野分けが日の本に近づき、上陸するのも時間の問題の中、

不安が募るばかりの夜を迎へるが、

子どもの頃は野分けが来るのが嬉しくて仕方なかったのを思ひ出すと、

なぜ、あんなに興奮できたのか、

それは野分けの圧倒的な暴力性にあったのではないかと今は思ふ。

野分けの無慈悲な暴力性は地上にしがみ付いて暮らす人間を

運が悪ければ家屋は破壊され、

冠水した道路に突っ込んで溺死する人や

土石流で命を落とす人など、

人命が危機にさらされるその暴力性は圧倒的なのだ。

人間の営みの何と小さなことかと思ひ知らされる野分けの悪魔性は

どう足掻こうが人間が太刀打ちできるものではなく、

太刀打ちできないから人間はうち捨てられた人形のやうに

野分けに弄ばれ、最悪の場合、命を落とすのであるが、

その無惨な様は悪魔の仕業としか思へぬのである。

野分けは容赦がない自然の出来事ではあるが、

自然とはそもそも人間に容赦がないもので、

自然環境の激変で人間の文明は幾つ滅んでいったことだらう。

 

だから、それでも生き延びるのだ。

生き延びて台風一過をこの目に見るのだ。

何があらうとも生き延びての始まりであり、

死んでしまったなら、野分けの思ふ壺なのだ。

人間はある意味反自然的生き物であるその筋を通すためにも

生き延びるのだ。

積 緋露雪

物書き。

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