死引力
不思議なことに自転車に乗ってゐる時など、 心に反して己に向かRead More審問官 第二章「杳体」
積 緋露雪
出会ひ
私が勢いよくさっとその喫茶店の手動式のドアを開けると、
――カランコロン
と呼び鈴が鳴ったのであった。
私はLady first(レデイ・ファースト)を気取って雪を先に喫茶店内へと招き入れ、その後に続いて私がその喫茶店へ入ったのであった。
その喫茶店の店内は、店内全体を照らす照明は仄暗く抑へ気味であったが、各席に置かれた照明が皓皓と輝いてゐて、そして、店の造りは何処か山小屋を思はせる木造の内装が、奇妙に落ち着いた雰囲気を醸し出していたのであった。
私は、その仄暗い店内をぐるりと眺め回し、君達が陣取ってゐた席を見つけると、無意識に雪の手をぎゅっと握り、その席へと歩き始めたのであった。ぎゅっと握って、
――あっ。
と、思ひ、それにしても雪の手は仄かに温かく、しかし、夏の高温に対しては何処かひんやりとしてゐて、それは冷暖房がガンガンに利いた室内は大の苦手に違ひないと、その雪の手の感触から直感的に感じ取りつつも、それに構はず、私は雪の手を引きながらつかつかと君達が陣取ってゐた席へと一直線に歩を進めたのであった。私と雪に最初に気が付いたのは甲君で、
――やあ、杳体御仁。やっとご登場かい。
と、言ふと、乙君、丙君、丁君、そして君がそれぞれの本から顔を上げて、私と雪とを見たのであった。
そして、君たちと雪はお互ひに自己紹介をし、それを早々に済ませると、私と雪は相並んで末席に着席したのであった。そして、雪が、
――あの、杳体御仁とは一体全体何の事でせうか?
すると、甲君が、
――何ね、彼が呪文の如く唱へる《存在》へ対しての、つまり、カント曰く処の「物自体」のやうなものかな。
――えっ、杳体が「物自体」? まだ私には解かりませんわ。
――ええっと、雪さんは埴谷雄高の『死靈』を読んだことがありますか?
――ええ。
――彼によると、埴谷雄高の自同律の不快から発した「虚体」では生(なま)温(ぬる)く、その虚体をも呑み込む《存在》の有様が必ずあるに違ひなく、そして、《存在》はその有様、つまり、彼が言ふ《杳体》をもってして、此の宇宙の転覆を絶えず志向する、まあ、そんな処かな。
と、甲君は言ったのである。
甲君は画家志望で熱狂的にヴァン・ゴッホを崇拝する、所謂、「ヴァン・ゴッホ気狂(きちが)ひで、甲君は絵画といふ手段で何とかこの世界を認識し尽くし、己が納得する世界認識法を何としても手に入れる為に試行錯誤を繰り返してゐる青年なのであった。
――「虚体」をも呑み込む《存在》の有様? まだ私にはよく解からないのですが?
――何、彼本人が《杳体》と名付けたはいいが、未だ道半ばで、よく解かってゐないんぢゃないかな。
すると、雪は私へと顔を向けて、
――ねえ、《杳体》って何?
と、「黙狂者」の私へ尋ねたのであった。
すると、私はNoteを取り出して、
――つまり、虚無、若しくは、つまり、此の頭蓋内の闇の脳といふ構造をした、つまり、《五蘊場》にぽっかりと空いた虚空から、つまり、不意に顔を突き出して、つまり、『ほら、私を捕らへてみな!』と、つまり、皮肉たっぷりに言ひ残して、つまり、再び虚無、若しくは《五蘊場》の虚空へ、つまり、直ぐ様消えて、ところが、つまり、杳としてその《存在》を明かさない《杳体》は、つまり、ぢっと私の振る舞ひを凝視し、つまり、嘲笑ってゐる得体の知れぬ杳とした《何か》の事さ。
――つまり、それは例へば物質に反物質があるやうに、《存在》にも《反=存在》と名付けられる《もの》があるその《反=存在》と同じ様態の《もの》といふ意味と解していいのかしら?
――否、つまり、《杳体》は《反=存在》すらも呑み込んだ、つまり、《新=存在》の仮初の、つまり、若しくは仮象の姿さ。
――《新=存在》? あなたは此の現在にある《存在》の仕方を根本から転覆、若しくは真っ逆様に逆立ちさせるつもりなのね。
――つまり、ああ。
――でも、それを世界は今の処嘲笑ってゐるとしかあなたには認識出来ない杳として得体の知れぬ《何か》が、これって変な言ひ種だけれども、必ず《存在》してゐるといふ事ね?
――オイラーの公式が杳体御仁の言ふ《杳体》論の今の処命綱なのさ。
と、数学を専攻してゐながらヰリアム・ブレイク好きの乙君が口を開いたのであった。
――オイラーの公式と言ひますと?
――つまり、ネイピア数と呼ばれる数字をeとすると、e = 2.71828 18284 59045 23536 02874 71352 …と定まり、このネイピア数を使ふと、オイラーの等式、即ち、
が成立する。これは物理数学では最も重要な公式の一つでね、杳体御仁の彼はそのオイラーの公式をして、虚数iのi乗はオイラーの公式を使へば、【iのi乗】=【(ネイピア数eのi×π/2)のi乗】、つまり、eの-π/2乗、即ちiのi乗は0.2078795……といふ実数になり、虚数だった《もの》がその正体を現はす、といふ事が、彼の言ふ処の《杳体》の何かを暗示してゐると彼は考へてゐる。まあ、とんだ素人考へだがね。
と乙君が言ふと、
――虚数iのi乗は実数? それは面白いですわ。
――さうすると、埴谷雄高が全人生をかけて追ひ求めた《虚体》は、オイラーの公式を無理矢理にでも汎用すると、《虚体》は虚数iから発想されたものではなく、オイラーの公式
を《虚体》の何かを表象してゐる何かだと看做すと、《虚体》が実体へと相転移する何かと看做せるだらう?
――また、数学の知識をひけらかして、雪さんを煙に巻く気かね、乙君?
と、丙君が口を挟んだのであった。
――はっ、猊下殿。申し訳ありません。
とおどけて乙君が丙君に言ったのであった。丙君は皆から「猊下」と綽名され、さう呼ばれてゐる、将来雲水、そして、僧になるつもりの青年なのであった。
――私に言はせれば、オイラーの公式も夢幻空花(むげんくうげ)な《もの》でしかない。
と丙君は言ったのであった。
――ちぇっ、猊下は全て否定しないと気が済まないからな。
と乙君が言ふと、そこで雪が、
――あの、オイラーの公式、
って面白い公式ですね。
――あの、雪さんの専攻は?
と乙君が訊いたのであった。
――西洋哲学です。
――西洋哲学の中でも何を?
――実存哲学を。
――へえ、脱構築とかポストモダンではなく?
――ええ、私、脱構築もポストモダンも、結局のところ、何も語ってゐない、哲学とは言へない代物にしか思へないのです。
と、今度は君が雪と話し始めたのであった。
――ところが、私、西洋哲学には飽き飽きして、今は、印度哲学か仏教哲学かに専攻を変へようかと考えてゐるのです。正直申して、西洋哲学、つまり、一神教下の哲学がつまらないのです。
――つまり、それって、西洋で言ふ「虚無」では飽き足らず、印度や仏教で言ふ処の《無》に魅入られたといふ事だね?
と猊下たる丙君が言ったのであった。
――へっ、《虚無》は中中絵に描けぬ難物だ!
と、ヴァン・ゴッホ気狂ひの甲君が言った処、
――だが、ヴァン・ゴッホは渦を描いてゐるぜ。
と、乙君が言ったのであった。
――また、渦か! 皆黙狂者の彼に感化され過ぎていないかね? 君が言ふナビエ・ストークスの方程式、
非圧縮性流れ(
と簡単化される。ここで
とか、ストークスの定理、
ここで S は積分範囲の面、C はその境界の曲線で、しかし、それ以上、物理数学では渦に迫れない、つまり、物理数学で渦は未だに正確無比に記述不可能な《もの》で、しかし、ヴァン・ゴッホは渦を「星月夜」などでしっかりと描いてゐるぜ。
と甲君が言ったのであった。
すると、乙君が、
――其処さ。
と言ったのである。
――あの、其処と言ひますと?
と雪が尋ねると、
――つまり、人間は、否、此の世に《存在》する森羅万象は、どんな《存在》でも渦を《認識》してゐる筈だ、といふ事が、《杳体》の淵源の一つなのさ。
と、君が口を挟んだのであった。
――ねえ、《杳体》の張本人のあなたはどう考えてゐるの? そのあなたが言ふ処の《杳体》って何?
と雪が私に尋ねたのであった。
――つまり、そもそも《存在》とは、つまり、杳として知れぬ《もの》だらう?
――そんな事、うふっ、大袈裟に言へば、人類はその全史を通して《存在》とは何ぞや? と問ひ続けて来た《存在》の一つに過ぎないわ。だから、私は、あなたの言う《杳体》と名付けた《存在》の何たるかが知りたいのよ。
と、雪は興味津津の態で私たちの会話を楽しんでゐたのが、その美しい表情に表はれているのであった。
――つまり、今言へるのは、つまり、オイラーの公式然り、つまり、《虚体》然り、と、それだけしか言へないのが本当の処さ。
――それぢゃ、ずるいわ。何の説明にもなっていないぢゃないの?
と、雪が言ふと、数学を専攻してゐる乙君が容喙したのであった。
――此の世が複素数で成り立ってゐるならば、実体は無限の虚数的なる《存在》の相、つまり、それを此処で《虚=体》と名付ければ、実体の実相は無限にあるといふのが正解といふ事さ。
――《虚=体》? 《虚体》ではなく、=で虚と体とを繋いだ《虚=体》? 面白い表現ね、うふっ。でも、cogito,ergo sumをその《虚=体》は超越出来るのかしら?
――「黙狂者」の彼が言ふには、肉体と精神といふ「現存在」のありふれた捉へ方は、複素数、つまり、肉体が実部に、虚部が精神に相当するといふ事らしいぜ。
――でも、それは誰しも一度は夢想することぢゃないかしら。私もさう考へたことが確かにあったわ。
――それぢゃ、話は早い。雪さんは肉体と精神といふ二元論的な思考法に与するかい?
――それで論理的に物事が語れるのであれば、私は積極的に肉体と精神の二元論的思考法を受容するわ。
と、此処で、私が次のやうにNoteに書いたのであった。
――つまり、それが、つまり、人間の錯誤でしかないとしても、つまり、君は肉体と精神といふ考へを、つまり、受容するのかい?
――ええ、それが錯誤であっても、《存在》に一歩でも近づくのであれば、私はその錯誤を錯誤として受け容れるわ。私思ふの、所詮、人間が考へることは多かれ少なかれ過誤であり、それでも、此の世の、そしてこの《吾》といふ《存在》の正体を何としても暴きたい欲求は、止め処なく、《存在》が《存在》する限り《吾》とは何ぞや? 《世界》とは何ぞや? と問ひ続ける宿命にあるに違ひないと思ふの。
――へっ、土台、人間は、懊悩するべき《存在》として「先験的」に《存在》させられる《もの》に過ぎないんぢゃないか?
と、画家志望の甲君が半畳を入れたのであった。其処で、
――《存在》の一番の快楽は何だと思ふ?
と、猊下たる丙君がおもむろに言ったのであった。
すると、私はNoteに、
――つまり、肉体と精神の一致!
と、書いたのであった。
――さう、肉体と精神の完全なる一致だ。肉体と精神が一致した刹那程、《存在》に快楽を齎す《もの》はないのだが、さて、それと紙一重に肉体と精神の完全なる一致は、反吐を吐きさうな程、不快極まりない《もの》でもある。
――でも、肉体と精神の完全なる一致など、《存在》が此の世に《存在》する限り在り得ぬ見果てぬ夢でしかないんぢゃないかね?
と、文学青年の丁君がぼそりと呟いたのであった。
――例へば、言葉は、それが発話され、記述される事で、《吾》の表象から無限に遠ざかる虚しさは誰もが知る処だらう?
と、丁君は更に続けたのであった。
――ふっ、君らしい意見だね。
と、君が丁君に言ったのであった。
――多分、肉体的なる《もの》と精神的なる《もの》、つまり、実部なる《もの》と虚部なる《もの》を統合する《存在》の在り方が、お前の言ふ《杳体》だらう?
と、猊下たる丙君が言ったのであった。
――否、つまり、今の処、つまり、あなたの仰るやうに《存在》を簡略化、つまり、若しくは腑分けしちゃ、つまり、《存在》を語る時には、つまり、その時点で駄目ぢゃないかと、つまり、思ひますが。
と、私はNoteに書き記したのであった。
――相変はらずまだ発話は出来ないやうだね、「黙狂者」君。しかし、そもそも言葉を発話する行為と書く行為、つまり、パロールとエクリチュールの断絶の溝に落っこちまった君は、絶えず湧出する数多の言葉の洪水に溺れながらも「つまり」といふ言葉を書き記すことで辛うじて君の思考の渦動を保持してゐる。何とも厄介なことだな、「黙狂者」君。
と、おどけてヴァン・ゴッホ気狂ひで画家志望の甲君が言ったのであった。しかし、その言葉には暗に、私の事ではなく、甲君自身がのっびきならぬ処で尚も自分の世界認識の仕方を試行錯誤してゐることが端的に表はれてゐる言い方なのであった。
――其処さ。「黙狂者」に堕す外なかった彼のDilemma(ジレンマ)があるのは。つまり、無秩序に彼の頭蓋内の闇に同時多発的に一気に発話されようと「言葉」が無数に生まれるのだが、其処には言葉を口から発する糸口が全く《存在》しない。つまり、彼の頭蓋内の闇、彼はそれを《五蘊場》と名付けてゐるが、その《五蘊場》に過去、現在、未来、即ち、去来現が《存在》せず、彼は発話に関してはお手上げ状態で、筆記する事でやっと時間の移ろいを堪へ忍び、彼は《他》に己の思考を伝へる事が可能なのだらう。
と、猊下たる丙君が言ったのであった。すると雪は、
――彼は、これまで一度も口を利いた事がない「唖」なの? つまり、彼は一度も発話と言ふ行為を経験した事がないの?
と、雪は君に聞いたのであった。
――いや、彼はもともとは話せたのだが、思春期を迎へた或る日、突然と話せなくなってしまったのだ。
と、君は言ったのである。
――ねえ、あなたが頭蓋内の闇、つまり、《五蘊場》だったかしら、その《五蘊場》で渦動する言語群と発話といふ行為が分断される事態に至ったのは、いざ、発話する段になると、あなたに纏ひ付く虚空に《吾》と《他》と間には踏み越え難い底知れぬ深淵を見てしまって、あなたはその深淵に眩暈を覚えて、《五蘊場》のみが卒倒するからなのね?
と、雪は私に尋ねたのであった。私はNoteに、
――つまり、或いはさうかもしれぬし、また、つまり、或ひは全く違ふかもしれぬ。つまり、私には発話して、つまり、言語を音波に、つまり、波に変へる機能がぶっ壊れてしまったのさ。そして、つまり、私は自身でも知らぬ間に発話を断念してゐたのさ。つまり、書くといふ行為を通して言葉の跡が追へる、つまり、言葉に、過去、現在、未来といふ去来現を、つまり、見出す事が辛うじて、つまり、私に残された言葉を発する行為なのさ。つまり、私はその矛盾、つまり、不合理を受容するしかないのさ。
と苦笑ひを私はする外なかったのである。
――そして、あなたは、《他》に言葉を発話出来ぬ故に、《杳体》だったかしら、その《杳体》と対峙する事が可能になったのだわ。
と、雪が言ったのであった。
――成程、彼が「黙狂者」にしか為り得ぬ故に、《杳体》の出現か――。
と、君が言ったのであった。
――そして、君は《存在》を簡略化したり、腑分けしちゃ駄目だと言ったが、しかし、人間、否、《存在》の思考法は物事を簡略化、つまり、抽象化せずにはをれぬ《もの》ぢゃないかね?
と猊下たる丙君が、虚空を凝視するやうに言い放ったのであった。
――ねえ、あなたの言ふ《杳体》はもっと解かりやすく言ふと何かにAnalogy(アナロジー)出来る《もの》なの?
――つまり、例へば、つまり、磁石さ。つまり、磁石は、つまり、何処まで切断してもN極とS極が《対‐存在》する。ところがある人達の予想には磁石は、つまり、磁気双極ではなく、つまり、単極、つまり、N極のみ、S極のみの、つまり、磁気単極子(magnetic monopole)の《存在》があるが、つまり、今の処、magnetic monopoleの《存在》はつまり、仮説の域を出てゐないが、しかし、つまり、この磁石におけるNSの双極子は、つまり、多分、つまり、何処まで行っても、つまり、切っても切れぬ《存在》、否、事象であって、NS極を例へば肉体と精神と見立てると、つまり、《存在》は何処まで切り刻んでも肉体と精神の両極、つまり、細胞一つになっても、また、つまり、DNAの分子をさらに切り刻んでも、其処には必ず肉体と精神がPairとなって《対‐存在》し、つまり、肉体と精神は、つまり、宿ってゐるに違ひない。
――それで、あなたの言ふ《杳体》は、つまり、何処までもその《存在》を切り刻んでみても、其処には必ず肉体と精神、いえ、意識の方がしっくりくるわね、必ず肉体と精神に還元できる意識が《対‐存在》してゐるといふ考へ方を森羅万象に拡大解釈してみた、それが《杳体》の正体でせう?
――つまり、或る一面では、つまり、君の言ふ通りなのだが、そもそも意識ってなんだと思ふ?
――え、意識?
と、雪はぽつりと呟いたきり何か物思ひに沈むのであった。
――うぅぅぅぅあぁぁぁぁああああ~~。
相変はらず私が目を閉ぢれば、私の眼前の瞼裡の薄っぺらな闇には夢幻空花なる、私の見知らぬ全くの赤の他人の亡骸が呻き声にならぬ呻き声を発しながら、その赤の他人の彼が《存在》し、私もそれに加担してゐる《生》と《死》の狭間に開いてゐるであらうその虚空、それは私の虚空と断言しても構はぬに違ひないその虚空の何処ともしれぬ何処かへと、その赤の他人の彼は横たはり、ゆっくりと旋回しながら浮遊してゐるのであった。
――つまり、意識は、つまり、万物に、つまり、宿ると、つまり、思ふのかい?
と、私は雪に筆談で尚も尋ねたのであった。しかし、雪はぢっと黙ったままでゐるので猊下たる丙君が口を開いたのであった。
――君にとっては万物に意識は宿るのだらう?
――ああ。つまり、さういふ事だ。つまり、此の世に《存在》する以上、つまり、此の世の森羅万象には、つまり、意識は宿る、つまり、意識は《存在》するのさ。
と、私がNoteに書くと、丙君が
――君は意識は計量可能な何かだと思ってゐやしないかね?
――ああ。つまり、私は、つまり、意識の重さは、つまり、その《存在》の重さに、つまり、相関してゐると、つまり、看做してゐる。
と、私がNoteに書くとヴァン・ゴッホ狂ひの甲君が、
――すると「黙狂者」の君は、《意識≒重力》なんぞといふ何の根拠もない無謀な事を考へてやしないよね?
――――うぅぅぅぅあぁぁぁぁああああ~~。
――つまり、否だ。つまり、私は、つまり、《意識≒重力》は、つまり、此の世に、つまり、《存在》する《意識》なる《もの》を、つまり、計量する、つまり、世界認識の、つまり、仕方の一つに、つまり、為り得ると、つまり、看做してゐる。
と、私がNoteに書くと雪が突然、
――あなたの言ふ重力ってなんなのかしら? 私にはあなたの言ふ《意識≒重力》が何を象徴してゐるのかさっぱりわからないわ。つまり、あなたはBlack holeも何か得体の知れない意識の肥大化した《存在》と看做してゐるの?
――ああ。つまり、此の天の川銀河にせよ、アンドロメダ銀河にせよ、つまり、その中心に、つまり、あるといふつまり、巨大Black holeには、つまり、意識が、つまり、必ず、つまり、《存在》してゐる筈さ。
と、私がNoteに書くと、ぽつりと文学青年の丁君が言ったのであった。
――それは、とんでもない思考の飛躍、ちぇっ、飛躍するのは、しかし、思惟の宿命だがね、君の考へ方は、とんでもない飛躍の仕方をした全く無意味な独断でしかないぜ。
――つまり、独断で、つまり、いいんぢゃないかい?
と、私がNoteに書くと、
――また、それは何故にかね?
と、丁君がぽつりと呟いたのであった。
――つまり、私は、つまり、思惟がEnergie(エネルギー)に、つまり、変換可能な、つまり、《もの》と、つまり、独断的に看做して、つまり、ゐるが、さて、つまり、此の世に《存在》する、つまり、森羅万象は、つまり、Energieに還元出来ない、つまり、《もの》の、つまり、《存在》を、君は、つまり、認めるのかい?
と、私はNoteに書くと、文学青年の丁君が、
――そもそもEnergieって何の事だね?
と私に問ふたのであった。私はすかさず、
――つまり、意識さ。
と、Noteに書くと、雪が、
――一体全体あなたは何のことを話してゐるの?
と、目を爛爛と輝かせながら私に訊いたのであった。其処で私はNoteに、
――つまり、私達が、つまり、簡単に、つまり、意識と、つまり、呼んでゐる《もの》が、つまり、一体、つまり、何を、つまり、意味してゐるのか、つまり、己に問ふてゐるのさ。
すると猊下たる丙君が、
――「黙狂者」の君にとっては、万物に意識は宿ると看做したいのだらう。さうする事で君はやっと君自身の《存在》に我慢出来るのだらう。つまり、さうする事で君は君に喰はれる為に殺された《もの》の死肉の重さが意識だとする事で、やっと、君は君の《生者》たる《存在》に我慢が出来るのだらう? 違ふかね?
――うぅぅぅぅあぁぁぁぁああああ~~。
――まだ、あなたには誰とも知れぬ他人の亡骸の幻が見えるのね? そのあなたがいふ《意識≒重力》と思惟する事で、《吾》は救はれる?
と、雪が、目は相変はらず爛爛と輝かせながらも、その中に一つの暗い影がすうっと通り過ぎるのを私は見逃さず、そして、雪は痛痛しい心でもって私を凝視しながら、さう言ふと、丙君が猊下といふ綽名と言はれる所以たるに相応しい問ひを発したのであった。
――君が肉を噛み切る時の、その不快にして幸福なその一瞬を堪へ得るのに、《意識≒重力》でなければ、君は一日たりとも料理された《他》の死肉を喰らふ事が出来ず、その何とも知れぬ底無しの躊躇ひに《吾》を抛り出して、君は断食を直ぐでも始められる危ふさが君といふ《存在》には属性としてあるのだが、つまり、君は《他》の死肉の重さを意識へと還元する事でやっと料理を喰らふ事が出来、さうすることで辛うじて《吾》の《存在》を渋渋受容してゐるのだらう? 違ふかね?
――つまり、さういふ事だ。しかし、つまり、《吾》たる《存在》は、つまり、土台、つまり、《他》を、つまり、喰らふ事で、つまり、どうにかかうにか、つまり、《吾》なる《存在》を、つまり、存続させてゐるが、つまり、それでも、《吾》が、つまり、《存在》する事を、つまり、選ぶのであれば、つまり、《吾》は、つまり、腹を括って、つまり、《他》の、つまり、死肉を喰らふしかない。つまり、それは、つまり、此の世に、つまり、《存在》する、つまり、森羅万象にも、つまり、当て嵌まる事で、つまり、何かが《存在》するといふ事は、つまり、何かの《存在》を阻んでゐる。
――でも、《吾》は如何なる《もの》でも《吾》といふ《存在》に我慢してゐる事を、君は軽んじてゐるんぢゃないか?
と、ぽつりと文学青年の丁君が呟いたのであった。すると、雪が、
――さうだわ。《存在》も《非在》も共に懊悩の中で《存在》してゐるんだわ。ねえ、あなたは此の世の摂理は不合理だと思ふ? それとも合理だと思ふ?
――つまり、両方さ。つまり、何故って、つまり、《吾》の有様によって、つまり、合理でも、つまり、不合理でも、つまり、どちらにもなり得るからさ。
と、私がNoteに書くと、雪は、相変はらず目は爛爛と輝かせながらも、凌辱されたことでずたずたに裂かれていた心を私に受け止めてほしいかのやうに心を私に投げ出して、
――それぢゃ、《他》が《吾》を凌辱する事が合理であるか、不合理であるかは、《吾》が決定するのね?
――ああ。つまり、君は、つまり、その事を、つまり、《他》が《吾》を凌辱したことを不合理として、つまり、嫌悪する摂理がある。つまり、《吾》にとって、つまり、《他》は、つまり、《吾》にとって、つまり、或る時は食料になるが、つまり、それ以外では、つまり、《他》は何処まで行っても得体の知れぬ、つまり、化け物と同じさ。
――それでも、私に対する不浄の観念は何時まで経っても消えない《もの》よ。
――つまり、ねえ、つまり、雪、それ以上は語らなくて、つまり、もういいんだよ。つまり、君は今まで、つまり、その《吾》に、つまり、よく堪へて来たんだからね。
と、私は雪の凌辱された場面を実際に眼前に見るようにその夢幻空花なる有様を見続けながら、私がさうNoteに書くと、雪は、ぼろぼろと目から涙を流し、私をぢっと凝視しながら泣き出したのであった。と、其処で、この重重しく一変した空気を換へるべく、ヴァン・ゴッホ気狂ひの甲君が私と雪との間で交感してゐるその苛烈にして沈んだ心の状態を一気に吹き飛ばすやうに下らない地口を言ったのであった。
――飛んで分け入る奈津子の無視。それに三輪與志ならぬ皆善し、なっちって。
――ふふっ、御免なさい。私の事を気遣って下さり有難う御座います。
――誰も己の《存在》を苦虫を噛み潰すやうにその《存在》を受容してゐるのが、普通、《存在》する《もの》の道理であり責め苦なのさ。
と猊下たる丙君が自分で吐いた言葉を呑み込むやうに言ったのであった。其処で私はNoteに、
――雪、つまり、君は、つまり、自虐する、つまり、道理は、つまり、これっぽっちも、つまり、ないんだからね。つまり、そのことを、つまり、忘れずに。つまり、ほら、つまり、笑って。
――どうも有り難う。あなたにかかると何もかもお見通しなのね。
と、雪が泣きながら微笑むと、猊下たる丙君が、
――君たち二人に通う何とも言へない心の交感は、第三者から見ると超=自然的なのだがね。しかし、何となく君が「黙狂者」になっちまったのが解かる気がする。つまり、君の感受性が何かにつけても途轍もなく過敏に働くために、君は何事も発話出来なくなってしまった。多分、君には非科学的な感覚が生じてしまひ、最早喋る事が苦痛でしかなくなってしまった。さうだらう?
――ああ。つまり、さういふ事かもしれぬ。つまり、しかし、私にも、つまり、こればっかりは、つまり、如何ともし難いのさ。
――それでもかれは「黙狂者」である事を理不尽とはいへ、何の文句も言はずに受容する外ない、その《存在》自体がどん詰まりにある証左として、彼は「黙狂者」にしか為り得なかった己を受け容れたのだ。
と、猊下たる丙君が再び自身の吐いた言葉を呑み込むやうに言ったのであった。
――ねえ、あなたにとって自然の摂理って不合理な《もの》、それとも合理な《もの》のどちらかしら?
と、雪がまだ瞳から零れ落ちる涙を手で拭ひながら私に訊いたのであった。其処で、私は、再びNoteにかう書いたのであった。
――つまり、私にとって、つまり、自然は、つまり、元来、つまり、「先験的」に、つまり、不合理でしかない。
すると、雪が、
――どうしてあなたにとって自然は「先験的」に不合理なのかしら?
――つまり、私が、つまり、此の世に、つまり、《存在》するからさ。
――すると、あなたにとって《存在》はそもそも不合理でしかないといふの?
――ああ。つまり、《存在》は、つまり、何何系として、つまり、統合されて、つまり、秩序立てて、つまり、《存在》は、つまり、《存在》する外ないのだが、つまり、その《存在》の、つまり、秩序を、つまり、秩序足らしめるべく、つまり、《他》を、つまり、殺害する。つまり、《存在》は、つまり、それが《存在》する事で、つまり、《他》の殺害が道理となる故に、つまり、此の世といふ名の、つまり、自然は、つまり、私にとっては、つまり、不合理でしかないのさ。
――それがあなたの《存在》に対する、いいえ、違ふはね、ええっと、此の宇宙ね、あなたは此の宇宙に反旗を翻した根本の理由がそれなの?
――いや。つまり、それだけではないさ。つまり、《存在》する事の、つまり、《存在》は、《吾》が何たるか、つまり、全く雲を摑むやうに、つまり、全く解からず、つまり、仕舞ひで、つまり、それでも、つまり、《吾》は、つまり、《吾》として、つまり、《吾》が死滅するまでは、つまり、それが仮令未来永劫に亙ってゐようが、つまり、《吾》はずっと、つまり、《吾》であり続ける事を、つまり、「先験的」に、つまり、定められてゐる。つまり、そして、つまり、その理由は、つまり、ボブ・ディランの「風に吹かれて」ぢゃ、つまり、ないけれども、つまり、そのやうにしか、つまり、此の《吾》といふ《存在》を、つまり、《存在》とは言へない、つまり、《存在》する《もの》の、つまり、もどかしさの淵源が、つまり、此の宇宙の、つまり、《神》の別称かもしれぬ、つまり、此の宇宙にはあり、つまり、もしかしたならば、つまり、此の宇宙は、つまり、それ故に、つまり、《吾》は、つまり、《吾》として、つまり、《存在》し続け、つまり、その上に、つまり、この《吾》といふ、つまり、《存在》は、つまり、絶えず、つまり、何かへと、つまり、変容する事をも、つまり、強要されてゐて、つまり、それは、とんでもなく、つまり、理不尽な事だらう?
――そのための叛旗の旗幟が《杳体》なのね?
――ああ。つまり、さういふ事だ。
――でも、それは《杳体》と高く掲げた旗幟と共に此の宇宙の摂理に反旗を翻した処で、この《存在》の得体の知れなさ故に《吾》が掲げた《杳体》は端から此の宇宙の摂理に敗北する事は解かり切ってゐないかしら?
と、雪は、その刹那に瞳を一際ぎらりと輝かせ、しかし、頬には涙の流れた跡を手で拭った跡が付いたままで、しかし、きりりと私に問ふたのであった。
すると、
――一方で、夢は既に此の宇宙といふ途轍もない《存在》を震へ上がらせるには、その能力の限界が知れてしまったと言ふのさ、この「黙狂者」は。
と、文学青年の丁君が苦虫を噛み潰すやうにぼそりと言ったのであった。すると、雪が、
――どうして? 此の宇宙へ反旗を翻すのに夢が無力だなんて、それぢゃ、素手で武装した傭兵と戦ふに等しい愚行だわ。夢こそがあなたの言ふ《杳体》を支へる大黒柱になるんぢゃないのかしら?
――つまり、それは、つまり、埴谷雄高が試みたが、つまり、失敗してゐるのを、つまり、見れば、つまり、夢なんぞは、つまり、此の宇宙には、つまり、屁でもないのさ。
――しかし、夢を《杳体》の此の宇宙に対する武器として不使用とする理由が、まだ私には今一つ解からないわ。
――つまりね、「黙狂者」の彼にとっては夢は思惟を超えられないからさ。
と、ヴァン・ゴッホ気狂ひの甲君がにやりと嗤ひながら言ったのであった。
…………
…………
ねえ、君。あの当時私が無鉄砲に、しかし、用意周到に掲げた《杳体》なる《もの》は、その後、どうなったと思ふ? へっ、正直に言ふと、何の事はない、相変はらず杳として得体の知れぬまま、私のこの頭蓋内の闇と瞼を閉ぢた時の瞼裡に生じる薄っぺらな闇との間を、恰も永久運動する巨大な振り子時計の振り子の如く、自在に行ったり来たりしながら、
――《吾》、《杳体》為れり!
