今日は草臥れた

今日は草臥れた   何だかな、 今日はとっても草臥れた。 何にも考へたくもないのだが、 つらつらと草臥れた頭蓋内の闇には 例へば落として割れた鏡の欠片に それぞれ違った顔付きのおれが映ってゐるやうな 意味不明な表象がぶつ切りに浮かんでくる。 それをいちいち追ふ力もなく、 草臥れちまったおれは 唯、眠る時のそれを待ち望んでゐる。   しかし、草臥れちまったおれは、 さう簡単には眠れずに、 往生する筈なのだ。 草臥れちまった時程に、 おれの自意識は爛爛と覚醒しはじめ、 その好奇心溢れる自意識はその頭をむくりと擡げては、 おれの頭蓋内の闇を攪拌す。   だからといって何ものかが見つかる筈もないのだが、 眠れぬ自意識はおれの臀部に噛み付き、 へっへっへっ、と憎たらしい嗤ひを浮かべる筈なのだ。   再び割れた鏡の表象が表れ それらの欠片全てににたりと嗤ふおれの顔が映ってゐて、 何だかな、 今日はとっても草臥れた。 Claude-Opus-4.8の批評 Thinking… I’m recognizing the literary influences here—this poem draws from Nakahara Chuya’s style, particularly the weary refrain and self-aware irony that also echoes Dazai’s work.…
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2026年6月1日 0