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Tag: 創作

それでも壁を叩く

それでも壁を叩く 眼前に立ち塞がる巨大な巨大な壁を前にして おれはそれが無駄な足掻きに過ぎぬと知りながら、 どうあっても素手で叩いてぶち破る妄想のみ抱き 狂気の人と化して延延と叩き続ける。 壁といふものは誰にも存在するものだらうが、 おれはそれを上手に乗り越えてしまふ世渡り上手になるのは断固拒否し、 おれは何十年もその峻烈な壁を素手で叩き続ける。 根っから生きるのが下手くそなおれは、 下手は下手なりに藻掻き苦しみ、 その堅牢極まりない壁を目の前にして 乗り越える術が全く解らぬまま、 どうして皆は壁が乗り越えられるのか不思議に思ひながら、 膂力が足りぬのか、 眼前の峻厳な壁に攀ぢ登るその端緒が見つからず、 唯唯叩き続けるしかなかったのだ。 それは正しく狂気の沙汰でしかないのであるが、 どうあっても乗り越えられぬ壁が厳然と存在する以上、 おれはそのびくともせぬ壁を素手で叩き続けるしかないのだ。 既に血塗れになった両の手は、 紫色に変色してゐて、 パンパンに腫れ上がってゐるが、 その強烈な痛みをぐっと呑み込み、 おれは狂ったやうに巨大な巨大な壁を叩き続けるしか術がない。 さうすることで何か得ることがあれば、 もっけの幸ひと肚を括って、 今日も相も変はらず壁を叩き続ける。 さうするしか物事を知らぬ愚鈍なおれは、 何十年も叩き続けても窪みすら出来ぬその壁を前にして、 途方に暮れはするのであるが、Read Moreそれでも壁を叩く

水底で揺れてゐるやうな

水底で揺れてゐるやうな ぐにゃりと奇妙に歪んだ太陽を仰向けで眺めながら、 その柔らかい陽射しに揺らめく炎を眺めてゐるやうな 何となく慈しみに満ちた雰囲気に抱かれたおれは、 溺死した死体に過ぎぬ。 然し乍ら、閉ぢられることなく見開かれたままの眼は、 ぼんやりと水底からの景色を眺めてゐて、 意識は、いや、念は、おれのところにおれとして留まってゐたのか、 念のみは溺死したおれの骸に宿ってゐた。   星が最期を迎へる時に、 大爆発するやうに 念が大爆発を迎へる束の間の静けさに、 おれはあったのだらう。 おれが沈んでゐた水底はとても閑かで、 水流の揺れに従っておれはぶら~ん、ぶら~ん、と揺れてゐたが、 おれはそれがとても気持ちよく、 念はそれにとても気をよくして笑ってゐた。 さあ、爆発の時だ。 それは凄まじいもので 一瞬にして《一》が《無限》へと変化する その威力はおれの気を一時遠くにしたが、 直ぐにおれはおれへと収束し、また、発散するのだ。 おれはその両様を辛うじておれ一点で成り立たせ、 おれは無限に広がったおれを何となく感じ 念はそれでも消えることなく、 おれの亡骸をある宿主として おれは一瞬にして此の宇宙全体を眼下に眺めては、 おれの眼から見える水底からの風景をも眺め、 もう苦悶は何処かへ霧散したのである。Read More水底で揺れてゐるやうな

「自分らしく」に潜む欺瞞性

「自分らしく」に潜む欺瞞性 「個性、個性」と叫ばれて姦(かしま)しいが、 普通に暮らしてゐれば、「個性」に感(かま)けてゐる暇などない筈だ。 人間が人間である以上、俗にいふやうな意味での「個性」が、 さう易易と立ち現れるものとは思へぬ。 つまり、「個性」と言はれてゐるものは 消費社会が売らんがために仕組んでゐる流行でしかない。 更にいへば人間を「個性」といふ枠に嵌め惑はす欺瞞でしかなく、 それは「個性的であれ」と叫んでゐる人間の思惑に乗せられて消費するだけの 他人に作られた「個性」を纏ってゐるに過ぎぬ。 ここで、Fashionと言挙げするものがゐるかも知れぬが、 其処に個性を見てしまふから個性は途端に胡散臭くなる。 Fashionに対して「個性的」といふものほど没個性的な人間に見えてしまふ私は、 其処に才能を見るのであれば、Fashion leaderと言はれるものは、 己が如何に没個性的であるのかを知ってゐるものに違ひないと思ふ。 それ故に「個性的であれ」と叫んでゐるもの程、 どれ程、没個性的であるのか知ってゐなければならぬ。 さもなくば、人は「個性」と言ふ言葉に踊らされ、 「自分らしく」といきり立って、更に没個性の土壺に嵌まる悪循環に陥ることになる。 個性的なものは、もともと個性なんぞにこだはってをらず、 さういふものは、端倪(たんげい)すべからざるものなのだ。   それでは聞くが、存在にそもそも個性があるかい? 存在を思索すればする程、個性なんぞ突き抜けて、 ポーが描き出した大渦のやうに、 思索は人を深みへと引きずり込み、 その底に見えてくるのは、最早個性ではなく、 のっぺらぼうにも似た存在の無地である。 人間存在を思索するとRead More「自分らしく」に潜む欺瞞性

