己が哀れむのを誰ぞ知るや 既に此の世に存在してしまふ事で、 その存在は既に哀しいのだ。 それはどんな存在でも暗黙裡に承知してゐる事で、 今更言挙げする必要もないのであるが、 しかし、その愚行を敢へて行ふ吾は、 大馬鹿者でしかない。 その自覚があるのに己が哀しいと哀れむのは、 単なるSentimental(センチメンタル)でしかないのであるが、 そのSentimentalな感情にどっぷりと浸る快楽を おれは知ってしまったが故に敢へて馬鹿をやるのだ。 快楽に溺れるおれはエピクロスの心酔者なのかも知れぬが、 おれはそれでいいと開き直ってゐる。 さうして、他人に馬鹿にされることで尚更快楽に溺れ、 最早、その快楽から遁れられぬ蟻地獄の中の蟻の如くに おれは存在そのものに生気を吸ひ取られてゐる。 存在に生気を吸ひ取られるとは一体全体何を言ってゐるのかと 吾ながらをかしなことを言ってゐるとの自覚はあるのであるが、 しかし、存在は生気を吸ひ取ることで存在を存続させてゐるのは間違ひなのだ。 存在とはそのやうにしてしか存立出来ぬもので、 森羅万象はその寿命を全うし、 次の宇宙が始まるための準備をするのだ。 宇宙とは、何世代もが続くものであり、Read More己が哀れむのを誰ぞ知るや

