出立――坂本龍一の死の報に接して
坂本龍一の作品を色色と批評したり、
Reviewを書いたりしてきたが、
一つ言へることは
坂本龍一はYMOで時代の寵児となったことにも反して、
一貫して反時代的な音楽を作ってゐたやうに思ふ。
反時代的だからこそ、普遍性を坂本龍一は音楽で獲得できたと思ふ。
静と動のその微妙な間にのみ拘り続け、
音が立ち上がることのその意味を多分、一生問ひ続けてゐたのだらう。
その苦悶の時は今日終わりを告げた。
だからといって、坂本龍一の音楽は、
これからもずっと大衆に聴き続けられることだらうが、
果たして坂本龍一はそれを臨んでゐたのかどうかは解らない。
唯、坂本龍一は死んだがその遺した作品群は
絶えず誰かが演奏し、百年、二百年と演奏され続けられるだらう。
それでいいのだと思ふぬ。
時代は絶えず人間が遺したものを篩ひにかけて、
ほんの少しのものを時代の象徴するものとして刻印する。
人間が死んだ途端にもう、死者の競争は始まってゐて、
死者の遺したものは他人の評価に晒されるのだ。
さうでなければ百年単位で生き残る作品はない。
坂本龍一もその仲間に入ってしまった。
合掌。