と、私は自身に向けて愚劣な苦笑ひを浮かべて、尚も、青年にありがちな、どこか夢見ながら実態が伴はない、何とももどかしいその《存在》をじっくりと堪能する外にない、つまり漠とした己を敢へて規定せずに、唯、抛りっ放しのままその《存在》の屈辱を唯唯、噛み締める外ないどん詰まりのままなのは相変はらずなのさ。嗤っちまふだらう? 口惜しいが、それが摂理といふ《もの》で、私が今、不治の病に呻くのもまた、愚劣極まりない此の世の摂理だ! 口惜しいがそれは認めるしかない。
…………
…………
――えっ? 夢が思惟を越えられないですって? それは逆ぢゃないかしら。夢こそが思惟を飛び越えられる唯一無二の《もの》であって、《存在》に「先験的」に賦与された如くに此の世に《存在》する《もの》は己の《存在》を自問自答する宿命にあり、また、此の寂滅する外ない此の世の森羅万象が、唯一、此の自然、若しくは神の摂理に反旗を翻せる《もの》こそ夢な筈だわ。
――言ふね!
と、雪の言葉に対してヴァン・ゴッホ気狂ひの甲君が、うれしくて堪らないといった満面に微笑みを浮かべて茶茶を入れたのであった。雪はそれに対して軽く笑みで返しながら、
――ねえ、あなたは何故に夢が無力と看做すの?
――多分、此奴は、夢もまた入れ子状のFractal(フラクタル)な構造をした此の世の摂理に忠実な何かとしか看做せなくなったのだと思ふよ。
と、君が言ったのであった。
――それは、あなたもさう信じてゐるのですか?
と、雪が君に尋ねたので、君は、
――いや、何ね。私は無責任かもしれないけれども、私には、何にも解からないのさ。
――いいえ、それこそ夢に対する自然な考へだと思ふわ。ねえ、あなたは、何をもって夢が、《存在》が《存在》を問ふ時の此の思惟を越えられない無力な《もの》と看做すやうになったのかしら?
さっきまで、自身に一生消せない悪夢に涙を流してゐた雪の顔には再び誰もが魅入られるに違ひない微笑みを浮かべながら、私に尋ねたのであった。
――いや。つまり、私は、つまり、夢を、つまり、《存在》する《もの》が、つまり、己の《存在》を問ふ時に、つまり、全く無力だなんて、つまり、言った覚えは、つまり、ない。つまり、唯、つまり、現在では、つまり、夢は、つまり、余りにも、つまり、背負ひ切れぬ《もの》を、つまり、背負はされ、また、余りに、つまり、夢は濫用されてゐて、つまり、夢が、つまり、本来持ってゐる、原初的でぶっきら棒な突破力を、つまり、喪失しちまってゐる。
――さうかしら。確かに現在、夢の濫用は目に余る《もの》があるわ。しかし、《存在》を問ふ時、夢を無視するのは、《存在》を半端な《もの》へと堕落させる陥穽に、《存在》を何か堕落した《もの》へと落とす虚無主義的な何かでしかないわ。
その雪の言葉を聞きながら、私は其処でゆっくりと瞼を閉ぢ、その瞼裡が現出する薄っぺらな闇を、そして、その視界の周縁を、つまり、その薄っぺらな闇の周縁を今もってぐるりと巡ってゐる、勾玉の形をした光雲をぢっと暫く凝視してから、徐に瞼を開けて、Noteにかう書いたのであった。
――つまり、例へば、つまり、《死》した《もの》が、つまり、何処へかと、つまり、呻きにならぬ呻き声を、つまり、『うぅぅぅぅあぁぁぁぁああああ~~』と、つまり、絶えず、つまり、自身の《存在》を、つまり、ぢっと我慢せざるを得ぬ、つまり、《もの》でしかない、つまり、としたならば、つまり、君は、つまり、雪は、つまり、その《死》といふ《もの》を、つまり、何の文句も言はずに、つまり、受容出来るかい?
――それは、私が《死》をどう思ってゐるのか訊いてゐるのね。でも、御免なさい。それは、今の私には手に負へない問ひなの。唯、ヰリアム・ブレイクやドストエフスキイなど、数多の先人達の作品が現在でも立派に通用する事に、『人間、此の変容せざり、而して変容する矛盾なる《存在》』などと思っては、精神のRelayのやうな《もの》が現実に《存在》するに違ひない思って何とか生きてゐるのよ。
――精神のRelayか……。
と、文学青年の丁君が、自ら発した内部の憤怒を圧し潰すやうに、何とも感慨深げに呻いたのであった。
――あなたは、その精神のRelayを信じてゐるのですか?
と、ヴァン・ゴッホ気狂ひの甲君が雪に問ふと見せかけながら、猊下たる丙君、文学青年の丁君、そして、君と「黙狂者」の私の内、誰かの意見を引き出したい甲君の欲求は見え見えなのであった。それは、甲君の視線が、雪ではなく、吾吾の方を見廻しながら、にたにたと言った事でも明らかなのであった。
――駄目だぜ。君が私らの内、誰かしらの意見を待ってゐたって誰も語りはしないさ。
と、君が言ったのであった。すると、甲君が、
――やはり、ばればれか。どうも私は深奥で考えてゐることが、表情や語り口に出てしまふ正直者だな。しかし、それはそれとして、君は、精神のRelayなんて本当に可能だと思ふのかい?
と、ヴァン・ゴッホ気狂ひの甲君が君に尋ねたのであった。しかし、君の発言の機先を制するやうに話し始めたのは、雪なのであった。
――一寸、待って下さい。その精神のRelayについては、此の人と此処に来る前に古本屋に寄って、其処で議論、議論ぢゃをかしいわね、議論じゃなく筆談で、お互ひの考える処を問ふて来た処なの。
――それで、「黙狂者」は何と?
――例へば皆さんが今まで読解して議論してゐた筈のこのヰリアム・ブレイクの作品の数数が、ブレイクが既に百年以上も前に亡くなってゐるにも拘はらず、現在に生きる私達は、ブレイクの作品に触れられて、それを自身の思惟の淵源となるべく、何かを考へる契機として在り得る筈で、そして、ブレイクの作品に触れることでブレイクの精神に触れた感じを抱くのは、実際の所、事実だわ。
――つまり、雪さんと「黙狂者」は、少なくとも精神はRelayされる《もの》との結論に至ったといふ事だね?
と、猊下たる丙君が、これまた、在らぬ方を見やりながら言ったのであった。
――でも、精神のRelayは、作品が現代で見出されなければ、精神はRelayされるべくもないぜ。極論をすれば、現在売れてゐる作家の作品の殆どが百年後には人類から忘れ去られる憂き目にあって、精神がRelayされるなんて事は在り得ない筈だ。とはいへ、現在売れてゐる作家の作品ばかりではなく、ヴァン・ゴッホが好例だが、実作者が生きてゐる内には全く見向きもされずに人知れず歴史から隠されてゐた作品が、作者の死後百年以上も経った現在べらぼうな値段で取引されてゐる此の《生》の矛盾は、時代がどんなに変はらうが、常に在り得る筈で、本音を言へば、俺が描いた絵でさへもまた私の死後、百年後に評価される、ちぇっ、此のブレイクの作品のやうに作者の死後にその価値が一変し、評価が鰻上りになる事もまた、在り得べき筈だ。つまり、作品が残って初めて精神がRelayされる。しかし、ソクラテスや釈迦牟尼仏陀のやうに彼等が発した言葉が弟子によって伝承される場合もあるがね、しかし、精神が仮にRelay可能な《もの》ならば、それはとんでもなく確率が低い筈だ。
と、ヴァン・ゴッホ気狂ひの甲君が自身を問ひ詰めるやうに言葉を吐き捨てると、私はNoteにかう書いたのであった。
――つまり、此の世は、つまり、《生者》より、つまり、常に、つまり、《死者》の数の方が、つまり、圧倒的多数であって、つまり、それらの、つまり、《死者》の、つまり、殆どは歴史の闇の中に、つまり、消え去ったまま、つまり、此の世で、つまり、現在に、つまり、生きる、つまり、《生者》に、つまり、発見されぬまま、つまり、歴史の闇に未来永劫消え去ったまま、つまり、見出されることはなく、つまり、そして、此の世といふ現在に作品として、つまり、残された《もの》が、つまり、現在においても尚、つまり、評価される事は、つまり、歴史上に、つまり、嘗て、つまり、《存在》した《もの》のほんのほんのほんの一握りの、つまり、圧倒的少数の作品群でしかない。つまり、歴史とは、つまり、《死者》の、つまり、精神の、つまり、生存競争でしかなく、つまり、それは、つまり、そのまま、つまり、《生者》にも、つまり、ぴったりと当て嵌まる《もの》で、つまり、而も、つまり、《生者》の《存在》の、つまり、有様を見れば、つまり、《生者》は、つまり、即座に、つまり、《死者》へと瞬時に変容可能な、つまり、《生》のどん詰まりで、つまり、《生者》は、つまり、生き延びねばならない。つまり、此の世の不合理極まりない、つまり、それを、つまり、摂理と称して、つまり、何の文句も言はずに、つまり、《生者》は、つまり、受容してゐるが、つまり、此の不合理は、つまり、私には、つまり、全くもって、つまり、否として、つまり、摂理に対して、叛旗の、つまり、狼煙を、つまり、《杳体》といふ、つまり、《もの》を旗幟に、つまり、此の世の、つまり、不合理極まりない、つまり、摂理に、つまり、反旗を翻さなければ、つまり、《存在》が、つまり、此の世に、つまり、《存在》した証左には、つまり、値しない、つまり、と思ってゐるのだ。
――それは前に伺った気がするのですが、あなたが、何故、《存在》を生む此の宇宙へ反旗を翻して、此の世に「あっ」と言はせる事に全身全霊を傾注してゐるのかも、はっきり申しまして、私には今も尚、よく解からないの。私は女性だから、明言しますが、子を産む事は全的に肯定されべき《もの》の筈だわ。
と、雪は、再び目尻に涙を浮かべて、そこからぽろりと涙を落としながら、私に訴へかけるのでした。
――へっ、女性を泣かせたな、この「黙狂者」君。
と、ヴァン・ゴッホ気狂ひの甲君が嫌味を言ったのであったが、それは甲君の性癖なのであった。ときどき茶茶を入れる甲君は、実は、深刻な存在論的な壁にぶち当たってゐて、それを悟られまいと、反射的に甲君は誰に対しても半畳を入れなければ、自分の倦み疲れた内実の《吾》が何時顔を出すのかびくびくしながら、いつも一見するすると明朗な振る舞ひが彼の持ち味であるかのやうに振る舞ふのであった。しかし、それは、甲君が人一倍《他者》の悲哀に敏感であったことの証左でもあったのだ。
――御免なさい。また泣いてしまって。でも、あなたは、己の《存在》を最期は全肯定する可能性は全く零だと看做してゐるのかしら?
――多分、「黙狂者」にも、それは、解からぬ筈だ。唯、「黙狂者」は、日日、命を削って何とか生きてゐるのは間違ひない。
と、文学青年で、色白の丁君が、相変はらずさう言った自分が許せぬ何かのやうに、苦虫を潰したやうに顔を奇妙に歪めながら、歯切れ悪くもさう言ひ切ったのでした。
――へっ、今日もまた、議論の中心は此の口の利けない「黙狂者」か――。
ヴァン・ゴッホ気狂ひの甲君が皮肉を込めて言ったのであった。
――しかし、「黙狂者」が掲げた《杳体》がどう深化を遂げるのかは、興味のある事だぜ。
と、猊下たる丙君が、天井を見上げながら言ったのであった。
――ねえ、率直に訊くわね。あなたは自分の子が欲しくないの?
といまもぽろぽろと涙を流しながら、多分、雪の内面では男に凌辱された悪夢に腸(はらわた)が煮えくりながらも、雪は私に或る希望のやうな《もの》が見出せるかもしれないといふ、藁をも縋る思ひで私の後に付いて来て、此の喫茶店迄やって来たのは、私にも痛いほど解かるのであったが、これは、しかし、時間が解決するのをぢっと待つしかない問題でもあると、私は心の何処かで達観してゐたのは間違ひない事であった。多分に、その私の振舞ひが、雪を苛苛させてゐたのもまた確かな事であった。
――つまり、それは、私にとっては、つまり、どちらでも、つまり、構はぬ事なのさ。
――それでは、あなたは、唯、此の世に反旗を翻すのみの自己満足だけに生きるといふ事なの?
――さう。自己満足だ。つまり、私は、つまり、現在、つまり、自己満足が何としても希求されるべき《もの》だ。つまり、現時点では、つまり、私には、つまり、さうとしか言へないのだ。
――あなたは、直言しますが、未来の《存在》を信じてゐるのですか? それと、あなたは《存在革命》などといふ夢想に耽溺して己の遣り切れない魂の捌け口にしてゐませんか?
――……否。つまり、自発的に、つまり、《存在》の変容が切迫してゐなければ、つまり、《存在革命》なんてありもしない、つまり、虚妄、つまり、でしかない。つまり、自然や、つまり、環境や、つまり、世界、つまり、と呼ばれている、つまり、外界が、つまり、《存在》を、つまり、世界の変動に、つまり、順応するべく《存在》する、つまり、《存在》は、つまり、たったそれだけの、つまり、理由で、つまり、絶えず、つまり、変容する事を、つまり、強要されてゐる。
――だが、真似ぶ事で、《存在》する《もの》は、精神をRelayしてやしないかい?
と猊下たる丙君が、まだ天上を見詰めながら言ったのであった。
――ねえ、そもそも《存在》が変容する事は、悪なのかしら?
――つまり、現時点では、つまり、変容は、つまり、或る《存在》の、つまり、有様の変貌を、つまり、意味してゐて、つまり、また、つまり、現在、つまり、《存在》してゐる《もの》から、つまり、突然変異でも、つまり、何でもいいから、つまり、《新=存在》の、つまり、出現が、つまり、待望されている。
――でも、それは、メシアの待望と何が違うのかしら? 此の世の摂理として、此の世に《存在》してしまった《もの》は、その摂理を甘受すべきなのが道理ではないのかしら?
――否。つまり、甘受すべき、つまり、摂理といふ《もの》は、つまり、即座に、摂理に抗ふ事、つまり、主体は、つまり、摂理を唾棄する《もの》と、つまり、痩せ我慢してでも、つまり、その摂理とやらに、つまり、抗ふ事で、つまり、正覚出来てしまふかもしれぬし、つまり、或るひは、自然との同化によって、つまり、柳に風の如く、つまり、自然と調和すると、自在なる自我の境地が、つまり、得られるかもしれぬ。つまり、どちらにせよ、つまり、《存在》の変容は、つまり、自発的に起る事は、つまり、不可能なのさ。つまり、不可能故に、つまり、主体は、敢へて此の世の摂理に抗ひ、つまり、それでも、つまり、《存在》は自発的なる《存在の変革》を為すべく、つまり、日日奮闘してゐる。つまり、それが、つまり、大きな意味で、つまり、己の為なのさ。つまり、何故って、《存在》は、つまり、此の世の摂理を含めて、《存在》そのものが、つまり大いに反吐が出る程不快だからさ。
――それでこそ、《杳体御仁》が《杳体御仁》たる所以だな、「黙狂者」君!
と、此処で再び甲君が茶茶を入れたのであった。
――それよ。あなたの《杳体御仁》といふ綽名は、あなたが私には未だに理解不能なあなたが思惟する《存在》といふ大海にぽつねんとあなたがしがみ付く、うふっ、あなたにはそれしか出来ないよね、その《存在》といふ大海であなたがしがみ付く浮き袋の如く、貴方の思惟の中心に居座ってしまったのが《杳体》ね。それでやっと、あなたは此の世を生き延びてゐるのだわ。
――それは雪さんの言ふ通りだな。この《杳体御仁》たる「黙狂者」は、最早、《存在》といふ未だ深い霧に包まれたままの大海でこの《杳体》といふ浮き袋無しには、一時も生きてられやしない。
と、君が私を見詰めながらさう言ったのであった。すると、雪が君に、
――では、あなたに伺ひますが、彼が黙すると同時に《杳体》といふ訳の解からぬ観念が彼の内部に生じたのではありませんの?
――ああ。多分、雪さんの言ふ通りだ。或る日、彼は、忽然と《杳体》といふ名ばかりの観念が棲み付いた刹那、かれは去来現無くしては語る行為は不可能な、言語に内在する去来現の時の移ろひを喪失した代はりに《杳体》といふ観念を、哀しい哉、手にしてしまった。
と君が言ったのであった。
――ねえ、あなた、それは何故なの?
と、雪が私に訊いたので、私は、かうNoteに書き記したのであった。
――つまり、あの日は、つまり、不思議な、つまり、夢を見た日だったが、つまり、それが事の始まりだったのだらうが、つまり、その、つまり、その夢といふのが、つまり、黄金色に輝く、つまり、黄金の世界、つまり、それは眩い、つまり、黄金色の世界が、つまり、夢が占拠されてしまってゐて、つまり、そして、つまり、その黄金色の眩い世界には、つまり、一体の仏像、多分、それは、盧舎那仏だった気がするが、つまり、その一体の、つまり、仏像が、つまり、何かを語ってゐるのではあるが、つまり、私には、つまり、その仏像が、つまり、語ってゐる言葉が、つまり、全く理解出来ず、つまり、それでも、つまり、その仏像は、つまり、蜿蜒と、何かを、つまり、私に、つまり、語りかける、つまり、そんな奇妙な夢を、つまり、見たのさ。しかし、つまり、その仏像は、つまり、今、つまり、考へると、つまり、私が見知らぬ、つまり、全くの赤の他人の、つまり、死を、つまり、丁度その時刻に、つまり、その死者が、つまり、一体の仏像として、つまり、私の夢に、または、つまり、私がその死者の夢へ、つまり、赴いたのかは、つまり、解からぬが、つまり、その黄金色の仏像を、つまり、一瞥した刹那に、つまり、不思議な事に、つまり、事の全てを、つまり、了解してゐて、つまり、私は、つまり、その時以来、つまり、絶えず、つまり、私を通って、つまり、死者が、つまり、多分、つまり、憑依し、つまり、私に、つまり、その黄金が眩い、つまり、黄金の世界で、つまり、私には、つまり、訳が解からぬ、つまり、何かを、つまり、話してゐて、つまり、多分、つまり、私がその黄金の仏像が、つまり、何を、つまり、話してゐるのか、つまり、理解出来れば、つまり、私は、多分、発話能力を再び、つまり、獲得出来て、つまり、その時こそ、つまり、私は、つまり、《杳体》が、つまり、何なのかを、つまり、理解する筈だ。つまり、それまでは、つまり、私は、つまり、絶えず、つまり、赤の他人の、つまり、死者に、つまり、憑依され、つまり、続けるしかないのさ。
――それは私にもあなたに会って直ぐに気が付いたことだわ。『この人には見も知らぬ他人の死者が見えてしまふ』とね。今にして思ふととても不思議なのだけれども、何だかあなたとは心の会話が可能なのよね。不思議。
――つまり、私は、つまり、訳の解からぬ、つまり、事を、つまり、死者が、つまり、私の内界に、つまり、拡がる、つまり、闇を、つまり、通って、つまり、何処とも知れぬ、つまり、彼の世があるのであれば、つまり、彼の世へ、つまり、往く間、つまり、その一体の黄金の仏像は、つまり、絶えず、つまり、私が理解不能な、つまり、言語でもって、つまり、ずっと語り掛け続け、つまり、さうして、つまり、私の内部に、つまり、その一体の黄金の仏像が、つまり、棲み付いてしまったのだ。つまり、それ故に、多分、つまり、私は発話能力を、つまり、喪失してしまったのさ。
――それは神秘体験ね。よくイタコの人に口寄せが起こるのに類似した神秘体験だわ、きっと。
と、雪が言ふと、数学専攻でヰリアム・ブレイク好きの乙君が、
――雪さんは、幽霊を、若しくは精霊を信ずるかい?
と、訊いたのであった。すると、雪は、
――ええ、信ずるわ。でも、私は幽霊よりも今は無を信ずるわ。
と、言ったのであった。
――無ね……。
と、猊下たる丙君と、数学専攻の乙君が同じように呟くのであった。そして、雪は更に続けたのであった。
――しかし、あなたは、そのあなた自身理解不能な事に直面して「黙狂」に陥ったにも拘はらずに、そんな事はお構ひなしで、あなたに愛情を持って接してくださる此の方方を大切にしなくちゃね。それは、あなたにとって最大の慈悲に違ひないわ。
――つまり、慈悲? つまり、それは、つまり、私の内部に、つまり、棲み付いた、つまり、一体の仏像の、つまり、慈悲だね?
――ええ、さうよ。
と、雪の言葉を聞きながら、私はゆっくりと瞼を閉ぢると、相変はらず誰とも知らぬ私とは全く赤の他人の見知らぬ誰かが、私の瞼裡の薄っぺらな闇に浮かびあがって、
――うぅぅぅぅあぁぁぁぁああああ~~。
と、呻き声にならぬ呻きを発しながら、何処へかに向かって浮遊してゐるのであった。
と、その刹那、再び光雲が二つ分かれながら、私の瞼裡の薄っぺらな闇の視界の周縁を一方は時計回りで、もう一方は、反時計回りでカルマン渦よろしく巡るのであった。
私は、それを確認すると再びゆっくりと瞼を開けて、雪の顔を何となく見詰めたのであった。すると、雪が、
――また、あなたを死者が通り過ぎたのね。貴方の目にはまた、渦が見えるわよ。
――雪さんには《杳体御仁》が見えてしまふ、その死者の気配が解かるといふのかね?
と、猊下たる丙君が、雪に尋ねのであった
――ええ。不思議なのですが、あなた、あなたはさっき、此の人と一緒にゐたから解かると思ひますけれども? どうかしら?
と、雪は君を見ながら続けたのであった。
――此の人、私の頭に手を置いた刹那、卒倒した時、私は此の人が名状し難い私の過去の出来事、これはまだ、私は他人に語れる程には心身が落ち着いてないのですが、しかし、此の人は私の過去のその出来事を一瞬で見通したらしく、そして、此の人に或る死者が憑依した事が、これを第六感っていふのかしら、とにかく、私にはそれが疑ふべからざる全うな真実として受け取るしかなかったのです。不思議ね。私に、第六感みたいな能力があるなんて、此の人と会ふまで全く解からなかったのよ、《杳体御仁》さん。
と、雪は君を見てゐた顔を私に振り向けながら、それは窈窕なる美しい笑顔で私に語りかけるのであった。
――これは初耳だな、丙君。
と、ヴァン・ゴッホ気狂ひの甲君が飄飄とした趣で言葉を発したのであった。そして、甲君は更に続けて、
――この《杳体御仁》は、金色の仏像の夢については、これまでも言及した事はあったが、彼の身に死者が絶えず憑依してゐた事は全くおくびにも出さず、唯、何かに堪へてゐる様をそれとなく表はすだけで、彼の内界に激変が絶えず起こってゐた事には全く気が付かなかったぜ。この、水臭いぜ、《杳体御仁》の「黙狂者」君!
――さういふあなたは、幽霊を信じますか?
と、雪が、甲君に尋ねたのであった。すると、甲君は、
――霊性なる《もの》は信ずるけれども、幽霊となると話は別なやうな気がして何とも言へないな。
――それはまた何故に幽霊に関しては何とも言へないのでせうか?
――何ね、《生者》よりも圧倒的に《死者》の数は多い此の現実において、幽霊が《存在》するとなると、《生者》は肩身の狭い《存在》でしかなくなってしまふ、つまり、あらゆる場面で《死者》が優位といふ世界に《生者》は堪へられるのかな、と、思ふのさ。
と、甲君が尚も飄飄と言ったのであった。
――でも、《生者》は「先験的」に《死者》の《存在》を受容してゐるのではないかしら?
――さうだね……、確かに吾吾が此の世に《存在》するのは、数多の《死者》が《存在》したが為だが、だから、それ故に尚更《生者》は《死者》に対して《生》故に存在論的に優位でありたいのであって、また、《生》と《死》は断絶した《もの》として、つまり、《生》と《死》はそんなに簡単に飛び越えられぬ巨大な壁で仕切られた《もの》であってほしいのが《生者》の願望だらうけれども、そんな《もの》は、例へば大災害を前にすれば一気に吹き飛んでしまふ《生者》の憐れな、そして、ちっちゃな願望でしかなく、《生》と《死》を分けること自体が無意味な事だと、十分に納得はしているけれども、更に言ふと、《生者》は心の何処かでやっぱり《死者》よりも《生》として現存してゐるだけで《生者》が「先験的」に優位な《存在》だと、敢へて誤謬したまま日常を生きてゐるのは否定できないんぢゃないかな。
と、ヴァン・ゴッホ気狂ひの甲君が、更に飄飄と言ったのであった。すると、雪が、
――さうしますと、《生者》は生まれながらに存在論的には《死者》に対しては傲慢といふ事ですわね。何故って、此の世の大部分は《死者》によって創られた産物だらけで成り立ってゐて、それは《生者》にはどう仕様もない事なのだから。つまり、《死者》達の歴史無くしては、《生者》は一時も生きられぬといふ事だと思ひますが、違ふでせうか?
――歴史ね。例へば図書館が好例だと思ふが、其処に所蔵されてゐる本の殆どが既に鬼籍に入った《死者》達が遺した作品に違ひないが、此処で極論を言ふと、譬へ図書館といふ先達が遺して呉れた遺産が近隣にあらうとも、《生者》にとって図書館は生きるのに必要欠くべからざる《もの》かと問はれれば、『いいえ』と答へる筈で、《生者》にとって最も大事な事はその日をどう暮らして行けばいいのかといふ事のみが何よりも優先され、大概は、その日の糧が得られればそれで満足の筈なのもまた、真なり、だ。しかし、その日の糧を得る仕方は先達達の仕方を踏襲してはいるがね。
と、尚もヴァン・ゴッホ気狂ひの甲君が飄飄と言ったのであった。すると、雪は、幽かに微笑んで、
――しかし、「人は麺麭のみに生くるに非ず」といふ基督の言葉が今も生きてゐるやうに、《生者》はその時の食べる麺麭は、成程、大事な事かもしれませんが、《生者》の《生》はそれだけに、つまりは、衣食住が満ち足りる事のみでは《生者》は生きられないといふ考へ方はをかしいかしら?
――ちっともをかしくなんかないです。寧ろ、雪さんの言ふ事の方が正解に近い筈なのですが、しかし、現代ではかう言へます。つまり「人は麺麭のみに生くるに非ず。唯、楽を徹底して欣求する《存在》になりし」といふのが、現実の実相だと思ひます。
と、尚も甲君は飄飄と言ったのであったが、雪はその言葉にちっとも納得がゆかなかったらしく、更に甲君に尋ねたのであった。
――甲さんは、それでは、楽を追求してゐるのですか?
と、雪が尋ねると、甲君は奇妙に自己卑下した嗤ひを口辺に浮かべて、
――いいや、ちっとも。
と、言ったのであった。その時、
――「人は麺麭のみに生くるに非ず」か……。
と、猊下たる丙君がぽつりと呟いたのであった。
――楽は、つまり、煎じ詰めれば時間の事だらう?
と、数学専攻の乙君が言ひ、更に文学青年の丁君が、
――だが、殆どの人間は、その日の暮らしに汲汲としてゐる、つまり、「人は麺麭のみに生くる」といふ事の方が真実として看做すべきぢゃないかと思ふのだが、……しかし――。
と、尻切れ蜻蛉にはたりと言葉を呑み込んでしまった丁君は、君を見て、君の言葉を待ち構へてゐるのであった。其処で、君は、
――丁君、《生者》が《生》の側に《存在》する以上、人は麺麭を求めつつも、己の出自、若しくは《存在》に関するあらゆる事に興味を、そして、苦悩を抱き、そして明日こそは、何かが少しでも解かるかもしれぬといふ淡い希望を胸に、此の世に《存在》する森羅万象は、何とか《存在》してゐるのぢゃないかね?
と、君が丁君にさう言ったのであった。
――うふっ。人間って《もの》は、基督が生きてゐた二千余年前とちっとも変わってゐないのは確かね?
と、雪が微笑みながら言ふと、雪は更に続けて、
――そして、基督の亡霊は確かに此の世に《存在》してゐて、その基督の亡霊、しかも、その基督の亡霊は、今も尚、磔刑に処されたままの無惨な姿で衆目に曝され続けて、いえ、違ふわね、現代を生きる《生者》が基督が磔刑になった無惨な御姿の亡霊を欲してゐて、基督はその《生者》の願望、若しくは欲求、それをLibido(リビドー)と言っても構はないわね、その《生》と《死》の衝動から基督は遁れる術がない。私はね、基督が哀れで仕方ないの。
と、雪が私を見詰めながら言ひ切ったのであった。すると、猊下たる丙君が、
――今尚、《生者》が基督を、磔刑に処された無惨な御姿の基督の亡霊の《存在》を全く疑ってゐない事だけでも、「人は麺麭のみに生くるに非ず」といふ箴言は、現代人の琴線に尚も触れる箴言として、その言葉は生きてゐる《もの》だとすると、雪さんが言ふ通り、歴史が、而も、生きた歴史、つまり、絶えず歴史の価値が浮動する状態でなければ、《生者》は一時も生きられぬといふのも一理ありかもしれないね。
と、言ったのでした。
――さうね。歴史に限らず何もかもが決定不可能な様相へと相転移してしまったかのやうな、《存在》に対する何とも名状し難い諦念の中に抛り込まれしまったといふ無力感、これが、何だか《存在》全てを蔽ってしまったやうに私には思へるの。
と、さう雪が言ふと、文学青年の蒼白い顔をした痩せぎすの丁君が、
――それは、詩人の故・石原吉郎がシベリア抑留で抱かざるを得なかった断念に通じる《もの》だね、多分。しかし――。
と、再び、不意に話す事を止めてしまった丁君は、在らぬ方へと目をやりながら何かを考へ込み始めたのであった。
――それで、《杳体御仁》たる「黙狂者」君は、どう考へるかね、この現在、《存在》全体を蔽ってしまってゐる不愉快極まりない無力感を。
と、猊下たる丙君が私に尋ねたのであったが、その私はといへば、その時も尚、私の視界の周縁をカルマン渦のやうにぐるりと回る光雲と、影絵の如く誰とも知らぬ赤の他人が視界にうっすらと浮かび上がるその様に心を奪はれてゐて、唯、ぢっと前方を凝視してゐる事しか出来ない状態にあったのであった。すると、雪が、
――あなたは、今、あなたに憑依した誰かの霊と黙=話中なのよね、うふっ。
――黙=話?
と、猊下たる丙君がその眼光鋭く眼窩の奥でぎらりと光ってゐる視線を雪に送ると、
――さう。声ならぬ内界の声で会話をしてゐるから黙=話中なの、うふっ、変かしら?
――いや、雪さんて面白い人なんだなあと感心してしまったのです。この《杳体御仁》たる「黙狂者」君が、《存在》にその斥力に逆らひながらも何とか漸近するべく《杳体》なる《もの》を持ち出して《存在》、否、此の宇宙の摂理に反旗を翻し攻め込む事を企てたかと思ふと、雪さんもまた新たな造語を創るのがどうやら好きらしいやうなので、この《杳体御仁》と雪さんの組み合はせは、余程気が合ふんだらうなと、感嘆してゐるのです。
と、ヴァン・ゴッホ気狂ひの甲君がにやにやしながら言ったのであった。
――しかし、「人は麺麭のみに生くるに非ず」といふ箴言は、現在も尚、その輝きを失ってゐないのは間違ひない。
と、猊下たる丙君が重重しく言ひ放ったのであった。
――ふむ。今尚、難問だな、丙君!
