Categories: 批評

想定される生成系AIが齎すであらうこと 一

 単純に考へても生成系AIの出現により、やがてはコンピュータで行へることは全て全自動でできるようなり、ホワイトカラーの殆どは必要なくなるといふことへと思ひ至るが、これは当然の帰結である。コンピータは生成系AIに乗っ取られ、仮想世界は人間の手を離れて勝手に進化をし、最早それはNetworkで全世界のコンピュータは繋がる超強大なBlackboxの出現を意味する。そのBlackboxが人間の棲む世界に関はらうものならば、人間はコンピュータの奴隷にしかなり得ない。強大なBlackboxに対して人間はどんな徒党を組まうが生成系AIには敵はないであらう。

     と、悲惨な未来しかないのかといふと、残念ながらさうとしかいへぬのである。どう考へても人間はパンドラの匣を開けてしまったとしか思へぬ。このパンドラの匣には希望は残らない。何処まで行っても人間の敗北しかない。人間が生んだとしても初めからBlackboxの存在を前提とした論理構造はBlackboxを持ってゐた方が勝ちなのである。

     そこで、生成系AIのBlackboxをなんとか解析しようとするものが必ず現れ、既に現れてゐるが、その解析を行ふには現時点でも太刀打ちできぬのであるから、将来、強大なBlackboxを解析するのは全てが人間の目に晒されたプログラムで組んだ論理でなければならないのだけれども、絶えず進化し続ける完全自動化されてしまった生成系AIは人間の論理形式など全てお見通しで、敵ふ相手でないことにしか人間はならぬ。それなのに、今、生成系AIの登場に嬉嬉としてゐるのを見れば、最早、人間は悲惨な未来を自ら選んだといふことにもっと敏感に、そして、絶望しならなければならぬのに、開発競争は留まるところを知らない。


(続く)

積 緋露雪

物書き。

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