悲哀
その背中に哀しみが漂ふのは勿論、自虐する己の性のまま、
独り黙考の中に佇み、そして舌を噛み切るやうな思ひを抱きながら、
霞をも食らひ、それでも生を手放さずにゐる事を堪へ忍ぶ。
嗚呼、何を思ふ。ただ、のたりと日が沈む中、静かに夕闇に包まれてゆく。
ゆったりと流れる時間にただ、自死のみを意識に上らせながら、
それを鼻をつまんでみては自嘲してみて、
吾を嗤ふ退屈でありながら濃密な時間に身を置く事で、
己の存在の悲哀を噛み締めるのだ。
其処にはきっと空虚しかない筈なのだが、
己はそれを貪り食ふ事しかないのだが、
それが美味くて仕方ないのもまた事実なのだ。
それを他人は霞と言ふのかもしれぬが、
己にとっては三度の飯より美味いものなのだ。
空虚を食らふ事の虚しさがただ、己を和ませるのだ。
それはとことん虚しくなくてはならぬ。
虚しくある事でやっと己は食ふ事の宿命を忘れられ、
浄化される仮象の中で恍惚の態を覚えるのだ。
ゆっくりと日は沈んでゆく。
この夕闇迫りまた、茜色に染まる夕暮れ時ほど
悲哀を背負った存在には相応しい時間はないのかもしれぬ。
さあ、それを避けずに独り地平線に沈んでゆく時間の充足感に身を溺れさせながら、
やがてくる虚しき漆黒の闇の時間の中で独り蹲りながら、
しかし、その豊饒さに吾を忘れるのが関の山なのだ。
ゆやーんと、暮れ行く夕日に中原中也のNihilismを思ひながらも、
己は既にNihilismでさへ救へずにゐる己の有様に苦笑ひするのだ。
ゆやーん、ゆよーん。
汚れちまった哀しみを背負はずして己の悲哀が喜ぶ事があるのだらうか。