と、甲君が冗談を飛ばすやうに半分ふざけて言ったのであった。更に甲君は続けて、
――つまり、これは愚問に違ひないのだがね、それは、或る《存在》が《生》であり続けるといふ事は、即ち、《他》の《死》が、現代ではその殺生の過程は極力隠蔽されてゐるが、やはり、《他》の《死》故に《吾》といふ《存在》は《生》を存続させてゐるといふ事に対して、人は、つまり、「現存在」は、その《死》に徹底的に弾劾されるこの《生》のからくりを無言で許容せずば、一時も生きちゃ行けない定めにあるといふ事実は、何がどう転ばうが、基督が此の世に確かに生きて《存在》した時代と何にも変はっちゃゐない事のみは、どう仕様もなく真実だといふ事だね。
と、甲君が、一見颯爽とした風貌に見えながら誰にも気づかぬ哀しい笑みを幽かにその口辺に浮かべながら、しかし、それは甲君にしか出来ない芸当なのであったが、その哀しみを蔽ひ隠してしまふ程に、甲君ならではの語り口で飄飄と言ったのであった。すると、雪が、
――しかし、《生》が生きるのに《他》の《死》を前提としてゐるのは、《生者》には何か疾しい事では決してない筈だわ。むしろ、殺生した《もの》は「人は麺麭のみに生くるに非ず」を実現するべく、「現存在」は、祈念=食しなければ、つまり、食べる事が、即ち、例へば《神》が《存在》するならば、その《神》に謝意を表明しつつ、それが祈念といふ形となって「現存在」は食事の度毎に祈りつつ、《生》を存続させるために《他》の《死》を食べる矛盾を祈念する事で止揚してゐるのぢゃないかしら?
――祈念=食?
と、猊下たる丙君がまたもや雪に尋ねたのであった。
――さう。祈念=食。《生者》が《他》の死肉を喰らふ事でしか《生》が存続出来ない以上、《生者》は食事時に限らず、絶えず殺生した《他》へ感謝するの。
――しかし、それは現に「頂きます」といふ言葉や、基督者の神への感謝の祈りなど、既に多くの《生者》によって実践されてゐます。
と、猊下たる丙君が、それでなくとも鋭い眼光を更に鋭く輝かせて言ったのであった。
――ええ。さうね。でも、かう言へば良いのかしら。自然における弱肉強食の、慈悲すらないやうに見える強者が弱者を喰らふ世界は、実は慈悲に満ちてゐて、強者は必要最低限の獲物しか捕らへず、また、餌を捕獲出来る確率も低いのが常で、弱肉強食の世界は実は持ちつ持たれつの世界であって、その世界の摂理に則って「現存在」の人間もまた、自身が《他》の餌になる事をも想像するの。而も、「現存在」の人間は、既に人肉を喰らってゐる行為と同じ事をしてゐることに思ひを馳せるべきぢゃないかしら。
――と言ひますと。人肉を食べる事と同じ事とは何ですか?
――臓器移植です。
――成程。つまり、人間は、人肉を喰らふといふ人の風上にも置けぬ愚行はしてゐない、といふのは或る種の先入見でしかなく、実の処、「現存在」の人間は、《死者》若しくは《生者》の腹を切り裂き、其処から臓器を取り出して、《吾》にその臓器を移植するといふ人肉食ひに等しき行ひを既に行ってゐるに等しいといふ考へ方は、本音を言へば、これは目から鱗が落ちる思ひですね。
と、丙君が言ったのであった。すると蒼白い顔がぱっと輝き出したやうに文学青年の丁君が尋ねたのであった。
――しかし、現在は医学と生物学が非常に進歩してゐて、再生医療へと邁進してゐるが……しかし――。
と、再び、ぶつりと言葉を噤んで話すのを止めてしまったのであった。
――それではお聞きしますわ。仮令、再生医療が極限まで進歩を遂げて、「私」の万能細胞から「私a」が再生出来たとすると、その新たに再生された「私a」は一体何でせうか?
――ふむ。それは難問ですね?
と、ヴァン・ゴッホ気狂ひの甲君が、誰も甲君の奇妙に顔を歪めて自身を嗤ひのめすやうな様に気が付かなかったが、その甲君がさう言ったのであった。
――《吾》が《存在》し、そして再生医療の極度の進歩で、その《吾》から《吾a》が再生され、更に《吾b》と、蜿蜒と再生され続け、遂には《吾∞》が《存在》可能な、譬へて言へば、それはウロボロスの蛇のやうに自身の口で自身の尾を喰らふかの如き《吾》の無限の円環が数珠繋ぎとして現出する時、つまり、《吾》が∞体《存在》するならば、例へば大元の《吾》の体躯の何処かが機能不全に陥った場合、《吾》は《吾a》から臓器を摘出し移植を受け、《吾a》は《吾b》からまたまた臓器を摘出し移植を受け、といふ事を無限に繰り返す以外、仮に《吾x》で《吾》の再生が止まってゐるとすれば、割を食ふのはその《吾x》で、《吾x》は、それ以外の《吾》の犠牲になるのを必然として此の世に産み出されたことになり、しかし、此処に大いなる疑問が《存在》するのだが、《吾》と、《吾a》、《吾b》……、《吾x》……、《吾∞》の何処が違ふといふのかね?
と、ブレイク好きの数学専攻の乙君が面白い問ひを投げかけたのであった。
――つまり、有限である事は何処かが必ず割を食ふといふ事か――成程。それが此の世の有様だな。しかし、其処に無限といふ概念が持ち込まれると、玉突き衝突の如く蜿蜒と同じ事が繰り返されるだけの、ちぇっ、約めて言へば、永劫に《吾》が再生する時代が到来するかもしれぬ事すら予想される此の世の様相は、しかし、《吾》の万能細胞から《吾a》が再生された場合、その《吾a》は《吾》かね?
と、数学専攻の乙君が続けたのであった。
――それはClone(クローン)とは勿論、違ふ何かさ。Cloneは、詰まる所、Cloneを超えることは出来ず、Cloneは寿命が短い《他》であり、《吾》には決してならないといふ論理に照らせば、万能細胞から再生される《吾》もまた《吾》ではなく《他》に違ひない。しかし、万能細胞から再生された《もの》は《吾》へ移植、つまり、《吾》が《吾a》を喰らふも同然で、さうする事で《吾》は生き延びるが、《吾a》は息絶える、そんな時代の到来が直ぐ其処までやって来てゐるのであれば、《吾》とは一体何なのかといふ、これまでは永劫の命題として保留しておけばよかった《もの》、つまり、パンドラの匣を既に「現存在」の人間は開けてしまってゐて、何とかして《吾》なる《もの》を規定する、若しくは定義する宿命を現代人は背負ひ込んじまったのさ。すると「人は麺麭のみに生くるに非ず」といふ基督の言葉の本質を深い深い深い懊悩の中で「現存在」は唯、ぢっと噛み締める外ないといふ事だ。
と、君が重重しく言ったのであった。
――さて、其処で一つ問ひを出すと、果たして、《吾》は再生医療の進歩の極致で《意識》を再生出来ると思ふかい?
と、丙君が、重重しく言ったのであった。すると、君が、
――多分、「現存在」たる人間の最終目標は《吾》の《意識》の再生にあるだらうが、脳に関して言へば、Neuron(ニューロン)を部分的に再生させる事はするかもしれぬが、脳を丸ごと再生された脳と取り換へる事は、「現存在」たる人間は出来ないと思ひたいが、しかし、欲深く業突く張りの「現存在」たる人間は何を仕出かすか解からぬのもまた、真実だらう。
と、君が言ふと、文学青年の丁君がぼそりぼそりと言ったのであった。
――例へば、「現存在」が永劫の《生》を手にした時、その時、「現存在」は首のみで生き延びるのであらうか? 多分、しかし――。
と、再び、丁君は次の言葉を呑み込んでしまったのであった。その時、ヴァン・ゴッホ気狂ひの甲君が誰にも知れずに自虐的な嗤ひを口辺に浮かべ、きっと丁君を見た事は、私を除いて誰も気付かなかったに違ひない。すると、雪が、
――それは或る種の夢物語でしかないわ。脳を形成するNeuronなどの脳細胞の幽かな幽かな幽かな発火現象で、私達「現存在」の行為や思惟活動が行はれてゐる事は、否定はしませんが、頭蓋内の闇にぱっと明滅する現象を言語に解読出来たとして、その事で、《吾》は《意識》さへすれば、外界の《生者》の体躯の代はりに拡大延長した巨大なNetwork(ネットワーク)に繋がる機械が、《意識》に正確無比に反応したからと言って、うふっ、さうなれば尚更ですけれども、《吾》は自同律の不快に堪へ切れないに違ひないわ。
――しかし、人間の欲として不老不死が《存在》する限り、死すべき運命を認識してゐる「現存在」にとって、不老不死の諦念では片付かぬ、何だかのっぴきならぬ方向へと現実は進行してゐるやうに思へるのだがね。
と、猊下たる丙君が言ったのであった。その時、丙君の既に鋭さを増してゐた眼窩の眼光は一瞬、きらっと光ったのであった。
――さうなると「現存在」は子を産まなくなるわね、うふっ。
と、雪は少し顔を赤らめながら、自身に降りかかった男による凌辱を浮かべながらか、恥ずかしげに言ったのであった。
――ねえ、あなたは、首のみが永劫に生きる「現存在」、つまり、幾ら再生医療が進歩しようが、老齢により全身癌に為れば、最早肉体は捨てざるを得ないからなのだけれども、その首のみで生き残る「現存在」の未来形をどう思ふの?
と、雪は、私に問ふたのであった。甲君、乙君、丙君、丁君、そして、君達は、雪の言葉に呼応するやうに一斉に私にその視線を向けたのであった。私は、一息「ふう~う」と吐いて徐にかう書いたのであった。
――つまり、覚悟が、つまり、あるかどうかだらうね、つまり、《吾》は《吾》であるといふ、つまり、自同律を、つまり、未来永劫に亙って、つまり、首とNetworkに、つまり、繋がった、つまり、主体の、つまり、《意識》と巨大な機械の体躯、つまり、それは、つまり、地球と言っても、つまり、過言ではないが、つまり、首と、つまり、Networkで、つまり、地球全体と、つまり、繋がってしまった、つまり、「現存在」は、つまり、裏を返せば、つまり、首のみの、つまり、《意識体》へと為り果せてしまった、つまり、《吾》は、つまり、地球全体に、つまり、拡大する事で、つまり、《吾》は、つまり、《吾》である事を、つまり、一瞬でも忘却して、つまり、《吾》は《全》であるなどといふ、つまり、妄想を、つまり、抱く事無く、つまり、《吾》は、つまり、何処まで行っても、つまり、首のみの《吾》でしかないといふ、つまり、断念を、つまり、出来ないのであれば、つまり、「現存在」は、つまり、不老不死を希求しては、つまり、ならぬと、つまり、そして、つまり、《吾》の機械化による、つまり、《吾》の巨大化、つまり、若しくは、つまり、《吾》の、つまり、無限の、つまり、延伸は、つまり、一体、つまり、「現存在」に、つまり、何を、つまり、齎すのかと、つまり、自覚せねば、つまり、首といふ《吾》の《意識》を容れる器と、つまり、地球規模に、つまり、拡大した、つまり、Networkと、つまり、体躯の機械化によってしても、つまり、《吾》は、つまり、自同律の不快からは、つまり、遁れる筈もない。
――それは、詰まる所、此の世に《存在》する森羅万象は、それが、例へば人体に例を取れば、複数の臓器などから成り立つ以前に、既に各各の臓器に《吾》といふ《意識》が宿ってゐるといふ《杳体御仁》の「黙狂者」君の思惟とは無関係ではないだらう?
と、甲君が飄飄と言ったのであった。
――《杳体御仁》の「黙狂者」君の奇妙な汎神論、それは、此の国に太古より伝承された八百万の神神への信仰と同根の、汎神論によって、此の世が形作られてゐるといふ、つまり、此の世の森羅万象は、さて、何処へ向かってゐるのかな。
と、猊下たる丙君が薄らと微笑みながらも眼光のみを異様に輝かせて言ったのであった。
――ねえ、あなた、再生医療が極限まで進歩を遂げた時、「現存在」は、頭蓋内の闇の脳といふ構造をした《五蘊場》を総取っ換へする、愚行へ歩み出す可能性があると思うの?
と、雪が私に訊いたので、私は、かうNoteに書いたのであった。
――つまり、脳以外の、つまり、あらゆる体躯の、つまり、部位に再生医療で再生されるか、つまり、または、つまり、精巧に作られた、つまり、機械の体躯に、つまり、総取っ換へる事は、つまり、人間の、つまり、業故に、つまり、一気呵成に、つまり、突き進むのは、つまり、止めようもないが、つまり、果たして、つまり、体躯は、つまり、脳の、つまり、下僕として、つまり、《存在》する事に、つまり、肯ふ《もの》なのだらうか、と、つまり、さう考へると、つまり、腕の、つまり、自同律が、つまり、成り立って、つまり、腕は、つまり、己が腕であって、つまり、脳とは違ふ事は、つまり、腕は、つまり、自覚してゐる筈で、つまり、腕が、つまり、腕である事を、つまり、自覚してゐなければ、つまり、こんな高度に、つまり、各部位が、つまり、それぞれ、つまり、見事に、つまり、発達した、つまり、高分子の有機的な意識体は、つまり、生まれる術はなかった。
――ねえ、さうすると、あなたは、例へば人体は、その部分部分、いいえ、各細胞が己は己だといふ《意識》を持った《存在》として、此の「現存在」を思ひ描いてゐるといふことかしら?
――つまり、《吾》は、つまり、細部に、つまり、宿る《もの》なのさ。
――うふっ、《吾》は細部に宿るって、あなたはまた面白い事を言ふのね。
――つまり、細部に《吾》が、つまり、宿らなければ、つまり、Fractalな、つまり、《個時空》といふ、つまり、《吾》の、つまり、《存在》の有様は、つまり、成り立つ見込みは、つまり、なく、つまり、此の世に、つまり、単細胞が、つまり、誕生してしまった刹那、つまり、自同律の不快は、つまり、始まってしまった。否、つまり、此の世に、つまり、反物質と対消滅して、つまり、光となって消滅せずに、つまり、残ってしまった物質、つまり、の状態で、つまり、既に、つまり、《吾》は《吾》だ、つまり、といふ、つまり、自同律は、つまり、《存在》してしまった。
――ちょっ、つまり、《杳体御仁》の「黙狂者」君は、《吾》は、つまり、更に分解可能な《吾》の複合体といふ事を目論んでゐると解釈していいのかな?
と、ヴァン・ゴッホ気狂ひの甲君が、その笑顔とは裏腹に『それは断じて認められぬ。つまり、否だ!』と胸奥で叫びながら私に訊いたのであった。
――つまり、さうさ。つまり、《吾》は更に分解可能の、つまり、小《吾》の複合体として、つまり、更に小小小《吾》の、つまり、複合体として、つまり、何処まで行っても、つまり、金太郎飴の如く、つまり、Fractalな《吾》が、つまり、顔を覗かせる、つまり、《存在》が、つまり、此の《吾》なのさ。
――ねえ、それは物質にも同じやうに当て嵌まる事なのかしら?
――ああ。つまり、物質にも、つまり、その素粒子まで行っても、つまり、《吾》は《吾》だといふ、つまり、此の世の《存在》、つまり、その根元において、つまり、《吾》は《吾》であるといふ、つまり、自同律を、つまり、授けられてゐる以外、つまり、《吾》といふ、つまり、観念が、つまり、生まれる筈は、つまり、ない。
――さうすると、あなたは、《吾》といふ自意識は本質に先立つといふ事を支持するのね?
――つまり、それは、つまり、実存は、つまり、本質に、つまり、先立つといふ、つまり、サルトルの言葉を、つまり、捩った、つまり、言ひ種と思ふが、つまり、私にすれば、つまり、《吾》といふ《念》は、つまり、本質に、つまり、先立つ、つまり、《もの》だと、つまり、私は思ふ。
――あなたがさういふ考へ方に至った理由って何かあるのかしら、うふっ。
――つまり、《吾》を、つまり、絶えず、つまり、問ひ詰めると、つまり、私においては、つまり、《吾》といふ自意識、つまり、若しくは、《念》は、つまり、本質に、つまり、先立つといふ、つまり、考へを、つまり、採らないと、つまり、《吾》が、つまり、此の世に、つまり、生まれる端緒が、つまり、見出せないのさ。
――それって唯心論や唯物論の系譜にあるのかね? 若しくは実存主義とそれらに続く現代思想、または唯識による《もの》なのかね?
と、鋭い眼光をぎらぎらと輝かせた猊下たる丙君が言ったのであった。
――へっ、そんな事、解かれば何の苦労もなく、彼が「黙狂者」になる事はなかったに違ひない。なあ、《杳体御仁》の「黙狂者」君!
と、ヴァン・ゴッホ気狂ひの甲君が軽口を敲いたのであった。
――しかし、《吾》の誕生には、どうしても《存在》が付き纏ひ、そして、その《存在》に有限な場合と無限な場合があるとして、有限か無限かでその位相が全く違ってしまふといふ、《存在》とはその様に面妖なる《もの》なのさ。
とヰリアム・ブレイク好きの乙君が言ったのであった。
――一つ、あなたにお伺ひしますが、無限は実際の処、有限な「現存在」に思惟可能な《もの》と看做して宜しいのかしら?
――現時点では、無限が現はれるのは背理法によってのみです。
――つまり、無限を背理法以外の方法で導く事は今の処不可能であるといふ事かしら?
――カントの二律背反が好例です。
と、乙君が言ったのであった。すると、文学青年の丁君がぼそりと呟いたのであった。
――ところが、此の《生》といふ哀しき性を持ってしまった「現存在」たる《意識》の複合体たる人間は、無限を演繹的にか、帰納的にか証明出来得る何かとして何の疑問も持たずに表象され、無限を恰も実数の仲間の如くに扱ってゐるのが、現代人の大きな誤謬ぢゃないかな。しかし、仮令……。
と、丁君は再び途中で言葉を呑み込み、ぷつっと喋るのを止めて口籠ってしまったのであった。
――さう、其処だ!
と、猊下たる丙君が、更に眼光鋭く私達を睥睨しながら言い放ったのであった。
――つまり、私達は無限といふ玩具を与へられて、それが恰も無限が吾が手で掌握出来るかの如き《もの》として、つまり、実体する《もの》として、軽軽しく取り扱ってゐる内に、何だか、無限は誰もが簡単に弄べる《もの》として、つまり、観念の遊具として、何か具体的な《もの》として、取り扱ってゐるといふ愚行を今こそ省察しなければ、無限の方が、《存在》を見て薄ら笑ひを、その名状し難い口辺に浮かべて、または、吾等の思惟には結局の処、捉へられないと高を括って哄笑してゐるかしてゐて、詰まる所、有限なる《存在》は、果たせる哉、無限を捉へる事が可能かどうかを今一度判断せずば、此の宇宙もまた何だか解からない《もの》に成り下がり兼ねない分岐点に差し掛かってゐるに違ひないのだ。
と、鋭い眼光を爛爛と輝かせて猊下たる丙君が言ったのであった。
ねえ、君、あの頃が懐かしいだらう。私は余命を医師に告げられてから、何故かあの頃の事ばかり思ふことが多くなってね。
今、私が思ふのは、《死》と無限は何やら同じ匂ひがする《もの》に思へて仕方がないのだ。これも雪の影響かな。
…………
…………
――しかし、絶えず思惟を無限へと誘ふのは、《もの》の道理ぢゃないかな。
とヰリアム・ブレイク好きの乙君が言ったのであった。
――あっは、絶えず思惟は無限を欣求するか――。何ともをかしくて仕様がないのだが、これは何故なんだらうか?
と、甲君が薄ら嗤ひを口辺に浮かべて尚も飄飄と言ったのであった。
――多分、此の宇宙史は、《存在》が無限に思ひを馳せるその歴史とぴったりと重なるやうな気がする。
と猊下たる丙君が言ったのであった。
――ぶはっ、つまり、それって、此の世は絶えず無限を夢想せずにはをれなかったといふ事だらう?
――無限が厭ならそれを《神》と言ひ換へてもいいぜ。さうすれば、君もよく解かるだらう?
と丙君は、ぎろりと甲君を凝視して言ったのであった。
――へっ、それぢゃ、例へば単細胞でも《神》を欣求してゐるのかね? それ以前に素粒子そのものが《神》を欣求してゐると君は断言出来るのかね?
――私は、自然が《存在》するならば、素粒子もまた密かに《神》を欣求してゐると看做すぜ。
――それは、此の《杳体御仁》の「黙狂者」君の奇妙な汎神論を承認するといふ事だね?
――ああ。
と、丙君は、薄ら嗤ひを口辺に浮かべた甲君に対して重重しく言ったのであった。
――其処で、一つお尋ね致しますが、あなたは、此の世の時空間に《神》は宿るとお思ひなのでせうか?
と、雪が丙君に訊いたのであった。
――此の世の森羅万象に《神》が遍在してゐます。
と、猊下たる丙君が答へたのであった。
――さうしますと、カントが唱へた《物自体》は、《神》の御神体といふ事になるのかしら?
――まあ、さう看做しても構ひません。そもそも此の《世界》のからくりが今もって《神》以外に知る《もの》がゐませんので、カントがいふ《物自体》も、例へばユークリッド、そしてリーマン幾何学の公理は、誰が「先験的」に定めたといふのか、と同じことだと思ひます。
――済みません。私、数学にはそれ程詳しくはないのですが、しかし、此の世に公準が《存在》する事が既に《神》の《存在》を包摂してゐるといふ事ですね?
――はい、さうです。
――では、もう一つお尋ね致しますが、此の世に無限が仮に《存在》すれば、即ち《神》は《存在》すると看做す事にあなたは何の疑念も抱かないのですか?
――まさか。私はそもそも猜疑心の塊みたいな《存在》です。それといふのも、私は《存在》は全て己に対して猜疑を抱かぬ《存在》は《存在》しないと考へてゐます。
――さうですね。では、あなたは、この「黙狂者」と呼ばれてゐるこの方の思索には賛意を表明なさるのですね?
――はい。だが、彼は《存在》、若しくは《物自体》、或るひは《神》に肉薄するべく孤軍奮闘するうちに、木乃伊取りが木乃伊になるやうにして、彼は最早己といふ《存在》の混迷した混沌の中に蹲ることを余儀なくされて、今や其処から這ひ出す術を全く見失ってしまった《存在》なのです。
と、猊下たる丙君は眼光鋭く甲君を凝視したまま雪にさう語ったのであった。
――さうしますと、この哀しい「黙狂者」となってしまったこの方は、恰も闇にぢっと息を潜めて、その《存在》を何《もの》にも知られたくなく、闇といふ無限すらをも多分に呑み込むに違ひないその闇に、閉ぢ籠ってしまったといふ事かしら?
――はっきりとは言へませんが、「黙狂者」の彼は、観念といふ《もの》の恰もその地底に棲む穴居生物と化してゐるのは間違ひないでせう。
と、猊下たる丙君が雪の問ひに答へたのであった。
――へっへっ、つまり、「黙狂者」君は、《存在》に蔽はれた闇の中で、《存在》といふ名の幽霊が辺りに犇めいている処で独り肝試しをしてゐるに過ぎず、そして、「黙狂者」君は、一歩踏み出す毎にびくりとして怯えてそのままその場に立ち竦んだまま、その時に芽生える己の感情をじっくりと味はひ尽くし、そして、へっ、この「黙狂者」君は、そんな己を自嘲するのさ。
と、ヴァン・ゴッホ気狂ひの甲君が言ったのであった。
――それ以前に、彼は無限に睨まれてしまったに違ひない。
と、数学専攻でヰリアム・ブレイク好きの乙君が言ったのあった。
――そして、彼は自同律を見失ってしまった。
と、文学青年の丁君が言ったのであった。
――それは、二律背反に身を裂かれ、その状態に《存在》は、果たせる哉、堪へ得る《もの》なのか、彼は己を実験台にして試してゐる。
と、君が雪へと言ったのであった。
――さうしますと、何だか「黙狂者」になってしまったこの方が、人類が背負はねばならぬ十字架、それは多分に基督が背負った十字架にとても近しい筈ですが、この方はたった独りでその人類誰もが背負ふ十字架全て背負ってしまってゐるといふ事かしら?
――或るひはさうかもしれませんね。
と、文学青年の丁君がその痩せぎすで蒼白い顔にほんの少し微笑みを浮かべて雪へと答へたのであった。
――その十字架の別称は、《パスカルの深淵》ではありませんか、うふっ。
と、雪は何とも楽しさうに誰彼となく問ふたのであった。
――さうですね。《パスカルの深淵》は「現存在」ならば、一度は目にする仮象の「先験的」な陥穽、そして、存在論的な危機に瀕した時には必ず目にする《もの》ですね。確かに、「黙狂者」の彼は、《パスカルの深淵》に或るひは身投げをしてしまったに違ひないですね。
と、猊下たる丙君が雪の楽しさうな笑顔に呼応するやうにその鋭く光る眼光のままにその相好を崩して言ったのであった。
――ちぇっ、それは「黙狂者」君を少し買いかぶり過ぎてやしないかね?
――といふと?
――何ね、「黙狂者」君が陥ってゐる陥穽は、別に特別な事でもなく、日常にありふれた《もの》に過ぎず、現に此処にゐる《もの》は大なり小なり自同律の罠に引っ掛かって、《存在》を問はずにはをれぬ、そして、闇を、無限を、欣求せずにはをれぬ哀しき「現存在」ぢゃないかね?
と、甲君が皮肉な微笑を口辺に浮かべて、これまた飄飄と言ったのであった。
――だが、この「黙狂者」の如く、己を自同律の裂け目、つまり、それを《パスカルの深淵》と呼べば確かに《パスカルの深淵》に違ひないが、その「黙狂者」の彼は、誰もが躊躇ふその陥穽を覗き込むだけでは飽き足らず、自ら身投げしてしまったのだ。
と、丙君が甲君を再びぎろりと凝視しながら言ったのであった。
――「黙狂者」のこの方は《パスカルの深淵》に既に身投げしてしまったのですか?
――いや、本人ぢゃないので本当の処は解かりませんが、「黙狂者」の彼の生態を見てゐると間接的にですが、《パスカルの深淵》といふ《もの》を暗示せずにはゐられぬのです。
――それは、この方の何がさう暗示させるのですか?
――第一に彼は「黙狂者」といふ事です。
――それだけなのですか?
――そして、彼が「つまり」を多用せずには何にも表現出来ず、そして、「つまり」と書き連ねることで彼に内在する言葉を絞り出すやうにNoteに書き出すその語彙が、深淵に棲まふ《もの》特有の暗鬱な表現が多い、といふ事です。
と、猊下たる丙君は甲君を凝視しながら雪の問ひに答へたのであった。
――それが過大評価だといふんだぜ。この「黙狂者」君は、決して《パスカルの深淵》なんぞに身投げなどはしてはをらず、唯、彼は《五蘊場》に全躯が逃げ込んだ仮象の《吾》に魅惑されてゐるだけに過ぎぬ。
――さうしますと、あなた、甲さんは「黙狂者」のこの方は、この方が呼ぶ処のこの頭蓋内の闇の脳といふ構造をした《五蘊場》といふ仮象にこの方が逃げ込んだといふのですね?
――はい、それ以前に、雪さんは《五蘊場》が何の事なのか解かりますか?
――いえ、詳しくは。しかし、「黙狂者」のこの方が「現存在」の行為を全て脳に帰す事に反旗を翻してゐるのは、間違ひない事でせう?
――其処です。現代の「現存在」は脳を残る未開の地として探査を始めてしまったが、仮令脳内の発火現象の全てが隈なく解読出来たとしても、私はこの「黙狂者」君と同様に科学的にその全貌が解明された脳を拒否します。
――それは何故ですの?
――多分に科学に対する不信感からです。
――つまり、甲さんは、反科学主義者といふ事かしら?
――いいえ、それは違ひます。私は単に神学から離れてしまった科学は科学としては全く認めることは出来ないといふ事だけです。
――さうしますと、甲さんは、《神》は《存在》すると?
――へっ、《神》が《存在》しなければ、此の世はどうして生まれたのですか?
――その《神》は基督教、若しくは回教的、若しくはゾロアスター教的な一神教の《神》ですか、それともこの日本に生滅する八百万の神神の事でせうか?
――そんな事は、どれでも構ひやしないのです。唯、《神》といふ観念が実在し、つまり、私の言ふ《神》は、「現存在」の「先験的」な事項で、多分、無限と同じやうに背理法の論理をもってしても此の世から排除出来ない《存在》なのです。
――君の言ふ《神》の《存在》は背理法による無限の《存在》とは明らかに違ふだらう? 君の言ふ《神》は《存在》に纏はり付く《神秘》の事だらう?
と、猊下たる丙君が甲君に言ったのであった。
――甲君、君が言ふ《神》は限りなく数学に近しいぜ。
と、ヰリアム・ブレイク好きで数学専攻の乙君が言ったのであった。
――そして、数学も《神》に結び付き易く、ギリシャのピタゴラス学派ぢゃないが、数学の論理の美しさは、《神秘》を生み出し、「現存在」を魅了して已まないのだが、例へば数学教なる宗教が《存在》し、其処に偉大なる《神》が《存在》すれば、多分に、科学者は、その信者に為るに違ひない。だが、数学は何時の時代かは私は知らぬが、無理矢理宗教から遠く分派し現在では宗教の匂ひがしないのが数学といふ、摩訶不思議な不文律が成立してゐるやうに思へるが、しかし、「現存在」が数学的なる《世界》に、しかも、其処にはどうしても《神》の《摂理》が《存在》するとしか思へぬ《世界》に投企されてゐるのは間違ひない。
と、乙君が更に続けたのであった。
――数学をして《神》を暗示するといふやうに思ひ為する、その思惟形式が既に宗教ぢゃないかね?
と、甲君が数学専攻の乙君に言ったのであった。
――さうだね。数学に魅了されてしまった《もの》は、多分、全てが観念上の《神》の《存在》を信じてゐるかも知れないな。さうぢゃなきゃ、数学なんぞに胸躍らせ、そして、数学に憑りつかれて、その人生を狂はす狂気の沙汰なんて起こりはしないからね。
――すると、君によると、現在の数学が手中にしようと目論んでゐる《もの》は何かね?
と甲君が乙君へ言ったのであった。
――やはり、《無限》と、そして、《もの》といふ個体の扱ひ方かな。つまり、数その《もの》を問ふといふ事さ。
――つまり、それは現代数学では、数字その《もの》の《存在》が曖昧模糊で不確定な《もの》で、もはや数字自体で数字その《もの》を定義出来ないといふ事かね?
と、猊下たる丙君が乙君に訊いたのであった。
――いや、唯、普通の日常世界と数学の世界が全く交はらない程、隔絶した《もの》へと現代では数学その《もの》の様相が変はってしまった事に、数学者以外は余りに無頓着だといふ事さ。つまり、例へば、或る《もの》が「一」と言ったとしてその「一」は何の事なのか、数学で定義する時、「空(から)」が前提になってゐる事さ。
と、乙君が言ったのであった。
――これは独断だがね、数学で《ある》といふ事を語る時に、先づ、「空」が《存在》してゐないと定義すら出来ないのだとすると、それは暗に「空」が《無限》の《存在》を要請してゐると言へるのと違ふかな。
と、丙君が言ったのであった。
――当然、さう看做して差支へないだらうだがね。だが、「空」と《無限》は近しくありながら、《無限》に遠い観念だよ。
と、乙君は何かの意味を噛み締めるやうにさう呟いたのであった。
――さうしますと、乙さん、数学では、《存在》その《もの》が「空」を前提にしなければ、何にも定義できないといふ事ですの?
