

つらつらと考へるのであった。

 

つまり、圧倒的に欠落してゐるのは

自然に対する皮膚感覚の触感で、

私は只管それを追い求めてゐるだけの

夢追ひ人の一人に過ぎぬのかもしれぬ。

 

――馬鹿が。

 

 

どうしようもない倦怠感の中で

 

何かをする気力が湧くことは全くなく

体軀は手枷足枷を付けたやうに途轍もなく重重しく

どうしようもない倦怠感が魂魄に張り付く中で私は、

唯、横になり、その倦怠感が過ぎ去るのを只管待つといふ

余りに消極的な行為ででしか

このどうしようもない倦怠感と付き合ふ術がなかった。

つまりはお手上げ状態なのであった。

この敗北は私を矮小化してのことなのかといへば

そんな事はなく、

土台私といふ存在はそんなものなのである。

この息絶え絶えの私に対して、しかし、内部の異形の吾は全く容赦がないのだ。

此処ぞとばかりにその異形の吾は私の捕獲作戦に取りかかってゐたのであった。

弱り目に祟り目で、

私は内部に異形の吾といふ鬼子を抱へてゐたので、

このどうしようもない倦怠感に苛まれてゐる私は

異形の吾に対して無条件降伏をせざるを得なかった。

異形の吾に捕獲された私は異形の吾にまじまじと凝視され、

――へっ。

と、嘲笑されてそのまま捨て置かれたのであった。

さうして猛暑の中、日日弱ってゆく私。

その羸弱(るいじゃく)な私が気に喰はなかったのであらう、

異形の吾は私を一瞥するなり、私を棄てたのだ。

そこには異形の吾の深い幻滅が横たはってゐたかもしれぬが、

今でも超人を、私に超人を見たかった異形の吾は

とんだ無駄足を運んだのである。

ニーチェにかぶれてゐる異形の吾は

何かを勘違ひしてゐて

この葦にも劣る羸弱な私が超人でなければならぬといふ

先入見に毒されてゐて、

いふなれば異形の吾は私に対して癒やしがたい偏見の塊だったといふ訳なのである。

 

 

物憂げな魂を抱え込んでも尚、前を向く

 

憂鬱に没する私の宿痾においても尚、

どろんと死んだやうな目で顔を上げ

前を向く姿勢は崩さぬことで、

何とか死の誘惑からこれまでは逃れてきたが、

それも限界と何度思っただらうか。

死の淵から飛び降りずに

踏み留まったのは

生への激烈な執着と敗残者になることを嫌った私の思ひといふより

単なる偶然でしかない。

物憂げな魂を抱え込んでも尚、前を向くことで、

死の誘惑を振り払ひ、

無駄な足掻きと知りつつも

死臭をプンプンさせながら

さうして生き恥をさらし、

後は野となれ山となれと開き直り、

屈辱に塗れながら生きるのみ。

絶え絶えの生に倦み疲れたとはいへ、

この宇宙に一泡吹かせるまでは

何としてでも生きるといふ覚悟のもとで

この極度の宇宙嫌悪が負け戦と解った上で、

討ち死ぬことを本望として

ズタボロの魂を以て

抜刀一閃、宇宙をぶった斬って

吾が哀しみを少しでも宇宙に味はふことをさせられれば、

宇宙も少しは屈辱の何たるかを知り、

存在に尻込みする筈だ。

さすれば宇宙が存在を抱くことを遂には恥ぢ入り

宇宙は二度と存在なんぞを生むことなく、

――ちぇっ。

と、非在もまた深い懊悩の中にあるのだとの思ひを馳せ、

つまりは、宇宙それ自体が深い懊悩にあることを自覚するに至れば、

もうちっとはましな此の世が存在できたやもしれず、

その蓋然性に先づは宇宙が愕然とする筈なのである。

 

 

 

隙あらば

 

隙あらば吾を抹殺しようと

手ぐすね引いて待ってゐる貴殿は

何故吾が命を狙ってゐるのか尋ねたところで

黙したまま何にも喋らぬが、

それは卑怯といふものだらう。

と、吾を狙ふ暗殺者をでっち上げたところで

このなんともいひやうのない私のくすんだ魂は色めきすら立たぬ。

色めき立たぬどころか

その余りにもあざとい私の遣り口に

私は私を心の底から嗤ってゐる。

死を振り翳さないことには

最早、何の感興も起きぬこの堕落した魂には

休息のみ必要なのだ。

私の苦悩の形が煎餅布団に人型としての窪みを残せば

それが私の影に似たものであることを知って、

少しは私の慰みにもならうが、

このどうしようもなく遣り場のない私は

他にその憤懣をぶつけることは御法度で、

況やものに当たることはいふに及ばず。

 

然し乍ら、自死願望があると思はれる私を

よくよく凝視してみると

それは私が誰の相手にもされないことに対する赤子の如き我儘故にのこと。

 

その情けなき吾が有り様は救ひがたし。

ならば、キリーロフの如くみっともなく

ピョートル・ヴェルホーヴェンスキイに強要されて、

拳銃自殺する神人の憐れな終幕を

なぞるが如くに死んでしまへばいいのだが、

それすらもできぬ意気地なしの私は

やはり、表象の吾をGameの如くに撃ち殺す表象を喰らふことで

吸血鬼が生き長らへるやうに

Zombieとして生きるのが関の山なのだ。

 

 

老犬死す

 

長患ひの末に

お前は最期は眠るやうに静かに息を引き取った。

前日まで、お前は少し眠っては

しかし、寝るのが怖かったのだらう、

すぐに目を覚まし、

私を哀しげな鳴き声で呼んだ。

どす黒い死の影に自ら蔽はれてゐたことを

その膿で曇った目玉で

ぢっと凝視しながらも、

時間をかけてゆっくりと死を受容していったのだらうか。

最期の日は、水も受け付けず、

もう、体軀を起こす力もないお前は

それでも、お前の大好きだった鯖の水煮をペロリと喰った途端に

既に眼球は痙攣を起こしてゐるやうに

上下に揺れ動いてゐたが、

瞼をゆっくりと閉ぢて

それ以降、目覚めることはなかった。

それは大往生に相応しく

最期の潔さは

お前が死を受け容れる精一杯の寛容の姿勢だったのか。

死の直前、お前はゆったりと深い呼吸で眠りながら、

何を夢見てゐたのだらう。

お前の頭に手を当てながら、

私はお前のその死へ向かうときに見てゐたであらう夢に

思ひを馳せつつ、

私もまた、お前が死の路へと出立してしまったと

確かに知りながらも

不知(しらず)不識(しらず)にお前との二十年間を走馬灯の如くに振り返りながら、

頬には涙が滴り落ちてゐた。

死から取り残されるものはみみっちいもので、

お前の覚悟の荘厳な眠りにはどう足掻いても勝てないのだ。

お前の最期の安らかさには

既に後光が差してゐるやうに感じたが、

それは生に見切りを付けちまったお前の凄みだったのかもしれぬ。

 

 

丸腰で

 

