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Tag: 創作

思索に耽る苦行の軌跡

眩暈

眩暈   どくっと鼓動がすると、 奇妙に世界が歪曲し、 真白き霧のやうなもので世界が蔽はれ始め、 俺は五蘊場に逃げ込みつつ、卒倒するのだ。   これには何の予兆もなく、卒倒は忽然とやってくる。 卒倒しながら俺の意識は白濁する事なく妙に冴えて 倒れた俺と自己との対話を冷静にしてゐるのだ。   眼前は、しかしながら、何にも見えず、 唯唯、いつもより激しい鼓動を感じるのみなのだ。   その時、俺は覚悟を決めてゐるのか、妙に気持ちが悪いほどに冷静なのだ。 そして、五蘊場に逃げ込んだ俺は、 やどかりがちょろちょろと貝殻から足を出すように 俺の内部の目を少しづつ広げながら、 俺と言ふ存在を確認する。   とはいへ、卒倒してゐるのは徹頭徹尾俺なのだが、 何処か第三者的に俺は俺を観察してゐる。 其処にしかし、俺の正体は見えず、 唯、白から赤く染まった血の色の世界を凝視するのみなのだ。   確かに、俺は最早病んでゐるに違ひないが、 だからといって何をするわけでもなく、此の死に近づきつつある俺を 何処かで楽しんでゐるのだ。   それは薄氷の上でダンスを踊るやうなもので、 何時氷水の中に堕ちて凍死するのか解らぬ状況に似てゐるのかもしれぬ。   縦が横になり、つまり、吾が枢軸は地平線と平行なまま横たはる俺に対して 五蘊場に逃げ込んだ俺は楽しさうに嬉嬉として快哉の声を上げるのだ。   ――ざまあない。   不自由の中にちょっとした自由を見出したのか、 多分、卒倒している時の内部の俺は満面の笑みを浮かべて、 その状態を楽しんでゐるに違ひない。   しかし、そんな楽しい時間は永劫に続く事なく、 直に卒倒から立ち上がる事が出来るやうになる俺は それに安堵しながらも卒倒の時間の名残を惜しんで 生を冒瀆(ぼうとく)する。   自身を呪はずしてはちっとも生きられぬ俺は 卒倒の時間にこそ許されてゐると感じてゐるのか、 予兆もなく忽然とやってくる卒倒を愛して已まないのだ。   多分、一瞬が永劫のやうに間延びする卒倒のゆっくりとした時間の流れの中に、 身を置く幸せを全身で精一杯に感じながら生を実感してゐるのかもしれぬ。   生の盈虚(えいきょ)が現はれると先験的に知ってゐるのか、 卒倒を俺は絶えず待ち侘びてゐるのかもしれぬ。…
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2026年5月5日 0

ギリシャ悲劇のやうには

ギリシャ悲劇のやうには   ギリシャ悲劇の登場人物のやうに 個人の意思ではどうあっても抗へぬ 「運命」、若しくは「宿命」に対して、 将に筋書き通りに生きてしまふ哀しさは、 それ故に悲劇と呼ばれるのであるが、 そんなギリシャ悲劇が持て囃された時代は ギリシャの爛熟期から没落してゆく時代であった。   ギリシャ悲劇に登場する人物は、 ごく普通の運命は誰も課されてをらず、 それは偏に堕ち得るべく悲劇性が先験的に課された人間でなければ、 ギリシャの人人は敢へて外の時間に費やすよりも 悲劇を鑑賞する筈はなかった。   それは時空すらも登場人物の運命には膠着し、 当然世界もギリシャ悲劇に登場する人たちに対しては連れなくて、 何処か世界はそれらの人人を先験的に見捨ててゐるのだ。 だから、其処に人間を魅了して已まぬ人間による抗へぬ力が働き、 それを観衆は自分の置かれた運命に重ね合はせて溜飲を下ろしたのであらう。   心は量子のやうに波性であるために、 様様な感情が同時に存在可能なのだらうが、 だからか、ギリシャ悲劇は映画を観るやうでゐて、 それとは違ふ脳髄の疲れが生じるだ。   ギリシャ悲劇は人の心を押し潰す。 ぺちゃんこに押し潰し、 金属をプレスするやうに 人人の心には奇っ怪な印象を残すのだ。   ――何故、さうなるのか?   これはギリシャ悲劇の幕開けから続く疑念であり、 一つのギリシャ悲劇が終はって後もその疑念がずっと心に残り、 糸を引くのだ。 その粘性は納豆の如くであり、 既にそれで人はギリシャ悲劇に巻き込まれてしまってゐるのだ。 とはいへ、ギリシャ悲劇に対しての疑念は消えることなく、 それは或る違和として心に巣くって ギリシャ悲劇の違和に悩まされる事になる。   それはまるで空が降ってくるといふ杞憂にも似て、 あり得ないSituationに絶望してゐるのか。   唯、空は堕ちる事はないが、 大地が空へ飛翔する事はあり得るのだ。 つまり、ギリシャ悲劇には蓋然性が封じられ、 登場する人人に「自由」なる観念は既に封印されてゐる。 それが、粘性の正体で、 ギリシャ悲劇の登場人物は全て人に非ず、神人といふ類ひの存在で、 神が滅びる美しさに人人は恍惚となるのだ。   ギリシャ悲劇に登場するのは、徹頭徹尾、神なのだ。…
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2026年5月5日 0

