Categories: 小説批評

妄想する日常 七

生成AIの登場により、社会は猥雑になりつつある。生成AIで作られた猥褻画像はもちろん、社会の紊乱を狙ったFake情報にも溢れ返ってゐる。つまり、ネット環境は渾沌の中にある。情報は最早人間にその真贋は判断出来ず、人心はFake情報に右往左往してゐる。私は人間は誰もが善をなさうとする生き物だと思ってゐるが、そこから零れ落ちてしまふものが必ず現れる。それをも受け容れる余裕が人間にあれば、社会の渾沌は最小限で食ひ止められるに違ひないが、文明の余りの進歩の速度に人間はついて行くので精一杯で、そんな他者を受け容れる余裕など全くなく、世間は分断され、お互い孤立を深め行く。さうすると、善をなさんとしてそこから零れ落ちた人人はそんな文明の進歩に戸惑ふばかりである。そして、誰もが籠もり始め、孤独に快楽を見出すことになる。Personal computerさへあれば、孤独は全く感じることなく一日があっといふ間に過ぎ去るのだ。善から零れ落ちた人は全く世界から孤立し、むくむくと悪の芽が芽生え、社会の紊乱に乗じて反社会の群れに加はる。それがいいとか悪いとかの問題ではなく、否応なく善から零れ落ちた人人はそのやうに追い込まれ行くのだ。そんな悪を成してしまった人人は贖罪のために宗教――その宗教の教祖は生成AIになることが多いと思ふ――へと走るかもしれない。または、一度悪に染まったならば更に悪を成して自己嫌悪の中、それを紛らわすために更に悪を成すといふ悪循環に陥るかもしれない。

生成AIの登場で日常はがらりと変はり、Paradigm変換が劇的に起きてゐる。これを生成AIバブルと斜に構へてゐる人とも中に入るが、大資本が生成AIの開発競争に驀進してしまった今では、これを止められる人はゐない。創造性が仮に生成AIに担保出来るのであれば、これを使はない手はないのだ。

積 緋露雪

物書き。

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