生成AIの批評

生成AIの急速な進歩が招く知の急速な衰退に抗うには

まえがき

ChatGPTの登場以来、巨大IT産業を初め、IT企業の殆どは生成AIの開発にしのぎを削っている生成AIの大競争時代へと突入した。その結果、生成AIは途轍もない速さで進歩を遂げていて、それに盾をつこうとする人間は皆無に等しい。しかし、それから一歩身を退いて考えてみると、進歩するのは生成AIばかりで、人間の進歩はこの社会状況に順応するのに精一杯で進歩しているとは言い難いのも確かである。いや、むしろ人間は退歩しているのかもしれない。

 

それは人間が「楽」を選択する生き物ということと深く関わっている。本来であれば、人間は生成AIの提示した創作物に間違いがないかと精査しなければならないところ、生成AIが急速に進歩を遂げて間違ったことは生成AIにはないと生成AIの創作物を精査もろくすっぽせずに、ほぼ生成AIが提示したものをそのまま利用している事態があらゆる方面で起きているのではないかと想定される。

 

つまり、人間の知の衰退が急速に進んでいるのではないかと思える事象が少なからず見られるのである。そこで、生成AI全盛の世の中で、人間の知の衰退に抗うにはどうすればいいのかを述べていきたいと思う。

 

見出し1:生成AIにこの本の題名に関して尋ねる

この本の題「生成AIの急速な進歩が招く知の急速な衰退に抗うには」に関して生成AIに尋ねてみると次のような回答が返ってきた。

 

Input

生成AIの急速な進歩が招く知の急速な衰退に抗うには……さて、この状況で人間はどうすればいい?

 

Output

生成AIの進歩と知の衰退:危機をチャンスに変えるために

生成AIの急速な進歩は、確かに私たち人間の知的能力の衰退を招く可能性を秘めています。しかし、歴史を振り返れば、技術革新は常に、新たな課題と同時に、新たな可能性をもたらしてきました。重要なのは、現状を正しく認識し、積極的に対策を講じることです。

 

  1. 生成AIの限界を理解する

 

まず、生成AIはあくまでもツールであり、人間の思考や創造性を完全に代替できるわけではないことを認識する必要があります。現状では、以下の様な限界が存在します。

 

倫理観・道徳観の欠如: 生成AIは、倫理的に問題のあるアウトプットを生み出す可能性があります。これは、AI自身が倫理観や道徳観を持たず、学習データの偏りなどを反映してしまうためです。

創造性の限界: 生成AIは既存のデータに基づいてアウトプットを生み出すため、真の意味での創造性やオリジナリティには限界があります。

批判的思考力の欠如: 生成AIは、情報源の信頼性や情報の信憑性を判断することができません。そのため、生成された情報が必ずしも正確であるとは限りません。

  1. 人間ならではの強みを伸ばす

 

生成AIの限界を理解した上で、私たちは人間ならではの強みを伸ばしていく必要があります。具体的には、以下の様な能力が挙げられます。

 

批判的思考力: 情報を取捨選択し、その信憑性を判断する能力。

創造力: 新しいアイデアを生み出したり、既存のものを組み合わせたりする能力。

問題解決能力: 複雑な問題を分析し、最適な解決策を見つけ出す能力。

コミュニケーション能力: 自分の考えや感情を明確に伝え、相手の意見を理解する能力。

共感力: 他者の感情を理解し、共感する能力。

これらの能力は、AIでは代替できない、人間ならではのものです。

 

  1. 教育システムの改革

 

これからの時代、教育システムは、AI時代に対応した形に改革していく必要があります。具体的には、以下の様な点が重要になります。

 

批判的思考力や創造力の育成: 暗記中心の教育から、思考力や創造力を育む教育への転換。

情報リテラシーの向上: 情報の真偽を見極める能力や、情報源を批判的に評価する能力の育成。

AIとの協働: AIを使いこなすための知識やスキルの習得。

  1. 新たな倫理観の確立

 

生成AIの利用に関する倫理的な問題点も、早急に議論していく必要があります。例えば、著作権の問題や、AIが生成した偽情報の拡散など、解決すべき課題は山積しています。