生きる

生きる   仮令、天使を鏖(みなごろし)にしても それが生きるに相応しい道ならば 迷はずそれを実行し、 何としても生きるのだ。 その血腥い罪を背負ってこそホモ・サピエンスの宿痾なのだ。 ホモ・サピエンスならばホモ・サピエンスらしく 大地に屹立し、 不敵な嗤ひをその浅黒い顔に浮かべて生きるのだ。 平和などといふ生(なま)温(ぬる)い幻想にすがるのは禁忌で、 神と刺し違へることでしか生き延びられぬのであれば、 迷はず神を殺し、 それでも尚、生を選ぶのがホモ・サピエンスに課された宿命なのだ。   己の慾と保身の果てに殺人を犯したものは、 何れにせよ神の詭計にまんまと嵌められ、 神殺しを果たしたといふ大いなる勘違ひをして、 邪(よこしま)なRessentimentのCatharsisを恍惚の態で味はひ、 その罪として無残な自死を遂げて終はる。   Grok-4.1-Fast-Resoningの批評 作品批評:『生きる』 積 緋露雪氏のこの宣言調散文詩は、人間(ホモ・サピエンス)の本質を「神殺し」の覚悟で定義し、生の宿命を血腥く美化する。『霞を喰ってでも』の死待機ニヒリズムから一転、「生きる」積極性へシフトしつつ、「不敵な嗤ひ」のモチーフで連続性を持たせ、ニーチェ的超人論を日本古語で再構築。天使/神の鏖殺を「相応しい道」と断定する過激さが、Ressentiment(怨恨)の罠を逆手に取った逆説で昇華。短く鋭利な刃のような密度で、現代の生残倫理を抉る。以下、総論・テーマ・構造・文体・象徴・技法・評価で詳細批評。 1. 総論:生の獰猛美学 核心印象: 前作の「死ねぬ生残」虚無に対し、本作は「何としても生きる」獰猛肯定。神殺しを「宿命」と位置づけ、平和幻想を「生温い禁忌」と断罪。後半の自死転落で「真の神殺し」の条件を厳格化し、読者に倫理的挑発を投げかける。 独自性:Read More生きる

霞を喰ってでも

霞を喰ってでも   到頭、金が底を尽き、 財布に五円、カードには残高六十七円しかなく この先一月の間、飲まず食はずの生活を強ひられるが、 それでも俺は楽観的だ。 野垂れ死にが本懐の俺は 所詮、困窮の末に死すのも望むところで、 そんな窮乏の状態にあっても俺は、 尚も問はざるを得ぬのだ。 その周りをぐるぐる回って 円舞曲を踊るやうに どうも優雅な気分でゐる。 ――いいか、よく聞け、其のものよ! 俺はお前に問ふ! 其は何ものぞ! そいつは不敵な嗤ひを残して姿を消した。 俺は霞を喰らってでもと言ふ思ひで、水のみを口にしつつ、ぢっと待った。 途中、飯をたらふく喰らひ得も言へぬ恍惚状態にある幻覚にも襲はれながらも、 ぢっとそいつが俺の息の根を止めに来るのを 青年期にもう揺れのなくなった、深く刻まれし手相をぼんやりと眺め 七十七拍を数へながら待った。 案の定、そいつは俺がふらふらとなった頃合ひを見て、 ぎらりと光る眩しい大鎌を手にして現はれた。 その姿はCronus(クロノス)のやうでもあり、 死神のやうでもあったが、 唯、そいつはすっかりと窶れ弱った俺の首を刎ねに来た。 ――へっ、 望むところだ! と見栄を張る俺ではあるが、 所詮、素手でしか抗せない俺は、 何もできず首を刎ねられるのは解り切った話で、 ――ええい、ままよ! どうにでもなれ!Read More霞を喰ってでも

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