死引力
不思議なことに自転車に乗ってゐる時など、
心に反して己に向かってくる車に突っ込むやうに
ペダルを漕ぎ
すんでの所で
衝突を回避すると言ふ
途轍もなく危ない目に遭遇する度に
死にも引力があって、
心の状態いかんに関はらず
不可避的に死へと向かふのが此の世の摂理なのかもしれぬと、
死引力の存在を疑はずにゐる己に
はっとするのであるが、
仮にさうだとすれば、
死は底無しの引力を発する
つまり、現象のBlack holeに
吸ひ込まれることの謂なのかもしれぬ。
塀に浮かぶ髭もじゃの浅黒き男の顔は、
死を知ってゐるものの眼差しをしてゐた。
其奴はぎろりを吾を睨んでは、
吾の足を大鎌で刈らうとしたのだ。
其奴は何の事はない死神であった。
吾は今も生きてゐる。
此の世の陥穽に落ちさうになりがらも
何とか生きてゐるのだ。
それがいかに僥倖であるかは
己だけが知ってゐれば充分だ。