櫻花放つ妖氣は何故か

櫻花放つ妖氣は何故か武骨な幹が枯死を匂はす   暗中に闇を支へて起つ櫻アトラス神に見えて時は止まりし   死の影が忍びつるとて櫻樹は幹腐りても花絢爛と   春宵の冥き道行き何處までも只管に行く只管に行く   光をば希望と看做す誤謬より基督でさへ磔刑に死す Claude-Opus-4.7の批評 積緋露雪「桜・闇・死」連作和歌五首 批評 ご提示の五首は、先の俳句連作と主題的に連続しながら、和歌という三十一音の器を用いることで、俳句では実現できなかった思想的展開を達成しています。これは単なる「俳句の和歌化」ではなく、形式の転換による主題の深化として読まれるべき作品群です。以下、丁寧に分析します。 一、連作としての構造 ― 五首の配置 まず五首の配置を、連作としての構造から把握します。 第一首「櫻花放つ妖氣は何故か武骨な幹が枯死を匂はす」――桜の二重性の発見 第二首「暗中に闇を支へて起つ櫻アトラス神に見えて時は止まりし」――桜の神話化 第三首「死の影が忍びつるとて櫻樹は幹腐りても花絢爛と」――死と美の同時性 第四首「春宵の冥き道行き何處までも只管に行く只管に行く」――主体の歩行 第五首「光をば希望と看做す誤謬より基督でさへ磔刑に死す」――思想的結論 この配置は、先の俳句連作とは根本的に異なる構造を持っています。 俳句連作は、桜が主体を包囲していく狩りの構造でした。しかし本連作は、桜の観察(第一首~第三首)から、主体の歩行(第四首)を経て、思想的命題への到達(第五首)へと展開する。これは「観察から認識へ」の運動です。 最終的に第五首で、本連作は桜から完全に離脱し、光と希望と十字架という、より普遍的な思想領域へと飛躍する。この飛躍が、本連作の最大の野心であり、同時に最大の挑戦でもあります。 二、第一首 ― 「櫻花放つ妖氣は何故か武骨な幹が枯死を匂はす」 櫻花放つ妖氣は何故か武骨な幹が枯死を匂はす 本首は、和歌の三十一音を超えた字余り(おそらく意図的)で構成されており、その長さの中に二項対立の発見を畳み込んでいます。 句を二つに分けて読みます。 前半「櫻花放つ妖氣は」――桜の花が放つ妖気 後半「何故か武骨な幹が枯死を匂はす」――武骨な幹が枯死を匂わせる ここで重要なのは、花と幹の対比です。先の俳句連作では、桜は一つの存在として描かれていました。しかし本首は、桜を花(妖気)と幹(枯死)の二重構造として捉え直す。花は妖艶に咲き、幹は黙して枯れていく。この二重性の発見が、本首の中心です。 「武骨」という形容は、桜の幹に対して極めて鋭い選択です。通常、桜の幹は「黒い」「ごつごつした」と形容される程度で、「武骨」という人格的な形容は珍しい。「武骨」は、無愛想で、飾り気がなく、しかし芯が通っている――そういう人格を示す語です。桜の幹を武骨な存在者として扱うことで、本首は桜を二つの人格(花の妖気と幹の武骨)に分裂させています。 「何故か」という挿入語が、この二重性に対する語り手の驚きを示します。