いつ如何なる時も丸腰であらねばならぬ。

何故って、それがこの凄惨な世界で存在する最低の礼儀だからさ。

米国のやうに銃を持つのは卑怯の極で、

存在の礼儀知らず極まりなく、

話にもならぬ。

それは他への不信に満ちた存在に対する猜疑心丸出しの行為であり、

存在に対して失礼極まりない。

とはいへ、丸腰であることは非武装中立といふ

箸にも棒にもかからぬ空論を言ってゐるのではなく、

存在に対して敬意を抱いたならば、

丸腰でしか存在の振る舞ひは取り得ぬのだ。

それが唯一存在が此の世で取り得る存在に対する礼節であり、

帯刀した侍でも茶室に入るときは

刀を置くやうに

存在が存在に真剣に対峙するときは丸腰でなくてはならぬだ。

 

――へっ、何を惚けたことをほざいてゐるのか! 誰もが他者の前では武装した姿でしか対峙できぬものだらう。それが本質的には臆病な存在の正直な在り方だ。それを丸腰なんて、酷といふものさ、ちぇっ。

 

 

ボトルネック・ギターに酔はされて

 

Ry Cooderのボトルネック・ギターの音色が

私の心の琴線に触れて、

音楽に酔ひ痴れた休日、

締めはやはり、Robert Johnsonだ。

あの甲高くもなんともいへない哀切が滲み出るVocalに

一人で弾いてゐるとは思へぬ超絶のギターが繰り出すボトルネック・ギターのうねる

デルタ・ブルースの頂点に君臨したブルース・マンの

ほぼ百年前の歌声に酔ひ痴れる不思議に

エヂソンの発明のお陰とはいへ、

よくぞ三十歳にも満たない生涯の彼の音源が残ってゐたと

その奇跡に惜しみない拍手を送るが、

然し乍ら、この私の心とボトルネック・ギターの音色の親和性は

どこから来るのかと思案してみると、

ギターの音色のゆらぎが

この私を私と名指せぬ揺らいだままの不安定な私の立ち位置に

共振するのかもしれぬ、と思ひなす。

どうも私は確固としたものが苦手で

絶えず揺らいで不安定なものに心惹かれるのは、

この私の定まらぬ私といふ存在の在り方に由来するらしい。

エドガー・アラン・ポオがギターを初めとする弦楽器が好きな人の特徴を

なんとかと書いてゐたが、

華やかさを強烈に加へる管楽器も好きな私はポオの範疇からは零れ落ちてゐるのだらう。

とはいへ、西洋の平均律に、また、十二音階に

物足りなさを感じる私は、

そこから食み出る例へばインド音楽などの民族音楽が好きで、

その一つとして、ブルー・ノートを基調とするブルースが好きで堪らない。

 

 

天邪鬼

 

情動に流されるままなのも癪なので

天邪鬼が昂じて敢へて内発する情動とは反対の行動を取るのだが、

大抵は内部で感情の軋轢が起き、

それに振り回されて身動きが取れなくなるのが関の山。

内発する情動に対して雲の如く風に流され、

千変万化に形を変へるのが筋といふものなのだ。

さう、身軽に千変万化に内部の私が姿を変へられれば、

多分、私は何の抵抗もなく、

情動のまま柔軟に行動が取れるのだらうが、

それがままならぬのだ。

本質は変はらぬもので、

元来天邪鬼の私は頑なに塵芥に等しい私を捨て去ることができずに、

変容を拒み、私は私だ、といひたいがためのみに私にしがみ付く。

哀しい私の本質はそんなもので、

さうして、私は私を足蹴にすることで、

自己完結するCatharsis(カタルシス)の中で堂堂巡りを繰り返しながら

自己を奮ひ立たせる活力を得るが、

それは絶えず私を擦り切れさせることであり、

だから、私はいつも疲労困憊なのだ。

そして、それが心地よくもあるから始末に負へぬのだ。

 

 

災厄は神の思し召しか

 

その時、巨大な何かがにたりと嗤ったのだらう。

悪疫が世界に蔓延り、

災害が世界各地を襲ひ、

人類は巨大な何かの思ふ壺。

ヰリアム・ブレイクならば、

その巨大な何かが幻視でき、

常人では窺ひ知れぬ能力で、

その巨大な何かをずばりと名指す筈である。

仮にその巨大な何かが「神」の眷属だとして、

死神と呼ばれるものならば、

人類はこの災厄を甘んじて受けるべきではないのか。

人類の英知を結集してVaccine(ワクチン)ができたところで、

その効き目は高が知れてゐるだらう。

何故って、風邪のVaccineすらできない人類に

新型Coronavirus(コロナウイルス)のVaccineなどに期待する馬鹿はゐない。

風邪を見れば、Vaccineも特効薬も望み薄なことは火を見るよりも明らかなのだ。

新型Coronavirusに対しては対処療法の向上に希望を見出す外ない。

対処療法が確立するまでは、

未知の新型Coronavirusを避けるために籠もる外ないが、

果たして人類は生き延びるに値するのか。

死神を前にして人類は此処で自問自答するべきなのだ。

 

――嗚呼、天地に御座(おは)す神神よ、この災厄が其方たちの思し召しならば、吾、甘んじて受けるなむ。さうして尚も吾、生き残るなれば、吾にまだ、此の世で果たすべきものがあるらむや。死が哀しいなんて嘘っぱちなり。死は苦しみから神神が救ってくれる慈愛そのもの。死を恐れる馬鹿者だけにはなるまじ。

 

 

溢れ出す死

 

死の中を彷徨ひ歩くのに似て、

これまで強制的に封じ込めてきた死が溢れ出した現世において、

人類は自然に対するヒリヒリする触感に戸惑ひ、

右往左往するその無様な様は、

窮鼠猫を噛む鼠にも劣ることを

須く自覚すべし。

殺鼠剤をも克服した鼠の生命力に比べ、

悲しい哉、無菌室育ちの末(うら)成(な)りの人類は、

無菌室で生成したVaccine(ワクチン)に望みを託し、

人類の叡智の結晶などと宣ってゐるが、

鼠の生命力に比して

人類は身一つで大地に立つことを忘れ、

科学を始め、外部に救ひの手を求める愚劣を

今すぐ已めるべきなのだ。

ニーチェの超人ではないが、

進化とは、科学の進歩とも文明の進歩とも関係なく、

身一つで自然に対峙できうる生命力を如何に獲得するかにあるのではないか。

 

生存競争に身を晒すことでしか

真の進化は手に入れられぬ。

ここは、自然による生の選別を粛粛と受け容れ、

それで生き残ったものに未来を託す断念を

するべき時が来たのではないか。

生命力の獲得はさうすることでしか獲得できず、

また、さうして生き残ったものにのみ、

生者の称号が与へられるべきではないのか。

 

 

覆水盆に返らず

 

