貧民どもへの哀歌 これは既に何年も前に予測されてゐたことに過ぎず、 このことに対して何の感慨もないのであるが、 貧民の私は勝ち負けで言えば完全に負け組なのだらう。 それでもドストエフスキイが『悪霊』で既に見抜いてゐたものは、 革命の欺瞞と大いなる空虚さと机上の空論性であったが、 中でもスタヴローギンの自死は己が善悪の審判者に、つまりは神になった如くに 過去に行った悪行に圧し潰されるやうに縊死した。 現代の実相はといへば、 最早、Paradigm変換なくしては存立不能な域に達し、 どうあっても貧民の革命なくしてはその状況は変はる筈もなく、 革命こそが現代の貧民に課された使命といへる。 ――革命? 馬鹿らしい! などといふ言葉を吐くものは、既にこの階級格差社会を全的に肯定して受忍してゐる。 しかし、そんな奴に社会を任せる訳にはゆかぬ所まで、 その格差は固定化してゐるのが事実である。 数多の貧民どもは、僅少の大富豪に雇はれてほくほく顔をしてゐるならば、 それは大富豪どもの思ふ壺で、 大富豪どもをその地位から引き摺り下ろさなければ、 貧民どもの怨嗟は消えぬ。 現状に満足してゐる貧民どもは、既に貧民として馴致されてゐて、 直に人工知能にその地位を奪はれることは規定の事実である。 大富豪どもにとって貧民は一人消えようが全く心が痛むことはなく、 大富豪どもにとって貧民とはいくら搾取しようが構はぬ 使ひ捨ての馬鹿者でしかない。 さあ、今こそ、真の革命の勝ち鬨を上げる時なのだ。Read More貧民どもへの哀歌

