死引力
不思議なことに自転車に乗ってゐる時など、 心に反して己に向かRead More花散る儚さは
花散る儚さは人を蠱惑して已まぬ。
故に桜に象徴されるやうに
その尋常ならざる散り際に
人は美を見てしまふのかもしれぬ。
私はどうも舞ひ散る桜の花びらは
血吹雪に見えてしまふのだ。
桜の樹の下には死体が埋まってゐるとは
梶井基次郎の言葉であるが
私もまた、さう思ふ人間である。
さうでなければ、
桜が人を惹きつけて已まぬ筈はない。
血吹雪の異様な美しさに人は魅せられて
呑めや歌へやのどんちゃん騒ぎを桜の樹の下では出来るのだ。
其処には血腥い匂ひが満ち満ちてをり、
それが興奮剤となって人は痴れる。
それは儚い宴の後を人が知ってゐるからに過ぎぬ。
花咲く桜は既に人の心の中では散り始めてゐて、
それは正しく死の匂ひそのもので、
どんちゃん騒ぎは、だから、異様に盛り上がる。
もう使ひ古されたものいひだが、
死の衝動が人を生かしてゐる。
それを体感せずには人は生きられぬ哀しい生き物なのである。
故に絶えず死を反芻しながらしか一瞬も生きられぬ。
だから尚更、私は桜の花吹雪は血吹雪に見えてしまふ。
さう思へたからこそ私は桜を愛でることが出来るやうになったのだ。
花の散り際はおしなべて美しい。
その美に突き動かされるやうに
私は生の衝動を憶える。
花は儚い故に人を狂はせる。
それが人として正しい花に対する姿勢なのだ。
花狂ひに徹してこそ人は生き生きとする。
世阿弥は『風姿花伝』をものにしたが、
それもまた、花狂ひの為せる業だったのだ。
桜の樹の下には死体が埋まってゐて、
散る花びらは血吹雪の別称で、
だから、花は人を酔はせて、
人は痴れる。
――ええじゃないか。
と、踊り狂へ!