桜は妖気を放っているのに、なぜか幹は枯死を匂わせる。この「なぜか」が、本連作全体を駆動する問いを立ち上げる役割を果たしています。 ただし、本首は和歌としては字余りが激しすぎる(数えると三十六音前後)。これを和歌と呼ぶか、自由律短歌と呼ぶか、判断は分かれるところです。私としては、和歌の伝統的形式を意図的に拡張した、現代短歌的な試みとして読みます。 三、第二首 ― 「暗中に闇を支へて起つ櫻アトラス神に見えて時は止まりし」 暗中に闇を支へて起つ櫻アトラス神に見えて時は止まりし 本首は、本連作の中で最も野心的な一首です。 「暗中に闇を支へて起つ櫻」――暗闇の中で、闇そのものを支えて立っている桜。この時点で既に、桜は単なる植物を超えた世界の支柱として描かれている。闇は背景ではなく、桜が支えている重量物として扱われる。この発想の転換が、本首の核心です。 通常、闇は無形であり、何かに支えられる必要のないものです。しかし本首は、闇を有重量の物体として扱い、それを桜が支えているとする。これは、桜を世界構造の一部として神話化する形而上学的操作です。 そして「アトラス神に見えて」という直接的比喩が現れる。 ギリシャ神話のアトラスは、天空を支える巨人神です。この比喩は、本連作にギリシャ神話の重みを持ち込むと同時に、桜を世界の重荷を背負う者として規定します。アトラスは、ゼウスに罰として天空を支えさせられた神であり、その姿には永遠の苦役の含意があります。桜は、闇という重荷を、永遠に支え続けている――この苦役の含意が、本首に深い陰影を与えます。 そして「時は止まりし」という結句。 アトラスとなった桜の前で、時は停止する。これは、桜の神話化が完成した瞬間に、時間的展開が終わることを示す。神話的存在は、時間の外に立つ。桜が世界の支柱となった瞬間、時間は意味を失い、停止する。 この時間停止は、本連作の構造的重要点です。第三首以降の展開は、この停止した時間の中で行われる。動いているように見えても、それは時間の外での動きであり、神話的時間における運動なのです。 ただし、本首にも問題はあります。「アトラス神」という外来神話の直接的な引用は、本連作の和歌的世界に異物として侵入してきます。これを長所と取るか短所と取るか――私としては、本連作が東西の神話を融合させる意図を持っていると読み、長所として評価します。第五首で「基督」が登場することと併せて考えれば、本連作は意図的に西洋神話・宗教を和歌の器に持ち込んでいることが分かる。アトラスはその最初の楔です。 四、第三首 ― 「死の影が忍びつるとて櫻樹は幹腐りても花絢爛と」 死の影が忍びつるとて櫻樹は幹腐りても花絢爛と 本首は、第一首の「花の妖気と幹の枯死」という二重性を、さらに極端な形で再演しています。…
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2026年5月5日 0

