電脳の登場により、

人間の思考もDigital化してゐるのではないかと

つまり、0か1といふ余りに極端な思考に陥ってゐるのではないかと

否、この系譜は既に第二次大戦のヒトラーによるユダヤ人のGenocideに

象徴されるやうに世界の何処かで戦闘が起きると

「奴は敵だ! 敵は殺せ!」

といふ埴谷雄高が生前何度も警告した

憤怒に囚はれた人間には鏖殺の原理が頭を擡げ

最早、其処から抜け出すどころか更に悲惨なことになる。

つまり、ドストエフスキーが『カラマーゾフの兄弟』でイヴァンに語らせた

「人間ほど芸術的に人間を殺す生物はいない」といふやうな意味のことになるのだ。

つまり、いかに残酷極まりなく人間を殺すかに重点が移り、

その競争となる。

なんと愚かなことか!

その愚かなことが電脳の日常への浸透により汎用化してしまったのではないかと

恐れ戦いてゐるのは私だけなのだらうか。

それはあれかこれかと懊悩した丁抹デンマークの哲学者で

世間により迫害され続けたキルケゴールの選択の項目が

死か生か、つまり、0か1の選択へと

その項目が変遷してしまったのではないかと危惧される。

今日も人間が自ら死んでいったり、敵として殺されてゐる。

この生のみがTower Apartmentの如く

死の大海の中に忽然とそれも物凄く高く佇立してゐる世界観は

途轍もなく危険なものである。

水際の浜辺こそが生あるものが生きるべき世界であると思ふが、

それを最早許す余裕は誰にもなく、

電脳の処理速度に引っ張られる形で生き急いでゐるやうにしか見えぬのだ。

 

穏やかに十月の或る日、

すやすやと微睡みの中に埋没してゐると

聞こえていくるのは

「生きたい! 生きたい!」

といふ声のにのみで、

私は彼らと共に夢の中で鬼ごっこをしてゐたのであった。

「生きたい! 生きたい!」

積 緋露雪

物書き。

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積 緋露雪
Tags: 鏖殺

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