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目玉

目玉がぎろりと蠢き世界を凝視し始めると、

最早、目玉が見てゐる世界は本当の世界の姿ではなく、

脳が補正をしてしまった世界に成り変はってゐる。

それでも目玉は世界の正体を知りたくて、

ぎろりぎろりと世界を見渡す。

網膜に逆さに映し出された世界のみに真実が隠されてゐる筈だが、

脳は態態わざわざ補正をしてあるべき世界を見せてしまふ。

多分、脳が途切れ途切れの目玉が見た世界を連続するものとして繋いで

世界といふものを出口なしのものにしてしまふ。

それが途轍もなく居心地の悪い俺は、

小林秀雄のやうに頭が岩だったらとも思ふが、

それだと最早、俺は死んでしまはなければならず、

世界に対して白旗を揚げ敗北を認めなければならぬから口惜しい。

ならば俺は目玉を信用すればいいのだが、

目玉で見たものはすぐさま脳が補正を加へるから

俺は死んでも世界の実相は知らない。

つまり、目玉があることが世界を捉える邪魔をしてゐるともいへ

盲人こそ、世界の実相に近い世界を脳で補正してゐるのかもしれぬ。

ドン・キホーテ。

目玉があるものは皆、ドン・キホーテと何ら変はりがない。

或る意味、目玉が見てゐるものを補正するといふことは

妄想と紙一重なのだ。

否、世界がそもそも妄想なのかもしれぬ。

ならば、俺は妄想にどっぷりと浸りながら

その正体をちっとも見せない世界の実相、さう、物自体を考へざるを得ない。

この果てない思考の罠に俺は敢へて嵌まるのだ。

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