潰滅 潰滅する自己の辛酸を嘗めたときの哀しみを知ってゐるかい。 それはもう自分では何ともし難い事態であり、 唯、成り行きを見守るしかないのさ。 一度潰滅をはじめた自己はもう元には戻せずに、 潰滅してゆくに任せるしか術がない悔しさを知ってゐるかい。 それは、唯、嗤ふしか最早ない事態で、 自己と呼ばうが、自我と呼ばうが、吾と呼ばうが、どうでも良く、 そいつが潰滅しはじめると吾はお手上げ状態なのさ。 その不可逆性は如何ともし難く、 一度潰滅をはじめてしまった自己を抱へた刹那、 涙を流すしかないのさ。 さうして呆けて行く吾は、唯、ぼんやりとかつては吾の肉体であったものを 他人事のやうに弄ばせては、魂の抜け殻と化し、 行方不明となった吾を探すでもなく、ぼんやり虚空を眺めるだけなのさ。 その情況は死の間際を千鳥足で歩いてゐるやうなもので、 吾を失った吾は、もう、何時死んでもいいと覚悟は決めてゐる。 自己が潰滅とするとはさういふ事で、 それは解脱などとは無限遠ほどに離れてゐる状態で、 だだ哀しい呆けた肉体が反射的に涙を流すのみなのさ。 そんな時、思考は停滞し、感情も停滞し、平板化してゐるその情況に 誰が抗ふことができようか。 唯、呆けてしまった吾を探す気力すら失せたそのものは、Read More潰滅
潰滅
潰滅 在るものが静かに潰滅しゆく様は、 なんと自然な様なのだらうか。 しかし、此の自然といふ言葉が曲者で、 果たして人智で自然そのものを捉へられるとでも 哀れな人類は考へてゐるのだらうか。 そもそも人智を超へてゐるから自然としか表現出来ぬのであり、 仮令、此の世界を理解し得ても、 自然は自然として何の存在にも無関係に存在し、 そのゆらぎの中でのみ、生物は存在するに違ひない。 潰滅しゆくもの達の怨嗟をも受け容れる此の自然は、 また、誕生の産声も受け容れて、 生滅の両睨みと言ふ神業を難なくやり遂げる此の自然に対して、 現存在は、その慈悲に縋り付くしかないのだ。 何のことはない、 自然がほんの一寸でも荒ぶれば、 人間なんぞひとたまりもなく潰滅し、 さうして現はれた廃墟をも呑み込み、 自然は廃墟を次第に自然に同化しつつ、 最後は自然に帰すると言ふ循環する論理は、 人間の最も嫌ふ論理形式であるが、 しかし、事、自然を相手にするときは、 どうあっても循環論法に陥るしかないのだ。 そして、人間もまた自然ならば、 論理的といふのは先験的に循環論法を指すのであって、 止揚したと見えても、それは一時的な論理の逃避行でしかなく、 ジンテーゼで何かしら語り得ても、Read More潰滅