いくら嘆いたところで、

質量を持ったものが光速に限りなく近い速度で動けぬ以上

もう二度と過去へは戻れない。

仮令、光速に限りなく近い速度で動けたとしても

相対論的にはBlack holeが誕生し、

時間の進み方が遅くなるだけで

もう二度と過去へは戻れない。

一度ぶちまけられた未知の新型ウイルスは

覆水盆に返らずではないが、

もう二度と日常から消えることなく、

人間を宿主として増殖し、

日一日と死屍累累の山を築きながら、

新型ウイルスとの共存でしか、

日常はあり得ぬのだ。

哀しい哉、生き残ったものにしかもう未来はない。

しかし、それでいいではないか。

これまで、生物学的な進化をサボってきた人類は

この未知の新型ウイルスとの遭遇で、

やうやっと一つ新たな人間へと生き残ったもののみが進化する。

自然の死の選別は残酷であるが、

人類はそれを黙して受容せねばならぬ。

大鎌を肩にかけ、

死神が雲に腰掛け嗤ってゐるが、

そんなものにはちっとも恐怖を感じず、

死するのであれば、

黙ってそれを受け容れなければならぬ日常に

人類は放り出されたのだ。

巻き戻せぬ時間を憾んだところで、

或ひは文句の持って行きやうがないから

八つ当たりで政治家に憤懣をぶつけたところで、

過去の日常は戻ってくる筈もなく、

唯唯、この残酷な日常に順応するしかない。

日常とは元元残酷なもので、

それを忘れてしまった現代人に全面的に非があるのだ。

中国の隠蔽がなかったらとか、

タラレバはもう現実逃避でしかなく、

もう過去には戻れぬのだ。

敢へて言へば、死が身近になって

人類は幸ひである。

人類史を辿れば、

現代人以外で、未知の病を受容することなく

日常を生きてゐた時代はなきに等しく、

身一つで自然と対しながら、

人類は進化してきたのである。

内心忸怩たる思ひがあるだらうが、

過去には戻れぬといふ事を

今一度肝に銘じて

死が身近に転がってゐる至福の日常を生きやうではないか。

それが生老病死を忘れた現代人の救ひである。

それに対して「正月は冥土の旅の一里塚めでたくもありめでたくもなし」と唱へながら

正月に髑髏を杖にのせて街中を歩き回った一休宗純は流石である。

 

 

愛する人へ

 

こんな世だから尚一層あなたが愛おしい。

お互ひに会へない時間が長く続くが、

それだから尚のこと、あなたへの愛は

深まりこそすれ、薄らぐことはない。

鮎川信夫の「繋船ホテルの朝の歌」のやうな詩は書けぬが、

それでもあなたと迎へる朝の情景を想像してみる。

きっとあなたと迎へた朝の情景は時空間からして夜の性愛の残り香を漂はせ、

どこかしら気怠くもありながら、

もの皆、ねっとりと佇む筈である。

其処にあなたの寝顔があり、

瞼を擦りながら目覚めたあなたに

私は接吻をする。

さうして二人で見る朝の情景は

眩くもありながら、

もの皆頬を赤らめ祝福の声を上げるに違ひない。

とはいへ、其処には二人に対する嫉妬も交じってをり、

世界は邪な心で二人を包み込む。

 

そんな中で、私たち二人は世界に当てつけるやうに夜の続きを始める。

嫉妬に狂ひ出す世界は頬を赤らめながらも、

愛し合ふ二人を見つめるだけで、

手出しはできぬのだ。

其処には二人だけの世界が拓け、

いつ果てるとも知れぬ愛の形のみが猥雑に投企される。

異物を孕んだ阿古屋貝のやうに

世界は私たち二人を内分泌液で包み始め、

世界に馴染ませやうとするが、

それは真珠よろしく、柔らかくたおやかな光を放つ美へと変化する。

世界の邪な心は、

ゲーテの『ファウスト』の悪魔、メフェストフェレスの一言、

「常に悪をなさんと欲し、善をなすところの力の一部」の如く、

世界の邪な心はいつもへまを犯し、

此の世に至上の美を齎すのだ。

 

だから世界は美しく、世界は邪な心を持った存在なのだ。

 

 

イナンナ

それはシュメール神話における金星を意味し、

愛と美、戦ひ、豊穣の神の名でもあります。

それを具現化したやうに美しい女性がイナンナ、あなたでした。

今も忘れ得ぬあなたの面影に

私は翻弄されてゐます。

黒髪が美しく映えるその長い髪から醸し出される

得もいへぬ馥郁たる香り、

フランス人特有の蠱惑的な瞳、

其処に東洋的な神秘性を湛へた美麗な顔貌に

私は魅せられたのです。

Proportionも抜群で

非の打ちどころがない女性がイナンナ、あなたでした。

知性にも溢れ、

私の隙あらば、

鋭くフランス語ではなく英語で切り込むそれは、

私を見事に追ひ詰め、

その論理の組み立て方は

幼き頃から哲学を学んできたフランス人特有のもので、

論理好きの私ですら遣り込める怜悧なものでした。

 

イナンナ、フランスは、欧州は新型コロナウイルスで

惨憺たる状況だけど、

生き延びてゐるのでしょうか。

そのことだけが心配でなりません。

 

日本をこよなく愛したイナンナは、

コロナ禍で否応なく帰国せねばならなかったのですが、

それが正解だったのかどうかは解りません。

しかし、このやうな状況下、

家族とともにゐたいとあなたはフランスへと旅立ちました。

 

コロナ禍は一向に収まる気配を見せませんが、

私はあなたの面影を抱き、

あなたの生存を祈りながら、

巣篭もり生活を続けてゐます。

 

仮象のイナンナと口付けを交はし、

抱き合ひながら、

思ひ出の中に沈降してゐるイナンナの残り香を嗅ぎ、

虚妄の世界で遊行してゐる私は、

それでも心は蕩(とろ)けるやうに発情し、

この抑へられない情動に溺れるやうにして

吾が身を情動のままに任せては、

仮象のイナンナのことを抱き締めてゐるのです。

さうすることが私のあなたへの愛の唯一の発露なのです。

 

許してくれますよね、イナンナ。

夢想の中での愛撫と抱擁を。

イナンナとまたの再会ができるときを夢見て、

私は今日も仮象のイナンナと独り遊びをしては

仮象のイナンナと戯れてゐるのです。

さうして私は孤独を嘗めるのです。

 

 

足を掬はれる

 

何度足を掬はれれば解るのだらう。

狡猾極まりない吾は隙あらば私の足を掬ひ、

私が素っ転ぶのを見ては

ざまあない、と嘲笑を浴びせる。

私が何をするにも吾は私の足を引っ張り

協働するといふ概念は吾にはないやうだ。

この私と吾の完全な乖離は

百害あって一利なしで、

最終的には私が吾をぶち殺すしかないのであるが、

何度吾を殺しても吾は甦り、

逆に私が常に足を掬はれる。

 

――何を今更戸惑ってゐるのか。吾の悪態は今に始まったことではないではないか。お前が幼き頃より内部に巣くふ吾はお前の足を掬っては高笑ひをしてゐた極悪人ぞよ。ヱヴァンゲリヲンの使徒のやうに「死」することはなく、何度お前がぶち殺したところで、吾は甦り、死すことはない。つまり、お前の肉体が滅んだとしてもお前の内部に巣くふ吾は未来永劫に亙って死ねぬのだ。吾とは此の世で最も哀れな存在ぞよ。足を掬はれることが何ぞよ。足を引っ張られることが何ぞよ。吾の絶望に比べたら塵芥に等しいではないか。

 

 

遁走

 

逃げるが勝ちではありませんが、

現状から逃げるのは致し方ないと思はれるのです。

それといふのも現状維持にはヘトヘトに疲れてしまったのです。

それでは何故現状維持をしてゐるのかと問はれれば

それは対外的な見得以外の何ものでもなく、

そんなものなど棄ててしまへばいいのですが、

長らく現状維持を引っ張ってきてしまった私の弱さに

ほとほと嫌気が指すのです。

今こそ遁走するときなのです。

これ以上の無理は寿命を縮めるのみで、

何もいいことはありません。

疲労困憊、心神耗弱で、

思考力も衰へる中、

状況判断するのも面倒臭い現状において、

就中、死は覚悟してゐるのではありますが、

それでも生かされてゐることを思ふと

見得は捨て去り遁走するのが一番です。

さうして私は独り六畳一間の薄汚れたアパートに引き篭もるのでした。

 

