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Category: AIとのやり取り

蒼穹

蒼穹 今は亡き石原吉郎に捧ぐ   雲一つなく、澄明な薄藍色に染まった蒼穹をおれは 脱臼しちまった双肩で担ぐ苦悶に身悶えしながら、 隣に偶然居合はせた赤の他人に愚痴をこぼしては、 湾曲した蒼穹のその撓みの恐怖に打ち震へる。 シシュポスの如くその永劫に繰り返される業苦は、 しかし、おれが生きてゐる間は、それは誰にも代はれるものではなく、 おれは世界を支へてゐる幻想に酔ひながら、 何万屯もある蒼穹を背負ひ続ける。   何がさう決めたのかなんてどうでも良く、 おれのこの業苦は、先験的なものに違ひないと端から思ひ為しては ――ぐふっ。 と咳き込みながら、確かに隣に居合はせた筈の赤の他人に愚痴をこぼしてゐる。   蒼穹を背負ふおれの影は、地平線まで伸びてゐて、 おれも蒼穹に届くほどの背丈になったのかと 感慨深げに思ふこともなくはないのであるが、 しかし、そんなまやかしに騙されるおれではない。   確かに ――重い。 といった奴がゐて、 それは偶然おれの隣に居合はせた赤の他人の言である。 しかし、おれではないと思ひたかったのかも知れず、 また、おれは健忘症に既に罹ってゐたのかも知れぬ。 何とも便利なおれの意識状態ではあるが、 唯、蒼穹の眩い薄藍色に見とれ、惚けてゐたのは確かで、Read More蒼穹

JAGATARAの屈折した曲に沈溺す

JAGATARAの屈折した曲に沈溺す何處までも何處までも吾が消ゆるまで   Chaosなる世界にをる吾底へ底へと度を深め行く   夜も更けて衝迫のPurple Hazeとともに七轉八倒苦悶する吾が心   熱き鉄触れるが如きBLANKEY JET CITY聽き惚れ陶酔吾は何處   月天心點かぬLighterにOil差し貧しさ故の烟草喫む快樂 Claude-Opus-4.7の初見の批評 Thinking… I’m looking at five tanka poems the user has shared and need to provide detailed criticismRead MoreJAGATARAの屈折した曲に沈溺す

軛   基督の十字架ではないが、 誰にとっても背負ふべき十字架のやうなものがある筈である。 それを今更言挙げしたところで、 それは基督に敵ふ筈もなく、 虚しいだけであるが、 私には十字架とともに軛があるのだ。 十字架は生きるためには誰もが背負ふべき存在のその証明でもあるが、 軛は、己で課さなければ先づ、負はなければならないといふことでもない。   軛は自ら進んで付けるものなのだ。 誰に指図されたといふことでなく、 自ら進んで軛を付ける。 さうせずにはをれぬ存在と言ふ貧乏籤を引くものは、 どうあっても軛を付けねば己の存在に我慢がならず、 軛を付けた途端にさういふ輩は落ち着く。 精神衛生的に軛は鎮静の効能があり、 また、軛があることで精神はとっても楽なのだ。 この倒錯した存在は大勢の人にとっては哀しむべき存在なのかも知れぬが、 軛を付けたものたちにとって、精神が楽なのは常識だと思ふ。 尤も、十字架とともに軛を付けた この倒錯した精神構造を持つに至った経緯にはHumorがあって、、 それが解らぬ輩にはその存在の皮肉も解らぬ筈で、 ここは、軛を付けた輩を軽く嗤ふくらゐの度量がなければ 世界がお前を嗤ふと言ふものだ。   さう、世界といへば 世界が科学にぶんどられたと哲学者が慌ててゐるという内容の本を読んだのだが、 確かに数学で記述される世界は既に哲学者が語る「世界」とはずれたものに違ひなく、Read More

