潰滅する自己の辛酸を嘗めたときの哀しみを知ってゐるかい。
それはもう自分では何ともし難い事態であり、
唯、成り行きを見守るしかないのさ。
一度潰滅をはじめた自己はもう元には戻せずに、
潰滅してゆくに任せるしか術がない悔しさを知ってゐるかい。


それは、唯、嗤ふしか最早ない事態で、
自己と呼ばうが、自我と呼ばうが、吾と呼ばうが、どうでも良く、
そいつが潰滅しはじめると吾はお手上げ状態なのさ。
その不可逆性は如何ともし難く、
一度潰滅をはじめてしまった自己を抱へた刹那、
涙を流すしかないのさ。


さうして呆けて行く吾は、唯、ぼんやりとかつては吾の肉体であったものを
他人事のやうに弄ばせては、魂の抜け殻と化し、
行方不明となった吾を探すでもなく、ぼんやり虚空を眺めるだけなのさ。


その情況は死の間際を千鳥足で歩いてゐるやうなもので、
吾を失った吾は、もう、何時死んでもいいと覚悟は決めてゐるのだ。


自己が潰滅とするとはさういふ事で、
それは解脱などとは無限遠ほどに離れてゐる状態で、
だだ哀しい呆けた肉体が反射的に涙を流すのみなのさ。


そんな時、思考は停滞し、感情も停滞し、平板化してゐるその情況に
誰が抗ふことができようか。


唯、呆けてしまった吾を探す気力すら失せたそのものは、
唯、時の流れに身を任せるに過ぎず、
虚無の時間が長く唯、流れるのみなのさ。


そんな時、唯、時のみに対して反応する潰滅しちまった吾は、
時の中に渦巻きを見、その渦巻きが消えゆくのを見るのみなのさ。


そんな虚無の時間を何十年も過ごす覚悟があるならば、
自己を潰滅させてみればいい。
さうして虚無の人生を歩んで、
どろどろの虚=吾の粘性のままに渦巻く時間のカルマン渦が消滅してゆく
つまり、呆けた吾が死にゆく事態を唯ぼんやりと眺める人生を送る覚悟があるならば、
一度自己を潰滅させるのも乙なものさ。
積 緋露雪

物書き。

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積 緋露雪

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