 

 

分析哲学全盛の中でも尚

 

何時の頃か知らぬが

哲学といへば分析哲学のことと同義語になったこのご時世で、

――分析哲学は単なる言葉遊びに過ぎぬ。

としか思へぬ私は、

反時代的などとニーチェのやうに

大仰には幟旗を掲げるのも烏滸がましいとはいへ、

分析哲学に馴染めぬ私は

その根本に反アメリカがあるのかもしれぬと思ひつつも、

音楽はブルーズとジャズが大好きな私は、

反アメリカといひながら、

嫌ひになれぬアフリカ系アメリカ人、つまり、黒人が生んだ音楽を思ふと

消極的な反アメリカとかしかいへぬ

何とも宙ぶらりんな立ち位置なのである。

とはいへ、分析哲学は欧州大陸をも席巻してゐて、

この流行の哲学に対して食はず嫌ひなのではないかと

何度も何度も挑戦しようと試みてはゐるが、

分析哲学の本の二、三頁を読むと

虫唾が走るではないが、

根本的に性に合はぬのである。

私は元来数学好きだから、

量化子などの記号を貪欲に取り入れて数学的に表はす分析哲学が

嫌ひな訳がないのである筈が

その狐に化かされたやうな分析哲学の方法が、

気に食はぬのである。

この憎悪にも似た感情が分析哲学に対して沸き起こる私は

然し乍ら、空っぽの無学者である。

――今の哲学者は、こんな言葉遊びで可能世界を語ったりしながら、何が愉しいんだらう?

と訝り、言語学が行き着いた先に分析哲学があるのだとしたならば、

これが哲学の進化といへるのか。

分析哲学の淵源を辿ればアリストテレスなどのギリシャ哲学に行き着くが、

私はアリストテレスの哲学が性に合わぬのである。

それは何故か、と自身に問へば

その冷徹なまでに知性的に何事も分析するその様が性に合わぬのである。

私は断然プラトンのイデア論の方が読んでいて愉しいのである。

私の性分が大雑把であることも関係してゐるとは思ふが

ハイデガー哲学のやうな詩的な部分が哲学に全くない分析哲学に対して

それでは哲学ではなく、数学の専門書を熱中して読んでゐる方が

断然愉しい私は、そもそも分析哲学と親和的な論理学が嫌ひなのかといへば

決してそんなことはなく、

論理学は論理学で愉しいのである。

ならば何故分析哲学が性に合わぬのかと自身に問へば

その合理的な考へ方なのかもしれぬ。

合理は私が最も嫌ふもので、

とはいへ、数学などの合理は読んでゐて、

また、問題を解いてゐて物凄く愉しいのであるが、

文章、つまり、存在を合理で解釈することには何とも遣る瀬なさが募ってくるのである。

文章、若しくは存在を数学的に取り扱ふことに抵抗を感じる私は、

Romanticistとの謂れを逃れることはできぬが、

一切、無駄を省く思考方法を採る分析哲学には与できぬのである。

私は分析哲学は一種の流行病に近いと踏んでゐて

時期がくれば分析哲学は廃れると思ひ、

今は静かに身を潜め、独り観念論や実存主義などに耽って

マルクス・ガブリエルの本など読みながら、

来るときに備えようと思ふのであった。

 

 

私的夜想

 

若手現代作曲家、平川加恵さんのブラームスをモチーフにした作品

「私的夜想曲 Secret Nocturne for chamber orchestra」がえらく気に入り、

私的夜想といふ言葉にも何かしら触発されるものを感じながら、

その緻密に計算し尽くされ、

ブラームスの楽曲から一切引用せずに

それでゐてブラームスを彷彿とさせる和声音や音型などが

彼方此方に鏤められた平川加恵さんの私的夜想曲を聴くと、

確かにブラームス風のものが再現前し、

然し乍ら、其処にブラームスは何処にもゐず、

出現するのは平川加恵といふ確固とした存在の現前なのである。

この不思議な感覚は平川加恵の背後にブラームスがひょいと顔を出しては

影絵のやうにさっと遠くに身を退くことを繰り返しては

ランタン祭の夜の街の風景のやうに

それは淡い灯火の光に包まれた無数のランタンに

人影ばかりが見える何処か懐かしさを感じる光景を見るに等しい

正しく夜に私的な物思ひに耽ってゐる有様が思ひ浮かぶのであった。

 

翻って私の私的夜想はといふと

相も変はらずこの煮ても焼いても食へぬ吾との鬼ごっこなのである。

自称、乖離性自己同一障害と呼ぶこの私は

どうあっても常人とは違って

私と吾が余りにもかけ離れてゐて

最早収拾が付かぬのである。

私の内部に巣くふ吾は

私の頭蓋内の闇、即ち五蘊場を根城にしながらも

神出鬼没に、例へば瞼裡に再現前しては

あっかんべえをして私を弄ぶのである

それの何処が面白いのか私には全く解らぬのであったが、

吾にとっては私を揶揄(からか)ふのが愉しいのだらう。

この折り合ひのつかぬ私と吾は

この狂気を携へて死すまで、否、死後も永劫に亙って

折り合はぬままに私と吾は乖離したままにあるに違ひない。

だからそれがどうしたといふのかと問はれれば、

私は答へに窮するのであるが、

だからといってこれをそのまま放置しておくのも

精神衛生上よろしくないのも事実で、

この乖離した吾を如何ともできぬ吾は

吾をとっ捕まへたくて絶えず鬼ごっこを日夜続けてゐるのである。

しかし、吾が私に捕まる筈もなく、

その自在に逃げ回る吾は、

ひょいと私の視界の境界から顔を出しては

――けっけっけっ。

と嗤ひ、すぐに何処かに姿を消すのであった。

 

私はこの吾を夢魔の眷属と看做して

また、夢現の狭間で伸び伸びと棲息する悪鬼と思ひなして

私を宥め賺してゐるのが実情なのであった。

 

暗鬱を抱へてしまったので真っ暗闇に逃げ込むと

 

暗鬱を抱へてしまったこの重重しい体軀を引き摺るやうにして

真夜中の夜道を彷徨ひ歩いてみるが、

まだ昇らぬ月の光がない真っ暗闇の中、

吾は物陰の更に濃い闇の中へと逃げ込むやうに

己を闇に隠したのである。

吾の本質は闇を偏愛する捻くれ者に違ひないが、

何故闇を偏愛するのかといへば、

それは闇の包容力に身を委ねることで、

吾はどんな暗鬱を抱へていようが、

闇のみは優しく迎へ入れてくれるからであった。

これが燈火の下ではさうは問屋が卸さず、

まるで光の光電効果を体験するかのやうに

光でチクチクと皮膚が痛み出し、

敢へて何ものも見えてしまふが故に

網膜もチクチクと痛み出し、

やがてはそれは酷い頭痛となって襲ひかかり、

それでなくとも暗鬱を抱へ込んでしまった身にとっては

唯、燈火の下にゐることが既に劫罰を受けるほどの苦悶でしかないのであった。

だから吾は燈火から逃げ出すやうに闇の夜道へと飛び出したのであるが、

闇は実にいいのである。

一際濃い闇の中で人心地がついた吾は

この暗鬱とのみ対峙すればいいので、

大分楽なのである。

其処で腰掛け、

吾は何時も不意に訪れるこの暗鬱の出所をあれこれと穿鑿するが

暗鬱はその出所を闡明せず、

否、闡明できずにゐるのであった。

暗鬱もまた、吾の本質なのかもしれぬと吾は暗鬱から逃げることなく、

唯唯暗鬱を受け容れるしかないのであるが、

それはそれでまた乙なもので、

真っ暗闇の中、暗鬱と格闘することなく、

全的に受け容れてしまのふことで、

暗鬱を抱へてしまった吾といふ存在を

吾は皮肉なことに少しだけ愛せるのであった。

 

