死引力
不思議なことに自転車に乗ってゐる時など、 心に反して己に向かRead More過去に縋るか
デビュー作が余りに凄かったために
それから五十年余りたった今、
彼の作品を追ふと
最早、鑑賞に堪へない作品が次次と生み出され、
言葉の使ひ方も平平凡凡で
デビュー作の鮮烈極まりない詩人然とした
目眩く言葉の隠喩が暴れ回る様に感嘆した強烈な印象は
何処かへ消えてしまった。
彼本人も堪へられなかったと見えて
二千年代初頭から沈黙を守ってゐる。
つまり、彼はデビュー作の途轍もない推進力の惰性で
今も生き存へてゐるが、
それもまた、幸せな人生だとは思ふ。
しかし、デビュー作を到頭超えられなかった彼の懊悩は
深かったとも思ふ。
しかし、作家はデビュー作に全てが顕れてをり
デビュー作を超えることはどの作家も中中骨の折れることのやうだが、
それでも、作家たるもの、自分との戦ひであり、
自身がぶち上げたデビュー作の衝撃の強さが強靱であればあるほど、
それと戦へる幸せを噛み締めるべきなのだ。
デビュー作の推進力の惰性で終はるか
三段ロケットのように
ホップ・ステップ・ジャンプとさらに推進力を増して
デビュー作の軛を軽軽と超える作家も、それは数多をり、
その差は過去に縋るか過去の栄光をかなぐり捨てる覚悟の問題なのかも知れぬ。
彼の真似をするとこんな風なのだ。
牧場の端に転がる新聞紙のインクの臭ひを
空が吸ひ込むと
空は黒い雨を降らせ、
それは火山が噴火した時の雨のやう。
火山灰に汚れた僕たちは
それをトイレに流すやうにかなぐり捨て、
流れた先の空虚に仏像に出会ふやうに出会ふ。
とまあ、彼の足下にも及ばないが、
彼のデビュー作は心像が目眩く変容を繰り返し
それが彼独自の言語感覚で見事に捉へてゐた。
今、彼が作品を発表すると、やはり、駄作なのだらうか。