 

  1. 積極的な活用

 

最後に、生成AIは私たち人間にとって脅威ではなく、むしろより良い未来を創造するための強力なツールになり得ることを忘れてはなりません。生成AIを積極的に活用することで、生産性を向上させたり、創造性を高めたり、より豊かな社会を実現したりすることが可能になります。

 

結論

 

生成AIの進歩は、確かに私たち人間にとって大きな挑戦です。しかし、それは同時に、私たち自身の能力を高め、より良い未来を創造するための大きなチャンスでもあります。

 

大切なのは、AIに支配されるのではなく、AIをツールとして活用し、人間社会の発展に役立てていくこと。そして、人間ならではの強みを活かし、AIと共存していく道を探していくことなのです。

 

生成AIの回答はここまで―――――――――――――――――――――――――

 

一見するととってももっともらしい回答で模範解答と言ってもいいのではないかと思う人が大多数に思う。しかし、言っておくが人間は「楽」を選択する生き物である。生成AIが回答したことはどれも人間はしないと思う。

 

見出し2:それでは実際の現実で起きていることとは

しかし、現実で起きていることは生成AIに頼り切ったことではないか。そう考えるのが自然である。生成AIに問うたら、確かに生成AIには依存性があり、使い方を間違えと、人間の知の衰退は免れないということと、生成AIは単なるツールとして看做さない限りは人間の創造性は失われかねないということであった。

 

しかし、現実に起きていることはもっと深刻で、生成AIに依存している人の何と多いことか! 生成AIがややもすると模範解答と思えるものを提示すればするほど生成AIに依存する人は急増する。そこには人間が抱く無力感と生成AIの持つ万能感への羨望が入り交じった複雑な思いを人間は抱いて、それに敏感な人は決して生成AIへの依存は避けるに違いないが、徹底的に生成AIの威力に打ちのめされたものは生成AIにのめり込み、依存を深め、生成AIの提示するものが正しくて、他は信用ならないと看做す、まるで生成AIが神であるかのような啓示を絶えず生成AIから受け取らなければもう不安で仕方がないという人が少なからず存在している。

 

だけど、現時点での話であるが、生成AIと生身の人間の決定的な違いが存在する。それは肉体の有無である。現時点で生成AIは肉体と呼べるものはない。しかし、人間には肉体が備わっている。この肉体の有無はその思考に大きな相違を生むはずで、生成AIの確率論的に言葉を選択している生成物と肉体を通してしか物事を把握できない人間は仕組みがそもそも違っているのであるが、哀しい事実であるけれども人間関係に疲弊しているものにとって、生成AIは救いの神に匹敵するのだ。

 

何が神と怪訝に思う人もいると思うが、実際に、生成AIを神のように崇めている人は少なからず存在してしまっているのである。さらに言えば、既に生成AIを駆使してビジネスを行って富を得ている人ともいて、生成AIはツールという存在を超えているのは確かである。

 

その生成AIであるがもっと人間の思考に近づくには肉体が必要不可欠である。それが行わなわなければ、生成AIには感性が決定的に欠けたものの出来損ないに終始し、言葉の選択の正確度は益々高まるとは言え、生成AIに感性を前面に押し出した回答は不可能であり、その点では人間にいつまで経っても及ばない。だからといって、人間の感性ほど当てにならないものはなく、感性を頼りに生きるのは無謀としか言い様がない。

 

論理と感性が揃って初めて生成AIは一つの臨界を迎えるであろうが、ここで、パラメータとして肉体の感性をデータ化して生成AIに学習させても無意味である。それは、己の肉体を通して感じ取ったものではないから、パラメータ化された肉体の感性と言語学習でつかみ取ったものとは必ず齟齬を来し、生成AIは空転するはずである。

 

それはデータが厖大でいくらコンピュータの生成AIと雖も手に余るデータ量なのである。それこそ生成AIにとっては無駄なことで、多くの学習をすると生成AIの判断の速度が落ちることからも解る通り、感性を生成AIが身に付けるには新しいアルゴリズムが出現しないことには無理があるのである。

 

見出し3:感性を生成AIに搭載させることは今の技術では制約がある

まず、様々なセンサーが人間の感知能力並みにならなければ、どんなに多くのデータを生成AIに搭載してもそれは人間に匹敵することはなく、生成AIの開発者の多くが考えている「生成AIの人間並みな在り方」に近づくことはない。

 

これもまた、生成AIに問うてみた。

 

Input

生成AIに徹底的に欠けているのは肉体を通して把捉される感性だと思うけど、例えばその感性をパラメータ化させて生成AIが学習するとき、何が起きると思う?