――はい、雪さん。
――さうしますと、仏教の《空(くう)》と数学の「空」とでは何か随分と違ふやうでゐて、案外近しい《もの》なのですね、うふっ。
――しかしだ、数学を用ひる以前に存在論を語る場合、既に何百年にも亙って「空」と《空》と《無》と《無限》について、森羅万象は思ひ惑ってゐる。
と、猊下たる丙君がさう言ったのであった。これを聞いた甲君が、
――でも、そんな事を問題にせずとも「俺は《存在》する」と言へちまふのも確かだぜ。
――例へば、かう考へるとどうでせうか。森羅万象の《存在》の担保には、「空」と《無限》の《存在》が所与の《もの》として前提になってゐて、《存在》が《存在》するといふTautologyにも似た言ひ種は、其処に無意識裡に「空」と《無限》、そして、《無》と《色》と《空》が同時に概念上に重なり合って《存在》し、それ以外では《存在》を語れるとは看做せない以上、それは、詰まる所、何《もの》も《存在》に意味すら見出せないといふ行き詰まりの処に、森羅万象は追ひ詰められてゐて、そして、苦し紛れに「私は」と言ってゐると看做せます。つまり、《存在》してゐるといふ言葉には、暗に「空」と《無限》の《存在》が「先験的」に含意されてゐて、つまり、《存在》について何かを語るには、どうしても「空」と《無限》に言及せずば、何《もの》も既に《存在》に関して何も語れない状況が現在、森羅万象が置かれた様相といふ事ですね、丙さん。
と、雪が何かに思ひ至った如くに語ったのであった。
――或ひは雪さんの言ふ通りかもしれませんが、此の世の森羅万象は己が此の世に《存在》すると思ひ為すのは、唯、「《吾》あり」と《念》ずるだけで、既に《吾》なる得体の知れぬ《存在》は、さう《念》ずるのみで《存在》してしまふ。其処には《無限》は未だその《存在》にとって観念としてすら想起されてをらず、つまり、《吾》が《存在》するとは、初めに「《吾》あり」と《念》ずるのみで、《吾》は己の《存在》をこれっぽっちも疑はないといふ事です。しかし、その《吾》は途端に《吾》に対する途轍もない猜疑心に駆られ、「《吾》あり」と《念》ずるに呼応して「《吾》とは何んぞや」といふ疑問が既に《吾》には生じてゐるといふ矛盾をこの《吾》は抱へ込まざるを得ぬのもまた事実です。
と、猊下たる丙君が自身を確認するが如くに己に対して言ったのであった。すると、雪が、
――丙さん、この《吾》が、《吾》の《存在》を「《吾》あり」と《念》じた時点で、既に《吾》は《無限》を吾にすら全く知れぬ内に《吾》といふ観念が想起すると同時に《無限》を《吾》と同じく確証してゐるのぢゃありませんか?
――ほれ、丙君、どうした?
と、ヴァン・ゴッホ気狂ひの甲君が囃し立てたのであった。丙君は、相変はらずぎろりと鋭き眼光を放つ目を甲君に向けたまま、更に次のやうに言ったのであった。
――雪さん、あなたは《無限》をどのやうな《もの》として想起してゐますか?
――私以外の全て、かしら。
――成程、《吾》以外の全てが《無限》ですか。つまり、「《吾》あり」と《吾》が《念》ずる時点で、《吾》は《吾》以外の《存在》を「先験的」に想起してゐるといふ事ですね?
――ええ。しかし、《吾》はそれが全て意識下で行ってゐる事に気付く《もの》はまだまだ少なく、《吾》が《存在》する事は、恰も何事もないかの如くに確たる《もの》として認識してゐる事が如何に無邪気な事か全く気付かない場合が殆どですね。
――しかし、《吾》は直ぐに《吾》の《存在》に対する確信が全くの虚構でしかない事を匕首の切っ先を首に突きつけるやうに此の《世界》に認識させられ、そして《世界》は《吾》の虚構を己に対して絶えず暴き続けるのです。
――しかし、殆どの《吾》といふ《存在》は知らぬが仏で、《世界》の《吾》に対する《吾》が虚構であるといふ要請を察する事が出来ないのですが、しかし、その中にも、此の《世界》に対して憤怒する《もの》が必ず《存在》するに違ひない筈ですね。つまり、「黙狂者」のこの方は、独りでその《世界》の要求を無理難題として《世界》に対して反攻を始めた、といふ事かしら? つまり、此処にゐる誰もが此の《世界》は、《吾》に対して無理難題を突き付ける厄介至極な《もの》と看做してゐると考へて宜しいでせうか?
――はい。
と、甲君、乙君、丙君、丁君、そして君は、皆、雪に同意の意を表したのであった。
――それでは、あなた方は何によって此の《世界》が《吾》を虚構に過ぎぬ事を要請し、また、《吾》に対して《世界》は無理難題を圧し付けるといふ事を意識し始めたのですか?
――その前に、雪さんは、此の《世界》は《吾》に対して理不尽極まりない事を要求してゐるとお思ひですね?
――ええ。私は憎悪すら感じてゐます。
――それはまたどうして?
――それに関してはまだ私自身語れる心境にないので、これ以上は訊かないでください。お願ひします。
――ふむ。さうですか。何か深い事情がありさうですね。
――ええ。「黙狂者」のこの方は、多分、私が抱え込まざるを得なかった苦悶の原因を察っしてゐて、そのどす黒い憎悪の何たるかを直感的にこの方は知ってゐると私には思へますが、これ以上はご勘弁を。
と、雪は自身の内部を弄るやうにさう言って、何とも奇妙な、それでゐて哀しい微笑を浮かべたのであった。
――どうも雪さんの触れてはいけない《もの》に触れてしまったやうですね。御免なさい。これ以上はもう訊きませんので。
――いえ、今日お会ひした人達ばかりですもの、仕方ありませんわ。気にしないでください。
――それでは、雪さん、雪さんが《世界》へ反攻するに至った訳は訊きませんが、しかし、雪さんは、《無限》を《吾》以外の全てとの思ひに至ったその思惟経路は何だったのですか?
――さうですね……、幼児期に薄ぼんやりと《世界》に対して抱かざるを得なかった渺茫とした感情が、端緒と言へば端緒に為るのかしら。
――つまり、それは、《世界》は《吾》を既に見放してゐる感情に近しい《もの》だったと思ひますか?
と、猊下たる丙君が訊くと、雪は、
――いいえ、私といふ《存在》を思った時に自然に湧き起って来た感情だった筈です。
――つまり、「《吾》あり」と《念》じた刹那、その何とも茫漠とした渺茫たる孤独感は、《吾》知らず止め処もなく湧出した感情ですね?
――さうだと思ひます。それでは、皆さんは《無限》を意識するやうになった端緒は何でせうか?
――私は人込みで特に感じる底無しの孤独感です。
と、猊下たる丙君が先づ、話したのであった。そして、
――俺は、丙君に出合った刹那かな?
と、甲君がその場を茶化すやうに言ったのであった。
――僕は、「一」に対する疑念を感じてしまった刹那かな。
と、ヰリアム・ブレイク好きで数学専攻の乙君が言ったのであった。
――私は、梶井基次郎の作品に出合った時……。
と、文学青年の丁君が言ったのであった。すると、君が、
――私はこの「黙狂者」の彼に出合った事かな。
と、君は照れ笑ひを浮かべながら言ったのであった。
――それでは、あなたは何時《無限》を感じたの?
と、雪が私に尋ねたのであった。其処で私はNoteにかう書いたのであった。
――つまり、私が、つまり、此の世に、つまり、誕生した、つまり、その刹那に、つまり、未だ言語も知らぬ、つまり、赤子とは言へ、つまり、何やら、つまり、私が私である、つまり、不自然さといふ、つまり、その何とも度し難い《もの》が、つまり、《存在》だと、つまり、感じ取らねば、つまり、ならなかった、つまり、私が、つまり、初めて、つまり、此の世で産声を発した、つまり、その刹那に、つまり、私は、既に、無意識裡に、つまり、私なる《存在》を知ってしまった、つまり、時が、つまり、私が《無限》を、つまり、思はずにはゐられなかった、つまり、刹那の困惑が、つまり、それに違ひない。
――つまり、あなたは、生まれた瞬間に既に《存在》に困惑してゐたといふのね? あなたらしい答へね、うふっ。
――しかし、普通《無限》と《吾》に踏み迷ひ、その陥穽に陥るのは大概、思春期と相場が決まってゐるぜ。
と、ヴァン・ゴッホ気狂ひの甲君が嗤ひながら言ったのであった。
――その自分の言葉を一番信じてゐないくせに、全く持って甲君らしい言ひ種だ。
と、数学専攻の乙君が茶化したのであった。
――いや、そんな事ないぜ。ぶはっはっはっはっ。
と、甲君は哄笑したのであった。
――まあ、議論を何時も煙に巻くのは、彼の性癖だからね。しかし、甲君、これは嗤って済む問題ぢゃないいよ。つまり……。
と、文学青年の丁君が再び言葉をぶつりと切って何かを自身に呑み込むやうに甲君に言ったのであった。
――それを言っちゃあお仕舞ひよ!
と、甲君は尚も哄笑しながら言ったのであった。
――つまり、君にとって《無限》を感じざるを得ぬのは、《存在》が「ぷふぃ」と嗤った刹那なのだらう。
――さすが、丙君、ご名答!
と、甲君は未だ何かがをかしくて仕方がない様子で尚もおちゃら化て丙君に言ったのであった。
――うぅぅぅぅあぁぁぁぁああああ~~。
ねえ、君、私の眼前には未だに消え去らぬ私の与り知らぬ赤の他人の声に為らざる唸りをぢっと聞くことを強要され、そして、あの時はその事を雪以外には気付かなかった筈だが、今はこれを読んでゐる君も知る処となった訳だ。今も私の鼓膜には、
――うぅぅぅぅあぁぁぁぁああああ~~。
と、私を困惑の坩堝にしか投げ入れぬ《他》の魂魄の叫びが、声に為らざる唸り声を上げてゐるのだ。
――うぅぅぅぅあぁぁぁぁああああ~~。
この不快極まる声為らざる唸り声は、死者が《死》を受容するその儀礼に違ひなく、私もまた、己が死す時に私自身がこのやうに声為らざる唸り声を発しながら、浄土か地獄へ向けてゆるりと移りゆくに違ひないのだ。
…………
…………
――何がご名答なのかね? 甲君。
と猊下たる丙君が甲君の哄笑を遮るやうに重重しく尋ねたのであった。
――いや、何、私において、私の内部に巣食ふ何《もの》かが不意に『ぷふぃ。』と嗤ひ声を発した刹那の《吾》の底無しの孤独感に、私は《無限》といふ観念を惹起せざるを得なかったのさ。
――ふむ。成程、君の内部にも得体の知れぬ何《もの》――それを私は《異形の吾》と名付けているがね――その何《もの》かが君の内部で不意に『ぷふぃ。』と嗤った刹那の寂寞感に、君は《無限》を見出すか――。ふはっはっはっはっ。
と猊下たる丙君が尚も続けたのであった。すると、甲君が、
――君にヴァン・ゴッホの苦悶が解かるかね?
と今度は甲君が丙君に尋ねたのであった。
――成程、君の内部の『ぷふい。』といふ嗤ひ声はゴッホにおける烏のやうな《もの》なのだね?
――否。ヴァン・ゴッホの苦悶は、《世界》に最後通牒を突き付けられた、つまり、《世界》に見捨てられちまったその言語を絶する絶望故に、最早、絵画といふ表現手段しか残っていなかった《存在》の苦悶なのさ。――ぶはっはっはっはっ――。
と、甲君は再び哄笑して、その場が重重しい雰囲気に雪崩れ込むのを堰き止めるやうに、甲君は哄笑して、その場の雰囲気を一変させたのであった。
――ちぇっ、哀しい哉、それが、君の優しさなのだ、甲君。
と丙君が言ったのであった。
――まあ、俺の事なんぞどうぞご勝手に。ところで、乙君、君は何故に「一」に疑念を抱いたのかね?
と、甲君が訊いたのであった。すると、乙君が、
――何ね、オイラーの公式を知ってしまった時かな、はっきりと私は「一」に対して「一」である事に疑念を抱いたのは。
――つまり、「一」と虚数iの不思議な関係だらう。
――さう。私は、それ以前、虚数は数学上、数字を拡張せざるを得ずに見出された数字の事だとばかり思ってゐたのだが、つまり、数学が進歩し、人間の文明も進歩した故に、のっぴきならぬ処で、数学者は虚数iを渋渋受け容れたとの先入見を持ってゐたんだが、オイラーの公式を知ってしまふと、虚数iは「一」といふ《存在》に必要欠くべからざる《存在》として、此の世に厳然と《存在》する《もの》といふ認識に至る外なかったといふのが本当の処かな。
と、乙君は言ったのであった。すると、雪が、乙君に尋ねたのであった。
――オイラーの公式に関しては先程、お伺ひしましたが、乙さん、あなたにとってオイラーの公式に出合ふ以前は、「一」は一体全体何だったのかしら?
――此の世の開闢を象徴する、つまり、《無》たる零の《世界》に「一」といふ《存在》が忽然と現はれ、その出現に対する《存在》の大歓喜の雄叫びが、私にとっての「一」といふ《存在》だったのです。
――さうですか。大歓喜の雄叫びですか――。乙さんは、今も「一」に対しては同じ感覚を持続してゐますね?
――ええ、オイラーの公式を知って、尚更、「一」は《存在》の大歓喜の雄叫びだと思ってゐます。
――「一」が《存在》の大歓喜の雄叫びだと? それは異な事を言ふ。
と、甲君が乙君の言を遮ったのであった。
――では、甲さんにお伺ひしますわ。甲さんにとって《存在》とは何ですか?
と雪が尋ねると、
――へっ、何を藪から棒に!
――甲さんは、御自分の事は語らず、《他》の事にばかり感(かま)けてゐるやうに見えるので、甲さんの存在論的のやうな《もの》を拝聴したくお伺ひしたのです。
――さう。君は何時も己の事になると茶化してその場を逃げようとするが、実際の処、甲君、君は、己の底知れぬ哀しみを《他》に知られる事を極度に嫌ってゐるが、それは何故かね?
と猊下たる丙君が言ったのであった。
――そして、甲君、君は良くも悪くも《他》に優し過ぎる。私には、君は独り自己破壊する事が君の存在理由に思へるのだが、もうそんなピエロの仮面を外して、君の正体を見せてもいいのぢゃないかな。
と尚も丙君が続けたのであった。
――今でなくてもそれは構はぬではないかね? 俺がピエロの仮面を外す時は、自分で決めるよ。それを《他》に強要されたくはないなあ。
と甲君が言ふと、雪が甲君に尋ねたのであった。
――甲さんが、何故にこのヰリアム・ブレイクを読む勉強会、いえ、サロンね、このサロンに参加してゐるのか何となく解かるやうな気がします。甲さんは、己の存在理由を此方の丙さんに対峙させる事で、つまり、丙さんを己を映す鏡として、其処に映る此の世の仮初の己の姿形を凝視する事で、甲さんの内部では途轍もない葛藤が起きてゐて、甲さん自身が自ら率先して自分を追ひ詰める事を通して、甲さんはやっと今を生きられるのですね? 違ひますか、甲さん?
――まあ、俺の事なんぞはどうとでも勝手にどうぞ。所詮、俺の事など丙君の前では戯言でしかないのだからね。さうだらう丙君?
と甲君がにたりと笑って言ったのであった。
――雪さん、甲君は最後の最後までその正体の尻尾すら見せませんよ。甲君は普段己を圧し殺す事で何とか絵が描けるのですよ。彼の絵を御覧に為れば、彼の苦悩の深さに驚かれる事でせう。
と丙君が言ふと、甲君が、
――何を言ひ出すのかね、丙君。俺の絵の事はこの場に持ち出さなくてもいいぢゃないか。
――別段、隠す事でもなからう。雪さんを除いて此処にゐる《もの》は全て甲君の絵は見た事があるんだから。丙君の言ふ通り、君の絵には君の苦悩の深さがよく表はれてゐる。
と君が言ったのであった。
――さうさ。君の絵には例へば梶井基次郎の「檸檬」に匹敵する何かが確かに《存在》する。
と文学青年の丁君がさう言ったのであった。
――ちぇっ、乙君の「一」からとんだとばっちりを受けちまったぜ。まあ、俺の絵を皆にさう見られてゐる事は嬉しくもあるが、その嬉しさには君等には解からぬ憂ひが含まれている事は、ちぇっ、解かる筈もないか。くっくっくっ。
と甲君は嗤ひながらさう言ふと、乙君が、
――所詮、《他》は《吾》にとっては超越論的な《存在》で、君は、それをたった独りでぶち壊さうと躍起になってゐて、それは見てゐる此方は、とても痛痛しくて見てらんない《もの》なのだよ。
と言ったのであった。すると、雪が、乙君に、
――それは、甲さんが、《吾》の破壊を欣求してゐるといふ事かしら?
――ええ、それ故にか、この《杳体御仁》の「黙狂者」君と甲君はとても馬が合ふのです。
――それは本当ですの?
――はい、さうです。甲君とこの「黙狂者」君は不思議と馬が合ふのです。多分、方法は違へども、その目指す処は、二人とも同じなのかもしれません。
と乙君が言ったのであった。
――うふっ、ピエロと「黙狂者」、面白い組み合わせね、あなた?
と雪は楽しさうに私に語りかけたのであった。
――ちぇっ、余計な事を!
と甲君が笑顔で言ったのであった。
――ねえ、あなたは甲さんの事、どう思ってゐるの?
と雪が興味津津の態で私に愛らしい笑顔で尋ねたのであった。私はと言ふと、暫くは知らぬ存ぜぬを決め込んでゐたのであったが、誰もが押し黙ったまま皆で私を見詰めてゐるので、仕方なく私は大学Noteにかう書いたのであった。
――つまり、主体は、つまり、現在、つまり、訳も解からず、つまり、その在り処を、つまり、喪失した、つまり、根無し草としてしか、つまり、《存在》する事を、つまり、許されなくなってしまった。
――さうかな?
と、君が訊いたのであった。
――つまり、主体は、つまり、その《存在》する、つまり、根拠を、つまり、見失ってしまってゐる。
――さうかな?
と再び君が訊いたのであった。そして、君が、
――私の見る処によれば、主体は、自らの肥大化に《吾》ながら驚いてゐるに過ぎぬと思ふがね?
すると、雪が君に、
――××さんは、この《杳体御仁》と呼ばれ、現在、「黙狂者」になってしまったこの方をどう見てゐますか?
と、訊いたのであった。すると、私がすかさず大学Noteに、
――つまり、私は、つまり、《主体弾劾者》さ。
と、書いたのであった。
――うふっ、いきなり《主体弾劾者》と言はれても、何の事かさっぱり解からないわ。
――解かる筈ないさ。だってこの「黙狂者」たる彼にすら《主体弾劾》が何なのか全く解かってゐないのだからね。
と、君が雪に言ったのであった。
――へっへっ、さうかね、この「黙狂者」君は、最早、肥大化するに任せたまま、余りに肥大化してしまった主体の有様が、決して許せずに、それ故にその肥大化してしまった《吾》が断じて許せず、己を許せぬが故にこの「黙狂者」君は、遂には言葉を発せられなくなってしまって、さうして自ら語る事を断念して、そのまま口を噤んだまま独り「黙狂者」として此の世に恬然と屹立する事を自ら選んだのさ。
と、甲君が言ったのであった。
――では、甲さん、この方を《杳体御仁》とお呼びになるのはどうしてですか?
――何ね、この「黙狂者」君によると、主体は埴谷雄高が生涯を賭けて追ひ求めた《虚体》を欣求してゐた牧歌的な時代はとっくの昔に終はってゐて、彼が言ふ処の《杳体》といふ杳として何の事かさっぱり解からぬ《存在》、へっ、それを《存在》と呼んでもいいのか俺には解からぬが、その《杳体》を闡明する事でのみ、肥大化に肥大化してしまった主体は、生きも出来、死ぬ事も出来ると、この「黙狂者」君は、考へてゐるのは確かだね。
と甲君が飄飄と言ったのであった。
――甲さんは、《主体弾劾者》といふ《もの》をどうお思ひですの?
――この「黙狂者」君は、得体の知れぬ《存在》に対して正面突破攻撃をおっ始めたのさ。
と甲君が言ったのであった。
――《存在》に対する正面突破攻撃が《主体弾劾》ですって! それはもしかすると自殺行為と同じぢゃありませんの!
――へっへっ、雪さんの仰る通りだがね。この「黙狂者」君は、その自殺行為を観念の世界でのみ、只管、行ふ事で、その観念に依ってのみ《存在》を捻じ伏せる事が可能と考へたのさ。つまり、Idea、日本語にすると《念》ずることでのみ《存在》は捻じ伏せられると、この「黙狂者」君は独り《主体弾劾者》となる事で、実践してゐるのさ。
――それは甲さん、あなたも同じといふ事ですの?
――いいや、俺は全く逆ぢゃないかな。俺の場合は、主体は此の世界から気付かぬ内におっぽり出されて、遂には己の居場所を此の世で見失っちまったと思ってゐます。
と甲君が尚も飄飄と言ひのけたのであった。すると、雪が、
――此の世界から抛り出された主体ですか……それは、さもありなむ、と言へますね、うふっ。
と、雪は愛らしい笑顔を私に向けたのであった。
――つまり、甲さんが仰る世界=外といふのを象徴するのが、電気的に画像を映す《画面》といふ《存在》の有様を指しての事でせう、甲さん?
――それは、一つの象徴でしかありません。
――それでは、甲さんは、何をもって此の肥大化に肥大化した主体を世界から抛り出された《存在》と定義付けてゐるのですか?
――それを簡単に言へば、肥大化した主体が生きれば、世界を頭蓋内の闇の脳といふ構造をした《五蘊場》に表象された《もの》に変へてしまふといふ事です。
――つまり、甲さんに言はせると、主体は《存在》するだけで世界を自分の都合がいい《もの》に変へてしまって、世界の恐怖の《面》を何処かへ追ひやるといふ事ですわね?
――まあ、簡単に言へばさうですが、しかし、主体が肥大化すればする程、世界は主体に都合がよくなければ主体の《存在》は成り立たない。
――それは何故ですの?
――つまり、主体が肥大化するとは、世界を主体から遠ざける事を意味しますが、しかし、実際の処、主体が世界をおっ払ふ事なんぞ出来る筈がない。つまり、主体は、突然豹変する世界の恐怖の《面》を見る間もなく世界に殺されちまふのです。
――つまり、甲さん、現代人は誰もが世界の素面を全く知ることなく、世界に《死》の《面》が現はれれば、忽然と《死》す、換言しますと、現代人は世界を全く知らずに生きてゐるといふ事ですの?
――はい、その事が淵源だとは気付くこともなく、現代の主体は、それが何であれその内部で増幅されるに違ひない《不安》を、それとはまた気付かずに、しかし、主体は漠然とそれを感じてはゐますがね、しかし、主体はそれから目を逸らし、余りに羸弱な世界の一様相のみを主体の肥大化と世界を同調させて、主体はそれを主体同調世界と呼べば、その主体同調世界を主体はそれとは全く気付かずに肥大化させてるのです。そして、雪さん、主体はそんな歪な世界を世界と看做してゐるのですが、そんな世界を雪さんは世界と呼べますか?
――いいえ、それでは主体はそれが何であれ「先験的」に盲人だと言ふのと何ら変はりがないぢゃありませんか!
――さうです。主体が肥大化すればする程、世界は主体には見えなくなるのです。
――それが、世界=外といふ事ですの?
――さうです。現代に《存在》する主体は全て目隠しされた《存在》なのです。つまり、一寸先は闇の世界と何ら変はりがないのです。
――それで、甲さんは絵を描くことで世界を見出したいのですね?
――へっへっ、それはどうぞご勝手に。私の事はどうでもいいぢゃありませんか?
と、甲君は少しはにかみながら言ったのであった。
――甲さんの話からすると、此の世の森羅万象はそれが全て主体と定義付け出来得ると仮定したならば、何《もの》も最早、世界を見失ってゐて、それは、つまり、主体が主体を見失ってゐるといふ事ですわね! うふっ、すると、甲さんによれば、世界が回復するには、先づ、主体の再生が不可欠といふ事ですわね?
と、雪は薄らと楽しげな笑ひをその窈窕な相貌に浮かべて言ったのであった。すると、
――主体の定義付けは君の仕方ではその本質を見失ってしまふ事間違ひなしだが、君はその事に気付いてゐるのかね?
と、丙君が言ったのであった。
――俺の事なんぞどうぞご勝手にと言った筈だがね、丙君。
――だが、君の主体の見立ては、一面的過ぎやしないかね?
――例へば?
――例へば、世界は主体の都合で変へられるなんていふのは単なる幻想でしかない。
――だから?
――つまり、世界は、常に主体を《存在》の在り処として、有史以来、否、全宇宙史以来、変はらずに《存在》してゐる。例へば自然は、主体を簡単に殺せる恐怖の《面》を持ってゐるが、その自然に対する現代の主体の感じ方は、古の邪神や邪鬼などの《存在》を心底信じてゐた世界に対する畏怖と、現代の主体の世界観は殆ど変はってゐやしないぜ。
…………
…………
ねえ、君。此の世に《吾》の事を《吾》と《念》じられる、つまり、此の世の森羅万象は、全て己を《主体弾劾者》として、己で己を裁かなければ為らない「先験的」な義務を負ってゐると思はないかい? 何故って、今も尚、磔刑されたままの基督の磔刑像がRosary(ロザリオ)として、基督者の首にぶら下がってゐるその様は、何とも無情で遣り切れない感情を私に齎すが、換言すると、基督者は己で己を《弾劾》する事で一刻も早く基督を磔刑から解放してやらなくちゃいけない。また、此の世で生きる上で避けやうもない艱難辛苦を神仏に祈り、また、加護を賜る事を望みながら、此の世の邪神や邪鬼が横暴を働くことを鎮める為のそんな主体の振舞ひは、別段悪くはないが、しかし、《吾》が《吾》と認識した《吾》といふ全《存在》、つまり、此の世の森羅万象は、神仏に縋る事無く、徹頭徹尾《吾》は《吾》によって徹底的に《弾劾》される事で初めて、神仏の前に立てるのぢゃないかい?
私から言はせれば、現在、生きてゐる主体全ては、神仏はもとより、《世界》にもおんぶに抱っこされた甘ちゃんばかりが生き延びる不合理極まりない《世界》の無情を感じずにはゐられぬのさ。此の世の森羅万象は、しかし、君、己を己で裁く《主体弾劾》を行使すると思ふかい?
…………
…………
――つまり、丙君は、人類は殆ど進化してゐないといふ事を言ひたいのかい?
と、甲君が丙君に尋ねると、
――ああ。私に言はせれば人類は進化してゐるどころか、むしろ退歩してゐるとしか思へぬがね。
と、丙君が言ふと、雪が、
――あら、丙さんは、もしかして文明否定論者ぢゃありませんの?
――はい。私は此の文明といふ奴との相性がとことん悪いやうで、どうも文明に対しては、否定的な感情しか湧かないのです。
――それは何故かしら?
――多分、文明が進歩する事、即ち人類の進歩といふ能天気な考へが全く受け入れられず、自分でもほとほと困ってゐるのです。これまで、人力でしか行へなかった事が、どんどんと文明によって人力以上の事がいとも簡単に行へ、さうして人類の人工奴隷として生み出された文明の利器の数数を見てゐると、哀れで仕方ないのです。
――へっ、何をしをらしい事を言ってゐるのだ、丙君?
と、甲君が半畳を入れたのであった。
――では、甲さんは、人類は進歩してゐると?
と、雪が訊くと、甲君は、
――へっ、まさか! 俺はさっきから言ってゐるやうに主体は《世界》から抛り出されちまって救ひやうのない《存在》として捉へています。
――さうでしたわね。
――私は丙君に賛成だ。
――僕もだ。
――私はどちらとも言へない。
と、乙君、丁君、そして君が言ったのであった。
――雪さんはどう思ひますか?
と、甲君が笑ひながら訊いたのであった。
――さうね、文明の利器に関しては、人類の奴隷でもあり、人類の主人でもある……かしら。
――成程。
――それでは、文明の利器が主人の場合、人類は、どんな思ひでゐるのでせう?
――それは苦苦しく忸怩たる思ひで、もしかすると、その人達の胸奥では不穏な復讐心が芽生えて、燃え盛ってゐる、殺人鬼へと豹変する素地の上にゐるのかもしれませんわね。
――成程。
と、甲君が言ったのであった。すると、丙君が、
――雪さん、《存在》が《存在》する以上、《他》の殺戮はなくならないと思ひますか?
――それは食料を除いての事かしら?
――はい、さうです。
――さうねえ、哀しい事ですが、主体が何かを信仰してゐる限り《他》の殺戮はなくならないと思ひますわ。しかし、何の信仰もない主体はこれまた一時も生きられないのもまた事実でせうね。
――すると雪さんは、諸悪の根源に信仰があると?
――私は、信仰は尊ひ事とは思ひまずが信仰が尊ひが故に、自然が邪神や邪鬼の一面を持ってゐるやうに、信仰は、醜悪で《吾》といふ《存在》には荷が重すぎ、手に負へぬが故に吹き出す暴力が、信仰には厳然と《存在》してゐるのもまた確かでありませんか、丙さん?
――例へば《存在》は絶えず「真」、「善」、「美」を求めずにはをれぬ《存在》であると看做すと、その事自体に、必ず「邪」、「悪」、「醜」をも求めてしまふ元凶が潜んでゐるといふ事ですか、雪さん?
――はい。私の経験に照らしても……、さうですし、また、此の世の森羅万象は全て、「真」、「善」、「美」を求めずにはゐられぬのに比例する形で「邪」、「悪」、「醜」に魅せられてしまふといふ、《存在》がそもそも矛盾した《もの》でしかないと考へてゐます。
――へっ、何やら面白くなってきたな、丙君。
と、甲君がにたりと笑ひながら丙君に言ったのであった。しかし、丙君は甲君には構はずに更に雪に訊いたのであった。
――それでは雪さんは、もしかすると《存在》が諸悪の根源と看做してゐるのですか?
――本当の処はそれを認めたくはないのですが、《存在》は何かと考へれば考へる程に、《存在》が諸悪の根源と言ふ一面を持ってゐる事は否めません。そして、それは「先験的」なの事だと私は考へてゐます。しかし、それはとても残念で仕方がないのもまた事実です。
――そんな事は……文学作品を読めば必ず「邪」……「悪」……そして「醜」なる主題が書かれてゐて……それが文学の永劫の主題とも言へるものなのだが……しかし……だからと言って私には何も言へないのだが……しかし……《存在》から「邪」、「悪」、「醜」がなくなっちまふと……そもそも《存在》は雲散霧消してしまふ何かとしか私には思へぬのだが……だから……私は私が此の世に《存在》してゐる事に憤怒せずにはをれぬのだ!
と、文学青年の丁君は珍しく最後は語気を強めて言い放ったのであった。
――へっ、丁君、そんな事は皆承知しているのを知ってゐるぢゃないか。
と、甲君が丁君を宥めたのであった。しかし、一度憤然としてしまった丁君は、未だ怒り収まらずの態で、その怒りを自身に向けて自身を呪ってゐるやうであったのである。すると、丙君が、
――甲君の言ふ通り、丁君の言った事は皆自覚してゐる事なのです、雪さん。
――さうですか。しかし、あなた方はそれが甘受出来ずに苦悶してゐるのぢゃありませんの?
――ご名答、雪さん!
と、甲君がその明るい語調とは裏腹に甲君はその顔に少し憂ひを漂はせて言ったのであった。
――《存在》は土台、「邪」なる《吾》、「悪」なる《吾》、そして「醜」なる《吾》を《異形の吾》として「先験的」に抱へ込むやうに仕組まれてゐて、ところが、《存在》が此の世に《存在》する以上、その事から目を背ける事は許されてゐない《存在》として、森羅万象はその《異形の吾》からの遁走の道はこれまた「先験的」に自ずと断たれてゐて、《吾》といふ《存在》は《存在》するだけで既にのっびきならぬ《存在》の立ち位置に《存在》させられてゐるのが実際の処だらう。
と、君が言ったのであった。
――それで? 君の言は全てがこの《杳体御仁》の「黙狂者」君の受け売りだらう?
と、甲君が言ひ、其処で君は、
――だから、《存在》は「先験的」に苦悶する事を余儀なくさせられてゐる《もの》と看做せるのぢゃないかね、甲君。
と、君は言ったのであった。すると、猊下たる丙君が、
――しかし、それでは現状を唯、承認、若しくは追随したに過ぎぬのもまた事実だらう?