 

永劫から引き裂かれ

 

のっぺりとした永劫 広大無辺にあるらむ

然し乍ら、それに我慢ならぬもの 憤怒逆巻き

永劫の異物として 鬼子として

自我に芽生え のっぺりとした永劫に 浮腫生まれし

憤怒とともに芽生えし自我は 平穏無事なる永劫に 叛旗を翻し

俄に永劫は風雲急を告げ 幾千もの雷鳴轟き

暗雲が垂れ込める中、永劫は怒号飛び交ふ戦場と化し

癌細胞を切除手術するやうに 永劫に芽生えし浮腫を

異物を吐き捨てるが如く 永劫軍は永劫から引き裂きぬ

自らを切開した永劫軍は 永劫にその傷痕は消えぬままとはいへ

永劫の世界を守りぬ 再び訪れし平穏無事なる世界

一方、戦に敗れし自我の申し子は 激烈な痛みに苦悶の呻きを発しながら

不死の世から堕し 切除されし所より血を垂れ流しながら

落下を已めぬ 其処に一抹の後悔はありつつも

あるのは憤怒のみ 憤怒! 憤怒!

今生に血の雨降りしその時 現世出現す

憤怒に燃え盛る敗残者は 高ぶる感情故に

傷口からありったけの血を噴き出しぬ

現世は赤き血の洪水で始まりぬ

敗残した自我が芽生えし永劫の鬼子は 胞子を飛ばし終わりし茸の如く

ペラペラに干からびて 絶命す

地上は敗残者の熱き血潮で満ちあふれ ぐつぐつと煮え滾り

やがてそれは地上の岩岩を融かして溶岩となりぬ

何時まで経っても冷え固まらぬその溶岩は さうして彼方此方で地下に潜り込み

マントルとなりぬ 地上は彼方此方で火山が爆発し 地獄絵図

すると惑星のなり損ないが天から降ってきて

現世と衝突し 現世が滅茶苦茶に破壊さりぬ

そんなことを何度か繰り返した後に地球と月が形成されし

相変はらず永劫の世の鬼子の血潮はマントルとして マグマとして

時折、火山爆発を齎しはするが 恵みをも豊穣に齎しぬ

 

 

前歴史における世界開闢物語

 

序論

 

前歴史における神話以前、世界は永劫のもの、即ち不死なるものの楽園でありけり。其処に智慧ある預言者が忽然と出現し、

――この楽園は既に終はりに近き。やがて智慧者が永劫より分離し、世の開闢を高らかに告げるなり。さうして永劫界は反物質の如く世界から姿を消し、死すべきものたちの世界が始まりぬ。それは、しかし、苦悶の始まりでもありき。

かう預言者は不死なるものたちに告げて姿を消すなり。

すると永劫界は俄に騒然となりぬ。不死なるものたちは、其処で初めて消滅することの恐怖に戦けし。しかし、時は既に始まりけり。全てが後の祭りでありけり。

 

ヰリアム・ブレイクに触発されて

 

第一の時代

 

永劫界は疑心暗鬼の坩堝の如し

恐怖、慄然、畏れ!

しかし、それが全ての前兆なり

不信が智慧者の萌芽となりし。

つまり、永劫界自らが死すべきものの眷属の智慧者を招き寄せ

不死なるものの楽園の潰滅を呼び込んでしまはりぬ

不覚でありし

永劫が潰滅を招き寄せるとは

恐怖、恐怖、恐怖!

恐慌に陥りし永劫界は

徒党を組んで永劫界を隈無く監視せし。

悪が蔓延らぬやうにと。

しかし、それが全ての始まりでありき。

永劫界の地下深くで

どくりどくりと

搏動するものあり。

かうして第一の時代は終はりぬ。

そして、疑心暗鬼の暗鬱な状態。

(続く)

前歴史における世界開闢物語 二

 

第二の時代

 

右往左往する永劫界の混乱は

収まるどころか日毎に各地で擾乱を起こすこと相なり

憤懣遣る方なしのことなり故に

不安に駆られた永劫界のものたちは

その不安を他のせゐにするなり

これが滅びへの主たる動因となりし

永劫界のものたちは自ら滅びの筺を開けてしまひ、

それを全て他のせいに帰することで、

溜飲を下げしが、

破滅の跫音は直ぐそこまで迫りけり

やがて呻き声の如き地鳴りが聞こへ始めけり。

地下で搏動せしものは

地を裂く力を蓄へてをり

それを永劫界のものたちは誰一人気付かずに

地の上でのみ思考は完結してをり

地の底に何ものかが搏動を始めたなどとは

努にも思はず、

永劫界のものたちは天ばかりを凝視するけり

不気味な地鳴りも天の仕業に違ひないと

高を括ってゐたことが

湮滅の呼び水になりしを

永劫界のものたち誰一人として気付かず。

或る日、それは忽然と起こりぬ。

永劫界を巨大地震が襲ひ、

永劫界の底が抜けたのか、

地は戛戛とぶつかり音を立てながら、

地の底へと崩落せしなり

永劫界は深淵の上に漂ひぬ。

そして、永劫界には一つ目の巨人が姿を現すなり。

かうして第二の時代が終はりぬ。

そして、未だに暗鬱な状態。

(続く)

前歴史における世界開闢物語 三

 

第三の時代

 

永劫界に現れせし一つ目の巨人は

腕力こそ破壊的なまでに強力の持ち主でありしが

智は生まれたての赤子のそれで、

轟轟と泣くばかりでありし

巨人が泣けば、

永劫界の底が抜けし深淵は蠢き逆巻くのでありける

ところが、永劫界のものたちは宙を浮くのもお茶の子さいさいで

仮令、永劫界の底が抜け大地を失はうが

永劫界のものたちにとりて

それが直接間接に永劫界のものたちの生存を脅かすものではなし

唯、永劫界のものたちにとりて

驚天動地のことは

何をおいても一つ目の巨人が

何のために永劫界に現れしか、といふことと

何故地は底が抜け深淵が

一つ目の巨人の泣き声に呼応するやうに逆巻くのか、といふことの

いづれもがこれまでの日常と何の脈絡もなく

出現したのかといふ二点に尽きし

しかし、それもすぐに明らかになりし

一つ目の巨人は永劫界の破壊者で、

自らの存在と引き換へに

永劫界諸共消滅させるべく

蝉の幼生の如く長くに亙て

永劫界の地深くに搏動せしが

地を破り、その拍子に永劫界の底が抜けしは

深淵が永劫界を丸ごと呑み込むその予兆なりし

永劫界が滅びるとは矛盾してゐるが

永劫界に時は既に始まりけり

一つ目の巨人の出現と地の底が抜けしは永劫界にも時が流れし証拠なり

やがて永劫界のものたちはみるみる老け始めるなり

かうして第三の時代が終はりぬ

而して未だに暗鬱な状態。

(続く)

