憧(あくが)れ出たものは
もしや平安期に連れ出されたとでも言ふのか、
吾の思ひは憧れ出て地上を彷徨ふ。
夜ばかりでなく昼間も藪ばかりの地上では闇深く
魑魅魍魎が跋扈する。
彼方此方に人魂が浮遊して
それに続いて百鬼夜行の如き鬼ばかりの行進が現れる。
吾は何を求めて憧れ出たのだらうか。
鬼に吾を見たのか。
魑魅魍魎に吾の希望を見たのか。
それとも、吾は吾を見捨てて憧れ出て行ったのか。
憧れ出るのは心の臓が口から飛び出るほどの苦痛を伴ふ。
それでも吾の思ひは憧れ出てしまった。
これは夢現の幽体離脱とはまるで違ふ。
吾の思ひが憧れ出たとはいへ、
意識ははっきりとしてゐて
正に感覚は研ぎ澄まされて行き、
頭蓋内の水面の表象に落涙する雫は
頭蓋内に波紋を広げ、
吾はその音さへも聞き漏らさぬまでになってゐる。
その落涙は憧れ出た吾の思ひの落涙か。
陽の面が雲に陰ると
辺りは矢鱈に冥くなり、
冥界に迷ひ込んだかのやうに
死んだものたちの相貌が
ピカソの「ゲルニカ」の人間のやうに
人面人魂と化して
盆踊りをしてゐる最中かに吾は迷ひ込んだか。
谷崎潤一郎に『陰翳礼賛』といふ随筆があるが、
正に日本といふところは光の暴きよりも
冥き陰翳の曖昧さにその本質があると思ふ。
冥きを心底愛した吾は
明るい文明に背を向けて
只管に冥さばかりを追ふ趨暗性が
その性質の一つに成り下がったが、
それが昂じて思ひが憧れ出るのが当たり前だった平安期の事象まで
闇を追ってしまったのだらう。
闇の中では人は死んでばかりで
中には生き存へるものもゐただらうが、
闇は黄泉の国が相応しいといふのが自然に思へるが、
しかし、それは本当か。
その常識は猜疑に曝されるべきものに違ひない。
闇こそが秘め事が行はれる中で生命を育み、
或ひは快楽を貪り生を謳歌するものではないのか。
さて、朝には吾の憧れ出た思ひは吾の元に帰るはずが、
いづれも一向に帰る気配がなく、
悪霊、若しくは生き霊がその隙を見て吾に取り憑いた。
吾は泡を吹きぶっ倒れて吾を呪ってゐたといふ。
さうして吾は此の世に思ひを残して死んでいったそうだ。
吾の残りし思ひがさう書き残しけむ。