森羅万象の苦
森羅万象はその懊悩の声に呼応するやうに己の《存在》の有様に呻吟する。
――何故、《吾》は《存在》するのか?
それは森羅万象の《存在》の憤怒の声に違ひなく、
全ての端緒が憤怒にあるのだ。
――ほら、また、《他》が自らに恥じ入り、呻吟し始めたぜ。
一度憤怒した《もの》は、直ぐに己に対しての忸怩たる思ひに駆られ、
猛省するのが世の常だ。
陽炎がゆらりと揺らめくのは、絶えず《吾》が《吾》為る事に我慢がならず、
《吾》は摂動する事で、《吾》の憤怒を躱してゐるだけなのだ。
――ならば、森羅万象の苦は、何《もの》が《吾》たる《存在》に背負はせたのだ?
――自然さ。「自然は自然において衰頽する事はない」とは埴谷雄高の言だが、森羅万象は埴谷雄高の言とは逆に、絶えず滅び行く事で変容する自然に振れ回されっぱなしなのだ。
――すると自然は絶えず滅亡してゐると?
――さう。滅する自然において森羅万象はその《存在》を疑ふのだ。此の世は森羅万象の猜疑心に満ち溢れてゐる。
またもや何かが漆黒の闇の中にその頭を擡げて、
此方の遣り口の隙を窺ってゐる。
――しかし、《存在》は何時もへまばかりしてゐるではないか。さうすると《吾》は絶えずその何かに監視されてゐるといふのかね?
己が森羅万象の眼(まなこ)から遁れる術はなし。さうして、《吾》は生き恥を晒すのだ。生き恥を晒しながら「Stripper(ストリッパー)」として森羅万象は《存在》する。さうして、《吾》は生き永らへる頓馬をやらかすのさ。