 

Output

生成AIに肉体を通して把捉される感性をパラメータ化させて学習させるというアイデアは非常に興味深いです。このようなアプローチを取った場合、いくつかの可能性や結果が考えられます。

 

### 1. **感覚データの収集と処理**

人体の感覚データ(視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚など)をセンサーや他のデバイスを使って収集し、それをAIに入力することで、より人間らしい感性を持つモデルを作成できます。これには以下のような課題と成果が考えられます:

 

– **データの膨大さと多様性**:人間の感覚は非常に複雑で多様です。このデータを正確かつ包括的に収集することは非常に難しいでしょう。

– **データの統合**:異なる感覚データを統合して一つのモデルにすることは高度な技術を要します。

 

### 2. **新しい表現力の獲得**

感性データを学習したAIは、従来のAIよりも豊かな表現力を持つ可能性があります。具体的には:

 

– **芸術やデザイン分野での応用**:感覚データを利用することで、より人間らしい感性を反映した作品を生成できるかもしれません。

– **ユーザー体験の向上**:例えば、触覚フィードバックを含むVR体験や、嗅覚をシミュレートする新しいタイプのインターフェースなどが考えられます。

 

### 3. **倫理的・哲学的問題**

感性をパラメータ化し、AIがそれを学習することでいくつかの倫理的・哲学的な問題が浮上します。

 

– **感情と意識の問題**:AIが感性を持つことで、感情や意識に関する新たな議論が生まれるかもしれません。AIが人間の感情を理解し、さらには模倣することが倫理的に許容されるかどうかは議論の余地があります。

– **プライバシーとデータの扱い**:感覚データは非常に個人的なものです。その収集と使用にはプライバシー保護の観点から慎重な取り扱いが必要です。

 

### 4. **技術的進展と限界**

感性をパラメータ化する技術が進展すれば、AIの性能は飛躍的に向上する可能性がありますが、同時に限界も存在します。

 

– **技術の限界**:現時点の技術では、完全に人間の感覚を再現することは難しいでしょう。センサーの精度やデータ処理能力には限界があります。

– **モデルの解釈性**:感性データを学習したAIモデルの内部構造が非常に複雑になるため、その挙動や出力を人間が理解するのが難しくなる可能性があります。

 

総じて、感性をパラメータ化し生成AIがそれを学習することで、AIの能力と応用範囲は大きく広がる可能性がありますが、それに伴う技術的、倫理的な課題も多く存在します。この分野の研究が進むことで、未来のAIはさらに人間に近い感性を持つようになるかもしれません。

 

生成AIの回答はここまで――――――――――――――――――――――――――

 

という回答を生成AIは提示したのである。やはり、感性の搭載は一筋縄には行かない。それを生成AI自体が自覚しているのである。こんな回答をするので益々、生成AIにのめり込む人が増えるのであろう。

 

ここで、やっと本題に入るともいえるが、生成AIが急速に進歩すればするほどに「楽」を求める懶惰な人間は生成AIに依存する度合いが深まるばかりである。すると、人間側の知は急速に衰退してゆく。なぜなら人間とは忘却する生き物だからである。

 

既にその兆候が現れていると思える現象がある。現在の若者は話さず黙しているときに頭蓋内も黙したまま無言である人が増えているそうなのである。

 

これは何を意味しているのであろうか。答えは単純である。つまり、黙考していないのである。何の中身もない呆けた状態にあることを意味している。考えることをやめているのである。そうすると、思考する力は、今、急速に衰えている状態なのであろう。パスカルの考える葦が単なる葦に堕している途中とも言える。

 