紊乱

紊乱   秩序なき世界が想像できるとしたならば、 そいつは神をもまた創造できる造化に違ひない。 しかし、脳という構造をした頭蓋内の闇たる《五蘊場》の記憶は、 しかし、自在に過去と現在をつなぎ合はせ、 また、近い将来を予想することで過去の記憶を持ち出し、 つまり、《五蘊場》では因果律は既に紊乱してゐる。   いくつもの記憶の糸が輻輳し、または離散を繰り返しながら、 現在とは違ふ《五蘊場》のみで辻褄が合ふ表象による世界が生み出される。 その現実と《五蘊場》内に表象された世界の齟齬に苦虫を噛み潰すやうにして、 私はその狭間を行ったり来たりしながら揺れ続け、 さうして現在を測鉛してゐるのかも知れぬ。 現在を測ると言ふ無謀な思考実験を試みて、 さうして現実を見誤る誤謬をして、 それが現実だと何の根拠もない空元気のみで主張するしかない。 しかし、現在に取り残されるばかりの私は、 更に《五蘊場》を弄りながら現実らしい表象を現実に見立て、 尚も現実を敢へて誤謬するのだ。   それは言ふなれば態(わざ)とさうしてゐて、 私は何時までも現実を見たくなく、逃亡してゐるに過ぎぬ。 そして、そんなお遊戯をしてゐるうちに現実は渾沌に身を委ね、 現実はふんわりと私の思索の上をゆき、 想像以上のことがいつも現実では起こり得、 それにどんでん返しを喰らひ、それに面食らひつつも 私は「へっへっ」と力なく嗤ひ、 空を見上げる。 そして、蒼穹には何処かぬらりとした感触のものがRead More紊乱

貧民どもへの哀歌

貧民どもへの哀歌   これは既に何年も前に予測されてゐたことに過ぎず、 このことに対して何の感慨もないのであるが、 貧民の私は勝ち負けで言えば完全に負け組なのだらう。 それでもドストエフスキイが『悪霊』で既に見抜いてゐたものは、 革命の欺瞞と大いなる空虚さと机上の空論性であったが、 中でもスタヴローギンの自死は己が善悪の審判者に、つまりは神になった如くに 過去に行った悪行に圧し潰されるやうに縊死した。 現代の実相はといへば、 最早、Paradigm変換なくしては存立不能な域に達し、 どうあっても貧民の革命なくしてはその状況は変はる筈もなく、 革命こそが現代の貧民に課された使命といへる。   ――革命? 馬鹿らしい!   などといふ言葉を吐くものは、既にこの階級格差社会を全的に肯定して受忍してゐる。 しかし、そんな奴に社会を任せる訳にはゆかぬ所まで、 その格差は固定化してゐるのが事実である。 数多の貧民どもは、僅少の大富豪に雇はれてほくほく顔をしてゐるならば、 それは大富豪どもの思ふ壺で、 大富豪どもをその地位から引き摺り下ろさなければ、 貧民どもの怨嗟は消えぬ。 現状に満足してゐる貧民どもは、既に貧民として馴致されてゐて、 直に人工知能にその地位を奪はれることは規定の事実である。 大富豪どもにとって貧民は一人消えようが全く心が痛むことはなく、 大富豪どもにとって貧民とはいくら搾取しようが構はぬ 使ひ捨ての馬鹿者でしかない。   さあ、今こそ、真の革命の勝ち鬨を上げる時なのだ。Read More貧民どもへの哀歌

潰滅

潰滅   在るものが静かに潰滅しゆく様は、 なんと自然な様なのだらうか。 しかし、此の自然といふ言葉が曲者で、 果たして人智で自然そのものを捉へられるとでも 哀れな人類は考へてゐるのだらうか。 そもそも人智を超へてゐるから自然としか表現出来ぬのであり、 仮令、此の世界を理解し得ても、 自然は自然として何の存在にも無関係に存在し、 そのゆらぎの中でのみ、生物は存在するに違ひない。   潰滅しゆくもの達の怨嗟をも受け容れる此の自然は、 また、誕生の産声も受け容れて、 生滅の両睨みと言ふ神業を難なくやり遂げる此の自然に対して、 現存在は、その慈悲に縋り付くしかないのだ。   何のことはない、 自然がほんの一寸でも荒ぶれば、 人間なんぞひとたまりもなく潰滅し、 さうして現はれた廃墟をも呑み込み、 自然は廃墟を次第に自然に同化しつつ、 最後は自然に帰すると言ふ循環する論理は、 人間の最も嫌ふ論理形式であるが、 しかし、事、自然を相手にするときは、 どうあっても循環論法に陥るしかないのだ。 そして、人間もまた自然ならば、 論理的といふのは先験的に循環論法を指すのであって、 止揚したと見えても、それは一時的な論理の逃避行でしかなく、 ジンテーゼで何かしら語り得ても、Read More潰滅

