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脈絡もなく鬱勃と湧く言葉群の緩やかな繋がり

ぼんやりとしてゐる時間がなんとも愛おしい私は、その時、意識上に鬱勃と湧き上がってくる脈絡のない言葉群に溺れる悦楽に酔ひ痴れ、さうしてそれらの言葉を味読し、摑まえてみれば、それがあまりに無意味な言葉の羅列さである事に苦笑する。
しかしながら、その一見無意味に見える言葉の羅列には無意識の相が現はれてゐて、無意識は単に意識では捉へられぬ論理形式を持ってゐる、と看做せるかもしれぬが、どうもそれに対して私は強烈な違和を持ってゐるのだ。無意識には、意識よりも自在なる、否、意識下でよりも寛容な繋がり方が可能な、例へば、人間と犬が何の障害もなく会話するといった現実においては奇怪な事が、何の躊躇ひもなく、つまり、現実に厳然とある決まり事を軽軽と飛び越へて、俄に無意味に見えた言葉の羅列は、荘厳な意味を帯び出してくるのだ。
私は無意識といふものは、単に心理学上の、或ひは精神分析学上の狭隘なる中においては意味を持つ便利な言葉に過ぎぬものでしかなく、そもそも無意識なんぞは存在しないと思ってゐる。それは、例へば氷山の如くであり、海上に浮いてゐる約二割ほどの氷の塊と海面下の唯、見えないだけの八割ほどの氷の塊も、海上の氷の塊と同じであり、それは、可視か、不可視かによる違ひでしかなく、実相は氷の塊で同じである。それと同じ事が意識と無意識にも言へ、意識が例へば光が当たったもので現実の決まり事に縛られた論理の積み上げに過ぎず、無意識は単に光が当たってゐないだけの量子力学的に言へば、シュレディンガーの猫の状態の、或ひは深海生物の闇の世界故にさうなったとも言へるGrotesqueな姿も理にかなった、やはり、現実の決まり事に則った論理の積み上げによるものに違ひないのである。その違ひは、私においてはあってなきが如きものであり、意識と無意識の区別する意味はないと断言せざるを得ないのである。
意識と無意識は、その区別が既に無意味であって其処に何ら差異はないと看做さざるを得ないのである。

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