ゆらりと揺れ動いたものを捕まへたくて

それは何時のことだったらうか。
確かにおれの影からゆらりと揺れ動いたものがゐて
おれはその時、それを捕まへ損ね、
それ以来、おれはその揺れ動いたものが何だったのかご執心なのである。
幼少時からおれはおれの影を凝視するのが好きで、
暇さへあれば、おれは影ばかり見てゐるやうな子供であったが、
それは今も尚、おれから抜けぬ習慣で、
然し乍ら、今は、影を凝視するのではなく、
ぼんやりと影を眺めてゐる時間が好きで、
ぼんやりしてゐたからこそ、おれはゆらりと揺れ動いたものを
捕まへ損ねたのである。


では、何故ぼんやりと影を眺めてゐることになったかといふと、
凝視してゐては見えぬものを
おれはぼんやりとおれの影を眺めることで見てしまったことが
その端緒であった。
それは影が先頃太陽の表面が粒状であると解ったやうに
影もまた、粒が泡の如く湧いては消えてゆくことを反復する
何とも影の不思議を見てしまったからである。
それはぼんやりと影を眺めたときにしか見えぬ現象で、
影もまた、観察者に作用されるのか、
粒が湧いては消えてゆく影の本性は、
それはそれは綺麗で
蠏が口から泡を吹いてゐるやうな粒の湧き立ちは、
見てゐて飽きぬのである。
と、そんな時であった。
不意に影がゆらりと揺れ動いたかと思ふと
それはふわっと影から浮き上がり、
すうっと何処へと消えたものが現はれたのであった。
虚を衝かれたおれは、
それを眺めてゐるばかりで、それを追ふといふ動作へと移行する機敏さが失せてゐて、
みすみす逃がしてしまったのである。


おれはゆらりと揺れ動いたものは
おれの魂、若しくは生き霊だったと思ってゐるのであるが、
さうすると今のおれは魂の抜け殻でしかなく、
確かに、それ以来おれは病に臥せってゐることが多くなったのである。
だからである。
おれがゆらりと揺れ動いたものにご執心なのは。
それを捕まへないことには、
最早、おれがおれと言い切ることが出来ぬではないか。


――鬼さん此方。ここまでおいで。さすれば、お前は三途の川をすんなりと渡れるぞ。
積 緋露雪

物書き。

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