もし、人間が考えることを不得手とした場合、それは即、人類の滅亡に直結すると言えるであろう。今起きていることはそれなのであるといえるのではないであろうか。生成AIの登場によってか、スマホの登場によってか、その原因は判然としないが、言えることは人間の思考力は急速に衰えているのである。

 

このことは今の環境に順応すればするほど思考力の減退は顕著になるのは火を見るより明らかであろう。しかしながら、「コスパ」という言葉があるように今は何よりも答えを早く導き出すことに血道を上げているので、自分で考えるよりも検索で、あるいは生成AIにより答えを導き出した方が人間が思考するよりも数段に速いのである。

 

さらに悪いことに生成AIには依存性があるということである。つまり、薬物と同じリスクが潜んでいるということである。それは生成AIは脳との親和性が非常に高いとも言える。ひと度生成AIに依存してしまうと、その土壺から抜けるのは容易ではない。日を追うごとにその依存度は深まり、もう抜け出せなくなるのである。それは廃人と言えなくもない状態である。

 

極端な事を言えば、生成AIの肯定は人間の否定なのである。人間はある意味とんでもない時代に生きざるを得ない状態を自ら作り出してしまったのである。この底無しの悪循環から抜け出さなければ、滅亡あるのみである。そこに人類は足をもう踏み入れてしまったのである。

 

何を馬鹿にことを言うと嗤っている人が殆どだと思うが、無人兵器の急速な進歩は何を意味しているかというと、いかにして人間を追い詰めるかを生成AIばかりでなく、人工知能全般が、自律的に見出していて、ドストエフスキーの言葉ではないが、「人間はいかに芸術的に人間を殺すか」に血道を上げているのである。

 

だからこそ、生成AIが急速に進歩すればするほど、それと反比例する形で人間の思考力は衰えていくのである。難しい時代に人間は置かれることになったのである。それを自覚しないと何にも始まらないのである。

 

見出し3:果たして知の衰退は杞憂なのか

テレビが最たるものだが、最近夙にその傾向が強い「分かり易い」と言うことをが、さらに人間の知の衰退に拍車を掛けているように思う。世界はそもそも解らないことを前提にしないと話のしようがない。そもそも現実は人智を超えたものである。それを解るように語るのは肝心なことを端折っているに過ぎず、それで解った気になっているのは弊害しか齎さない。

 

世界には解らないことが殆どということが解らないと話は解ることにばかり執着し、その単純化された世界観は人間を破滅へと導くトリガーになりかねない。自殺が減らないのは複雑さの許容度が狭いからというのも一つの原因かもしれない。

 

このまま行くと、難解な哲学書も分かり易い訳に置き換わり、知の質の低下は免れない。世界とはそもそも難解なはずである。それを分かり易く単純化したら快感を示して人々がそれに飛びつくと、社会は簡単に分断する。

 

ChatGPT-4oに「難解な世界が単純化されて語られると社会の分断は早まり、独裁者を生む素地が醸成されるかい?」と問うてみたところ、ポピュリズムが醸成され、独裁者が出現する素地は整うということと、もう一方は二項対立で物事が決定されてゆくので、社会は分断の方向へと確実に向かうということである。

 

世界を単純化してあたかも解るかのように語ることは間違いである。まずはここから始めなければならない。複雑なものは複雑なものとしてきちんと理解しないと知の深みは望み薄なのであり、だから、ポピュリズムが蔓延り、独裁者が台頭することになるのである。

 

そして、何よりも人間より生成AIの方が世界の単純化の非常な危険性を十分に理解しているということである。物事の単純化は麻薬と同じく、それは妄想化された幻覚の世界の温床であり、尚更悪いことにこれまた依存性があることである。

 

現実を見ればこの世界の単純化の危険性は底無しと言える。だから、敢えて言えば、「分かり易くいうと」と言うことは、それは途轍もなく危険なことで、戦争が多発している現代においては生死のやり取りにまで行き着くということは自覚しなければならない。

 

