暑い夏の日
一日中ぐったりとしてゐた。
熱中症の前段階だったのだらう。
頭痛が酷く、脂汗をかきながらも
私はこの内部でどうしても生に縋らざるを得ぬ臆病者の私を揶揄しながら
それでゐてそのじたばたする内部の私を知るにつけ、
私は少しだけ生命の危険を感じ、
内部の私を揶揄してゐたのも束の間、
私がじたばたし始めたのである。
私は水をがぶ飲みし、そして、身体を横にした。
さうなっても私は冷房を付けない。
それは、常在、灼熱地獄をこれから生きなければならぬ身としては、
この気候に身体がついて行けぬならば、
死を覚悟して生きてゐるからだ。
死と隣り合はせの生を生きる日常に適応出来ねば、
生命としては失格で、
それで死すのであれば仕方がないとの諦念が既に私にはあり、
また、その覚悟がなければ、
それは生きることに対して嘘をつくことになると思ひ込んでゐるからである。
つまり、さもしい意地っ張りに過ぎぬのだ。
しかし、このさもしさこそが、私を生に駆り立てる原動力で、
そもそも生命なんぞはさもしいものなのである。
さもしさの自覚あればこそ、
私は胸を張ってこの地に屹立出来、
あの眩しくギラギラ輝いてゐるお天道様に顔向けが出来る。
私は恥辱の塊とはいへ、
卑屈にならず、自然に対しても唯、平伏するのではなく、
この何時でも牙を剝く冷酷な自然に対して変に怖がらず
この自然と絶えずぎりぎりの対峙をして生き延びる事こそが、
正直者の生き方と心得、
私は臆病者の内部の私と戯れながら生き延びるのだ。