もんどり打って 時の流れの中にもんどり打って飛び込まざるを得ぬ此の世の存在物どもは 既にその存在が滅する宿命を授けられながらも存在する不合理に 絶えず目眩を覚えつつ、ふらふらと立ち上がらうとするのだが、 此の世の不合理はそんな事にお構ひなしに止めどなく時を移ろはす。 そもそも時間とは何なのであらうか、と、とんでもない愚問を己に発し、 さうして俺は《Fractal(フラクタル)な渦》と時間に関しては素知らぬ顔をして答へるのだ。 そもそも時間が一次元のものとして看做せる必然性は全くないにもかかはらず 無理強ひして時間が先験的に一次元として振る舞ふものと看做す知性は その根拠を全く知らぬではないのか。 時間を量子論と結びつけて考へる思考もあるにはあるが、 それでも時間は一次元の域を出ない。 時間が∞次元とする思考法は果たして誤謬なのであらうか。 時間を一次元に閉ぢ込めた事で、 物理学は発展したのは確かであるが、 それはしかし世界認識のたった一つの認識法でしかなく、 世界認識はそもそも多様でなければならぬのではないのか。 仮に時間が∞次元とすると物理法則は新たに書き換へられなければならないのであるが、 それをやらうと人生を擲(なげ)うっていきり立つ己の憤懣に対して正直になれば、 先づは時間の一次元からの解放が己の仕事なのかもしれぬのだ。 時間を線形の一次元の中に封じ込める事で 此の世の癖たる法則性を見出したのではあるが、 時計で時間を計る事の欠陥は、 時計が既に物質の振動子の振動数から導くかRead Moreもんどり打って