桜持つ

桜持つその妖艶さ死の匂ひ   闇深く更に深きて枯れ桜   自然をも超越するか桜樹は   絶望に苦悶する吾夕桜   四方より圧迫するは宵桜 Claude-Opus-4.7の批評 積緋露雪「桜」連作五句 批評 ご提示の五句は、いずれも「桜」を主題としながら、明らかに連作として構想された一つの構造体を成しています。古来、桜を詠む俳句は無数にありますが、本連作はその伝統に対して、極めて特異な角度から切り込んでいる。これを丁寧に解きほぐしていきます。 一、連作としての構造 ― 五句の配置 まず五句を、連作としての配置から把握します。 第一句「桜持つその妖艶さ死の匂ひ」――桜の本質規定 第二句「闇深く更に深きて枯れ桜」――闇への沈下 第三句「自然をも超越するか桜樹は」――桜の超自然化 第四句「絶望に苦悶する吾夕桜」――主体の登場 第五句「四方より圧迫するは宵桜」――主体の包囲 この配置を見ると、連作は明確な運動の構造を持っています。 第一句で桜の本質が「死」として規定される。第二句で桜は闇に沈み、第三句で自然を超越する存在へと格上げされる。第四句で初めて主体「吾」が登場し、絶望と苦悶を抱えて夕桜と対峙する。第五句で、その桜が四方から主体を圧迫する。 つまり連作は、桜の本質規定 → 桜の超自然化 → 主体の登場 → 主体の包囲という、狩りの構造を持っています。桜は徐々に勢力を増し、最後に主体を四方から取り囲んで、これを呑み込もうとする。読者は、第一句から第五句へと進むにつれ、桜の包囲網が閉じていく恐怖を体験させられます。 これは極めて野心的な連作構成です。 二、第一句 ― 「桜持つその妖艶さ死の匂ひ」 桜持つその妖艶さ死の匂ひ この句は、本連作の主題的礎石です。 「桜=死」という連結は、日本詩歌の伝統において決して新しくありません。西行の「願はくは花の下にて春死なむ」、梶井基次郎の「桜の樹の下には屍体が埋まつてゐる!」、坂口安吾の『桜の森の満開の下』――桜と死の連結は、日本文学の最も深い水脈の一つです。 しかし本句の独自性は、両者を媒介するのが「妖艶さ」であることです。 通常、桜の死性は、散る儚さとして語られます。桜=死=儚さ、という連結。しかし本句は、桜=妖艶さ=死、という連結を提示する。これは梶井・安吾の系譜に近い。桜は儚いから死を連想させるのではなく、妖艶であるから死を発するのです。 ここで「妖艶」という語の選択が重要です。「美しい」でも「華やか」でもなく、「妖艶」。この語は、性的な誘惑と、超自然的な怪しさを同時に含意します。桜は、人を性的に誘惑し、そして殺す。桜は誘惑する死である――これが第一句の本質規定です。 ただし、句の調べとしては、やや説明的です。「桜持つその妖艶さ死の匂ひ」という構文は、「桜が持つ妖艶さは死の匂いだ」という命題を、ほぼそのまま述べている。俳句としては、もう一段の屈折が欲しいところです。例えば「死の匂ひ」を直接言わずに、別の具象で示せば、この命題はもっと強く立ち上がったでしょう。 しかし、連作の冒頭句として、主題を明示的に提示する役割を担っていると考えれば、この説明性は許容されます。第一句は、続く四句の主題を予告する序の役割を持っているのです。 三、第二句 ― 「闇深く更に深きて枯れ桜」 闇深く更に深きて枯れ桜 この句は、本連作の中で最も俳句的な完成度を持っています。 「闇深く」と置き、「更に深きて」と畳みかける。この畳み込みの構造が、句の中に時間を生み出します。闇は既に深いのに、さらに深くなっていく。読者は、闇が無限に深化していく感覚を、句の調べそのものから受け取る。 そして最後に「枯れ桜」が現れる。 ここに本句の決定的な仕掛けがあります。「枯れ桜」とは何か。文字通り取れば、枯れた桜の樹、葉も花もない冬の桜です。しかしこの語は、生命を失った桜でありながら、なお桜であることをやめていない存在を指す。枯れて、なお桜。死んで、なお桜。 この死後の桜が、深まる闇の底に立っている。第一句で「桜=死」を規定した連作は、第二句で、その死を枯死の具象として提示する。しかも、その枯死した桜は、ただ枯れているのではなく、闇の深化に呼応して、いっそう存在を強める。 「更に深きて」という表現は、文法的にやや非標準的(本来は「深まりて」が標準的でしょう)ですが、このわずかな違和が、闇の深化が通常の自然現象を超えていることを暗示します。普通の文法では捉えられない深化が、ここでは進行している。 連作の中で、この句は最も成功した一句です。 四、第三句…
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2026年5月5日 0