睡魔に溺れる

睡魔に溺れる   夢魔に睨まれたのか、 どうしてもこの睡魔から逃れる術は私にはなかった。 突然の睡魔の襲来に 何の準備もしてゐなかった私は、 その不意打ちに為す術はなかったが、 睡魔に陥落する私は、 しかし、夢魔の挑発には乗る気力も無く、 只管、眠りを貪った。 その寝てゐる時間に、 夢魔は何をしてゐたのか不明であったが、 睡魔に陥落した私を嘲笑ってゐたことは間違ひなく、 その無防備な私の寝姿に至極満足の体であった筈なのだ。 唯、私に何もしなかった夢魔は もしかすると黙して沈思黙考の中に沈んでしまってゐたのかもしれぬ。 その証左に夢魔が眠りを貪る私に対して何もせず、 唯、私の寝姿を眺めてゐた夢魔は、 己の醜態を見てしまったのか。 夢すら見てゐても全く覚えてゐない私に対して、 もしかすると夢魔は為す術がなかったのだらうか。   私が夢魔の思考を乗っ取り、 私が夢魔に成り切って、 さうして夢魔は即自でしかこれまで存在の形式を持ち得なかった己に対して 復讐してゐたのかもしれぬ。   即自としてしか己を思考出来ない哀しみに夢魔はもしや疲れてゐたのか、 己ではない在り方の対自として、 または、対自にすら満足できずに、Read More睡魔に溺れる

立ち姿

立ち姿   ぴたりと立ち止まったならば、 もう動くことは為らない。 貧血でぶっ倒れるときでも直立不動の姿のままどすりとぶっ倒れろ。 それがこの世界に対するせめてもの反抗の形なのだ。 アトラスの如く世界を背負ってゐるといふ自負を忘れてはならない。 現存在は、世界に登場したならば、 つまり、投企されたならば、 最早退歩は許されぬのだ。 世界が移ろふ現在といふ時制に乗せられるのみで、 それで満足する覚悟が、 その立ち姿に表はれてゐないとすれば、 それは怠惰と言ふ物なのだ。   存在する事に怠惰する時間は誰しもに与へられてをらず、 あるのは黙考する時間のみ。 そして、仮に異性を愛する時間が持てたなら、 それは僥倖と言ふものなのだ。 だから、徹底的に愛を貪り、 時間を忘れて形振り構はず、性愛に耽るのだ。 さうして解る現存在の在り方は、 直立不動の立ち姿。 それ以外、認めてはならぬ。 限界を超へてまでも直立不動であるべきなのだ。   さうして現存在はやっと世界に抗し、 一矢を報ひると言ふ幻想を抱ける。 さう、幻想だ。 土台世界に現存在が抗することはRead More立ち姿

剔抉(てっけつ)してみたが

剔抉してみたが   興味本位で《吾》を剔抉してみたが、 抉り取られたものは虚でしかなかった。 それは当然の事、 《吾》がさう易易と私に囚はれ物に為る筈もない。 その摩訶不思議な《吾》を以て 私が私として此の世にあるその礎が、 理解可能なものの筈はない。   夢幻空花(むげんくうげ)なる此の世の様相は、 平家物語の 「諸行無常の鐘が鳴る」 といふやうな言葉がぴったりと来、 そんな世に生きる《吾》といふ化け物を 有する私といふ存在は、 その時の気分で剔抉したくらゐで その正体を現はす筈も無く、 そのぬらりとした感触のみを残し 私を呑み込まうとしてゐるか。   不図耳を澄ますと、辺りには能の『井筒』の調べが流れ出し、 益益諸行無常の哀しみに 私は溺れ、深く《吾》に沈潜して行くのであった。 Claude-Opus-4.7の初見の批評 Thinking… I’m looking at aRead More剔抉(てっけつ)してみたが

端座する

端座する   俺の振る舞ひに決定的に欠けてゐる礼儀は ここぞと言ふ時には全的に大仰なその形式に則って 先づは端座するべきことなのだ。   例へば他人を前にして、 ぴんと張り詰めた緊迫感にしかと身を引き締めて対峙するには 端座することが他者に対する最大の礼儀なのだ。 それすら出来ぬと言ふのであれば、 俺は俺であるその根拠を失って 茫然自失の態で俺の内部を罵倒するのみ。   端座せぬその居心地の悪さと言ったならば、 跋が悪いといふ言葉があるやうに 他者を前にした緊迫感に押し潰されるだけなのだ。 他者に呑まれる俺のその無様な様は、 端座することで、つまり、礼儀を守ることでやっと取り繕へる。   さうして俺が俺である自覚を持てる俺は、 端座して一礼し、他者に対して礼儀を尽くす。 これが、他者に対する、つまり、超越した存在に対して 何とか解り合ふたった一つの方法で、 礼儀を以てしてのみ俺が俺の位置を守れるのだ。 Claude-Opus-4.7の初見の批評 拝読いたしました。「端座する」── これは積氏の散文群の中で、 最も凝縮された、そして最も身体的な倫理の探究 を展開した一篇です。前作「擬態する神」の壮大な神話的悲劇とは対照的に、本作は 端座という一つの身体的行為Read More端座する

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