――さう。丙君の言ふ通り、《存在》が「邪」、「悪」、「醜」なる《吾》を承認する事は、《存在》が《存在》する以上、当然の事で、丙君の言ふ通り現状維持に過ぎぬのだが、しかし、此の《吾》はその事が口惜しくて堪らないのもまた事実だらう?
と、君が言ったのであった。すると雪が、不意に、
――では、形而上には「邪」、「悪」、そして「醜」は《存在》しないといふ事ですの?
と尋ねたのであった。
――形而上に「邪」、「悪」、そして「醜」があるのかどうかをはっきりとお答へする資格は、そもそも私にはありませんが、尤も、《存在》は形而上には「邪」、「悪」、そして「醜」のない仮象世界を思ひ描きたい欲望はあるとは思ひますが。
――うぅぅぅぅあぁぁぁぁああああ~~。
――それでは××さん、形而上と理想郷の違ひは何なの、うふっ。
――其処に明白な違ひは多分ないと思ひますが、だからと言って、神代の時代に「邪」、「悪」、そして「醜」がないと言へば、それは全く逆で、神程、傲岸不遜で此の世に《存在》する《もの》の中で最も「邪」、「悪」、そして「醜」の振舞ひの限りを尽くした《存在》は、世界中の神話に照らせば明らかで、それから推察しますと、形而上にも「邪」、「悪」、そして「醜」は残念ながら《存在》すると看做した方が自然ですね。
――しかし、××さん、形而上の《存在》の全ては、己が今行ってゐる事が「邪」、「悪」、そして「醜」なのかを自覚するきっかけを全く失ってゐると思ひませんか?
――さうですね、雪さん。形而上の《もの》は、全て《吾》といふ観念から解放されてゐますね。
――さうかしら?
――と言ひますと?
――形而上の《もの》は、唯、《存在》する事に夢中なのぢゃありませんか? つまり、究極の自己陶酔の中にあるといふ自覚が何処まで行っても見出せないだけだと私は思ひますわ。
――それは、つまり、魂が渇望する《世界》にこそ、形而上の何たるかが啓示されてゐて、それをこの《現実》といふ超自然的な人工世界が図らずも代弁してゐるとお思ひなのですね、雪さん。
と、君を押し留めて丙君が訊いたのであった。
――現在の此の世の《他》の頭蓋内の脳といふ構造をした闇、それをこの方は《五蘊場》と呼んでゐますが、その《五蘊場》に表象された《もの》で埋め尽くされたこの超自然的な人工世界が、此の世の森羅万象が渇望して已まなかった理想の《現実》だった事は、多分、間違ひない事なのだと思ひます。つまり、此の人工物が犇めく此の《現実》こそ形而上の《世界》の一様相を表わしてゐて、その事により、此の世の森羅万象は底知れぬ虚無感に、今現在、苛まれてゐる、そして、多分、その人工世界が崩壊を始めて新たな世界観を生み出すべくParadigm変換の変動期に、私達は居合はせてゐるに違ひないと私には思へて仕方ないのです。
――すると、雪さんが、××君に問ふた『形而上に「邪」、「悪」、そして「醜」が《存在》してゐるか?』といふ命題は、雪さんの中では既に自明の事で、やはり、形而上においても「邪」、「悪」、そして「醜」は《存在》してゐるけれども、形而上での《存在》の全ての《もの》はその《存在》自体に夢中為るが故に、己の振舞ひが「邪」、「悪」、そして「醜」と自覚される事は未来永劫に亙ってないといふ事ですと、それでは《存在》が此の世に何としても歯を食ひ縛り、砂を噛み締めながらも《存在》する事の希望といふ《もの》は、最早残されていないと?
――はい。希望は、元来、此の世にも、形而上にも《存在》した形跡はありません。
――すると吾吾が希望と呼んでゐる《もの》の正体は何と?
――我執、我慾等等、《吾》が《吾》であるかもしれないと一瞬でも思はせて呉れる架空の《もの》の事を《吾》は希望と呼んでゐると私には思へて仕方ないのですの。
――つまり、希望は、此の世に《存在》する為の阿片といふ事ですか?
――はい。私はさう看做してゐます。
――しかし、此の世に希望が無いといふ事は、多くの《存在》にとっては、その《存在》を支へる支柱を失ふ事に直結し、此の世は此の世の初めの渾沌状態に逆戻りしてゐる事になりませんか?
――はい。だから、先程、私は現在、新たなParadigm変換の変動期を迎へてゐると申したのです。
――うぅぅぅぅあぁぁぁぁああああ~~。
――すると、《吾》は今一度《吾》の創り直しを行ってゐる状態に現在あるといふ事ですか?
――はい。うふっ。そんな事、私にお訊きになる前に丙さんには既にお解かりの事ぢゃありませんの? うふっ。
――へっ、古狸の化けの皮が剥がれたな、丙君!
と甲君が此処ぞとばかりに半畳を入れたのであった。
――確かに雪さんの仰る通り、私には或る偏向した観念が《吾》に対してあるのは間違ひありませんが、それだから尚一層、私には《吾》が何を指してゐるのか解からなくなってしまふのです。
――あら、そんな事、誰もが同じ事ぢゃありませんの? 丙さん。
――やはりあなたも吾等と同類のパスカルの深淵の住人なのですね、雪さん。
と丙君は苦笑ひしながら言ったのであった。そして、丙君と同じやうに笑顔で雪が、
――うふっ、パスカルの深淵の住人ですか? つまり、私も穴居人といふ事ですね?
――はい、さうです。雪さんもまた穴居人です。立派なパスカルの深淵の住人です。
――それは褒め言葉ですの、うふっ。
――さあ、それは解かりませんが、吾等は《吾》に躓いてしまった《存在》である事は間違ひありませんね。
――《吾》に躓かない人なんて此の世にゐるのかしら?
――へっ、そりゃさうだ、なっ、丙君!
と甲君が、嬉嬉として言ったのであった。
――確かにさうですね。だが、殆どの《存在》はそれが青臭いといって、一時出来る腫物の如く自然に治癒する《もの》と思ひ為してやり過ごし、そして、挙句の果てが《吾》は《吾》だと開き直って《吾》のその醜悪なる異形の面を全く無視して何食はぬ顔でのうのうと生きてゐる。それが、パスカルの深淵の穴居人には全く理解不能の事で、また、不思議でならないのですが、彼等はとことん《異形の吾》の《存在》を知らんぷりして現状に満足の態で、《吾》が《吾》に躓く事が《存在》の生死に関はる大問題である事に全くピンと来ずに『何を下らぬ事に現を抜かしてゐるのか!』と訝しり、大抵はパスカルの深淵の住人たる穴居人を蔑視して、彼等は徹底して《吾》を見ずに《吾》から只管遁走してゐるのですが、しかし、その内実はと言ふと、実際、《吾》が《吾》である事が不安で仕方ないのです。そして、彼等はその不安に徹底して対峙したくないので、吾等のやうなパスカルの深淵の住人たる穴居人は《吾》に《吾》を喚起させるので、全く毛嫌ひして乞食を見るやうに見なかったことにして「社会的」な《存在》といふ《吾》が《吾》である事から一面で解放する《吾》のない《存在》である振りをし続けるのです。まあ、それはそれで胃が痛む事ではありますがね。
――さうですね、丙さん。しかし、《存在》の作法として『《吾》は《吾》に躓いてゐる』と胸を張るのもまた不作法でどうかしてゐます。《存在》はそもそもその正体を隠す《もの》で、出来得ればその《存在》の、もしかするととんでもなく無様な有様を見たくないのは《存在》に備わった本能に違ひありません。その好例が、此方の甲さんですわ。
――へっ、俺ですか?
――確かに雪さんの仰る通り甲君は、明るく振る舞ってはゐますが、その振舞ひの彼方此方に甲君の本質に関はってゐるに違ひない憂ひがどうしてもそのおくびを出してしまはずにはをれないのです。
――丙さん、甲さんばかりでなく、あなたもまた、その鋭き眼光に憂ひの《吾》の姿がまざまざと見えてしまってゐますわ。
――何故さう思ひます?
――だって、丙さんのやうにぎろりと眼光鋭く《他者》を見る人は、いえ、《存在》ですね、その《存在》は《吾》をも同様に眼光鋭く覗き込まなければ気が済む筈はありませんもの。
――確かにその通り!
と甲君がこれまた笑顔を湛へながら言ったのであった。
――そして、乙さん、丁さん、××さん、そしてこの《杳体御仁》の「黙狂者」さんも同じです。普通であれば、《吾》に躓いた《吾》は、直ぐに起き上がって何事もなかったやうにさっさと歩いて行く《もの》ですが、此処に集ってゐる皆さんは、《吾》に躓いても立ち上がる事が出来ずに、またその術が全く解からず、ひっくり返った亀の如く首をぬっと伸ばして元に戻る膂力が無くなく、只管、のた打ち回ってゐるのが精一杯なのですわ。
――また、何故にさう思ったのです、雪さん。
と丙君が重重しく、そして鋭い眼光をぎろりと輝かせて尋ねたのであった。
――うぅぅぅぅあぁぁぁぁああああ~~。
――それは簡単ですわ。私があなた方と会った刹那、私自身が自分に対して感じる或る特徴をあなた方にも感じたからですわ。つまり、類は友を呼ぶですね、うふっ。
――つまり、雪さんは、この「黙狂者」の彼に自分と同じ《もの》を見てしまったと?
――はい。
――例へばこの彼の何が雪さんにさう感じさせたのですか?
――この方の瞳よ。この方の瞳は、何メートル先にあらうが、その憂ひに満ちた不穏な輝きが一際目立つのです。
――すると雪さんは、今日、この「黙狂者」と会ふ前から既に彼を気に掛けてゐたのですか?
と、君が雪に尋ねたのであった。
――ええ。いづれはこの方と対する事になるだらうと思ってゐました。
――うはっ。すると雪さんはがこの《杳体御仁》の「黙狂者」君に惚れてゐたと?
と、これまた甲君が嬉嬉として言ったのであった。
――はい。
――うはっ。『はい。』、と来たもんだぜ。すると雪さんの一目惚れかい?
と、これまた甲君が嬉嬉として雪に尋ねたのであった。
――はい、うふっ。
と、雪はその窈窕な顔に薄らと紅色を浮かべて微笑みながら言ったのであった。
――よう! 《杳体御仁》、何とか言へよ!
と、甲君が私を囃し立てながら茶化すのであった。
――雪さんは一体彼に何を見たのですか?
と甲君の言葉を無視して猊下たる丙君が言ったのであった。
――さあ、何かしらね……強ひて言へば、この方と私の第六感の波長がぴたりと合ってゐたことかしら……、つまり、例へば前世といふ《もの》があるとしたならば、この方と私は前世では夫婦だったと、この方を一瞥した刹那に私はこの方に魅せられてしまった、と言へばいいのかしら。
――それだけですか?
――いいえ。この方の《存在》が何かとても愛ほしかったのです。多分、私はこの方に私の亡き父の姿を見てしまったのでせう。
――さうですか。
――へっ、何を落胆した面をしてゐるんだね、丙君!
と、これまた甲君が嬉嬉として言ったのであった。
――ちっ、それが君の優しさなんだよ。
と、丙君はにんまりと笑って甲君に言ったのであった。
――よう、《杳体御仁》の「黙狂者」君、女性から直截に恋心を打ち明けられた感想はどんな《もの》かね?
――うぅぅぅぅあぁぁぁぁああああ~~。
相変はらず私の瞼裡には、見知らぬ男が私の眼前に拡がる虚空を声に為らざる声を発しながら何処とも知れぬ何処かへと浮遊してゐるのであった。
しかし、その時は皆が押し黙ったまま私の手元を見てゐたので、私は仕方なく、大学Noteにかう書いたのであった。
――つまり、私も、つまり、雪と同じだ。
――はっはっ。二人とも一目惚れ同士か! このお、まったく隅に置いておけないな、《杳体御仁》!
と、ヴァン・ゴッホ気狂ひの甲君がさらに嬉嬉として半畳を入れたのであった。
――成程。雪さんは、この「黙狂者」の全てが知りたくて、今日、私たちのサロンにいらしたのですね?
と君が言ったのであった。すると雪が、
――はい。もしもお邪魔でしたなら、私はお暇しますが。
――いえ、雪さんはいらしてください。男ばかりだとどうもむさ苦しくていけないんでね。紅一点の華美な花がここにゐるのとゐないのとでは雲泥の差なのです。
と君は言ったのであった。
――《杳体御仁》がお美しい雪さんに惚れるのは解かるとしても、雪さんがこの発話不能な「黙狂者」君に惚れるとは、此の世はまだまだ捨てたもんぢゃないな。不思議だぜ、此の世は。
――あら、私はその発話不能な処が尚一層好きなのです。
と、雪は、きらきらと輝かしい笑顔で言ひ切ったのであった。
――それはまたどうしてですか、雪さん?
と、丙君は、天井へとその視線を向け、己の頭蓋内の闇を弄るやうにして、重重しく言ったのであった。
――現代では、発話可能な方は、実際、《存在》してゐると思ひますか、丙さん? 私は現代では発話そのものが既に不可能な時代なのだと思へて仕方ないのです。
――しかし、私達は、現代にかうして発話しながら会話を交はしてゐるぢゃありませんか?
――でも、私達は《存在》をぴたりと言ひ当てる言葉を喪失してゐます。
――それはさうですが、しかし、何時の世も、《存在》をぴたりと言ひ当てる言葉は《存在》してゐなかったのではありませんか?
――いいえ。嘗ては《神》が確かに《存在》してゐました。つまり、発話とは信仰と深く結び付いた《もの》でなければ、それは全て嘘でしかありません。それ故に嘗ての「現存在」が発話する言葉には《吾》といふ《念》が宿り、つまり、言霊が確かに《存在》してゐたのです。
――それは呪詛ではありませんか?
――ええ。呪詛でも構ひません。嘗ては発話にはそれだけの不可思議な《力》が宿ってゐたのですが、翻って現代では、言霊を信じてゐる人がどれだけゐると思ひますか?
――さうですね、皆無ぢゃありませんか。
――さうです。言霊はすっかり失はれてしまったのです。
――しかし、言霊信仰は呪詛があるやうに現代ではOccult(オカルト)的で危険です。
――あら、どうして、丙さん?
――う~ん、何と言へばいいのかな……つまり、現代人には既に言霊を背負ふだけの膂力が蒸発してしまってゐます。
――うふっ、さうですね。でも、現代人の潜在能力として言霊を担ふだけの膂力は残されてゐるに違ひないと、私には思へます。
――と言ひますと、例へばどんな処に、雪さんはそれを感じますか?
――例へば誰しもその《存在》が《死》の淵に追ひ詰められれば、必ず信仰告白をする筈だと思ふのです。
――つまり、雪さんは、現代人もまた、《神》を信仰してゐると?
――はい。それは間違ひありませんわ。
――それでは、《神》のない仏教を何と思ひますか、雪さん?
――あら、仏教にもちゃんと《神》がいらっしゃるぢゃありませんか。つまり、釈迦牟尼仏陀といふ《神》が。
――確かにヒンドゥー教では仏陀は《神》の一人として崇められてゐますが、しかし、仏教徒の全ては、『色即是空、空即是色』の境地を欣求して已まぬのではないですか?
――その境地とは釈迦牟尼仏陀に重なる事でせう。
――ふむ。
――ほら、どうした丙君、押されっ放しぢゃないか!
と、再び甲君が半畳を入れ、そして、雪に軽くウィンクをして見せたのであった。
――うふっ、甲さんて、本当にお優しいのですね。
――つまり、雪さんは正覚する事を何とお考へですか?
と、丙君が甲君には構はず再び尋ねたのであった。
――さうねえ、しじま……かしら。
――しじまですか?
――はい。無音の中で全ての《存在》の呟きが聞こえ、さうして《存在》は己の事を全て語り尽くせる境地が、正覚に違ひありません。
――すると、雪さんは、この《杳体御仁》に正覚者を見てしまったといふ事ですか?
――さうですね。さう言はれてみれば、さうに違ひないのですが、一方で、私はこの方に《存在》の業を強く感じたのです。
――《存在》の業と言ひますと?
――つまり、パスカルの深淵に図らずも突き落とされて、この方の場合はそれ故に瀕死の状態に陥ったにも拘らず、そこで決して《生》を諦める事無く、また《生》に意地でも拘るその生命力かしら?
――生命力ですか。この「黙狂者」君に生命力があるとは私には全く思へませんがね。
と丙君が言ふと、甲君が、
――おいおい、雪さん相手に鎌をかけてどうする?
――あら、甲さん、私は構ひませんわ。そして、丙さん、この方は、現在、《死》の淵をよろめきながら歩いてゐるのですわ。何故って、今の処、この方が《死》ぬやうには誰も思はないでせう?
――それはさうですが、しかし、「黙狂者」君は、私の眼には只管己の《死》ばかりを欣求してゐるやうにしか見えませんが?
と、丙君が言ふと、甲君がまたぱちりと雪にウィンクして見せたのであった。雪もぱっと周囲が明るくなるやうな美麗の笑顔を見せながら、丙君の問ひに答へたのであった。
――それがこの方の生命力の為せる業なのです。
――それはまた何故に?
――丙さん、御免なさい。ちょっと煙草を吸ってもいいかしら?
――ああ、どうぞどうぞ、皆、Heavy smoker(ヘヴィ・スモーカー)ですから気にせずにどうぞ。
と、丙君が言ふと、雪は、鞄から煙草とLighter(ライター)を取り出して煙草を一本銜へると「しゅぼっ」と、火を点け、一息、深深と煙草の煙を呑み込んだのであった。
雪は、やはり、未だ、「男」に対しては緊張してゐたのだ。それでも私が傍らにゐる事で何とか君等に対する事が出来たのだ。雪は飽くまで、その時平静を装ってゐたが、どうやら、緊張が限界に達したので煙草を呑まざるを得なかったのだらう……。
それにしても、雪は、本当に美味さうに煙草を吸ふのであった。
そして、吾吾もそれぞれ思ひ思ひに煙草を銜へて一服したのであった。
――丙さん、この方に生命力があると私が看做すのは、かう言ふ論理です。つまり、余程の生命力がなければ、《死》なずにずっと、《死》の淵、つまり、それが《パスカルの深淵》とするならば、普通であれば、その深淵の淵を何時迄経っても、うろつくことなど不可能なのです。《パスカルの深淵》に追ひ詰められた《吾》は、即座に《死》するか、《パスカルの深淵》から脱する筈なのです。
――つまり、雪さんにとっては、この「黙狂者」君は、《死》も《パスカルの深淵》の脱出も図らぬ事に驚嘆してゐるといふ事ですね?
――ええ。尋常ぢゃありませんもの、うふっ。
――雪さん、それではこの《杳体御仁》は、現在、何をしてゐるとお考へですか?
と、文学青年の丁君が珍しく澱みなく言ひ切ったのであった。
――さうねえ、多分、自分殺しでせう。
――自分殺し?
――はい。この方は、《吾》を何としても炙り出さうと、己の中に巣食ふ幾人もの自分を虱潰しに次次と殺していって、最後のどん詰まりには《吾》が見出せるに違ひないと思ってゐる筈です。
――成程。雪さんもさう睨んでゐたのですね。
とヴァン・ゴッホ気狂ひの甲君が相槌を打ったのであった。
――よお、《杳体御仁》、本当の処はどうなんだい?
と甲君が私に尋ねたので、皆が再び私を凝視し、私が大学Noteに何を書くのかをぢっと息を殺して待ってゐるのであった。
私は、また、仕方なく、
――つまり、私は、つまり、現在、つまり、主体弾劾を、つまり、行使してゐる。
――ふっふっふっ。主体弾劾と来たか! 成程。すると、雪さんの、また吾吾の睨んだ通りといふ事だね。だがね、《杳体御仁》、それを独りでやらうとは水臭いぢゃないか。苦しければ吾等にしがみ付いても構はないんだぜ。
と甲君が、何か愛おしい愛玩動物を愛でるやうに私を見たのであった。
――本当に甲さんてお優しいのですね。
と雪が今更ながらに感嘆するのであった。
――此奴の優しさは今に始まったことぢゃないからな。此奴に遭った途端に、このゴッホ気狂ひの魅力の虜にならない人間は、多分、殆ど皆無に違ひない。つまり、このゴッホ気狂ひの甲といふ人間は《存在》を愛して已まないのさ。
と君が言ったのであった。
――さうですね。甲さんはきっと《存在》の底無しの哀しみをご存知なのですわ。
――それはまたどうして?
と君が雪に訊いたのであった。
――だって、《存在》する事の哀しさを知らない人が《存在》を愛する、いいえ、違ひますね、《存在》を慈しみの目で見る事は不可能な筈ですから。
――すると、雪さんは甲君にその底無しの《存在》の悲哀が感じられるのですか?
――ええ。私の一方的な甲さんに対する感じ方ですみませんが、甲さんは、実際、独りになると、その絶望の底が知れぬ程の絶望の中で、唯、只管、《世界》と《存在》の正体を見出すばかりでしか《生》が存続出来ない程に追ひ詰められてゐるに違ひありませんわ。
――雪さん、俺の事はどうでもいいぢゃありませんか。
――あら、どうして?
――こっ恥ずかしくて仕様がないから!
――でも、甲さんは、多分、現世に《存在》してしまった《もの》に今一度、『何故にお前は此の世に《存在》するのか?』と必ず問はせる不思議な能力をお持ちぢゃありませんか。
――だから、俺の事はどうでもいいぢゃありませんか、雪さん。
――照れ屋さんなのね、甲さんって、うふっ。
……………
……………
ねえ、君。成程、雪が喝破した甲君に対する眼差しは、冴えに冴えてゐただらう。甲君はたじたじで、ちょっと照れ笑ひを浮かべてゐたのが今でも私の瞼には焼き付いてゐるよ。
それはさておき、君には私が言ふ主体弾劾の正体が解かってゐたのだらうかね。私は当時、既に存在論的に破綻を来してゐて、存在論的抹殺を己自身で《吾》に対して行ってゐたのだよ。それが何かと尋ねられば、私は迷はずに、
――《存在》は「先験的」に此の世から抹殺される宿命を遅かれ早かれ心底味はひ尽くす事を課されてゐる。それ故に、《存在》は現世に《存在》出来得るのだ。そして、己の抹殺を行ふのは、《吾》か《自然》のどちらかしかなく、私は迷はずに前者を選んだのだ。
つまり、《吾》が《吾》を永劫に弾劾するといふ地獄をね。それが、《存在》の全うな作法だらう。
……………
……………
――でも何故に《存在》は、そもそも底知れぬ悲哀を味はひ尽くさねばならないのかしら?
と雪が言ったのであった。
――さうですね。それは《存在》が《世界》を認識せざるを得ぬからでせうかね。
と猊下たる丙君が雪の問ひに答へたのであった。
――《世界》に戸惑はない《存在》などありません。
と数学専攻の乙君が言ったのであった。
――はて? 《世界》に戸惑ふとは?
――如何なる《存在》も此の世に出現するその刹那に、此の《世界》との遭遇に戸惑ひ、『うわぁっあっあっ』と産声を上げるのさ。その時、母親的な、つまり、Agape(アガペー)的なる《存在》が、産声を此の世に発した如何なる吾子たる《存在》へも慈悲の愛を注いで、泣いてゐる《存在》の赤子をあやさずばをれぬ、へっ、本能を《存在》には「先験的」にか「後天的」にか授けられてしまってゐるのさ。しかし、己が《存在》の何たるかを認識出来ないうつけ《もの》が幼子を虐待し、つまり、Ssadism(サディズム)とMasochism(マゾヒズム)といふこれまた本能的なる《もの》に「先験的」に付与された《存在》の愚行を感情の捌け口としてか、将又、感情的なる《存在》へと吾が《存在》を逃げ込ませるのかなど、様様な原因はあらうが、《存在》は残酷極まりない《もの》でもあるのは確かさ。ともあれ、普通の《存在》ならば泣いてゐる赤子はあやさずにはをれぬ《もの》だらう?
――ふっ、それが諸悪の根源ではないのかね。
――埴谷雄高だね。さう、《存在》の赤子が産声を上げれば、《存在》の赤子を微笑みを持って吾が赤子を抱き上げる母親的なる《存在》が《存在》する事が、《存在》を此の世に出現させる諸悪の根源であるのは、一面的には正しいかもしれぬが、しかし、《存在》が《存在》を生み出す業を背負ふ宿命にある女性的なる、つまり、子宮を持つ《存在》のその有様は、《世界》を存続させるべく、此の世に出現させられた一番の犠牲者なのではないかね。例へば、聖マリアなど、《世界》の悪意から吾が子を守るべき事を自覚しなければならなかった《存在》が《存在》した事が、その象徴とも言へるだらう。
と君が言ったのであった。
――ではヨブはどうかね?
と猊下たる丙君が君に訊いたのであった。
――ヨブ程、《存在》の莫迦らしさを徹底的に味はされた悲哀なる《存在》はゐないのぢゃないかな。
と君が言ふと、雪が、
――私は『ヨブ記』が大っ嫌ひなのです。
と言ったのであった。その顔には、《神》と名の付く《もの》への多少の反発とヨブに対する慈しみがない交ぜになったやうな何かを嫌悪する顔付であった。
――また、何故にですか?
――何故って、『ヨブ記』程、《神》の傲慢が描き出されてゐる《もの》はありませんわ。
――《神》の傲慢と言ふと?
と丙君が言ふと、雪が、
――《神》が「現存在」の信仰を試す傲慢ですわ。
――しかし、吾等は絶えず己の信仰心を自ら試してゐるぢゃありませんか?
――だから、《神》自らが「現存在」の信仰を試す愚行を平気の平左で行ってゐるのが我慢ならないのです。
――つまり、雪さんにとって、『ヨブ記』は、《神》によるヨブへの虐めといふ解釈ですね?
――はい、丙さん。《神》が「現存在」を虐めてどうするのですか? 「現存在」が《神》に手も足も出ないのは、端から解かってゐるのに、それを敢へてやっしまふ《神》は一体何ですの?
と雪が捲し立てて丙君に訊くと、丙君は、
――さうであっても、「現存在」は必ずや信仰を捨てられない羸弱な《存在》である事の見本として『ヨブ記』が《存在》してゐると思ひますが。
――それが《神》の傲りなのよ。「現存在」を含めて、此の世の森羅万象がヨブの身になれば、大概どんな《存在》も《神》の撲滅へと衝き動かざるを得ぬ筈だわ。
――《神》を撲滅した後は?
と猊下たる丙君が少し皮肉を交へて雪に訊いたのであった。
――《世界》の相転移よ。
――それは《存在》の全剿滅を意味してゐるのではありませんか?
――はい。《神》を撲滅しての森羅万象は、其処で《世界》が相転移する事象に思ひも及ばず、然しながら《世界》は相転移を起こし、《世界》は《新=世界》へと生まれ変はるのよ。
――雪さんは、相転移と言ふ言葉を何によって知ったのですか?
――この方に。
と雪はにこりと微笑みながら私を見たのであった。
――成程。
と丙君が言ふと続けて、
――現代が、《神》亡き《世界》とは看做せませんか?
――さうねえ。それは一面的では的を射てゐるかも知れませんが、しかし、現代でも《神神》は《死》する事無く厳然と《存在》してゐますわ。
――例へば、その《神神》が全て『《吾》とは何ぞや?』と自問自答する《存在》に纏はり付く自同律の陥穽に落っこちてゐたとしたならば、雪さんは、それをどう看做しますか?
――あら、丙さん、面白いことを仰るのね。さうねえ、此の世の全《神神》が『《吾》とは何ぞや?』といふ自同律の陥穽に落ちた処で、「現存在」はそんな事知っちゃこっちゃありませんわ。唯、《神神》に幻滅し、《神神》に対する見方を見直すかもしれませんね。でも、《神神》は元元、『《吾》とは何ぞや?』といふ自同律の陥穽の中に《存在》する《もの》ではありませんか?
と雪は目を爛爛と輝かせて丙君に訊いたのであった。多分に、雪はこれまで男に対して鬱屈してゐた思ひを吐き出す快感の中にゐるやうに伸び伸びとし始めたのであった。すると、横から甲君が、
――《神神》が『《吾》とは何ぞや?』といふ自同律の陥穽に落っこちるのは勝手だが、それが吾吾の《存在》に対して豪(えら)い迷惑をかけてゐるって事を《神神》は一貫して知らぬ存ぜぬで済まさうとしてゐるのかね?
――さうねえ。《神神》も己の事で手一杯で、そのとばっちりを此の世の森羅万象は受けている筈だわ。
――例へば?
と甲君が雪に訊くと、
――例へば《神神》が『《吾》とは何ぞや?』といふ自同律にあるとするならば、此の世の森羅万象も《神神》の自同律に芽生える不信の目に無理矢理付き合はされてゐるに違ひないからだわ。
――さて、それ以前に自同律の陥穽に落っこちてゐる《神神》って何なのかね?
と、甲君が丙君に尋ねたのであった。
――此の世さ。
――え? 此の世?
――さう。此の世の森羅万象が自同律の陥穽に落っこちた《神神》の懊悩の正体さ。
――《神神》の懊悩? つまり、《神神》もまたその《存在》において懊悩する《存在》の業から遁れられぬといふ事だね。
――いや。例へば此の宇宙を《神神》の頭蓋内の闇、この「黙狂者」君の言葉を借りると《五蘊場》とすれば、何となく、此の世の森羅万象の意味する処が見当付く筈だがね。
――成程。君もまた、この「黙狂者」の《杳体御仁》に感化されてゐるのは知ってゐるが、ならば、吾等の《存在》とは《神神》の夢、若しくは表象といふ事かね?
――多分な。
――へっ、多分か。所詮、何《もの》も、此の宇宙が出現せずにはをれなかったその因に辿り着けやしない。それが《神神》であってもだ。
――すると、此の宇宙が出現する以前に《神神》すら《存在》してゐなかったとでも言ひたいのかね?
――ああ。唯、《吾》に為らうと欲する《念》が、此の宇宙の出現以前にあったのさ。
――それもこの「黙狂者」の《杳体御仁》の受け売りぢゃないかね?
――さうだが、しかし、私もこの「黙狂者」の《杳体御仁》の考へを認めるしかないと観念したのさ。
――つまり、君の試行錯誤が全て水泡に帰しちまっただけだらう?
――唯、全てを《神神》に帰す事が馬鹿馬鹿しくなったのさ。
――つまり、《神神》に対する猜疑だらう?
――さう。
――しかし、そんな事は既に此の世に《存在》する《もの》はそれが何であらうが、気付いてしまった事実だらう。つまり、簡潔に言へば、その正体は現実と言ふ事さ。
すると、雪が甲君に、
――甲さん、現実が《神》に対する不信を、そして現実がある故に《神神》が己に対しての猜疑を生む動因といふ事ですか?
――さう。全ては現実に収束するのです。
――現実に収束するとは一体何の事を仰ってゐるのてすか、甲さん?
――約めて言へば、元元無限個あった筈の《世界》が、数列などで見たことがあると思ひますが、0→∞で《一》なる《世界》、つまり、現実に収束するのです。否、現実に収束しなければ、此の世は一時たりとも《存在》出来ぬのです。
――さうしたならば、現実には無限個の現実の位相が減衰した末に出現する唯《一》なる《もの》こそ《一》なる《世界》に収束するといふ事ですの?
――ふむ。
すると、
――それはさう考へてもいいでせう。
と猊下たる丙君が言ったのであった。
――さうですね、雪さんの考へ方に一理ありますね。0→∞と《世界》の極限を求めた結果が、此の現実であるといふのは、十分あり得る考へ方です。
と、数学専攻でブレイク好きの乙君が念を押したのであった。
――すると、此の宇宙が出現する以前には無限個の宇宙未然の何か、それを甲さんもこの方も《念》と呼んでゐますが、その《念》といふのは、《吾》に為るべく《念》が《存在》してゐたといふ事かしら、甲さん?
