神影 果たせる哉、例へば闇夜が神の影とするならば、 それは成程、∞を呑み込む様相といっていいのかもしれぬ。 何故に神に∞が纏はるのかは、人間の知が∞を前にすると、 屈服するしかなく、 それでも人間は∞に立ち向かふのであるが、 馬鹿らしい、 人間の知の限界がまた∞を前にすると俄かに露はになるのだ。 ∞を表象しようとじたばたした人間の五蘊場には 既に知恵熱で破綻しさうな堂堂巡りに没入し、 そのあっぷあっぷしてゐる中で、 人間が仮に∞の尻尾に捕まる事が出来たなら、 それは儲けものに違ひない。 その闇夜を例へば神影と名付けるならば、 神影は絶えず人間の傍に潜伏してゐて、 気付かぬのは人間のみなのだ。 例へば夜行性の動物はそれだけ神に近しいものに違ひなく 闇の中で、つまり、神影の中で自在に動けるそれらのものは 多分、人間以上に神を知ってゐる筈なのだ。 獣が毛に蔽はれてゐるのは、 毛が神に近づく姿の基本で、 体毛を極極僅かにしか軀に留めぬ人間が 此の世で一番神から遠い存在なのは間違ひない。 それ故に人間は宗教に毒され、また、狂信的にそれを信じなければ、 一時も安寧を得られぬやうに創られてしまってゐるのだ。Read More神影
反復
反復 反復にこそ時間の謎が隠されてゐる。 反復と言ひ条、そのどれもが全く同一の相はなく、 返って反復がその位相において 全く同じ位相が見つかると言ふ事は虚妄に過ぎぬ。 例へば時計の振り子運動は全く同じに見えるかもしれぬが、 その反復には午睡を誘ふ魔術が潜んでゐて、 振り子をぢっと見つめてゐると何だか心地よくなり、 渦巻く時間の陥穽に陥るのだ。 反復運動が円運動に変換可能なことは オイラーやフーリエを持ち出すまでもなく、 自明の事とは言へ、 その円運動に吾が五蘊場には或る周期を持った円運動が巻き起こり、 知らぬ間に俺はその円運動に呑み込まれる。 その五蘊場の円運動は各各近しい位相を見せるのであるが、 それは一度として同じ円運動が五蘊場に表象される事はなく、 例えば、その円運動が五蘊場で大渦を巻いてゐるならば、 吾はやがてその大渦に呑み込まれ、 何とも羽化登仙するかのやうな心持で、 睡魔に襲はれ五蘊場は睡眠相に相転移し、 吾はその相に埋まるのだ。 さて、反復には既に其処に円運動、 若しくは球運動、 若しくは∞次元球運動が控へてゐて、 その反復は一度たりとも同じ相はありはしない。 Read More反復
水面(みなも)
水面(みなも) 変転に変転を重ね、 また、無数の波が重ね合ふ水面に この時空の面影を見るとすると、 一度たりとも同じ様相を呈さない水面は、 或る意味刹那的なのかもしれぬが、 その刹那に凝縮した時空の切片には 存在のあり得る余地が浮き彫りにされるのかもしれぬ。 水面は何時まで見てゐても全く飽きることなく、 吾が胸奥を打つのだ。 その儚い様相は絶えず流れゆく時間を象徴し、 また、その絶えず変化して已まない水面には 存在の一様相が象徴されてゐる。 ナルキッソスが水面に移る己の相貌に美を見たのは、 絶えず揺れる水面に移るその相貌が生きてゐるかのやうに また、ナルキッソスが既に生霊の如くに化して それが憑りついてしまった故のことなのでなからうか。 水面はそれ故に恐ろしいものなのかもしれぬ。 水面の揺れ動きが吾が魂魄の波長とぴたりと合ふ瞬間があり、 それが吾が存在において間が射す時なのだらうか。 多分、水面の上の無数の波の位相は、 必ず私の念、若しくは魂魄の拍脈する波動と同調し、 さうして共振を起こしては 吾を水面に釘付けにするのだ。 Read More水面(みなも)
顫動(せんどう)
