月は赤銅色を脱し黄色から白色の輝きが増してゐた。白色の月光は何時も内部を覗き込むと倉井大輔には思はれた。柔らかい光の下で、月光は燦燦とは決して輝かないのである。その奧床しさに人類は何千年にも亙って魅了されてきた。月光の光輝が多分、生命誕生の瞬間からもの思ひに耽るのに最善の光度であったに違ひない。海の朝夕とも関連して月光は満月が最高の光度であるのであるが、満月の月光と雖も柔らかいのであった。この月光の柔らかさが存在に自由度を付与し、昔の魂が憧あくがれ出るといふ言葉に集約されてゐるやうに、月光の下であれば、太陽光下の強烈な光の下での私が私であることを強要されるといふことはなく、私は私であることを超えて正しく魂が憧れ出るに相応しい慈悲深くも妖気を放つやうな不思議な感覚に包まれるのであった。赤銅色のいかにも毒毒しい月光にはものを考へることを阻む魔術が漂ってゐるが、白色の月光はそれだけで倉井大輔に自己省察をする雰囲気を醸す柔和で優しい盧舎那仏の遍く世界を照らす光を彷彿とさせるものがあったのである。
倉井大輔は文明の暴走を最早誰も止められぬ事に対しての忸怩たる思ひはあったが、コンピュータの論理が人間の論理を超えてしまった現状を嘆いてゐても始まらず、どうやってこの暴走する文明の驀進の中で、人間が人間の地位を保って人間といふものを或る意味では誇らしく――これは人間の堕落の始まりでもあるのであるが――日常を営む方策は何処かに潜んでゐないかと各家家に灯りが灯る門前町をふらりふらりと歩きながら考へてゐたのである。日常生活にも深く浸潤してゐるコンピュータによる文明システムは、誰もそれとは最早感度を失ってゐるが、コンピュータシステムの前では人間は下僕でしかないのである。徹底的にコンピュータシステムの前では人間の論理は通用せず、奴隷としてコンピュータシステムに従ふしかないのであった。それが倉井大輔には苦痛でしかなく、社会性の欠落してゐた倉井大輔は、社会の仕組みに絶対服従させられることには何時も悶悶とした思ひを抱かずにはをれず、
――ちぇっ。
と、舌打ちをしてから社会の論理に嫌嫌合はせるのである。
十八の篇終はり