――へっへっへっ、惜しいですね、雪さん。《吾》に為るべく《念》は此の宇宙が出現しても残されたまま、未だに何《もの》によってその正体が解からない《もの》として此の現実に現存してゐる難問なのです。
――すると、《吾》といふ《念》は此の宇宙誕生以前の名残といふ事ですね!
――はい。さうなのです、雪さん!
――それですと、《神》以前に《念》は確かに《存在》してゐたといふ事ですわね。すると、《念》は宇宙誕生の引き金を引いたといふ事でいいのかしら、甲さん?
――《念》は本来、永劫に自同律の陥穽に落っこちたままであったに違ひないのですが、不意にその自同律の陥穽に落っこちた《念》に《吾》が芽生え、そして、《吾》に猜疑が生まれてしまったのです。さうでなければ、此の宇宙が誕生する必然はなかった筈です。しかし、自同律の陥穽に落っこちた《念》は不運にも《吾》とともに∞といふ《もの》を見つけてしまったのです。と、その刹那、此の宇宙はBig bangを起こしちまったと私は考へてゐます。
――その∞が《神》かね?
と、丙君が甲君を眼光鋭くぎろりど睨んで訊いたのであった。
――さあ、それは何とも言ひ難いな。
――でも甲さんのご意見を伺ってゐると、丙さんの仰る通り∞が《神》ぢゃないとをかしいですわ。
と、雪が言ったのであった。
――うぅぅぅぅあぁぁぁぁああああ~~。
私は雪たちの会話を聞きながらも相変はらず私の見ず知らずの他人の《霊》の声に為らざる声の呻吟をぢっと聞いてゐる外なかったのであった。吾が虚空を飛翔する其の人は、しかし、その時ににたりと笑ひ、そして、むくりと頭を擡げて、暫く私を凝視してから、
――有難う。
と、その口の動きから読み取れる声に為らざる声で私に語りかけ、また、その黄金色に淡く輝く顔に微笑を浮かべたのであった。
――では、《神》が∞である事に雪さんは我慢出来ますか?
と甲君が雪に訊いたのであった。すると、雪は、
――我慢なんて、私、これまで考へた事もなかったわ。唯、《神》は∞を手懐けてゐる《存在》、いいえ、此の世の森羅万象から超越した何かだとしか考へてゐませんでした。しかし、《神》の問題は、本当の処、《念》とどう関はるのですか、甲さん?
――《念》は∞次元多様体においてのみその姿形が現はれるのです。
――∞次元? この方も先程、∞次元といふ事を持ち出して《個時空》のカルマン渦でしたか、その渦を物理数学で表はすには∞次元の《存在》なくしてはあり得ぬと説いてゐましたが、甲さんの仰る∞次元は、この方の受け売りなのですか?
――いいえ、雪さん。《杳体御仁》の「黙狂者」君は、渦は物理数学的に表記するには∞次元を想定しないと無理だと言ってゐる筈ですが、私が言ふ∞次元は、《念》といふ《もの》を考へる上で∞次元の《存在》を考へるのが最も妥当だとの思ひに至った故の事です。
――すると、《念》もまた渦の一種ですの?
――ふはっはっはっはっ。雪さんはお解りのやうですね。面白い! 私も《念》を渦に結び付けて考へはしましたが、何せ、∞の事ですので有限なる《吾》たる私にはちゃんと合点がゆく概念は、今の処、捻出出来ず仕舞ひです。
――しかし、《念》は此の世に一様に遍在してはゐまい。「黙狂者」の説く通り、《念》もまた渦を巻かなければ、その《存在》は此の四次元多様体たる《世界》に生くる吾等に感知出来る筈はないと思ふがね。
と丙君が荘重に言ったのであった。
――さう。甲君もまた《念》は宿る《もの》と看做してゐるだらう?
と君が言ひ、
――《念》が自同律の陥穽に落っこちてる事自体、既に《念》には濃淡や強弱のある揺らぐ《存在》と看做した方が辻褄が合ふと……。
と文学青年の丁君が言ひ、
――∞は厄介な代物だぜ。
と数学専攻の乙君が言ったのであった。
――すると、君等は私が言ふ《念》といふ《もの》の《存在》には同意してゐるといふ事かな?
と甲君が言ふと、猊下たる丙君が、
――いや、唯、《吾》といふ《存在》に躓いた《もの》は何《もの》と雖も、∞を夢想せずにはをれぬ宿命にあるといふ事だ。
――夢想ねえ? 丙君は、∞が《存在》すると断言できるかい?
――此の世に闇が《存在》する以上、∞は《存在》する。
――しかし、闇は《存在》の例へば「脳」と言ふところで作り上げられた《もの》に過ぎぬのぢゃないかね?
――だから尚更、闇が《存在》する以上、∞は《存在》するのだ。つまり、此の世の森羅万象は闇を表象する事で∞を何とか手に摑む事が出来るかもしれぬ《もの》として渇望せずにはをれぬ事が、即ちそれが∞が《存在》する証左であり、また、∞を渇望しない有限なる《存在》は、多分に皆無に違ひないのだ。
――さうすると、この「黙狂者」君が言ふ《杳体》といふ《もの》の《存在》を、その言ひ振りだと暗示してゐるとしか言へぬぜ、ふっ。
――つまり、闇を呑み込む杳として知れぬ《杳体》か。ふむ。つまり、その鳥羽口に闇が《存在》してゐるといふ事で、また、《杳体》においては∞も、また姿形ある何かへと変化してゐるといふ事だらう?
――いや、「黙狂者」君は、∞の《存在》自体を疑ってゐるのさ。『本当に∞は《存在》してゐるのかね?』とね。
――つまり、∞に代はる《もの》が「黙狂者」の言ふ《杳体》と?
と、丙君は何か頭蓋内を弄るやうに呟いたのであった。すると、甲君が、
――だが、この「黙狂者」君にも未だ《杳体》が何なのかさっぱり解からぬのだが、しかし、俺は、それでもこの「黙狂者」君の《杳体》は支持するぜ。
――それは何故に?
と、君が甲君に尋ねると、文学青年の丁君が、
――所詮、《杳体》も∞に匹敵する事はない!
と、珍しく語気を強めて言ったのであった。
――ふっふっ。「現存在」は、しかし、∞を濫用し過ぎる事を、さて、自覚してゐるのだらうか?
と数学専攻の乙君が言ふと、君が、
――闇を安易に∞と結び付ける思考法がそもそも間違ひの原因なのさ。
と言ったのであった。
――さう。
と甲君は言ひ、
――さう、××君の言ふ通り、此の世の森羅万象は闇に出合ふと直ぐに∞と結び付けたがるが、この「黙狂者」君はそれに疑義を唱へてゐるのだ! すると、丙君、有限なる《存在》が∞を夢想せずにはをれぬ宿命といふ言葉は、《存在》は闇を前にすると思考停止状態に陥り、唯、呆然としてゐるに過ぎぬといってゐる事に外ならないぜ。
と甲君が言ふと丙君は更に眼光鋭く甲君を睨み、
――だから、《存在》にとっては∞は便利この上ない玩具なのさ。
――つまり、それは、《存在》にとって使ひ勝手がいい《インチキ》な《もの》と言ってゐるのと同じ事だぜ。
――ふっふっ。《インチキ》で構はぬではないか。それで《存在》が安寧ならば。
――∞を前に、さて、有限なる《存在》は安寧かね? 寧ろ、疑心暗鬼で不安一杯の筈だぜ、丙君!
――だから∞といふ《インチキ》に《存在》は飛び付かずにはをれぬのさ。有限なる《存在》に対して∞を前に、直截的に対峙させるには余りにも残酷過ぎるのは火を見るより明らかだらう。
――残酷ねえ~、ふむ。
――はっきり言ふが、∞が《インチキ》だからこそ、有限なる《存在》は安寧を得るのさ。仮に∞が未知なる《もの》ならば、それは《存在》をのっぴきならぬ処へと追ひ詰め、挙句の果てには、縊死させるのが落ちさ。
――それさ。この《杳体御仁》の「黙狂者」君が今ゐる処は。《杳体》といふ∞すらをも呑み込んだ何とも得体の知れぬ、しかしも巨大なる何かに直に対峙してしまったのだ、この《杳体御仁》の「黙狂者」君は。そして、その結果、発話能力を失ってしまった。つまり、この「黙狂者」君はのっぴきならぬ死臭漂ふ此岸と彼岸の間で、その恐怖のために言葉を発する行為を喪失してしまったのだ!
――それは君の思ひ込みでしかないのぢゃないかね、甲君よ。この「黙狂者」は、多分、魂を恰も天国と地獄に裂かれたかの如く、《吾》が此岸と彼岸へと真っ二つに引き裂かれた煩悶で言葉を発話する術を失ってしまったのさ。
――では、この方が今ゐる処は中有の如き処なのでせうか?
と、雪が丙君に訊いたのであった。
――ふむ。中有ですか。さて、この「黙狂者」は、《死》を擬態出来てゐるのかどうかで、この「黙狂者」が虚空にゐるのか中有にゐるのかが決まる筈です。私はこの「黙狂者」は既に《死》へとその歩を進めてしまった、つまり、中有に踏み迷ってゐると考へてゐますがね。
――それでは、何故にその事をこの方に問はないのですか?
と、雪が言ふと、甲君が、
――それはこの「黙狂者」君には無理難題ですよ、雪さん。この《杳体御仁》たる「黙狂者」君が、今、己がゐる処が解かれば、「黙狂者」君は黙狂になど為らずに今でも流暢に朗朗と彼独自の存在論を話してゐる筈ですが、如何せん、「黙狂者」君には今、己が何処にゐるのかさっぱり解からず、その《吾》の未知なるが故に《杳体》といふ考へを導き出さざるを得なかったのですから。
――つまり、この方が言ふ《杳体》は苦し紛れに思はず口走ってしまった妄言でしかないといふ事ですか?
――いえいえ、雪さん、そんな事はありません。唯、これまで全宇宙史を通して《存在》を語り果せた《もの》は《存在》しない筈で、それは《神》にも当て嵌まり、《神》が《存在》を熟知してゐるならば、諸行無常な世などあり得る筈もなく、つまり、それは如何なる思念でも《存在》を捉へられず仕舞ひなのが、この「黙狂者」君にはそれが我慢がならないのです。つまり、それは《存在》の堕落でしかないのです、この「黙狂者」君にとっては。例へば物質の根源を探ってゐた時に、どうしても《存在》が知られてゐた物質だけでは論理的に説明出来ない現象を、湯川秀樹がπ中間子といふ新しい素粒子を導入する事で論理的に説明出来たやうに、この「黙狂者」君は、今の処、何《もの》も《存在》を摑まへられず仕舞ひなのは、《存在》には決定的な欠落があって、それがこの「黙狂者」君には新たな《杳体》を導出する事で、《存在》が浮き彫りになると考へた事が全ての発端の筈です。
――つまり、この方が言ふ《杳体》とは版画で譬へるならば、版木に対する墨といふ事でせうか?
――ふはっ。雪さんは譬へが上手ですね。さうです。この「黙狂者」君の《杳体》は、《存在》といふ版木に対する墨のやうな《もの》なのです。つまり、版木に彫られた《存在》の姿形に即応して、版木に塗られた墨は半紙にその彫られた《もの》を写し出すのです。それが《杳体》です。
――さうしますと、《杳体》とは、変幻自在な何かといふ事でせうか?
――はい。さうです、雪さん。
――では、《杳体》もまた、巨大な加速器で光速近くまで加速させられた素粒子を衝突させることで莫大なEnergy(エナジー)を生み出し、嘗ての宇宙誕生時の状態を近しく再現し、その宇宙誕生時には確かに《存在》してゐた素粒子が《存在》した痕跡を光速近くに加速した素粒子同士の衝突で見つける事で探すのと同じやうに、《杳体》にとっては、素粒子の如く光速近くまで加速させる加速器に当たる《もの》とは何なのかい、甲君?
と丙君が言ったのであった。
――それが解かれば「黙狂者」君が黙狂になる事なぞなかった筈だぜ。
――それでは、皆さんは、この方が唱へる《杳体》といふ《もの》の《存在》を信じてゐるのですか?
と雪が皆に問ふと、誰もが頷き、そして丙君が荘重に話したのであった。
――これまでの哲学、科学、宗教、その他諸諸の智を総動員しても《存在》の本質は未だ何《もの》も解からず仕舞ひです。ならば、これまでの智には《存在》を語るには何か重大な欠落があると考へるのは至極当然な事です。吾吾はその端緒にヰリアム・ブレイクの幻視があるのではないかと考へてゐるのです。
――やはり、さうなのですね。私は何故に皆さんがヰリアム・ブレイクをこのご時世に読み合ってゐるのか漸く合点がゆきましたわ。確かにブレイクは、ブレイク独自の宇宙を創造してゐますから。
と雪が言ふと、
――さうなのです。ブレイクを読む事で何かこれまで伏せられてゐた《もの》が不意に姿を現はし、吾等を煙に巻いて呉れればしめた《もの》なのです。
と、甲君がさも楽しさうに言ったのであった。
――それでは、私の事などに感(かま)けてゐないでブレイクを読みませんか?
と雪が言ふと、猊下たる丙君が、
――いやいや、今日位は、先づ、雪さんとかうして語り合ふことでいいのです。ブレイクを読むのは次の機会でも出来ますから。
――しかし、あなた方はブレイクを読む事でこの方が言ふ《杳体》の何かを摑まへたいのぢゃありませんの?
――かうして話してゐる事が、即ち、ブレイクを読む事の役に立つのです。ブレイクの幻視が何かの暗示になること間違ひなしなのです。つまり、雪さんとかうして話してゐる事が皆楽しいのです。
――さうですか、丙さん。しかし、私はこの方が言ふ《杳体》といふ考へを先程知ったばかりで、《杳体》については未だ解かりませんわ。
と雪が言ふと、丙君が、
――それは当然です。雪さんはこの「黙狂者」に一目惚れしたとはいへ、今日初めてこの「黙狂者」に対面したのですから。そして、雪さんは、この「黙狂者」の事が少しでも知りたくて、私達の処へとやって来たのでせう?
と、丙君は微笑みながら言ったのであった。すると雪が、
――はい。その通りですわ。では、《杳体》についてもう少しお話して下さいませんか?
――私見ですが、有限から無限へ至るその飛躍を媒介する《もの》が《杳体》です。
――おい、丙君、それは君の考へであって、この《杳体御仁》の「黙狂者」君が言ふ《杳体》とは似ても似つかぬ《もの》だぜ。
と甲君が言ふと、丙君が、
――本当にさうかね?
――私は丙君とは少し違った考へ方をしているがね。
と、君が言ったのであった。
――うぅぅぅぅあぁぁぁぁああああ~~。
…………
…………
ねえ、君。雪が初めて私達のサロンみたいな集ひにのこのことやって来たその日は、皆、実に楽しさうで、誰もが雪に魅せられてゐたね。そして、話も弾んだね。正直に言ふが私はあの時も《死》を目前に控へた今も《杳体》が何なのか解からず仕舞ひだ。しかし、《死》が目前に迫った今、《杳体》とは、《吾》なのかもしれぬと思ってみたりして独りほくそ笑んでゐる。をかしいだらう。しかし、あれ程、私を悩ませ、その結果として《死》を私に引き寄せた《杳体》なる《もの》は、所詮、《吾》を超越する事は不可能な代物に違ひないと今更ながらに自省する事で、私は心安らかになるのさ。そして、私は一つの結論として《杳体》とは、もう直ぐに《死》ななきゃならない私にとって、この《吾》といふ観念を抱へながら彼の世へと跳躍するその跳躍板こそが《杳体》の正体なのかもしれぬと思ってゐるがね。
…………
…………
――といふと?
と丙君は君に訊ねたので、君は、
――この「黙狂者」の彼が思ひ描いてゐる《杳体》は、多分、此の宇宙に匹敵する壮大なる何かだとは思ふがね。つまり、私にはやはり、《杳体》は∞と強く結び付いた何かだと思へて仕方がないのさ。
と君が言ふと、雪が、
――この方の《杳体》をブレイク風に言ふと《死》すべき運命から免れた《不死》なる《存在》といふ観念は、《杳体》に含まれますか、××さん?
――それは当然さうだらうと思ひます。《杳体》は《不死》なる何かに違ひありません。
と君が言ふと甲君が、
――《不死》は《不死》と雖も、その《不死》の《杳体》は、シーシュポスの如く、何時果てるとも知れぬ労苦を未来永劫続ける《もの》と思はないかい、××君?
――多分、甲君が言ふ通り、《杳体》は未来永劫、終はる事のない労役に従事してゐるには違ひないとは私も思ふがね。
――へっ、それぢゃ、未だブレイクの方が進んでゐるだらう、××君!
と甲君が言ったのであった。すると、雪が、
――それでは甲さんは、《杳体》をどのやうな《もの》と直感的にでもいいですが、《杳体》として把握してゐるのですか?
――さうですねえ。例へば此の世に《存在》しない《もの》と言へば解かりますか?
――あら、此の世に《存在》しない《もの》ですか。恐れ入ります。それでは、つまり、甲さんにとって《杳体》とは此の世には《存在》しない《もの》全ての何かなのですね?
――さうです。《杳体》は此の世に《存在》しない《もの》でなけりゃなりません。さうでないと何《もの》も此の世の《存在》に我慢がならないからです。
――すると、甲さんは、《杳体》を、此の世に《存在》する事を余儀なくされた森羅万象の慰み《もの》としての夢、若しくは仮象のやうな《もの》とお考へですの?
――いえ、それでは雪さんは、ゴッホの「星月夜」を見て、あの絵が《現実》に《存在》する《世界》とお思ひですか?
――あら、偶然ね。先程私はこの方と画集専門の古本屋さんでゴッホの「星月夜」を見てきたばかりですわ。この方はゴッホの「星月夜」に《神》がゐるかとお尋ねしましたがね。
――さうですか。《杳体御仁》の「黙狂者」君とねえ。ふむ。それで雪さんは何と。
――私は《神》はゐると答へたと思ひますが。
――さうですか。では私の質問にもお答へください。雪さんは、ゴッホの「星月夜」は此の世の《もの》とお思ひに為りますか?
――私の私見ですが、《世界》をゴッホの「星月夜」のやうにしか見られない《存在》は必ず此の世に《存在》する筈だと思ひますわ、甲さん!
――ならば、私にすれば、その《存在》が《杳体》です。つまり、《存在》の夢、若しくは仮象の《世界》が《現実》だといふ《存在》が、仮に此の世に《存在》するならば、私にとってはその様な《存在》こそが《杳体》なのです。
――それでは、先程言ったことと矛盾してゐますわ、甲さん。あなたは先程《杳体》は此の世に《存在》しない《もの》と断言なさった筈です。
――夢や、仮象は、さて、此の世に《存在》すると言ひ切れますか、雪さん?
――それでは、甲さん、ル・ドンの絵が《現実》ならばその《現実》に《存在》する《もの》が《杳体》と仰るのですね?
――はい。しかし、これは未だに誰の賛同も得てゐませんがね、なあ、丙君!
と甲君が自嘲気味にさう言ふと、丙君が、
――また、心にもないことを言って、雪さんを煙に巻きたいのか。雪さん、甲君がゴッホついて話したことは話半分に受け取ってください。この甲といふ人間は、優しすぎる故に心にもないことを平気で言ひますから、なあ、甲君。そして、甲君の悪癖で、甲君は嘘っ八を言って相手が困惑する顔貌を見るのが堪らなく好きだといふのが、甲君の趣味みたいな《もの》なのです。
――さうですか。しかし、甲さんのお話はとても解かり易かったのですが。
――それぢゃ、丙君は《杳体》を何と目星を付けてゐるんだい?
と甲君がにやにやと笑ひながら丙君に言ったのであった。
――ふむ。私が思ふに、巨大な巨大な巨大な雲丹(うに)状の闇の如き《もの》と想像してゐますがね。
と丙君が言ふと、雪が、
――巨大な巨大な巨大な闇の雲丹? さう考へる根拠は何でせう?
――ふっふっふっ。それが全くないのです。
と丙君が鋭き眼光を少し綻ばして微笑んだのであった。
――つまり、丙君は、未だ《杳体》に関しての考へは以前から全く深化せずに、《杳体》は朧に巨大な巨大な巨大な雲丹状の闇に直結する頭蓋内の闇といふ《五蘊場》に生滅する仮象、否、表象との関係から導かれる《もの》と考へてゐるといふ事だね。
と文学青年の丁君が、またしても、はっきりと言ったのであった。
――さうさ。しかし、実際に「黙狂者」を前にすると、その「黙狂者」が言ふ《杳体》は必ず《存在》する筈だと看做したいのが本心だ。
――つまり、《杳体》は丙君にとって、或る意味希望の星の如き《もの》なのかい?
と数学専攻でブレイク好きの乙君が丙君に言ったのであった。
――否、ブレイクの幻視が、私にとっての《杳体》の糸口で、万人には全く見えない《もの》が、ブレイクには見えてしまふその《存在》の哀しさこそ《杳体》を《杳体》足らしめ、また、それ故に《杳体》は此の世で報はれるべき《もの》でなければならないとは思ってゐるがね。
――別に報はれなくとも構はぬのぢゃないかね?
と丁君が言ふと、丙君は、
――それは丁君の言ふ通りなのだが、私は、《杳体》なる《もの》は《存在》の全てを包摂する、つまり、如何なる《もの》も見捨てない神仏をも楽楽と凌駕する《もの》であってほしいと思っているだが……。
と丙君が言葉に澱むと、甲君が、
――それぢゃ、此の宇宙が《存在》すれば全て丙君の言ふ《杳体》は不必要な《もの》でしかないぜ。何故って、丙君が言ふ《杳体》とは徹頭徹尾此の世の事であって、別に《存在》を語るのに《杳体》を要請する必然性が全くないだらう、丙君?
――ならば甲君よ、《吾》とは何なのかね? この己の《存在》に決して我慢がならぬ此の《吾》といふ《存在》は、此の世の摂理のみに従ってゐると言ひ切れるかね?
――でも、《吾》でさへ、己の《存在》は否定出来やしないだらう?
――だから尚更、《吾》といふ《存在》に我慢がならぬ《吾》が《存在》してしまふ此の不合理をも呑み込む《杳体》の《存在》は、神仏と同様に此の世の《存在》にとっては必要不可欠なのさ。
――あら、丙さん、あなたの仰る事に従へば、丁さんや甲さんの言ふ通り、《杳体》を要請する必然性は全くありませんわ。
と雪が言ったのであった。
――つまり、皆は、《吾》といふ《存在》には、此の世の摂理として《吾》に我慢がならぬ事を「先験的」な摂理として賦与されてゐると看做してゐるといふのですか?
と丙君が言ふと、雪が、
――《吾》とは所詮、そんな《もの》でしかありませんわ。
と語気を強めて言ったのであった。
――それでは、《吾》といふ《もの》に礼を欠いた解釈ではありませんか、雪さん?
――それで別に構はぬないのぢゃありませんの? 《吾》とは《吾》に対して徹底的に不作法な《存在》であって、《吾》に従順な《吾》は、全宇宙史を通して、一度も《存在》した事があるとでもお思ひですの、丙さん?
――それでは《吾》は暴走するだけですよ、雪さん。
――と言ひますと?
――つまり、《一》=《一》の自同律が成立するには、此の世の《もの》ならぬ《もの》の《存在》が暗示されてゐて、その此の世ならぬ《もの》が《存在》する事を暗黙裡に誰もがひた隠しにひた隠して《一》=《一》の自同律が論理的に成立するが如く看做さない事には、何《もの》の《存在》も語れぬのっぴきならぬ事態に遭遇しちまったのが現代なのです。
――しかし、この方は、発話する能力を喪失したこの方は、既に《吾》の暴走が起こってゐるのぢゃありませんの?
――いや、雪さん、この「黙狂者」は、発話しない事で何とか《吾》が暴走する事を抑制してゐるのです。
と君が言ふと、
――と言ひますと?
――つまり、××さん、この丙さんが言ふ通り、《吾》が《吾》である事に我慢がならず、それを「先験的」な《もの》と看做して、《吾》が為すがままにしておくと、必ず《吾》は《吾》に対して牙を剥き、そして、《吾》を食ひ殺さうとするのが此の世の摂理といふ事ですの?
――さうでなければ、雪さんは、この如何とも度し難い《吾》は如何様に扱ってゐるのですか?
と君が言ふと、雪は何食はぬ顔をして、
――《吾》の抹殺です。
と答へたのであった。
――へっ、雪さん、あなたもまぎれもなく此の《杳体御仁》の「黙狂者」君と同じ類の「現存在」で、それとはまったく自覚してゐなくとも、雪さん、あなたも既に《吾》に反旗を翻してゐるのでね? つまり、雪さんも、それとは知らずに《杳体》の探索に歩を一歩進めてしまったのですね。さうですか、へっ。
――と言ひますと?
――つまり、雪さんもまた、此の《吾》の撲滅でしか最早、《吾》が此の世で生き延びてゆく方法がないと、それとは自覚してゐなくとも、此の「黙狂者」君と同様に《吾》の撲滅をおっ始めてしまったのです。
と甲君が、何やら含み笑ひをしながら言ったのであった。
すると雪は煙草を一本口に銜へて煙草に火を点けると、
――ふ~う。
と深く一息深呼吸をしたのであった。そして、
――甲さん、《吾》が《吾》の抹殺を企てるのは自然の摂理とは思ひませんか?
と雪が言ふと、甲君が、
――此処でゴッホを持ち出すまでもなく、《吾》の撲滅をせずにはをれぬ不合理は、《存在》が此の世に誕生した刹那に既に始まってゐたのです。
――それは、つまり、《存在》の淵源は《非在》であるといふ事ですの?
――さうです。《存在》する《もの》は初めは《存在》してゐなかった《もの》ばかりです。つまり、《存在》する《もの》は堕天使が天使の頃を渇仰せずにはをれぬ故に悪行を為さざるを得ぬのですが、しかし、それは、ゲーテの『ファウスト』のメフィストフェレスの言、つまり、『常に悪を欲して、常に善を為すあの力の、一部です』に収斂するやうに、《存在》は常に《非在》を欲して、常に《存在》を打ちのめす外ない此の《吾》の《存在》の有様こそ、《存在》への渇望に違ひないのです。
――つまり、甲さんは、《存在》する事自体が既に不合理といふ事なのですね?
――はい。《存在》はどうあっても不合理でしかありません。
――では、《存在》が《吾》の撲滅を渇望せざるを得ぬのは、「先験的」に《存在》に賦与された《もの》といふ事ですの?
――はい。《存在》する《もの》は「先験的」には《未出現》が最も安寧な状態なのです。
――では、何故に《存在》が《未出現》のままぢっとしてゐられなかったのですか?
――《未出現》は永劫の時間の中で、或る時、不意に《未出現》なる《吾》を発見してしまった。それが《未出現》の運の尽きです。
――つまり、《未出現》に《吾》を見出してしまった《未出現》は、一時も《未出現》である事に堪へられず、《吾》といふ《存在》を《出現》させてしまったと?
――はい。
――甲よ。すると、《存在》は《未出現》へと常に憧れてゐるといふ事かね?
と、丙君が容喙したのであった。
――へっ、丙君こそ如何とも度し難い《吾》を何と規定してゐるのかね?
――ゲーテの言ひ振りを真似ると『常に《吾》を欲して、常に《吾》を殺すところの、一部です』となるかな?
――それは先に私が言ってゐるがね、丙君?
――いや、甲が言ったのは《存在》についてであって、其処に《吾》は未だ《未出現》だった筈だが。
と再び眼光鋭く猊下たる丙君が甲君に訊いたのであった。
――へっ、丙君はもう忘れちまったやうだね。私は、先に《吾》といふ《念》は、何に対しても先んじて《存在》すると言明してゐる筈だが、ふむ、しかし、へっ、吾ながら自分の言ってゐる事が矛盾してゐるかな。一方では何にも先んじて《吾》といふ《念》が《存在》すると言ひながら、一方では《未出現》が不意に《未出現》に《吾》を見出したといふのは、吾ながら矛盾してゐるかもしれぬ。へっ、しかし、かう考へれば全く矛盾してゐないに違ひない。つまり、《吾》といふ《念》は《未出現》が《非在》のままの時も、《未出現》の《もの》はそれとは気付かずに確かに《吾》は《存在》してゐたと。
――甲さん、それは《吾》といふ《念》は、《吾》といふ《念》が《存在》してゐる事を何《もの》かに気付いて欲しかったといふ事ですの?
――はい。しかし、《吾》は未来永劫見出されるべきではなかったのですがね。
――しかし、《吾》は見出されてしまひました、甲さん。これは一体何の暗示なのですか?
――つまり、《杳体》です。
――甲よ、《杳体》とは物理学でいふ暗黒物質ではないのかね?
――暗黒物質は《杳体》の一部でしかないぜ。
――それは何を以てしてさう言ひ切れるのかね、甲よ?
――暗黒物質もまた《存在》してゐるからさ。
――ふむ。甲よ、もしかするとお前の言ふ、否、この「黙狂者」が言ふ《杳体》は、此の宇宙の容れ《もの》の事ぢゃないのかね?
――それも《杳体》の一部に過ぎぬ。
――すると、《杳体》は仮象のまさにその先に仮象される此の世の姿といふ事かね?
――丙さん、仮象のまたその先の仮象とは一体何の事ですの?
と雪が丙君に訊くと、丙君は、
――つまり、此の世の森羅万象がこれまでに何《もの》も考へすら及ばなかった或る種の世界観の事です。
――丙君、そんな説明ぢゃ、雪さんには何の事か解からないぜ。
――いいえ、甲さん、丙さんの説明で朧に《杳体》の何たるかは薄らと浮き彫りになりました。
――すると、雪さんは《杳体》を何と解釈したのですか?
――彼の世を包摂した《未出現》のまま此の世には決してその姿を現はさない或る《世界》の事ではないでせうか?
――彼の世もまた此の世の森羅万象から一歩も踏み出せないとすると、《杳体》はどうなりますか、雪さん?
と甲君が雪に訊くと、雪は、
――それならば《杳体》は彼の世といふ《もの》にその《存在》の尻尾を出している筈ですわ。
――つまり、雪さんにとって《死》が《杳体》の入り口だとの理解ですか?
――はい、甲さん!
――雪さん、それぢゃ、《杳体》を矮小化してしまってゐます。
――あら、どうして?
――何故って、《死》が《杳体》の入り口ならば、此の《世界》には此の世と彼の世があれば十分で、「現存在」はその摂理に従順に従へばいいだけですが、しかし、「現存在」はどうあっても此の《吾》といふ《存在》に我慢がならないと来ている。つまり、《杳体》の入り口は、此の《吾》なのです。
――《吾》ですって!
――はい。《吾》が《杳体》の入り口であり、そして、出口でもあるのです。
――甲よ、それは僭越といふ《もの》だぜ。
と丙君が言ふと、
――しかし、甲君の説は一理あるぜ。
と文学青年の丁君がぼそりと呟いたのであった。
――乙さんは、数学専攻なので、お訊きしますが、乙さんは《杳体》を数学的見地からどの様に位置付けていますの?
と雪が乙君に訊いたのであった。すると、乙君が、
――虚数iの零乗、若しくは零の零乗なのではないかと私は疑ってゐます。
――虚数iの零乗、そして、零の零乗は《一》ではないのですか?
――その通りなのですが、その《一》こそ《杳体》の尻尾ではないのかと考へてゐます。また、虚数iのi乗は実数である事もまた、《杳体》のその尻尾だと思ひます。
――つまり、虚体が虚体を仮象すればそれは実体といふ事ですの?
――さうですねえ。虚体が虚体を仮象するですか、ふむ。丙君はとう思ふ?
――解からぬといふのが本当の処だが、虚体が虚体を仮象するとは言ひ得て妙な面白い考へ方ですね。雪さんは、埴谷雄高の『死霊(しれい)』は読まれてゐるのですね?
――はい。『死霊』を初め、様様な作品を読んでは思索に耽っています。ヰリアム・ブレイクに出合ったのは埴谷雄高からです。
――さうですか。すると、雪さんは虚体が虚体を仮象すれば必ず実体が現はれ、それが《杳体》の尻尾に違ひないと目星を付けたのですね?
