何たることか
《吾》を苦しめてゐる《もの》が《存在》それ自体だといふのか。
ならば、《吾》は《存在》から退くべきなのぢゃないかな。
かうして、《吾》は何時でも《存在》から退く事ばかりを考へてゐたのだが、
ところが《吾》は《存在》から撤退することはままならず、
退くのは《吾》以外の《もの》ばかり。
さうして此の世に《吾》のみ取り残されたといふ錯乱の中、
単独者としての《吾》の来し方行く末に不安を覚える《吾》は、
絶えず現在に取り残されたといふ怨嗟にのみに執着し、
過去と未来を呪ふのだ。
不安が去来現をぶつ切りにしながら、
《吾》の内部を侵食するの。
燃え上がる《異形の吾》は、
ヰリアム・ブレイクがかくいふ消えない永劫の炎に身を包み、
《吾》に取って代はらうとバリバリと《吾》を喰らふのだ。
尤も、それは《吾》が望んだ事で、《吾》の消滅こそ、
《存在》する苦悶からの逃げ道なのだが、
それは《吾》がある限り不可能なのだ。
禁忌なのか。
《吾》が《吾》を侵食する事は。
秋山駿が「内部の人」と呼んだ《存在》の在り方は
土台、無理強ひもいいところなのさ。
へん、《吾》が《吾》を喰らふとは、
嗤ひが止まらぬぜ。
何たることか。
《吾》は《吾》を鏖殺し尽さなければ、
満足しない生き物なのだが、
それが端から許されぬ不合理に留め置かれつつある苦悶の中で、
永劫の業火に燃ゆる《異形の吾》に喰らふが儘に、
《吾》は《吾》として屹立させられる。
だが、《吾》は毅然として業火に焼かれる儘に、その場に屹立せねばならぬのだ。