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小説 祇園精舎の鐘の声  二十六の編

それにしても生成AIは決して暴走しないのであらうか。これが怖くてMicrosoftやGoogleは試作品の発表のみで、注力してゐる生成AIを世に出すのに躊躇ってゐるといはれてゐる。しかし、生成AIで一攫千金を狙って雨後の筍のやうに世界中彼方此方から毎日数へ切れない数の生成AIが発表され、SNSを使ってそれらは拡散してゐる。最早生成AIの激烈な開発競争は止められぬ。その度に超知能への誕生へと人類は歩を進めてゐるのであるが、これが善とか悪とかいってゐる時は疾うに過ぎてゐて雪崩を打つやうに人類は超知能誕生へと驀進してゐる。つまり、ニーチェではないが、善悪の彼岸に誰もが立たされてしまってゐるのだ。この宙ぶらりんの状態から善に走るか悪に走るかは個人の自由に委ねられてゐるが、これまでの歴史を鑑みて善の勝利は望み薄で悪がこの世に蔓延るのは火を見るよりも明らかである。善か悪か未知の世界に適応するのは大抵悪と相場が決まってゐる。超知能も当然善と悪の綱引きの中に置かれるだらう。その均衡が破れたとき人類は破滅の道を辿るのかも知れぬ。さうと解ってゐても生成AIの開発競争は已むどころか益々激烈を極め、最後は数社の巨大企業に集約されてゆくことだらう。そのとき、富の分配はどうするのであらうか。働かぬもの喰ふべからずはそのときもまだ、通用する慣用句なのだらうか。超知能の出現により人間は再び奴隷制を布いて、換言すれば、超知能の奴隷として細細と人間は生きるのであらうか。悪魔の化身のやうな超知能が出現することは物の道理として覚悟しておかねばならぬだらう。ならば、人間が超知能の下僕となるのは疑ふ余地がない。本意だらうが不本意だらうが人間に最早選択の余地はないのだ。制御不能、これが今のChaos状態の本質に違ひない。やはり、Chaosからしか新しいものは生まれないのだらう。しかし、一度方向が決すれば、Chaosはそれに集約されてゆく。それが今のところ、悪魔的なるものといふことなのだ。人類は少しでも超知能に近づきたくて戦ひに明け暮れるかも知れぬ。超知能の出現は人間を奴隷にし、そして、悪魔的なる超知能は権謀術数の限りを尽くして人間を収めるのに戦争へと導くかも知れぬ。その方が超知能には人間は扱ひやすいのだ。果たしてこの事態に人間は蒼ざめるものもゐるには違ひないが、生き生きとするものが多勢だらう。多分、それが人間が目指す幸せの本質なのだ。太く短く生きることに幸せを見出した人間は喜んで戦ひの中に身を投じる。時に中世を暗黒の中世といふことがあるが、未来はそれ以上に暗黒なのだ。さて、そんな未来を予想しながら人間は喜んで激烈な生成AIの開発に身を投じる。1%の大富豪と99%の貧民といふ構図は今も未来も変はらぬであらう。大富豪は人間の殺し合ひといふ最高のShowを高みの見物をするに決まってゐる。それでも生成AIの激烈窮まる開発競争はもう止められぬのだ。

 

二十六の篇終はり

積 緋露雪

物書き。

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