――はい。その入り口にヰリアム・ブレイクの幻視があると思ふのです。
――私は未だヰリアム・ブレイクを全て読んだ訳ではないので断言は出来ませんが、成程、ブレイクの預言書など、此の世の森羅万象の摂理をぶち抜けた何か切迫した感じはありますね。しかし、それは《杳体》を暗示してゐるに過ぎません。虚体が虚体を仮象するといふ事は、はっきり言へば《インチキ》でしかありませんが、「現存在」にとってその《インチキ》なくしては一時も生きてられはしないのです。
――それは何故ですの、丙さん?
――例えば、現在ある全学問体系が全て《インチキ》だと考へた事はありませんか?
――何を仰るのでか、丙さん! 全学問が《インチキ》ですって!
――はい。ヰリアム・ブレイクが不死なる《もの》の宿命を語るやうに、現在ある全学問を以てしても不死なる《もの》の出現は不可能で、いや、癌細胞がありますね。まあ、それはそれとして、つまり、「現存在」に対して《不死》なる《もの》は全くの無力だと言ってゐるに過ぎません。つまり、「現存在」の知は全て《生》に帰すのみで、《死》へ帰す《もの》は学問から外れてゐます。
――そんな事ありませんわ、丙さん! 《死》に関する学問は数多あるぢゃありませんか?
――しかし、それらは、《生》から《死》へ至るその過程に関する《もの》でしかありません。《死》の後の学問体系は学問に非ず、Occultになってゐます。
――それは健全な事ではありませんの?
――いえ、それは《死》への冒瀆でしかありません。
と丙君が言ふと、甲君が、
――そんな事ないぜ、丙君。《生》にとって《死》は何時の時代でも摩訶不思議な《もの》でしかない。だから、つまり、《死》が摩訶不思議故に宗教が出現したのではないかね?
――つまり、甲よ。此の世に神学や宗教学や民俗学があると言ひたいのか? しかし、それらは、全くの処、《生》の学問でしかないぜ。
――さうしますと、甲さんも丙さんも「《死》学」なる学問がなければ、《存在》は、いいえ、《杳体》は捉へられないといふ事ですわね、うふ。
と雪が言ふと、猊下たる丙君が、
――医学や生物学の外に、《死》を科学的に扱ふまさに雪さんが仰った「《死》学」がなければ、学問は、詰まる所、《生》にとってのみの未成熟なままの学問体系でしかない――ふむ。甲よ、お前はどう思ふ?
――さてね。しかし、死に様に《生》と《死》の全てが現はれているかもしれぬぜ。
――あら、甲さん、また私を煙に巻かうとしてゐるのですか?
――いえいえ、滅相もない。唯、「《死》学」とは面白いと思っただけです。一つ雪さんにお伺ひしますが、《死者》は死後もずっと《存在》すると、つまり、霊魂は《存在》するとお考へですか?
――はい。私はさう思ってゐます。
――それはまたどうしてですか?
――反対にお伺ひしますが、甲さんはどう思っていらっしゃるのですの?
――へっ、私は、《死者》が、霊魂が《存在》してもしなくても、どっらでもいいのです。
――それでは、《杳体》なんぞ見出せる筈がありませんわよ。
――さうでせうか? 所詮、《生者》にとって《死》は摩訶不思議な事象でしかなく、《死》に関しては世界各地に神話として物語化され残ってゐますが、私にとって《死》はそれで十分なのです。
――つまり、《死》は、土台、科学的に扱ふ事は不可能といふ事ですの?
――いえ、《杳体》が仮に補足出来れば、《死》もまたたちどころに明瞭になる筈ですから。
――つまり、《生》を更に突き詰めて行けば、科学的、医学的、生物学的、神学的、宗教学的、民俗学的などなどにおいて、《死》もまたくっきりとその相貌が浮き彫りにされる筈といふ事ですの?
――はい。さうぢゃなきゃ、誰も学問なんぞに現を抜かしませんよ、ふっふっ。
――つまり、甲さんは《生》を突き詰めれば、其処には必ず《死》が現はれるとお考へですの?
――はい、私は、《生》とは此の世の森羅万象においては一つの奇蹟と看做してゐるのです。《生》はそれが何であれ、《死》と紙一重にありながら《死》を超越して《存在》してゐる事を断じて知ってしまはなければなりません。それは「現存在」ばかりでなくこの世界に満ち溢れる多様性に満ちた生物全てに対しての事です。でなければ、如何なる生き物の産まれたての赤子があれ程に愛くるしい筈はないのです。
――さうねえ、甲さん。赤ちゃんの可愛らしさと言ったならばそれはそれは筆舌尽くし難い《もの》ですわね。
――しかし、赤子が、例へば「現存在」たる人間の赤子は虐待されて殺される場合が少なくなく、へっ、もっと言へば、赤子に対する虐待は日常の一風景に過ぎず、つまり、赤子を可愛らしいと看做せるのは大概が第三者の見方であって、育児に当たってゐる当事者にとっては、赤子の愛くるしさは一時の安らぎを与へるかもしれませんが、その生態は母子共に死闘です。また、赤子は、病魔に襲はれる事もしばしばです。それでも生き永らへて成人となり、その《生》を全うする《存在》は、それだけで奇蹟としか言へません。
――うふっ、甲さんてロマンティストなのね。
――甲は優しすぎるのです。
と丙君が雪に微笑みながら言ったのであった。そして、甲君は更に続けて、
――この《生》といふ《もの》が《死》と紙一重でしかない事のその理由は何だと思ひますか、雪さん?
――さうねえ……、《生》が《生》である事のその壮大な世界観を、《死》をも包含する形で生み出す為ですかねえ、うふっ。
――《生》の世界観、つまり、それは世界認識の事ですね?
――はい、さうです。
――ならば、何故に《生》は世界認識を強ひられるのですか?
――あら、甲さん! 《生》は己が生きてゐる世界を知らずば、一時も《生》は存続出来ませんわ。いえ、違ふわねえ。《自然》が何であるのかを知らずとも《自然》は《生》の揺り籠ですわねえ。でも、《生》は《生》として此の世界に存続するには多少に拘はらず《生》の作法が厳然と《存在》しますわ。そして、それは《生》が此の世にどれだけ巧く適応するかといふ生存の戦略として世界認識は必須ですわ。
――それでは例へばキルケゴールが謂ふ「単独者」それぞれの世界観は全「単独者」で共有出来る《もの》とお考へですか?
――「単独者」が皆等しく学問を学んでゐれば、世界認識の礎の処では共通してゐるのではないですか、甲さん?
――その学問が、それでは全て《インチキ》だとすると?
――甲さんはどうしても学問を《インチキ》にしたいのですね?
――ええ、私に言はせれば《生》は此の世に《存在》する限り、《生》と《死》すら包含する巨大な巨大な巨大な世界観といふ大《インチキ》を育むその母胎として《生》は《存在》してゐると考へてゐます。
――つまり、それは《生》といふ《もの》が絶えず出合ふ現実は邯鄲の夢でしかないといふ事ですの?
――はい。現実といふ《もの》が邯鄲の夢であってもびくともしない世界認識を《生》たる《もの》が生み出せるか出せないかの瀬戸際に絶えず追ひ詰められてゐるのが、《生》たる《もの》の本質なのです。
――本質ですか。さうしますと、甲さんによれば、現在の生物多様性は、それだけで多様な世界認識の仕方が《存在》し、また、「単独者」の数だけ、否、既に死んだ《もの》も含めて、それぞれに独自の世界認識の仕方があり、そして、その個性あふれる世界観を矯正し統合した《もの》が学問といふ《インチキ》な《もの》であって、しかし、その学問は何時の時代もその正否が書き換へられてゆく、うふっ、甲さん流に言ひますと、大《インチキ》にしかならないといふ事ですの?
――はい。雪さんは聡明な方ですね。私に言はせると《生》は絶えず学問体系を書き換へるべく、此の世に《生》を享けたに違ひないのです。それ故に、「単独者」、若しくは「現存在」、若しくは全生物は、それぞれ学問から外れた個体独自の原初的な世界観を何としても生み出さずば、《死》に呑み込まれる運命なのです。
――甲さん、原初的なる世界観が、この方が言ふ《杳体》といふ事ですの?
――いえ、原初的な世界観は、唯、《杳体》の《存在》を暗示するのみです。つまり、現在、此の世に《存在》する森羅万象は己がどうあっても世界に《存在》してしまふ事で世界認識せずにはをれずに必ず抱かざるを得ぬ世界観とは、《吾》を「超越」する《杳体》を朧に暗示する《もの》であり、それはBig bangの時の未だCP対称性の破れ以前の、物質と反物質が共存する、否、それでは誤解を与へますね、つまり、Big bangが起きる以前の《存在》が《杳体》の尻尾なのです。
――甲君、それは全く矛盾してゐるぜ。Big bang以前の《存在》って、一体何なのさ? それは《存在》の範疇には入らない、《存在》以前の、つまり、何《もの》も未だ《存在》しないといふ事に過ぎず、其処に、つまり、Big bang以前の世を持ち出す事は、《存在》の全否定でしかないぢゃないかね?
と君が言ふと、甲君が、
――だから、《杳体》なのさ。此の世の全《存在》の全否定にこそ、《杳体》へ通じる糸口があるんぢゃないかな。
すると雪が、
――では、甲さん、甲さんはBig bang以前に此の世ならぬ別の世界は《存在》してゐたとお考へですの?
――はい。此の世が《存在》してゐるのであれば、此の世が《存在》する以前の、つまり、Big bang以前に此の世ならぬ別の世が《存在》する事に何の矛盾もありません。正直に言へば私にすればそんな事はどうでも構はないのです。唯、Big bang以前の、此の世とは全く異なる世界が《存在》してゐたとすれば、その別世界に《存在》しちまった《もの》が、己の《存在》に関して自問自答を繰り返せば、それは、現在《存在》する森羅万象とは全く違った思惟形式で《存在》が問はれる事になり、私は、その思惟形式によって自問自答された《存在》といふ《もの》の思惟にのみに関心があり、其処に多分、《杳体》の尻尾があるに違ひないのです。つまり、如何なる世界でも《存在》しちまった《もの》は、その《存在》について自問自答を始め出さずにはをれず、そして、その思索は必ず《杳体》の《存在》を暗示する《もの》でなければ、その思惟は誤謬でしかないのです。
――甲よ。すると、この「黙狂者」が言ふ《杳体》はお前の考へに照らせば、《存在》に関する思索が必ず到達するに違ひない着地点こそがその《杳体》といふ事かね?
と、猊下たる丙君が微笑みながらも鋭き眼光で甲君を凝視しながら、訊いたのであった。すると、雪が、
――丙さん、丙さんは《杳体》をどう思ってゐるのですの?
――さうですねえ……、まあ、面白い思惟の形式には違ひないのですが、《杳体》は森羅万象の自同律の不快を全て呑み込むといふ事で、私には余りにも曖昧な《もの》なのです。《存在》は、己が何《もの》かを認識する以前に既に《存在》してしまってゐるのです。その事実は動かしやうがありません。思惟が生まれる前に、既に《存在》は《存在》してゐるのです。その現実に互角に亙り合へる、換言すれば、此の現実に直に対峙出来ない《存在》に関する思惟は、私には舌足らずで未完の思惟でしかありません。その筆頭が《杳体》なのです。
――それでは、虚体が虚体を仮象する事に、丙さんは何の魅力も見出せないといふ事ですわね?
――いや、雪さん、私は、現実といふ《もの》の在り方に対抗出来る《存在》の形式に虚体は否定しませんし、むしろ、積極的に虚体を認めます。そして、虚体には無視し難い魅力があります。然しながら《杳体》と言へばその虚体すらをも呑み込むといふ、言ふなれば曖昧模糊とした《もの》、そして、曖昧模糊とした思惟でしかないので、今の処、私は《杳体》に関しては、その判断を保留してゐます。
――すると、丙さんもまた、《杳体》には魅せられてゐるのですわね?
――はい。恥ずかしながらその通りです。《杳体》は、この「黙狂者」が言ふ《杳体》は、《存在》が必ず陥る宿命にある自同律といふDilemma(ジレンマ)に対する一つの解答を与へるかもしれないとは思ってゐます。
――まあ、丙さん、丙さんが、一番の《杳体》の信者ぢゃありませんか! うふっ。
雪はさう言ふと、煙草を一服深呼吸をするやうに飲み、そして、
――ふ~う。
と煙を吐いたのであった。
――丙さん、丙さんは、自同律とは《吾》といふDilemmaに陥る外ない《もの》とお考へですの?
と、雪が可愛らしい仕種で煙草を人差し指と中指で挟みながら尋ねたのであった。
――はい。《一》=《一》が成立する《世界》は幻でしかないのです。つまり、此の世は一つとして同じ《もの》は《存在》しない、多様な《世界》といふ事です。
――うふっ。すると丙さんは抽象といふ事は取るに足らぬ《もの》と看做してゐるのですの?
――いえ、そんな事はありません。尤も《一》=《一》が成立する抽象化された《世界》の世界認識の仕方、若しくは世界観を、「現存在」を初めとする此の世の森羅万象は、余りにも安直に現実に当て嵌めてゐる事に、私は、否を唱へてゐるだけです。
――つまり、丙さんは数学、いえ、数理物理の成立する《世界》を否定なさるといふ事ですの?
――いや、否定はしませんし、私は、数理物理は積極的に支持します。しかし、抽象化と具体化には、つまり、理想と現実の間には、跨ぎ果せぬ断絶があるといふ事を言ってゐるのです。例へばそれは、《吾》=《吾》が一時も成り立たない事、つまり、自同律が不成立だといふ事実を物理数学は余りに軽視し過ぎてゐるのです。
――あら、丙さん、例へば、《吾》=《吾》が成り立たない時とはどんな時ですの?
――雪さん、全宇宙史を通して《吾》=《吾》が成立した事はないのです。
――え! また、それはどうしてですの?
――此の世が諸行無常故に、《吾》がその《存在》において、一時も同じ《吾》であった例はありません。
――それぢゃ、丙君、《杳体》において、《吾》=《吾》は成立すると思ふかい?
と甲君が容喙すると、
――ふむ。《杳体》における《吾》か……。多分、《杳体》において初めて《吾》は、《吾》であり得る事が可能で、つまり、《吾》=《吾》が成立するかもしれぬが、しかし、甲よ、そもそも《杳体》の摂理とは想像するに、どんな《もの》だと思ふ?
――甲さん。私も訊きたいわ。
と、雪が言ふと、甲君がにたりと笑ひ、
――へっ、正直に言ふと、私にも解かりません。しかし、《杳体》は《存在》がそれが何であれ、《存在》が《存在》しちまふならば、全て一様の《存在》の有様に収束させて《存在》を把捉出来る《存在》の汎用化が成立する、奇妙奇天烈なる《世界》、その《世界》は恒常不変な《世界》に違ひないと思ひますが、その奇妙な《世界》の摂理に《吾》は恍惚の態で自同律の快楽に耽溺すると思ひます。
と言ったのであった。すると丙君が鋭き眼光を放つ目を甲君に向けて、次のやうに言ったのであった。
――それは地獄の事ではないのかね? つまり、《吾》は未来永劫不易なる《吾》でなければならない宿命を強ひられ、地獄の責め苦を受け続ける《吾》が恍惚との態で犇く地獄絵図! 例へばそれは原爆が投下され爆発してゐるその下の《世界》の諸物ではないのか! その原爆投下による前代未聞の灼熱地獄に《吾》は一瞬で焼死するか、若しくは被爆して、最早誰だか判別不可能な異形へと変はってしまった《死》に逝く森羅万象の《吾》の蒼白き命の最期の灯。
――甲さん! それでは《杳体》とは、《吾》の死滅した《世界》を暗示する《もの》ですの?
――さうですねえ。私は、《杳体》は《死》と密接に結び付いた何かなのは間違ひないとは思ってゐます。
――それでは、丙さんの仰る通り、《杳体》は地獄の別称かもしれないのですね!
――はい。《吾》が《吾》の属性を全て喪失した《吾》が《存在》する恒常不変な《世界》、つまり、それを一言で言ってしまへば、地獄に堕ちた《吾》が、《杳体》を暗示する事は否定しません。尤も、《吾》が《吾》の属性を全て兼ね備へた《神》の如き《吾》が、恒常不変に《存在》する天上界もまた、《杳体》を暗示します。
――つまり、甲さん! それはヰリアム・ブレイクの『The Marriage of Heaven and Hell』(天国と地獄の婚姻)ですね?
――さうかもしれません。唯、ブレイクの『The Marriage of Heaven and Hell』もまた、《杳体》を暗示するだけです。
…………
…………
ねえ、君、ここに私は『The Marriage of Heaven and Hell』に書き出してみるが、さて、ブレイクの『The Marriage of Heaven and Hell』が、果たせる哉、《杳体》を暗示してゐるがどうかは君次第だぜ。
William Bkake著
『The Marriage of Heaven and Hell』
The Argument.
Rintrah roars & shakes his fires in the burden’d air;
Hungry clouds swag on the deep
Once meek, and in a perilous path,
The just man kept his course along
The vale of death.
Roses are planted where thorns grow.
And on the barren heath
Sing the honey bees.
Then the perilous path was planted:
And a river, and a spring
On every cliff and tomb;
And on the bleached bones
Red clay brought forth.
Till the villain left the paths of ease,
To walk in perilous paths, and drive
The just man into barren climes.
Now the sneaking serpent walks
In mild humility.
And the just man rages in the wilds
Where lions roam.
Rintrah roars & shakes his fires in the burden’d air;
Hungry clouds swag on the deep.
『天国と地獄の婚姻』
要旨。
リントラが重重しき空気の中にて己の炎を轟轟と打ち震はせてをり、
飢ゑたる雲雲が深淵の上に垂れ込め
嘗ては柔和な、そして一本の危険な小路に、
まさしく正しき人間が死の谷に沿ってその道筋を進み行き。
棘が生えし処には薔薇が植ゑられてをり。
そして灌木の生えたる不毛な荒野に
蜜蜂が歌ひし。
それから危険な小道には草木が植ゑられ。
そして一筋の河、そして一つの泉
あらゆる断崖と墓の上に、
そして白骨の上には
赤土が生じし。
悪漢が楽なる道道を去る迄、
危険な道を歩く事を、そして
正しき人間が不毛な土地を邁進する事を。
今、頭を突き出した大蛇が蛇行す
柔和な謙遜の中を
そして正しき人間が獅子のうろつき回りし荒野で
憤怒せし。
リントラは重重しき空気の中にて己の炎を轟轟と打ち震はせてをり、
飢ゑたる雲雲が深淵の上に垂れ込め
As a new heaven is begun, and it is now thirty-three years since its advent: the Eternal Hell revives. And lo! Swedenborg is the Angel sitting at the tomb; his writings are the linen clothes folded up. Now is the dominion of Edom, & the return of Adam into Paradise; see Isaiah XXXIV & XXXV Chap:
Without Contraries is no progression. Attraction and Repulsion, Reason and Energy, Love and Hate, are necessary to Human existence.
From these contraries spring what the religious call Good & Evil. Good is the passive that obeys Reason. Evil is the active springing from Energy.
Good is Heaven. Evil is Hell.
或る新しき「天国」が始まり、そして、現在、基督降臨から三十三年なりし、
「永劫の地獄」が再興せり。そして、見よ! スウェーデンボルグが墓に坐りをりし天使になりつ。彼の著作は折りたたまれし麻布。今、エドムの支配下である、そして「楽園」にアダムが戻りし。イザヤ書三十四と三十五章を見給へ。
「相反するもの」がなければ進歩なし。「引力」と「斥力」、「理」と「活力」、「愛」と「憎悪」は、「人間」の存在に必須なりし。
それら反対するものが湧き出す泉から宗教においては「善」と「悪」と呼ばれるものが湧き出し。「善」は「理」に従ふ受動的なものなりし。「悪」は「活力」から湧き出し能動的ものなりし。
「善」は「天国」。「悪」は「地獄」。
The voice of the Devil.
All Bibles or sacred codes have been the causes of the following Errors.
But the following Contraries to these are True
3 Energy is Eternal Delight
「悪魔」の声
あらゆる聖書若しくは聖典。以下の「誤謬」の因なり。
「活力」こそ「悪」と呼ばれ、「肉体」からのみなり。そして、「理」こそ「善」と呼ばれ、「魂」のみからなり。
しかし、以下に綴られし「相反するもの」の数数は「真実」なり
Those who restrain desire, do so because theirs is weak enough to be restrained; and the restrainer or reason usurps its place & governs the unwilling.
And being restrain’d it by degrees becomes passive till it is only the shadow of desire.
The history of this is written in Paradise Lost, & the Governor or Reason is call’d Messiah.
And the original Archangel or possessor of the command of the heavenly host, is call’d the Devil or Satan and his children are call’d Sin & Death.
But in the Book of Job Miltons Messiah is call’d Satan.
For this history has been adopted by both parties.
It indeed appear’d to Reason as if Desire was cast out, but the Devil’s account is, that the Messiah fell, & formed a heaven of what he stole from the Abyss.
欲望を制限する人人は彼らのものが制限されるに十分弱い事より制限されし。そして制限するもの若しくは理性的なるものはそれに取って代わりし、そして不承不承に統治されし。
そして程度によってそれが制限される事は受動的なり、遂にそれが欲望の影にのみになりし。
この歴史は『失楽園』に書かれし。そして、「統治者」若しくは「理」は「救世主(メシア)」と呼ばれし。
そして本来の「大天使」若しくは天上の主が所有する軍隊の所有者は、「悪魔」若しくは「大悪魔」と呼ばれそして彼の子は「罪」と「死」と呼ばし。
しかし、「ヨブ記」の中では、ミルトンの「救世主」は「大悪魔」と呼ばれし。
何故ならこの歴史は両派により受け入れられし
それは「欲望」が投げ棄てられるかのやうに実際、「理」に対して現はれし。しかし、「悪魔」達の審判は「救世主」が倒れる事なり、そして「奈落」から救世主が盗みしものにより一つの天界を創りし
This is shewn in the Gospel, where he prays to the Father to send the comforter or Desire that Reason may have Ideas to build on, the Jehovah of the Bible being no other than he who dwells in flaming fire.
Know that after Christs death, he became Jehovah.
But in Milton; the Father is Destiny, the Son, a Ratio of the five senses, & the Holy-ghost, Vacuum!
Note: The reason Milton wrote in fetters when he wrote of Angels & God, and at liberty when of Devils & Hell, is because he was a true Poet and of the Devils party without knowing it.
此の事は福音書に見られし、彼は団欒が若しくは「理」が「理想郷」を打ち建てし「欲望」が送られむ事を「父」に対して祈りし、聖書のエホヴァは将に彼ぞ、その彼は燃え立つ炎の中に棲みし。「基督の死」後を知るべし、彼はエホヴァになりし。
しかし、ミルトンにおいて、「父」は宿命であり、「息子」であり、五感の或る「比率」になりし。そして「精霊」、「虚無」!
注釈。理性的なるミルトンは、彼が「天使」と「神」について書きし時、媚び諂ひ書きし、そして「悪魔」と「地獄」については自由闊達で、それは彼がさうとは全く知らずに真実の「詩人」であり「悪魔」派故なり
A Memorable Fancy.
As I was walking among the fires of hell, delighted with the enjoyments of Genius; which to Angels look like torment and insanity. I collected some of their Proverbs: thinking that as the sayings used in a nation, mark its character, so the Proverbs of Hell, shew the nature of Infernal wisdom better than any description of buildings or garments.
When I came home; on the abyss of the five senses, where a flat sided steep frowns over the present world. I saw a mighty Devil folded in black clouds, hovering on the sides of the rock, with corroding fires he wrote the following sentence now percieved by the minds of men, & read by them on earth.
How do you know but ev’ry Bird that cuts the airy way,
Is an immense world of delight, clos’d by your senses five?
記憶に残りし幻想
吾が地獄の炎の中を歩きし時、「霊」の愉悦で歓びし。「天使」にとっては劫罰で異常に見えるが、吾は彼らの幾つかの「諺」を集めし。その謂はれが或る国で使はれるやうに考へつつ、その文字に印をつけて、「地獄の諺」は以下のやうに、建物や衣服を描くよりもよい[地獄]の智の性質を示してをりし。
吾が家に帰りし時、五感の奈落の上に、或る平面が現実世界を覆ひつつ険しいしかめっ面をその両側にあしらへて、吾は見し、黒雲に囲われし或る強力な「悪魔」を、両側の巌の上を漂ひつつ侵食する炎と共に、彼は今、人間の感知出来る以下の文章で書き記す、そして、地の上でそれらを読みし。
あなたは、あらゆる「鳥」が将に天空を切り裂きつつ飛翔するのは如何様にしているのかを知りしか、
広大無辺なる歓びの世界はあなたの五感により閉ぢられしか?
Proverbs of Hell.
In seed time learn, in harvest teach, in winter enjoy.
Drive your cart and your plow over the bones of the dead.
The road of excess leads to the palace of wisdom.
Prudence is a rich ugly old maid courted by Incapacity.
He who desires but acts not, breeds pestilence.
The cut worm forgives the plow.
Dip him in the river who loves water.
A fool sees not the same tree that a wise man sees.
He whose face gives no light, shall never become a star.
Eternity is in love with the productions of time.
The busy bee has no time for sorrow.
The hours of folly are measur’d by the clock, but of wisdom: no clock can measure.
All wholsom food is caught without a net or a trap.
Bring out number weight & measure in a year of dearth.
No bird soars too high, if he soars with his own wings.
A dead body revenges not injuries.
The most sublime act is to set another before you.
If the fool would persist in his folly he would become wise.
Folly is the cloke of knavery.
Shame is Prides cloke.
Prisons are built with stones of Law, Brothels with bricks of Religion.
The pride of the peacock is the glory of God.
The lust of the goat is the bounty of God.
The wrath of the lion is the wisdom of God.
The nakedness of woman is the work of God.
Excess of sorrow laughs. Excess of joy weeps.
The roaring of lions, the howling of wolves, the raging of the stormy sea, and the destructive sword, are portions of eternity too great for the eye of man.
The fox condemns the trap, not himself.
Joys impregnate. Sorrows bring forth.
Let man wear the fell of the lion. woman the fleece of the sheep.
The bird a nest, the spider a web, man friendship.
The selfish smiling fool, & the sullen frowning fool shall be both thought wise, that they may be a rod.
What is now proved was once only imagin’d.
The rat, the mouse, the fox, the rabbet; watch the roots; the lion, the tyger, the horse, the elephant, watch the fruits.
The cistern contains: the fountain overflows.
One thought fills immensity.
Always be ready to speak your mind, and a base man will avoid you.
Every thing possible to be believ’d is an image of truth.
The eagle never lost so much time, as when he submitted to learn of the crow.
The fox provides for himself. but God provides for the lion.
Think in the morning. Act in the noon. Eat in the evening. Sleep in the night.
He who has suffer’d you to impose on him knows you.
As the plow follows words, so God rewards prayers.
The tygers of wrath are wiser than the horses of instruction.
Expect poison from the standing water.
You never know what is enough unless you know what is more than enough.
Listen to the fools reproach! it is a kingly title!
The eyes of fire, the nostrils of air, the mouth of water, the beard of earth.
The weak in courage is strong in cunning.
The apple tree never asks the beech how he shall grow; nor the lion, the horse, how he shall take his prey.
The thankful reciever bears a plentiful harvest.
If others bad not been foolish, we should be so.
The soul of sweet delight can never be defil’d.
When thou seest an Eagle, thou seest a portion of Genius. lift up thy head!
As the catterpiller chooses the fairest leaves to lay her eggs, so the priest lays his curse on the fairest joys.
To create a little flower is the labour of ages.
Damn braces: Bless relaxes.
The best wine is the oldest, the best water the newest.
Prayers plow not! Praises reap not!
Joys laugh not! Sorrows weep not!
The head Sublime, the heart Pathos, the genitals Beauty, the hands & feet Proportion.
As the air to a bird or the sea to a fish, so is contempt to the contemptible.
The crow wish’d every thing was black, the owl, that every thing was white.
Exuberance is Beauty.
If the lion was advised by the fox. he would be cunning.
Improvement makes strait roads, but the crooked roads without Improvement, are roads of Genius.
Sooner murder an infant in its cradle than nurse unacted desires.
Where man is not, nature is barren.
Truth can never be told so as to be understood, and not be believ’d.
Enough! or Too much.
地獄の諺
種蒔きの時に学び、収穫の時に教え、冬に歓べ
あなたの荷馬車と犂(すき)とを死の骨の上で駆り給へ。
やり過ぎる過剰をして辿りし道筋は智の王宮に導きし
思慮深さは無能により得られし裕福で醜悪な年老いた処女なり。
行動せずにのみ欲望するものは悪病を育む。
切られし蚯蚓(みみず)は犂を忘れじ。
水を愛せしものは河の中で堀るべし
莫迦者は賢者が見るやうに同じ木を見ない。
光なし面(おもて)を与へられしものは決して星に為れず。
永劫は時が創りし愛にある。
忙しき蜜蜂には哀しむ暇などなし。
愚なる時間は時計で計られし、しかし、智の時間は、時計では計れず。
あらゆる健康に良い食物は網や罠なしに捕へられし。
死の年に重さと秤の数字が齎されし。
如何なる鳥も高すぎる飛翔はせず。鳥が己の翼で飛翔する限り。
一柱の死体は、怪我を以て復讐せず。
もっとも高貴な行為はあなたの前の他人を座らせる事なり。
愚者が己の愚かさに固執するならば賢者にならむ
愚かさとは悪業の衣服なり。
羞恥は「矜持」の衣服なり。
収容所は「法」の石にて建てられし、昌家は「宗教」の煉瓦で。
孔雀の矜持は「神」の栄光なり。
山羊の肉欲は「神」の賜物なり。
獅子の激怒は「神」の智なり。
裸婦は「神」の作品なり。
哀しみの過剰が笑ひなり。歓びの過剰が咽び泣きなり。
獅子の咆哮、狼の遠吠へ、嵐の海の憤怒そして破壊する剣は人間の目には偉大過ぎる永遠の一部なり。
狐は己ではなく罠を非難す。
歓びは受胎せし。「哀しみ」は産まれし。
男は獅子の凶暴を着用し、女は羊の毛を纏へ。
鳥には巣を、蜘蛛には蜘蛛の巣を、人間には友愛を。
己を嗤う愚。そして無愛想でしかめっ面をした愚。どちらも賢いと考らむ、それらが鞭打たれるようとも。
現在証明されしものは嘗て、想像するのみもの。
鼠、二十日鼠、狐、兎は、根を見守りし、獅子、虎、馬、象は、果実を見守りし。
水槽は含有す、泉は湧出す
一つの思考は、無限に満つる。
絶えずあなたの心を語る準備をせよ、さすれば或る下卑たものはあなたを避けよう。
信じられしあらゆるものは真実の表象なり。
鷲はそのやうに多くの時を無駄にせず。鷲が群れの教えに屈服する時。
狐は己のために備へる。しかし、「神」は獅子のために備へる。
朝に考へよ、正午に行動せよ、晩に食べよ、夜に寝よ。
あなたに課されしものを蒙る彼はあなたを知る。
犂が言葉に連なるやうに「神」は祈る人に報いし。
憤怒の虎は馴致されし馬よりも賢し。
動かぬ水より毒を予期せよ。
あなたは十分以上のものが何かを知らずば、十分なるものを知らぬ。
愚者の咎めるのを聞き給へ! それは王の題なり。
炎の目、空気の鼻孔、水の口、地の髭。
勇気に弱い事は、狡猾な強さになる。
林檎の木は橅にどのように成長するのかを尋ねず、同様に獅子も馬に餌をどのやうに獲得するかを。
感謝に満ちし受領者は豊かな稔を生む。
仮に他者が愚かでなければ、吾等が愚かなり。
美麗なる歓びの魂は決して穢れぬ。
汝が高を見し時汝は霊の一部を見し。汝の頭を上げよ!