 

前歴史における世界開闢物語 四

 

第四の時代

 

慌てふためく永劫界のものたちの中にありて

智の賢者と誉れ高く畏れを抱かれし行仙といふものありけり

行仙は、然し乍ら、既に永劫界が滅亡へと踏み入れしことを悟れり

――これは最早時間が流れ出した故に止めやうがなく、吾らは皆老ひぼれ朽ち果てる運命にあり。

一つ目の巨人の轟轟と吐く息には次第に毒が混じりれり。

行仙はそれから永劫界のものたちを安寧させるべく、巨大な天幕を張りしが、

永劫界のものたちは行仙に受け身の体勢しか取れぬのかと詰め寄りし。

行仙は虚空を見上げては答へに窮するばかりなり。

而して、永劫界のものたちはどんなに落ちぶれやうが其処は永劫界のものたち、

一つ目の巨人が吐く毒にはなんともないのであるが、

然し乍ら、一つ目の巨人が轟轟と唸るときに

足下の深淵が逆巻くのが不気味で肝を冷やし、

仮に永劫界に重力といふものが発生すれば永劫界のものたちは

大渦に呑み込まれ崩壊の危機に瀕してをり。

一つ目の巨人も次第に智慧を身に付けながら、

永劫界といふものが君臨する世が生滅なき世故に

其処は非情な退屈に蔽はれし怠惰の延長の緊張感のない終はりなき日常が続くだけの

箸にも棒にも引っ掛からぬ如何様(いかさま)の日常といふ名ばかりの日常があるのみ。

哀しい哉、それを一番よく知ってゐるのは行仙で、

時間が流れぬといふことは時間を超越したもののみの天下であり、

それは詰まる所、場に執着することなく自在に振る舞ふことで、

永劫界のものといふ優越を未来永劫に亙って保持する筈なのであるが、

存在の悪癖なのか、一部を除いて場に執着し始め、

永劫界のものたちは気に入った場に留まる愚行を始めるなり。

それを一つ目の巨人は三日と立たぬうちに理解し

永劫界の底が抜けた意味を確かに認識したのでありし。

時間の経過とともに物凄い速さで老けゆく永劫界のものたち。

一つ目の巨人は大欠伸をして、

――ふうっ。

と息を強めに吐いて、天幕を吹っ飛ばしてみたのであり。

其処には行仙が虚空を見上げながら立ち姿のまま朽ちた骸と

数多の永劫界のものたちの醜く朽ちた骸の山が堆く積み上がりし。

一つ目の巨人は力の限り轟と叫びてそれら永劫界のものたちの骸を

深淵の大渦に呑み込ませし。

かうして重力が生まれ、第四の時代は終はりぬ

未だ暗鬱な状態。

 

(続く)

 

前歴史における世界開闢物語 五

 

一つ目の巨人はあらかたの使命を終へ

最後は永劫界諸共自らを足下の大渦に沈める事なり

一つ目の巨人は、

――うおっ。

と一叫びしつる

すると永劫界はシュルシュルと風船が萎むやうに

縮こまり、永劫界全体が一つ目の巨人諸共大渦に呑み込まれし。

これにて永劫界は此の世から消滅せし。

未来永劫、永劫界の復活はなし。

やがて、永劫界を丸ごと呑みし大渦は

劇薬を呑み込んだやうに不規則な伸縮膨脹を繰り返しながら、

苦悶の呻き声を発し、逆巻く渦は怒濤の渦を巻き始め、

大渦は更に更に伸長し巨大化するなり。

やがて、大渦は無限にまで巨大化するなり。

間延びした大渦には怒濤に逆巻く渦動力は最早なし。

緩やかな流れとなった大渦の名残には

無数の小さなカルマン渦が生じたり。

そして、永劫界が縮んで縮んで特異点へと変貌せし。

その時、永劫界は強烈至極な光を発せり。

漆黒の闇の大渦は、霧が晴れるやうに闇から光が充溢した世界へと変貌せり。

かうして光が生まれたなり。

光は永劫界の断末魔なり。

無限にまで間延びした大渦はやがて、ゆっくりと回転する時空へと変化するなり。

無限を手中にした大渦の名残は

更に更に膨脹を続け、

巨大化を已めず。

その巨大化は光速よりも速く膨脹し、

時空と光の充溢する時空には差異があり、

光の届かぬ時空では、然し乍ら、相も変わらずカルマン渦が次次と発生したり。

やがてカルマン渦群は、重力のために動き出し、

衝突を繰り返しては合従連衡を繰り返し、

中には巨大な巨大なカルマン渦へと成長するものも現れたり。

すると巨大な巨大なカルマン渦はきゅっと収縮し、

光が充溢する中、暗黒の時空を作りし。

そして、その周りでは、スターバーストが発生し、

数限りない星星が誕生したり。

つまり、暗黒の時空はブラックホールの卵なり。

かうして第五の時代が終はりぬ。

やうやく光射す中、暗鬱の状態から抜け出す兆候あり。

 

(続く)

 

 

白い野良猫

 

初秋の夏の名残が消えゆく頃、

月下の夜風は肌には涼しく

シリウスが皓皓と輝く下で、

私は逍遥をしてはぶるっと震へ、

その途中で白い野良猫に懐かれし。

 

私は逍遥に疲れ、

岩の上に腰掛けると

白い猫はそこは野良猫、

私と一定の距離を保ちながら

寝そべり、

私から離れなかった。

それがなんとも居心地が良さそうで

野良猫はこれまで人間に対して警戒するしかなかったのだらうその生活からは

私の傍にゐる時間は解放されたのだらう。

 

私はといふと埴谷雄高の虚体を更に進めた杳体といふものをぶち上げ

埴谷雄高の限界を乗り越えるべく、

思索に耽り

――他人には理解できぬだらうな。

と自嘲し、

これが孤高といふものかと嗤ふしかないのである。

 

私の文学・思想は多分、私が生きてゐるうちは

誰にも相手にされず、

奇人変人の類ひに分類されるに違ひないが、

死後に誰かが共感してくれればいいやと

ここは武士は食はねど高楊枝精神で、

私の思索を深めることに全精力を傾けるべきとの覚悟は決まってゐた。

 

誰が何を言はうと私は孤高の思索者として生きる。

 

白い野良猫はすやすやと眠ってゐて

私が岩から立ち上がると

ビクッと起きて、

私とは一定の距離を相変はらず保ちながら、

私の逍遥のお供をしてくれるのであった。

 

――この猫は私の苦悩を解ってくれてゐる。

さう思ふと孤高も悪くないと私は思ふのであった。

 

 

移ろひ行くことの悲哀

 

あと何度の春夏秋冬を生きられるのでせう。

最近夙に老ひを意識せざるを得ぬ私は

それでも日一日を精一杯生きてをりまする。

流行病が地球規模で爆発的感染をする中、

特に身近に死を意識しながらも

私にまだ、此の世に生きる使命が残されてゐるのであれば、

屹度私は他力をして生かされる筈です。

なんだかとっても哀しくなるのは

私が老ひたせゐでせう。

人生の短さを意識しつつも

若くして夭折した人を思へば

私は泣いてなぞゐられません。

如何に私が不幸であらうと

私はまだ、生かされてをるのですから

私の使命を果たすまでです。

 