これは人間の知の衰退に、また、拍車を掛けていることを知るべきである。黙しているときに脳まで黙している何にも考えなくなってしまった人間は無自覚に分かり易い意見に与する。そして、議論も勝ち負けで判断し、ゲームと化してしまうと言うとんでもなく危険な兆候にそれとは気付かずに多くの人が称賛と批判を送っているので、私からすれば、それらのことは愚の骨頂でしかないのである。

 

それは、テーゼとアンチテーゼを超越するようにジンテーゼが現れる弁証法ということは最早理解できないのではないかと危惧されるからです。二項対立で全てが語られることは世界の単純化でしかなく、それは危険極まりない。

 

せっかく人類は弁証法というものを見つけたにもかかわらず、その智慧を手放すほどに知が衰退している現代は、例えば17世紀のニュートン、カント、デカルト、そしてパスカルなど人たちよりも確実に知は後退していると言わざるを得ないのである。

 

その知の衰退を埋める形で生成AIが活躍していると言っても過言ではない。極論すれば、人間の知が衰退すればするほどに生成AIの出番は増えるはずで、それは仕事の作業効率が上がったのではなく、人間の知のレベルが確実に衰退してしまった哀しい結果でしかないのである。

 

ここで問う。あなたは生成AIよりも優れていますか?

 

この問いに「はい」と答えられる人は天才か馬鹿でしかない。殆どの人は「いいえ」と答えざるを得ないはずである。それでも人間は生成AIに対抗しない限り知は衰退するばかりで、生成AIの提示したものを鵜呑みにする危険極まりないことをする羽目に陥る。

 

それだけは絶対に避けなければ、情報の信憑性の担保は誰も取れない世界はカオス状態へと没入することになるはずである。

 

それだけでも不安なのに、社会を放火や暗殺などで不安を煽り、やがて戦争へと駆り立てる独裁者が出現する素地は既に醸成されているのである。

 

見出し4:ではどうすればいいのか

最早、生成AIを日常から駆逐することは現実的ではない。それでは知の衰退を防ぐことは出来るのか。

 

それは啓蒙書やHow To本を除いての読書をすることが一番なのである。しかし、本当に本好きの人以外読書をする時間が取れないという忙しすぎる現代人は、19世紀のロシアの文豪、ドストエフスキーが行っていたことを紹介するので自分の日常にも取り入れてはいかが。

 

ロシアはロシア正教の国なのでドストエフスキーは枕元に置いていたのは聖書だったが、日本人はキリスト教徒は少ないので聖書とは言わずに、仏教書や箴言集、または短歌や俳句集を枕元に置いて、朝目覚めたら適当にそれを捲って、目にとまった文章や歌を声に出して詠むことをお勧めする。

 

その上に、文章を書くことは構想力を培うのに役立つので日記を書くことをお勧めする。この二つのことを毎日欠かさずするだけで、十分である。

 

さらに付け加えると検索は極力やめて辞書を引くことをお勧めする。なぜなら、辞書を引く行為は検索と違って手を使って様々な言葉との出会いを通して探している言葉などの意味が分かるので箴言集を読むのと同じ効果がある。

 

では何故、知の衰退を食い止めるのかというと、それは人類の存亡に関わるからである。何を大袈裟なことを言うのかと冷笑されそうであるが、人間が野生動物にも増して反映してきたのは考える力、つまり、知が深化したからである。それをやめれば、人類の滅亡は直ぐそこにあると言っても過言ではないのである。

 

あとがき

生成AIの登場により、大変な時代が到来してしまった。日本人は他国に比べて生成AIの利用は、今はそれほど多くないけれども、じきに他国と同じ道を辿るであろう。そのとき生成AIは知の衰退のリスク大の問題を孕んでいるので人間はいつもいかなる時も生成AIに対抗していかなければならないのである。

 

それを怠ると世界はたちまちカオス状態になり、社会不安が高まり、独裁者の出現を齎しかねないのである。その独裁者は大概は妄想と現実の区別がつかなくなった独裁者で他人に対しての恐怖心や猜疑心ばかりが脹らむことでその恐怖から戦争の道か大粛正の道に走りがちである。

 

戦争を食い止めるためにも知の衰退だけは食い止めて欲しい、これが私の願いである。

 

 

積 緋露雪

積 緋露雪

物書き。

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積 緋露雪

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