死引力
不思議なことに自転車に乗ってゐる時など、 心に反して己に向かRead More潰滅して行く
或る日を境に
彼女は疲労を訴へるやうになった。
そして、肉体は見る影もなく痩せ細り、
それでも苦痛は一切口に出すことなく
それを全的に受け容れてゐた。
既にそのときは己の死を自覚してゐたであらうが、
なぜか、弱り行く自身を愉しんでゐるやうにも見えた。
きっと、彼女にとって死は日常のもので
何か特別なものではなかったやうに見えた。
やがてベッドで寝ることすら出来なくなった彼女は
居間で寝起きをするやうになった。
寝起きといっても始終寝てゐる外できなかったのであるが、
それでも彼女は病院へ行くことは頑なに拒んだ。
自宅で死ぬことを渇仰してゐたのだらう、
次第に水しか口にすることはできなくなった。
それでも水を手にすると幼児のやうに喜んだ。
私はそれを受け容れてゐたのである。
私は、彼女の希望を叶えるべく奔走してみたが、
この辺りでは在宅医療はまだまだ、不備で、
彼女が自然死をするのを待つ外なかったのである。
潰滅する彼女の肉体はもう、骨と皮だけに成り下がり、
彼女は見る影もなかったが、
私の人生で、そのときが彼女と一番心が通ったときであった。
後から解ったことであるが、十二指腸の癌が転移し、
腎臓が全く働かず、尿が出ない状態に彼女はあった。
やがて水も口にせず、無惨にも冷えた水を頬に当て、
生きてゐる感触を味はふことしかできなくなった。
それでも私は彼女を病院へと入院させる気は毛頭なかったのであるが、
最早限界と見た私は救急車を呼んで拒みに拒み続ける彼女を説得して
入院させたのであった。
意識は既に混濁し、
入院で会話もままならなくなったのであるが、
それでも二、三日後には幽かに意識は回復し、
彼女は自分の死後のことと葬式の段取りを決め、
その二日後に絶命した。
潰滅する肉体に真正面から向き合ひ、
どこか達観してゐる彼女にとって
生と死は地続きで、
死は特別なことではないと教へられもし、
これは武田泰淳の死に方と同じではないかと
感嘆させられたのである。