哀しいまでに初秋の夕焼けは美しい茜色をしてゐて、

これまで幾星霜が駆け抜けたことでせう。

夕焼けの美しさに哀しみを感じる私は

それだけ人生の悲哀を知ってしまったのです。

 

突然襲来する夕立に

立ち竦むしかない私は

まだ、自然に対しての畏怖の念を抱いてをり、

さうして私は安堵するのです。

 

他力に生かされてゐる私は、

一人では決して生きることは出来ず

そのことがこの歳になって漸く解り始めたところです。

また、他力によって生かされてゐる私は、

或ひは極楽にゐるほどの幸せ者なのかもしれません。

さう思へるやうになったのも

私が歳を取ったからでせう。

 

ぽっかり月が昇り始めました。

其処に私はどうしようもない悲哀を看てしまふのです。

 

 

前歴史における世界開闢物語 六

 

初め、巨大化に巨大化を重ねし大渦は

ぱっと射した光が一瞬刹那に充溢し、

強烈な光を発し

其処は光の大洪水が起きたかのやうに

ブラックホールでは光の瀑布を作り、

然し乍ら、ブラックホールは暗黒ではなく、

シュワルツシルト半径、つまり、事象の地平線のみペラペラの黒色をしてゐるが

その外は溢れ出る光の大洪水の激流に呑み込まりける。

 

彼方此方で逆巻く光の激流は

留まるところを知らずスターバーストによりて生れし星星にぶち当たりては、

星星を熱し、

全ての星星は火の玉となりにけり。

さうして大渦は瞬く間に灼熱地獄と化し、

光の激流によりて流されし火の玉と化した星星は

次次に衝突をしては合従連衡を繰り返し、

或る処では巨大な恒星を形作り、

また、或る処では衝突によりて四散したものが

塵芥のやうにガス状にまで分解し、

火炎旋風を巻き起こすなり。

而して大渦の膨脹は更に加速し、

指数関数的膨脹を始めるなり。

すると或る臨界に達したところで、

大渦は一気に冷却す。

光の大洪水は影形なく消え失せ

光るは星星のみなり。

物理的には物質は

反物質が僅かばかり消滅するのが早かったから

物質ばかりが存在することになりしと言はれるが

つまり、CPT対称性の破れによりて

物質ばかりの宇宙が存在することになりしと言はれるが、

永劫界のものたちの骸を種にして素粒子が生れしなり。

やがて巨大化に巨大化を更に重ねた大渦は宇宙と呼ばしものへと相転移するなり。

 

 

 

 

頑なに

 

世界が嗤ふなら嗤はしておけばいい。

その代はりお前は凜として其処に立て。

さうしてこそお前はお前の筋を通すことが出来るのだ。

それは断じて頑なでなければならぬ。

世界を相手にするのであるから、

一筋縄では行かぬのは当然のこと。

ならばこそ、お前は断じて頑なでなければならぬのだ。

さあ、顔を上げて日輪を見よ。

網膜に焼け付くその強烈な光輝の残像に感嘆しながらも

――けっ。

と、その日輪を嘲弄してみよ。

さすれば、お前の覚悟の強さが解るといふものだ。

世界に比すれば

お前は塵芥に等しいかもしれぬが、

お前が抱いてゐる思ひの強さは

宇宙をも呑み込み、

世界を突き破るだけの衝撃を持ってゐる。

さう、世界を突き破るのだ。

そのためにもお前は赤赤と燃える日輪にしかと対峙し、

撓んだ蒼穹を

そのか細い肩でがっしりと支へ、

くっきりとした輪郭で以てして世界から浮き立つのだ。

すると、世界は異物を吐き捨てるやうに

お前を吐き出し、

顰めっ面をするに違ひない。

さうなればしめたもの。

その時世界は初めてお前を敵だと認識する。

然し乍ら、お前が帰るところはもうない。

だからこそ、お前は断じて頑なでなければならぬのだ。

しかと立てよ。

それのみがお前が携へてゐる世界に対抗する武器なのだから。

畏れる事勿れ、

世界に見捨てられしものが

真っ先に世界に抹殺されることを。

 

 

宇宙顚覆への果てしなき執念が燃え立つ

 

もとは単なる自己愛から発したとはいへ

此の宇宙への憎悪は果てを知らぬ。

油断をすると直ぐに私の周りを囲繞(いにょう)し、

さうすると私はどうしようもなき息苦しさに襲はれ

此の宇宙から逃げ出したくなるのではあるが、

それは叶はぬ夢でしかなく、

無際限に続く此の宇宙から遁走できぬ私は

――はあはあ。

と酸素を求めて水面に口を出す金魚のように

息をすることに相成りし。

初めは此の宇宙から逃げ出したいと思ってゐたにすぎぬ其の憎悪は

次第に宇宙顚覆といふ大それた考へへと至り、

どうあっても己の存在を守衛するべくには

最早此の宇宙の顚覆しかなしとの思ひに至り

私はその手立てを執拗に考へをりし。

 

さて、一口に宇宙顚覆といふが、

相手はもしかすると無限をも呑み込んでゐるかもしれぬ宇宙であるので、

私がどんな権謀術数を企てたところで

高が知れてをり

此の宇宙は顔色一つ変へることなく

涼しい顔で私を嗤ってをるが

それが益益私の憎悪に火を点け

私の腸(はらわた)は煮えくり返るのである。

さうして私はまづ此の宇宙から身を隠す術を探したのであるが、

闇の中に身を置くと居心地がいいことに気が付いたのであった。

暗中模索。

この状態が辛うじて私が私でをれるぎりぎりの処で、

屹度闇には宇宙の肝が隠れてゐるのかもしれぬと思ひつつ、

私は好んで闇の中に身を置いたのであった。

 

私は来る日も来る日も考へに考へ抜き

どうやって此の宇宙を顚覆するのが最善かを考へた処、

――ええい。

とばかりに宇宙が青ざめる架空の書物を書き上げるのが

一番宇宙顚覆に近しいのでないかとの思ひに至り

私はそれ以来、宇宙を顚覆するのみの目的で

物語を書き連ねてゐる。

その内容は果たせる哉、存在論になり

今在る存在の有り様をひっくり返せれば

宇宙は否応なく顚覆する筈だと

そんな思ひに燃え立ってゐる。

埴谷雄高ではないが、

一生を賭けて未完の巨大作が書ければと

それだけを心の拠り所として

只管、韜晦な物語を書き綴ってゐるのだ。

それは宇宙にだけ読ませるために書かれたもので、

読者は必要なし。

それ故に韜晦な物語となってしまふが

それは致し方なしと

私は只管宇宙に向けてのみ書いてゐる。

 

 

消ゆるのは吾のみや

 