顫動(せんどう) かそけく羽ばたく蚊の羽音のやうに 時空は絶えず顫動し それに伴ひ俺を俺足らしめる時空も顫動する 嗚呼、其処に飛び立つのは何ものなのか。 さうしてかそけきは音を立てて、俺の影から何かが飛び立ったのだ。 これをドッペルゲンガーと言ふのかどうかはいざ知らず、 ただ、俺の影が最早俺の手に負へぬものとして 此の世に存在してゐる事だけは確かなのだ。 仮令それがドッペルゲンガーだとして それが俺の死の予兆に過ぎぬとしても それはそれで祝杯を挙げるべき事象に違ひない。 さあ、祝祭の始まりだ。 俺は俺の死を祝ふべきものであり さうでなければ、一体俺の存在は何なのか。 死は即ち祝祭の始まりなのだ。 これ以上、楽しいことはない。 生に纏はる苦悶は全て捨て去り、 何ものかが確かに俺の影から飛び立ったのだ。 それはかそけき顫動をし、 さうして今も尚、俺の頭蓋内で顫動してゐる。 先に逝ってしまったJAGATARAの江戸アケミが嗤ってゐるかな。 高田渡がまだ、生ギターを抱へて吟遊詩人さながらにフォークソングを歌ってゐるかな。 将又、浅川マキが黒づくめの衣装を纏ひ、Read More顫動(せんどう)
天籟(てんらい)
天籟(てんらい) 何処で音が鳴ってゐるのか判然としない天籟が、 また、聞こえ出す。 吾独り畳に胡坐を舁き、 天籟が鳴る事で兆す猛嵐をぢっと待つのみ。 天籟は何時も嵐を呼び、 さうして吾の内部も大揺れするのだ。 それが楽しいとか不快とかいふ以前に 猛嵐は必ずやって来て、 大地を揺るがすのだ。 この天籟は、しかし、吾のみが聞えてゐるらしい。 何時も《他》はこの天籟に気付くことがなく、 気象そのものを見下し、 人間の統制下に気象があると端から看做してゐるその傲慢さに 全く気付くことなく、 天籟の不気味な響きのみが 全世界を巻き込んだ大交響曲の轟音として 終ぞ直ぐにでも鳴り響くことが予感される恐怖。 人間が塵芥の如くに死んでゆく猛嵐を前にして、 誰が己の死を予感してゐるのだらうか。 しかし、哀しい哉、猛嵐が来ると必ず人間が死ぬのだ。 天籟はそれ故に死を予感させるもの。 それが私の内部をざわつかせ、 ぢっと天籟に耳を澄ませる事になるのだ。 もうすぐに、私を含めて誰かが死ぬ予感、Read More天籟(てんらい)
かそけき世界
かそけき世界 この世界は 何とかそけきものなのだらう。 ――あっ、 と、何かを見つけても それが本当のものなのか 或ひは蜃気楼なのか 最早俺には区別が付かぬのだ。 さうして既にかそけき幻視の中に 埋没した俺は 其処にも見えるものを手に触れながら、 これが実物のものとしてこの世界に存在してゐるのか 単なる思ひ過ごしなのか 全く無分別になった事で、 全的に世界を受け容れられたのか。 絶えずかそけくある世界に対して 俺は反抗してみるのであったが、 俺を取り巻く幻視において、 俺は最早逃げ場なしの状態で、 へっ、つまり、お手上げなのだ。 このかそけき世界の金輪際に追ひ詰められた俺は 何と哀しい存在なのかと、嘆いたところで、 何にも変はりはしないのだ。 そんな事は疾くの昔に知ってはゐたが、 実際に世界が幻視の中に埋没してしまふとなるとRead Moreかそけき世界
仄かなるもの
仄かなるもの それは一体何なのだらうか。 仄かにその気配だけが感じられる存在と言ったらいいのか、 何やら傍らにゐるに違ひないのだが、 それを「これだ」と名指せぬのだ。 名指せぬ故にそれを存在するものとして認識出来ず、 俺はくっと奥歯を噛みながら、 この何とも言ひ難い事態を我慢するしかないのだ。 それは俺の世界観を全く覆すほどの出来事に違ひないのであったが、 何とももどかしく、終ぞ名指せぬのである。 つまり、言葉では言ひ表せぬものが俺の傍らには存在するのであったが、 それが「ある」とも断言出来ず、 その仄かな気配を漂はせる何ものかは しかし、ある、若しくはゐるのである。 そんなわけで俺は瞑目するのである。 さうして瞼裡に現はれる表象群は 傍らにゐるものの気配をじんじんと感じながらも 俺を翻弄するに十分なのだ。 何が俺を此処に佇立させ、 さうして瞑目させるのか。 つまりは俺の傍らにゐるに違ひないそのものの気配に 俺はさう感じるだけで既に翻弄されてゐて、 俺の存在はそれにより脅かされてゐるのかもしれないのだ。 「そんな奴」と名指してみても それは全く的外れで、Read More仄かなるもの
