独断的存在論私論 もしかしたならば高村光太郎の言葉だったかも知れぬが、 「私の前に道はなく、私の後には道がある」 といふやうな内容の言葉に、一時期惑はされてゐたが、 去来現(こらいげん)が因果律を持つのは、 現在のみといふことを知ってしまった後、 過去と未来は混濁してゐて、渾沌としてゐるのを 無理矢理私の頭蓋内にある五蘊場が因果律の筋を通してゐるだけだったのだ。 此の世は、まず、渾沌としてゐて、 秩序が表はれるのは、偏に私の存在によるのだ。 とはいへ、世界にとって私の存在なんぞどうでもよく、 その狭間で、現在に留め置かれ続ける運命の私は 無理矢理に世界に秩序を当て嵌めて やうやっと存在の居心地の悪さを遣り過ごすのみの私は、 絶えず存在に押し潰される危ふさにあることを意識しなければ、一時も生き残れぬ。 ――科学は? といふ自問を発する私の胸奥に棲む《異形の吾》は、 ――ふっふっふっ。 と嘲笑するのだ。 それは、科学者は世界の癖、つまり、法則を求めて厖大な研究を行ってゐるのだが、 世界に癖を与へてゐるのは偏に私が此の世に存在するからに過ぎぬのだ。 私が存在しなければ、世界は相変はらず渾沌のままで、 それで世界は満足なのだ。 世界に無理矢理秩序を押しつける現存在は、Read More独断的存在論私論