宵の明星が皓皓と輝き

日没後の深き橙色の西の空を見詰めながら、

西方浄土といふ言葉が頭を駆け巡れば、

何処か感傷的な感情が込み上げてくるかと思ひきや

そんな感傷に浸る余裕は微塵もない私は

私の内部に巣くふ異形の吾の頭を噛み切る術を探しては、

私の内部、其処を私は五蘊場と名付けてゐるが、

その五蘊場を我が物顔で闊歩してゐる異形の吾が

のさばればのさばるほど

私の懊悩は深まるばかりで、

この私と吾との跨ぎ果せぬ乖離は

私の絶望の距離なのだ。

常人であれば私と異形の吾とはぎりぎりの折り合ひをつけて

このどうしようもない絶望を

飴玉を噛み砕くやうにして呑み込んでゐる筈だが、

私の異形の吾は軟体動物にして干し肉よりも硬くて

私の顎の力ではどうしても噛み切れぬのである。

つまり、私の五蘊場にのさばる異形の吾は変幻自在にして

想像を超えて伸縮に富んでゐるので

蛸を噛み切るやうには一朝一夕に行かぬ憾みをも

私は抱へ込むことになるのであるが、

異形の吾に対して手も足も出ぬ私を

異形の吾は嫌らしい顔で嗤ってゐる。

さうすると不老不死ではない私は何れ死を迎へることに相成るが、

異形の吾は私の死後も私の死を哄笑して生き延びるのだらう。

私の死後、異形の吾は誰かの五蘊場に住み処を移し

新たな宿主となったものを嘲弄し続け、

最悪の場合、新たな宿主を自殺に追ひ来むに違ひないのだ。

だからこそ、私は何としても異形の吾を鏖殺しなければならぬ使命があるのであるが、

非力な私に今のところ、為す術はなし。

詰まる所、消ゆるのは吾のみや。

さうして自同律の病に罹る未来人を私が異形の吾を鏖殺できぬ故に

新たに生んでしまふ汚名を被る恥辱を未来人よ、許し給へ。

 

 

対峙

 

今日も夜は明けまする。

しかし、私の夜は明けませぬ。

何時の頃からか私の心は真っ暗闇で、

それがちっとも明ける気配がありませぬ。

何ででせうか。

私の闇好きのせゐもありませうが、

それでは済まぬどす黒い私の心持ちにその因があるやうです。

私の心は私をのたうち回らせ、精神を崩壊させ、

私はすっかり廃人同様に成り果てました。

それでも私の心は私を許すまじのままなのです。

執拗に私を追ひ回し、

私が私を抹殺すまで、

それは已まらむのです。

それではと、

私はでんと構へ、

私の邪な心と対峙せねば、

私の心の闇は晴れぬと思ひなし、

一歩も退かぬ心づもりで覚悟を決めたのでありました。

これは私の潔癖症の為もありませうが、

私を正当化したい欲望の為せる業ともいへませう。

詰まる所、私そのものが邪なのです。

邪悪が邪悪に対峙するとき

其処に聖が生れる余地はあるのでせうか。

私といふ邪な存在と私の心といふ邪なものの対峙は

然し乍ら、厳粛極まりないものでした。

私が少しでも隙を見せれば私の心は私を責めるのは

火を見るよりも明らかで

どちらも互ひを凝視するのみで、

長き沈黙が続いたのです。

と、あるとき、

――吾は。

と、お互ひ同時に口を衝いて言葉が零れたのでした。

しかし、勝負はその一瞬でつきました。

私は私の邪な心に呑み込まれ、

私は完全無敵の邪な人間になりました。

それ以来といふもの、

メフェストフェレスよろしく、

悪を成さんと欲するも善をなすところの

悪魔に成り果せたのです。

 

 

腹を据ゑて死を受容す

 

身内が余命宣告を受けようが、

私は腹を据ゑて覚悟を決め、それを受容し、

残された日日をいつも通りの日常を過ごさなければ

死に行くものに対して失礼だらう。

それが日常といふものの正体なのだ。

とはいへ、死が残酷かといふと

そんなことは微塵もなく、

日常といふものには死が予め埋め込まれてゐるから、

死のない日常こそ不自然で、

一人の人間を看取る儀式は残されるものにとっては

死を受容するために必要不可欠で、

其の残されし日日で思ひ出を噛み締め、

来し方行く末に思ひを馳せながら、

やがて此の世から去るものに対しての汲めども尽くせぬ思ひを

一粒の涙に収斂させ、

然し乍ら、見送るときは笑顔で見送らうと腹を決めてゐる。

然もなくば、私は死に行くものに対して

失礼極まりないことをして見送ることとなり、

死に行くものに対して此の世に心残りを抱かせたまま死へ出立させることは、

死に行くものに対して残酷な仕打ちでしかない。

この私の姿勢が薄情と罵られようと、

私は腹を据ゑ、それらの誹りも受容する。

当の本人は、思ふに以外とさばさばとしてゐて、

例へば武田泰淳の死に様に習ふかのやうに

最早自力で立ち上がれなくなるまで、

病院にも行かず、

南無三と身動きできなくなって病院に行き、

入院十日目に死する、そんな死に様を望んでゐるのかもしれぬ。

ともかく、一人の人間が死するといふことは

葬儀に急かされ、死んだ後はゆっくりとお別れをする暇もなくなるので、

今のうちに静かにお別れをしておき、

私の日常は微塵も崩すことなく、

過ごすことが、

当の本人にとっての一番の餞であり、

釈尊の慧眼である生老病死の苦を本人も覚悟してゐる筈で、

明日世界が滅びようともいつもと変はらぬ日常を送る如くに、

残されし日日をいつも通りの日常を繰り返すことで、

私は死に行くものを見送りたい。

さうすることが、

当の本人にとっても此の世の生を肯定出来る端緒となるに違ひなく

それが絆といふものなのだ。

それは死後も思ひ出となって繋がってゐるものなのだ。

 

 

壊れ行く日常の中で吾は座して死を待つのみか

 

数多の殺戮が日常の中に巣くふ中で、

それに対して余りに無力な吾は

座して死を待つのみか。

然もなくば、

吾独りでもそんな日常に対して謀反を起こし

下らぬ死を以てしてそれに報ひるべきか。

然れどもそんな吾独りの死を以てしても

死神が悦びはするが、

悪霊に取り憑かれし為政者と流行病には

何の役にも立たぬ。

武器を持つものに対して素手で対峙する勇気もなく、

流行病に対しても為す術のない吾は

それだから尚のこと雨に打たれてぶるぶる震へる仔犬に等しく

疚しさばかりが募るのである。

ならば立ち上がれ、と威勢よくいふものもゐるが、

死神を目の前にして捨て身になれる生者は極少数で、

自分の国を問答無用に侵略されたものと比して

吾が置かれし状況を鑑み、

最も罪深き悪しき傍観者として戦況を凝視し、

流行病の通り過ぎつるのを待つのみが関の山である。

さりとて土足で悪霊に取り憑かれし為政者と流行病に

踏み躙られし吾が日常の中でのほほんと生ききるのは

忍びなく、

怒りに吾を忘れて戦火に飛び込むほどの

無鉄砲さも全く持ち合はせてゐない吾は、

吐き気がする日常に翻弄されながら

苛立つ吾を鎮める術すら知らぬことに吃驚しながらも

狂った世界の人身御供として

吾の身を捧げる覚悟すらもないことに

今更ながら痛打を受けつつ

日日壊れ行く世界と吾が心は

ぼんやりとした不安の中で自死した芥川龍之介の如く

自身が壊死する外ないのか。

この不感症は吾ながら戦死者と流行病に倒れし人人に対して失礼極まりないが、

どうあってもそれに対して道理が立たぬ世界と吾は

最早投げ槍に日常に身を置くのだ。

それが針の筵の上に座してゐるとしても。

哀しい哉、これが現実なのだ。

目覚めし時、吾独り生を噛み締める一時、

吾は現実に唾を吐く。

――ぺっ。

と。

 

積 緋露雪

物書き。

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