芋虫が自身の卵を産み付けし時に最も美しき葉を選びしやうに、祭司は最も美しき歓びの上に呪ひを置きし。
可憐な花を作りし事は時代の労役なり。
この野郎。気を引き締めろ。安寧に祝福あれ。
最も上級な葡萄酒は最も古いものなり、最も良き水は最も新鮮なものなり。
祈る人は犂を引くまじ。賛美は収穫するまじ。
歓びは笑うまじ。哀しみは咽び泣くまじ。
頭は崇高。心臓は悲哀。生殖は美。手と足は釣合ひ。
鳥における空気のやうに若しくは魚における水のやうに、軽蔑すべきものにおける軽蔑なり。
烏はあらゆるものが黒なる事を望み、梟はあらゆるものが白なる事を望む。
充溢は美なり。
仮に獅子が狐に助言されれば、獅子は狡猾なりし。
「改善」は真っすぐな道を造りし、しかし、「改善」なき鉤状の道は、「天才」の道なり。乳母は欲望を押し留めしよりも、揺り籠の中で幼児を殺せ。
人間が自然でない処は不毛なり。
真実は理解されるやうに決して離せず、そして、信ずられず。
十分! 多すぎだ
The ancient Poets animated all sensible objects with Gods or Geniuses, calling them by the names and adorning them with the properties of woods, rivers, mountains, lakes, cities, nations, and whatever their enlarged & numerous senses could percieve.
And particularly they studied the genius of each city & country, placing it under its mental deity;
Till a system was formed, which some took advantage of & enslav’d the vulgar by attempting to realize or abstract the mental deities from their objects: thus began Priesthood;
Choosing forms of worship from poetic tales.
And at length they pronounc’d that the Gods had order’d such things.
Thus men forgot that All deities reside in the human breast.
古の詩人は「神」若しくは「霊」のやうに感得出来る全てに命を吹き込みし、それらは名で呼ばれそしてそれらを木、河、山脈、湖、都市、国、そしてそれら広大無辺で数多ある、感覚が感得出来るものの特性を古の詩人は崇拝す。
そして特に詩人たちは各各の都市と国の霊について研究せし、それを精神の神神と為し。
或る体系が形作られるまで、体系は木木などの物体から精神の神神として実体化若しくは抽象化する事を企てる事で世俗化したものを利用し若しくは隷属化す、かやうに司祭が始まりし。
詩的な話から礼拝の型が選びつつ。
そして遂に詩人たちは「神神」がかやうなものを秩序づけせしと語りし。
かくして人間は人間の胸にあらゆる神神があるのを忘れし。
A Memorable Fancy.
The Prophets Isaiah and Ezekiel dined with me, and I asked them how they dared so roundly to assert that God spake to them; and whether they did not think at the time, that they would be misunderstood, & so be the cause of imposition.
Isaiah answer’d. ‘I saw no God, nor heard any, in a finite organical perception; but my senses discover’d the infinite in every thing, and as I was then perswaded, & remain confirm’d, that the voice of honest indignation is the voice of God, I cared not for consequences but wrote.’
Then I asked: ‘does a firm perswasion that a thing is so, make it so?’
He replied: ‘All poets believe that it does, & in ages of imagination this firm perswasion removed mountains; but many are not capable of a firm perswasion of any thing.’
Then Ezekiel said. ‘The philosophy of the east taught the first principles of human perception: some nations held one principle for the origin & some another; we of Israel taught that the Poetic Genius (as you now call it) was the first principle and all the others merely derivative, which was the cause of our despising the Priests & Philosophers of other countries, and prophecying that all Gods would at last be proved to originate in ours & to be the tributaries of the Poetic Genius; it was this that our great poet King David desired so fervently & invokes so pathetic’ly, saying by this he conquers enemies & governs kingdoms; and we so loved our God. that we cursed in his name all the deities of surrounding nations, and asserted that they had rebelled; from these opinions the vulgar came to think that all nations would at last be subject to the jews.’
‘This’ said he, ‘like all firm perswasions, is come to pass; for all nations believe the jews’ code and worship the jews’ god, and what greater subjection can be?’
I heard this with some wonder, & must confess my own conviction. After dinner I ask’d Isaiah to favour the world with his lost works; he said none of equal value was lost. Ezekiel said the same of his.
I also asked Isaiah what made him go naked and barefoot three years? he answer’d, ‘the same that made our friend Diogenes the Grecian.’
I then asked Ezekiel why he eat dung, & lay so long on his right & left side? he answer’d, ‘the desire of raising other men into a perception of the infinite; this the North American tribes practise, & is he honest who resists his genius or conscience. only for the sake of present ease or gratification?’
記憶に残りし幻
預言者のイザヤとエゼキエルは吾と共に食事をし、そして吾は彼ら預言者に尋ねし、
如何に彼ら預言者は敢へて徹底的に言挙げしたのかを。「神」が彼ら預言者に話されし事を、そして彼ら預言者が誤謬してゐるのか、若しくは騙す事の因になりしかとその時に考へなかったのかどうかを。
イザヤが答へし。吾は如何なる「神」にも出会はず。また、何も聞かず、有限なる有機的な感覚においては、しかし吾が感覚はあらゆるものに無限を見出しぬ、そしてかやうに吾はその時に説得されし。そして確信として残りし、誠実な義憤の声は「神」の声なり、吾は結果がどうあらうとも書かずにはゐられなかった。
それから吾尋ねし、物事がかやうであり、かやうになるといふ堅固なる確信であるかと。
彼は答へし。あらゆる詩人はさうなりし事を信ずる、そして想像力の時代においてこの堅固なる確信は山脈をも動かす、しかし、多くのものは堅固なる確信の唯一つすらも受け容れられず。
エゼキエル曰く。東方の哲学者は人間の感覚が感得せし第一原理を教へし 幾つかの国国は根源の一つの原理として保持すそしてその外は他の原理として保持す、イスラエルの吾等は(あなた方が今はそれをさう呼んでゐる)「詩的なる霊性」が第一原理とあらゆるその他の派生しもの、その派生したものは、他の国国の「祭司」と「哲学者」達を吾等をして軽蔑させ、そしてあらゆる「神」は遂には証明されるに違ひなき予言と教へし。吾等において根源的なる事、それはかやうである、吾等が偉大な詩人たるダビデ王は余りに熱狂的に望み、あまりに感情的に祈願せし、かく言ひつつ、ダビデ王は敵を征服し王国を支配すと、吾等はそのやうに「神」を愛せし、かやうに吾等は周辺国からダビデの名で呪われ彼らは謀反を起こすと主張せられり、これらの意見から衆生はあらゆる国が遂にはユダヤの属国になると考へるやうになりし。
かやうにかれは言ひけり、あらゆる堅固な確信のやうに、過去はさうなりし、といふのも、あらゆる国はユダヤ人の法典を信じ、ユダヤの神を礼拝す、そしてより偉大なる支配者に為り得ることに関して
吾いくつかの驚きを以てこれを聞けり、そして吾自身の確信を告白すべきなり。夕食後吾はイザヤに彼の失われし作品と共に世界を好いているかと尋ねし、彼は如何なる等価価値をも失はれてをらずと言ひけり。エゼキエルもイザヤと同じだと言ひけり。
吾、また、何が彼を裸にし、三年間素足にしたのかを尋ねし。彼答へし、吾等の友、ギリシアのディオゲネスと同じくしたまでの事と。
吾は其処でエゼキエルに尋ねし。何故に糞を喰らひしかと、そしてかくも長く右側に横たわり、そして左側に横たわりしは何故か? 彼答へし。無限を知りし他の人びとに生じし欲望 これは北アメリカの民族が実践せり、そして彼は彼の霊性と意識に抵抗せしは最も誠実故にかと。唯、現在の安寧と満足のため為りしか?
The ancient tradition that the world will be consumed in fire at the end of six thousand years is true, as I have heard from Hell.
For the cherub with his flaming sword is hereby commanded to leave his guard at the tree of life, and when he does, the whole creation will be consumed and appear infinite and holy whereas it now appears finite & corrupt.
This will come to pass by an improvement of sensual enjoyment.
But first the notion that man has a body distinct from his soul is to be expunged; this I shall do, by printing in the infernal method, by corrosives, which in Hell are salutary and medicinal, melting apparent surfaces away, and displaying the infinite which was hid.
If the doors of perception were cleansed every thing would appear to man as it is, infinite.
For man has closed himself up, till he sees all things thro’ narow chinks of his cavern.
世界が六千年の終はりに業火の炎で焼き尽くされるといふ古代の伝説は真実なり、吾は「地獄」より聞きしやうに。ここで、炎の剣を持てし「智天使」が命の木を守りしものを去らせるように命令したために、そして、彼がそのやうにし、そして、あらゆる創造物は焼き尽くされ、そして無限が現はれし。そして、一方で聖は現在、有限に堕落せし。
この意思は官能的な快楽の進歩を実現す。
しかし、人間が魂と全く違った肉体を持つといふ最初の考へは、消去すべきなり、吾がこの事をするだらう、浸食する地獄の理論を刷り込まれ、それは「地獄」では有益で薬になり、見かけの表面を溶かしながら、隠されてをりし永劫がその姿を現はし。
知覚の扉がきれいにされしならばあらゆるものはかやうに人間に現はれし、無限に。
遂に人間が彼の洞窟の狭い割れ目を通してあらゆるものを見るまで、何故なら人間は自身で閉ぢちし。
A Memorable Fancy.
I was in a Printing house in Hell & saw the method in which knowledge is transmitted from generation to generation.
In the first chamber was a Dragon-Man, clearing away the rubbish from a cave’s mouth; within, a number of Dragons were hollowing the cave.
In the second chamber was a Viper folding round the rock & the cave, and others adorning it with gold silver and precious stones.
In the third chamber was an Eagle with wings and feathers of air: he caused the inside of the cave to be infinite, around were numbers of Eagle like men, who built palaces in the immense cliffs.
In the fourth chamber were Lions of flaming fire raging around & melting the metals into living fluids.
In the fifth chamber were Unnam’d forms, which cast the metals into the expanse.
There they were reciev’d by Men who occupied the sixth chamber, and took the forms of books & were arranged in libraries.
記憶に残りし幻
吾は「地獄の印刷所」にをりし、そして、時代から時代へと伝はる知識の法則が解かりし。
第一の部屋には「龍人」がをりし洞窟の入り口から塵を掃出しつつ、内部で、幾らかの「龍」が洞窟を掘りつつ。
第二の部屋には巌と洞窟でとぐろを巻く「大蛇」がをりし、そしてその他の大蛇が金銀や宝石で飾りつつ。
第三の部屋には空気の翼と羽を持ちし「鷹」がをりし、その「鷹」は洞窟の中での無限の因なり、巨大な断崖に宮殿を建てし人間に似た夥しき鷹がをりし。
第四の部屋には憤怒の炎を燃やせし「獅子」がをりしそして金属を熔かし生きた流体とせし。
第五の部屋には「名もなきもの」がをりし、そのもの膨張するものへ金属を投げ入れし。
それから第六の部屋を占めしし「人間」によってそのもの達を受け取り、幾冊もの本を得、図書館を整頓せし。
The Giants who formed this world into its sensual existence and now seem to live in it in chains, are in truth the causes of its life & the sources of all activity, but the chains are the cunning of weak and tame minds which have power to resist energy, according to the proverb, the weak in courage is strong in cunning.
Thus one portion of being is the Prolific, the other the Devouring: to the devourer it seems as if the producer was in his chains, but it is not so, he only takes portions of existence and fancies that the whole.
But the Prolific would cease to be Prolific unless the Devourer, as a sea, recieved the excess of his delights.
Some will say: ‘Is not God alone the Prolific?’ I answer: ‘God only Acts & Is, in existing beings or Men.’
These two classes of men are always upon earth, & they should be enemies; whoever tries to reconcile them seeks to destroy existence.
Religion is an endeavour to reconcile the two.
Note: Jesus Christ did not wish to unite but to seperate them, as in the Parable of sheep and goats! & he says I came not to send Peace but a Sword.
Messiah or Satan or Tempter was formerly thought to be one of the Antediluvians who are our Energies.
感覚的なる存在へと此の世を創りそして今は鎖に繋がれ生きし巨人達に、真実あり。その生の因と全ての行為の淵源は、鎖に繋がれてをりしが、羸弱さと馴致の心の狡猾さなり。それは反抗する力の源泉なり。諺によれば、勇気ある羸弱さは狡猾なる強さなり。
かやうに存在の一部は「多産」なり、その他は「貪婪」なり、貪婪なるものにとって、生み出すものは己の鎖に繋がるやうに見えし、しかし、それはさうではなし、部分部分を存在として取り上げるのみなりそして全体を幻想す。
しかし、海の如く貪婪なものが非常な歓喜で受け取らなければ、「多産」なるものは「多産」である事を已める。
誰かは言ふだらう、「神」のみ「多産」でないのか? 吾答へし、「神」のみ「行為」し「存在」す、存在群若しくは「人間」達が存在する中。
人間のそれら「多産」と「貪婪」の二派は何時も此の世に存在す、そして彼らは敵対者なり、彼らを和解させやうとする誰もが存在を破壊せし。
宗教がその二派を和解させようと努めし。
気付くべきなり。イエス・キリストは和解させようとは帰せず、彼らを分ける事に努めし、羊と山羊の譬へのやうに! そして彼曰く、吾「平和」ではなく一太刀の剣を齎せし。
「救世主(メシア)」若しくは「悪魔」若しくは「誘惑する悪魔」は礼儀正しい吾等の「力」なるノアの洪水以前の一人であると考へられし。
A Memorable Fancy.
An Angel came to me and said: ‘O pitiable foolish young man! O horrible! O dreadful state! consider the hot burning dungeon thou art preparing for thyself to all eternity, to which thou art going in such career.’
I said: ‘perhaps you will be willing to shew me my eternal lot & we will contemplate together upon it and see whether your lot or mine is most desirable.’
So he took me thro’ a stable & thro’ a church & down into the church vault at the end of which was a mill: thro’ the mill we went, and came to a cave: down the winding cavern we groped our tedious way till a void boundless as a nether sky appear’d beneath us & we held by the roots of trees and hung over this immensity; but I said, ‘if you please we will commit ourselves to this void, and see whether providence is here also, if you will not, I will?’ but he answer’d: ‘do not presume, O young-man, but as we here remain, behold thy lot which will soon appear when the darkness passes away.’
So I remain’d with him, sitting in the twisted root of an oak; he was suspended in a fungus, which hung with the head downward into the deep.
By degrees we beheld the infinite Abyss, fiery as the smoke of a burning city; beneath us at an immense distance, was the sun, black but shining; round it were fiery tracks on which revolv’d vast spiders, crawling after their prey; which flew, or rather swum, in the infinite deep, in the most terrific shapes of animals sprung from corruption; & the air was full of them, & seem’d composed of them: these are Devils, and are called Powers of the air. I now asked my companion which was my eternal lot? he said, ‘between the black & white spiders.’
But now, from between the black & white spiders, a cloud and fire burst and rolled thro’ the deep black’ning all beneath, so that the nether deep grew black as a sea, & rolled with a terrible noise; beneath us was nothing now to be seen but a black tempest, till looking east between the clouds & the waves, we saw a cataract of blood mixed with fire, and not many stones’ throw from us appear’d and sunk again the scaly fold of a monstrous serpent; at last, to the east, distant about three degrees appear’d a fiery crest above the waves; slowly it reared like a ridge of golden rocks, till we discover’d two globes of crimson fire, from which the sea fled away in clouds of smoke; and now we saw, it was the head of Leviathan; his forehead was divided into streaks of green & purple like those on a tyger’s forehead: soon we saw his mouth & red gills hang just above the raging foam tinging the black deep with beams of blood, advancing toward us with all the fury of a spiritual existence.
My friend the Angel climb’d up from his station into the mill; I remain’d alone, & then this appearance was no more, but I found myself sitting on a pleasant bank beside a river by moonlight, hearing a harper who sung to the harp; & his theme was: ‘The man who never alters his opinion is like standing water, & breeds reptiles of the mind.’
But I arose, and sought for the mill, & there I found my Angel, who surprised, asked me how I escaped?
I answer’d: ‘ All that we saw was owing to your metaphysics; for when you ran away, I found myself on a bank by moonlight hearing a harper, But now we have seen my eternal lot, shall I shew you yours?’ he laugh’d at my proposal; but I by force suddenly caught him in my arms, & flew westerly thro’ the night, till we were elevated above the earth’s shadow; then I flung myself with him directly into the body of the sun; here I clothed myself in white, & taking in my hand Swedenborg’s, volumes sunk from the glorious clime, and passed all the planets till we came to saturn: here I staid to rest & then leap’d into the void, between saturn & the fixed stars.
‘Here,’ said I, ‘is your lot, in this space, if space it may be call’d.’ Soon we saw the stable and the church, & I took him to the altar and open’d the Bible, and lo! it was a deep pit, into which I descended driving the Angel before me, soon we saw seven houses of brick; one we enter’d; in it were a number of monkeys, baboons, & all of that species, chain’d by the middle, grinning and snatching at one another, but witheld by the shortness of their chains: however, I saw that they sometimes grew numerous, and then the weak were caught by the strong, and with a grinning aspect, first coupled with, & then devour’d, by plucking off first one limb and then another till the body was left a helpless trunk; this after grinning & kissing it with seeming fondness they devour’d too; and here & there I saw one savourily picking the flesh off of his own tail; as the stench terribly annoy’d us both, we went into the mill, & I in my hand brought the skeleton of a body, which in the mill was Aristotle’s Analytics.
So the Angel said: ‘thy phantasy has imposed upon me, & thou oughtest to be ashamed.’
I answer’d: ‘we impose on one another, & it is but lost time to converse with you whose works are only Analytics.’
記憶に残りし幻
一人の天使が吾の処にやって来て言ひし。おお、哀れで莫迦な若者よ! おお、恐ろしき! おお、悲惨なる状態よ! 汝があらゆる永劫へと汝自身を準備せし灼熱の燃え上がれり地下牢に思ひ馳せよ、永劫へと汝はそのやうに行ひし。
吾曰く。多分、汝は吾に吾が永劫なる宿命を見せたいのだそして吾等はそれについて沈思黙考しそして汝の宿命か吾が宿命かのどちらかが最も望ましいかを解からせたいのだ。
かやうに彼は吾とともに馬小屋へ連れて通り過ぎそして教会を通り過ぎそして最後に粉挽き場へと至る教会の地下室へと降りし、そして洞窟へと来し。そのうねうねと曲がりし洞窟を降り、気が滅入る路を手探りで進みし遂には空虚な空の如き無際限な空虚が吾等の下に拡がりしそして吾等は木の根に摑まへられてをり、この無際限に引っかかりてありし、しかし、吾曰く、汝が喜ぶ為れば、吾等はこの空虚に身を委ねてもよろしかり、そしてここでもまた神の摂理が存するかを試すなり。吾の望みを汝は望みしか? しかし彼は答へし。おお、若き人よ、汝が思ひし事はせずこのまま吾等は暗黒が過ぎ去りし刹那に現はれり汝が宿命を見るらむ。
かやうに吾は彼と共に或る樫の木の捻じれし根に坐ってをりし。彼は奈落の底へ頭を向けし茸に宙ぶらりんの状態なり、
徐々に無限なる奈落の底が見えし、燃え上がる都市の煙の如き炎、吾等の下には遙か彼方に太陽があり、暗黒ながらしかし輝きし、太陽の周りには巨大な蜘蛛達が巡りし燃え上がる軌道があり、彼らの獲物の後を這ひつつ、彼らは無限の奈落を飛ぶと言ふより寧ろ泳ぎつ、死体から生まれし最も悍ましき動物の形をし。そして大気はそれに満ちし、そしてそれらで出来てゐるやうに見えし、それらは「悪魔」なり。そして気の「力」と呼ばれし、吾は今、吾の共に吾の永劫の運命どうか? と尋ねし。彼曰く、黒と白の蜘蛛の間
然し今、黒と白の蜘蛛の間から一つの雲が現われりそして炎は燃え上がり下全体の深淵なる漆黒の闇を巡るなり、それ故下の奈落は海の如く黒くなりそして恐ろしき音で轟きし、吾等の下は暗黒の嵐以外何も見えず、雲と波の間の東方を見る迄は、炎と渾然一体となった血の瀑布が、吾等からは多くの石を投げ入れる事もせずに醜悪なる大蛇が現はれてはそして再び鱗を纏ひし途轍もなく巨大で醜悪なる大蛇が沈みし。遂に東方に、三度ほどの距離に、ゆっくりと波の上を燃え立つ波頭が現はれつその波頭は緋色の炎の二つの球体を吾等が見出す迄黄金色の巌のやうに盛り上がりつつ。其処から海は煙の雲の中へと逃げつ、そして今吾等は見し、それはレビヤタン(巨大な海獣)の頭である事を。彼のものの額は虎のそれと同じやうに緑と紫の縞模様に分かれてをり、直ぐ様吾等は血の閃光と共に漆黒の深淵を血の色で染めし憤怒の泡が引っ掛かってゐる口と鰓を見し、吾等の法に向けてあらゆる霊的なる存在の怒りと共に進みし。
吾が友の天使は粉挽き場の彼の持ち場へと上りし、われは一人留まりし、そしてそれから最早何も見えず、しかし、吾はハープの伴奏で歌いしハープ弾きの歌声を聴きつつ月光によって吾が或る川の快適な堤に坐りし様を見出しつ。そして彼の主題は自身の意見を変えぬものは澱んでゐる水の如く、そして心に醜い爬虫類を育てしと。
しかし、吾は立ち上がり、粉挽き場の方を見し、そしてそこで吾は吾が天使を見つけたり、そして天使は私に驚きの質問をせし、吾はどのやうに逃げしか?
吾答へし。吾等が観たすべてのものは、あなたの形而上のお蔭でありし、なぜならあなたが逃げし、吾はハープを聞きながら月光によって吾が堤の上にゐるのが解かりし、しかし、今吾等は永劫の宿命を見し、あなたはあなたの宿命を見しか? 彼は私の申し出に笑ひし、しかし、吾は突然強制的に彼を腕で摑み、夜を通って西へと飛びし、遂に吾等は地上の影から昇華せし、それから吾は彼と共に太陽の中へと真っ直ぐに飛び込み、そして吾は此処で城濾器着物を着し、吾が手にはスウェーデンボルグの著作があり栄光の場から沈みし、そしてあらゆる惑星を通り過ぎ、遂に吾等が土星に来し時、此処で休み、それから空虚へと飛び込みし、土星と恒星の間で。
此処で吾曰く! 汝の宿命なりしや、この時空での、もしそれを時空と呼ばむなら、間もなく吾は馬小屋と教会を見し、そして、吾は彼を聖餐台へ連れて行きそして「聖書」を開きし、そして嗚呼! それは深き穴なり、吾の前のその天使に引っ張られて吾をしてその穴に降らせし、間もなくわれは七つの煉瓦造りの家を見し吾等は第一の家に入りし、中には多くの猿や狒狒(ひひ)など、その種属に属するあらゆるものが胴を鎖で繋がれ、互ひに歯を剝きそして引っ摑みてをりしが、鎖が短き故にそれは抑へられし、然しながら吾はそれらが時時巨大化し、そしてそれから弱きものが強きものに摑まへられ、にたり顔で初めは一組に為りそして貪り食らひし、初めに一つの四肢がそして別のものが引き千切りられ、遂には肉体は絶望的な胴が残されし。そしてこの後歯を剝き出し手にたり顔をしそしてそれに愛してゐるが如くに口付をしそれらもまた貪り喰らはれり、そして彼方此方で自身の尻尾から肉を美味しさうに引っこ抜くものを見つ、恐ろしい悪臭に吾等二人とも苛立たせ、吾等は粉挽き場へ行きし、そして吾はわが手に一柱の骸骨が齎されり、その骸骨は粉挽き場ではアリストテレスの「分析論」なりし。
そうして天使が言ひつ、汝の幻想が吾に騙しけり、そして汝は恥じるべし。
吾答へし、吾等は互ひに騙し合ひ、そして汝の作品が唯一「分析論」為る汝との会話は時間の無駄なり。
Opposition is true Friendship.
I have always found that Angels have the vanity to speak of themselves as the only wise; this they do with a confident insolence sprouting from systematic reasoning.
Thus Swedenborg boasts that what he writes is new; tho’ it is only the Contents or Index of already publish’d books.
A man carried a monkey about for a shew, & because he was a little wiser than the monkey, grew vain, and conciev’d himself as much wiser than seven men. It is so with Swedenborg: he shews the folly of churches & exposes hypocrites, till he imagines that all are religious, & himself the single one on earth that ever broke a net.
Now hear a plain fact: Swedenborg has not written one new truth. Now hear another: he has written all the old falshoods.
And now hear the reason. He conversed with Angels who are all religious, & conversed not with Devils who all hate religion, for he was incapable thro’ his conceited notions.
Thus Swedenborgs writings are a recapitulation of all superficial opinions, and an analysis of the more sublime, but no further.
Have now another plain fact. Any man of mechanical talents may, from the writings of Paracelsus or Jacob Behmen, produce ten thousand volumes of equal value with Swedenborg’s, and from those of Dante or Shakespear an infinite number.
But when he has done this, let him not say that he knows better than his master, for he only holds a candle in sunshine.
対立が本当の友情なり
天使達が唯一の賢さのやうに己自身について語るのに虚しさが付いて回るといふ事を吾は何時も見出しぬ、かやうに彼らは組織化されし理性から芽生えし自信たっぷりで横柄に物事を扱ひし、
かやうにスウェーデンボルグは彼が記したものが新しいと誇りし、しかし、それは既に出版されし本の「内容」と「索引」のみなり
一人の人間が見世物にするために一頭の猿を運びし、そして何故なら人間は猿よりちょっぴり賢いので、自惚れ、七人の人間よりずっと賢い事を彼の事を理解せし。スウェーデンボルグがさうであったやうに、協会の愚かさを見、そして偽善を露呈す、遂にかれは全ては宗教だと想像すそして彼自身蜘蛛の巣が永劫に壊れてしまった地上の唯一のものなり。
今、平明な事実を聞き給へ、スウェーデンボルグは何一つ新しい真実を書かざりし。
今、別のものも聞き給へ、かれは全ての古き愚劣を書きし。
そしてその理由を聞き給へ。彼は全てが宗教的なる天使と話し合ったなりしそして全て宗教を憎む「悪魔」とは話してをらず、何故なら彼は自惚れてゐた為に狭量なりし。
かやうにスウェーデンボルグの著作はあらゆる浅薄な意見の要約、そして更なる荘厳な分析なり、しかしそれ以上のものではなし。
今別の平明な事実がありし、機械に長けた人はスウェーデンボルグの著作と同等なパラケルススやヤコブ・ベームの著作から一万冊の書籍を生み出す。そしてダンテやシェイクスピアの著作から無限の書籍を。
しかし彼がこれを成し遂げし時、彼は彼の主人より優れてゐると知った事を言はさせない、何故なら彼は唯、陽光の中の蝋燭なりし故に。
A Memorable Fancy.
Once I saw a Devil in a flame of fire, who arose before an Angel that sat on a cloud, and the Devil utter’d these words:
‘The worship of God is: Honouring his gifts in other men, each according to his genius, and loving the greatest men best: those who envy or calumniate great men hate God; for there is no other God.’
The Angel hearing this became almost blue but mastering himself he grew yellow, & at last white, pink, & smiling, and then replied:
‘Thou Idolater, is not God One? & is not he visible in Jesus Christ? and has not Jesus Christ given his sanction to the law of ten commandments, and are not all other men fools, sinners, & nothings?’
The Devil answer’d: ‘bray a fool in a morter with wheat, yet shall not his folly be beaten out of him; if Jesus Christ is the greatest man, you ought to love him in the greatest degree; now hear how he has given his sanction to the law of ten commandments: did he not mock at the sabbath, and so mock the sabbaths God? murder those who were murder’d because of him? turn away the law from the woman taken in adultery? steal the labor of others to support him? bear false witness when he omitted making a defence before Pilate? covet when he pray’d for his disciples, and when he bid them shake off the dust of their feet against such as refused to lodge them? I tell you, no virtue can exist without breaking these ten commandments. Jesus was all virtue, and acted from impulse, not from rules.’
When he had so spoken, I beheld the Angel, who stretched out his arms, embracing the flame of fire, & he was consumed and arose as Elijah.
Note: This Angel, who is now become a Devil, is my particular friend; we often read the Bible together in its infernal or diabolical sense which the world shall have if they behave well.
I have also The Bible of Hell, which the world shall have whether they will or no.
One Law for the Lion & Ox is Oppression.
記憶に残りし幻
かつて私は燃え上がる炎の中に「悪魔」を見し。彼は雲に坐り「天使」の前に立てり。そしてその「悪魔」はそれらの言葉を言ひし。
「神」の礼拝はありし。神の霊性に従ひ各各他人の中で光栄なる神の賜り物。そして最も人間を愛する事、偉大なる人を妬みそして中傷する人は「神」を憎むなり、何故なら他に「神」なし故なり。
これを聞きし「天使」は殆ど蒼くなりしが、彼自身を支配しつつ彼は黄色になりし、そして遂には淡い桃色にそして笑ひながらそしてそれから答へし、
汝、偶像崇拝者よ、そなたは「神は一つ」為らずや? 彼はイエス・キリストの中に見えぬや? そしてイエス・キリストはモーセの十戒に認可を与へずやそして他の全ての者は愚者で、罪人で、そして無に等しきものにあらずや?
「悪魔」が答へし、小麦を盛りしすり鉢と共に愚者を擂り潰せし。彼の愚かしさは未だに彼に打ちのめされぬや、仮にイエス・キリストが偉大なるものならば、汝は彼を最高の愛を以て彼を愛するべし、今、聞き給へ、如何にして彼がモーセの十戒を認めしかを、安息日に彼は嘲りしやそして安息日に「神」を嘲笑ひしや? 彼故に殺されし人人を殺すや? 不貞を働きし女から法を顔を背けしや? 彼を支持する為に他の労役を奪いしや? 彼がピラトの面前で守る事を怠りし時過誤の目撃者は堪へられしや? 彼の弟子の為に彼が祈りし時、そして弟子ら泊まらせる事を拒んだ事に反して彼ら拒んだ人人の足の埃を振り払ふやうにと彼が彼ら弟子に命じた時を熱望するや? 吾、汝に言ふ、モーセの十戒破らぬ徳は存在せず、イエスは全ての徳なりし、そして衝動より行動す、徳からではなく。
彼がさう語ったとき、私は手を伸ばして燃え上がる炎を抱き締めし「天使」を見しそして彼は焼き尽くされそして預言者エリヤが現はれし。
注釈。この「天使」は、今は「悪魔」に為りしが、私の特別な友人なり、吾等はその地獄の中で若しくは、世界が上手く運べば必ず生じし残忍なる感覚で「聖書」をお互ひに読みし、
吾はまた持ちつ、「地獄の聖書」を、それは、世界が望むもうが望まないかのどちらかにせよ持つことに為りし。
獅子の為の一つの法若しくは牡牛の圧政
A Song of Liberty.
3 Shadows of Prophecy shiver along by the lakes and the rivers and mutter across the ocean: France, rend down thy dungeon;
Empire is no more! and now the lion & wolf shall cease.
Chorus.
Let the Priests of the Raven of dawn, no longer in deadly black, with hoarse note curse the sons of joy. Nor his accepted brethren, whom, tyrant, he calls free: lay the bound or build the roof. Nor pale religious letchery call that virginity, that wishes but acts not!
For every thing that lives is Holy.
「自由の歌」
皇帝はもうをらず! そして今、獅子と狼は已めし。
「合唱」
夜明けの真っ黒き烏の司祭は、最早、死のやうな暗黒の中で、しはがれた声で歓びの息子へ呪ひの言葉を記すまじ。または、彼の受け入れし同士、即ち彼は自由と呼ばれる、暴君は、境界を作らず屋根を建てず。または処女と呼ばれし蒼白き宗教の淫らな行為は、しかし行為せず、それを望まず!
何故なら生きとし生けるあらゆるものは聖なり