頭痛に溺れる
頭痛に溺れる 脳の髄が拍動しているやうに じんじんと痛みを発する奇妙な頭痛に、 俺は溺れる。 何がさうさせると言ふのか。 俺に残された振舞ひは この脳の髄を痺れさせるやうな頭痛に対して 謙虚に対峙する事が俺が今日生きたと言へるに相応しい姿勢なのだ。 絶えざる謙虚さこそ、 この傲慢にも此の世に生を繋いでゐる俺のせめてもの償ひ。 この不愉快な頭痛を心の何処かでは心地よく感じてゐる俺は、 既にドストエフスキイの『地下室の手記』の語り部そのものに 歯痛を快感に変えると言ふその思念の持ち方をいまさらながらに意識して、 俺はこの頭痛を楽しみ、そして溺れるのだ。 頭痛に溺れる事で、 俺はやっと息が付けて、 そして、安寧を得るに違ひないのだ。 さて、この頭痛の先に俺の死が仮令待ってゐても 俺はそれを受容する覚悟は出来てゐる。 ならば、この頭痛を心行くまで味はひ尽くすがいい。 さうして何か未知なる視界が開けるならば儲けものだ。 Read More頭痛に溺れる
五蘊場に棲む者どもよ
五蘊場に棲む者どもよ 頭蓋内の闇を「五蘊場」と名付けた俺は、 其処に棲む「異形の吾」どもに対して破れかぶれの戦ひを挑んで暫くするが、 それは敗退に敗退を重ね、 俺はもう五蘊場から追ひ出される寸前だ。 そもそも五蘊場に棲むものどもは何ものなのか。 きっとこの俺に関係したものと予想するのであるが、 その異形の様が何処をどう見てもこの俺とは全く似てゐないものどもで、 それは物の怪の類としか俺には認識出来ぬのだ。 つまり、それは、俺が物の怪の眷属の末裔と言ふ事を意味するのであるが、 しかし、この俺が物の怪だった事はこれまで一度もありはしない。 ただ、俺は人間である事を已められず、 その事を屈辱をもって受容してゐるのだけだ。 そんな俺の五蘊場に棲む仮象のものどもは既に俺の願望を負はされた 哀しい存在なのかもしれぬが、 それでも五蘊場に棲むものどもに対して俺は、 かう呟かざるを得ぬのだ。 ――お前は誰だ。 さうするとすぐにこんな答へが五蘊場で木霊するのだ。 ――お前だよ。 こんな嗤ひ話はありはしない。Read More五蘊場に棲む者どもよ
死の爆風
死の爆風 仮に生者が死の領域へと踏み出した時、 星が大爆発をして死んでゆくやうに 現存在もまた大爆発をして死するに違ひない。 そして、その爆風は死すべき現存在が 此の世に未完で終はってしまった事を託すべきものに その未完の思念を念により託すに違ひないとも言へないか。 星の死す時、X線やら瓦斯やら塵埃やらを吹き散らし、 そして、星そのものは自身の重みに堪へ切れずに自身で自身に圧し潰され、 さうして星の中心部は自ら潰れ行き、 途轍もなく小さく、 そして、途轍もなく重い物質となり、 白色に輝くものがあれば、また、光すら逃さぬBlack holeへと 移りゆくものがあると言はれてゐるが、 さて、その死んだ星が放出したものは やがて他の星に届き、 其処に死の知らせを伝播するのであるが、 これと同じ事が現存在の死にも起きてゐて、 現存在が死に足を踏み入れた時に 死にゆくものとの念の波長が ぴたりと合った現存在にのみ感じ取れる念を伝播させ、 その念によりそれを受け取った現存在は 問答無用にその伝播した念に導かれるやうにして 死者の思ひを受け継ぐことのみを 現存在はその生を生きる事を宿命づけられ、 その念を成就する事に血道を挙げるのだ。 Read More死の爆風

