自由とは何と不自由なことか

自由とは言ひ換へれば無限大の束縛である。
この反語は抽象的ではあるが、

一寸頭を捻れば合点が行く筈である。

だから最早人間はその束縛から逃避することでしか自由は得られぬのであるが、
そもそもそれは不可能である。
ならばと人間だけでなく瞼を持つ生き物は瞼を瞑り、
その薄っぺらの闇の中で、内的自由だけが許される妄想遊びでお茶を濁してゐる。
哀しい哉、それ以外の自由など此の世には存在しないのである。

妄想とは存在の悲哀の表れでしかないのである。

積 緋露雪

物書き。

Recent Posts

死引力

不思議なことに自転車に乗ってゐ…

2日 ago

まるで水の中を潜行してゐるやう

地上を歩いてゐても 吾の周りの…

3週間 ago

ぽっかりと

苦悶の時間が始まりつ。 ぽっか…

4週間 ago

狂瀾怒濤

吾が心はいつも狂瀾怒濤と言って…

1か月 ago

目覚め行く秋と共に

夏の衰退の間隙を縫ふやうに 目…

2か月 ago

どんなに疲弊してゐても

どんなに疲弊してゐようが、 歩…

2か月 ago