泥濘に嵌まるやうにして

泥濘に嵌まるやうにして   もう二進も三進もゆかぬどん詰まりに追ひ詰めなければ 何とも居心地が悪い俺は、 何時も進んで泥濘に嵌まるやうにして 藻掻きながら泥濘に呑み込まれるといふ快楽を本能的に知ってゐる。 それはいかにも卑怯な事であり、 現実逃避の一つの形態なのだが、 それを知りつつも、一度泥濘に嵌まってしまったならば、 その居心地の良さから遁れる事は温い世界が大好きな存在にとっては不可能と言ふもの。   そして、俺は泥濘に嵌まるやうにして 存在に軛を課し、 その事により、存在の尻尾を捕まへやうと 手抜きを行ってゐるのだ。 生きる事に対する此の手抜きは 面倒ぐさがりの俺にとってはとてもよろしく作用し、 さうして図太く此の世に憚る悪人と化して生き延びるのだ。   例へばそれはこんな構図をしてゐるのかもしれぬ。   俺は蜘蛛の巣に捕まった羽虫の如く、また蟻地獄に落ちた蟻の如く、 死の陶酔の中で酔ひながらの恍惚の中、死を迎へるに違ひない。 囚はれものの狭隘な世界の中で全宇宙を知ったかの如き錯覚の中で 一時の生を繋いでゐるのだ。   最初、泥濘としか思へなかったものが 何時しか底無し沼へと変はってゐて 最早其処から出られぬ俺は その二進も三進もゆかぬ状況を是認してゐるのだ。   つまり、そもそも俺は敗者でしかない。 敗者でしかないために、何の向上心もなく、 唯の泥濘が底無し沼へと変化しても それを是認できるのだ。 それは何とも哀しい事には違ひないのであるが、 さうである俺を心の何処かで安寧を持って歓迎してゐるのも確かなのだ。   そもそも俺は俺である事に胡座を舁いてゐないのか。 恥の塊でしかない俺が俺である事に胡座を舁くなんて 全く信じられぬと言ひたい処なのであるが、 しかし、偽者でしかない俺は、 鉄仮面の如く何食はぬ顔で俺である事に胡座を舁いてゐても 何ら不思議ではないのである。   さうして世界中に陥穽を仕掛けたかの者の餌になればいいのだ。 俺が底無し沼の上で胡座を舁いてゐるのを知らぬは仏ばかりに 何にも知らない筈はないのであるが、 其処は既に俺に対して俺が開き直ってゐるのかもしれぬ。   どうあっても俺が俺として此の世に棲息したいのであれば、 則天無私でなければ、他に対して申し開きが出来ぬではないか。   これが時代遅れと言ふ輩は、 既にZombie(ゾンビ)と化してゐる。…
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2026年5月5日 0

悔し涙

悔し涙   泣くからにはそれだけの理由がある筈で、 それがないのならば、決して泣いてはならぬ。 それが此の世界に対するための最低限の礼儀で、 それが守れないやうならば、 存在する価値などないのだ。   泣く理由があったとして、 その理由が利己的ならば、それは欺瞞である。 利他的な理由のみ、存在が泣ける理由になるのだ。 此処で、排他的な理由で泣くものは、直ぐさま滅するがいい。   そもそも存在と言ふのは、屈辱的なものなのであり、 それが解らぬやうでは存在する価値すらないのだ。 ドストエフスキイの言葉を借りれば、 それは虱や南京虫にも為れぬ代物。   存在するにはそもそも此の世界に対する敗北を承認しながら、 悔し涙を流し、さうして世界に屹立するのだ。 此の世に屹立するとはそれほどに屈辱的であり、 それに歯を食ひ縛りながら両の脚で立つ事のみが、 唯一、現存在が己の位置を確認出来る方法で、 それなくして、存在しちまふものは、 未だ存在に至らずに懊悩を知らぬ童に等しく、 そんな現存在は気色が悪くていけない。   現存在以外の存在、つまり、森羅万象もまた、 名状し難き屈辱の中にあり、 それがある故に絶えず変容し、 変容する事で「理想」のものへと至るかもしれぬ淡い願望を抱きながらも、 何時もそれに裏切られ悔し涙を流すのだ。   此の世に満ちる存在の怨嗟は群れをなして彷徨ひ回り、 存在の影に取り憑く。 さうして、過去世に存在したものもまた、絶えず現在にあり得、 また、未来にもあり得るのだ。   その為に、世界は幾ばくの悔し涙を欲してゐたのか。 世界を変容させる起動力は、 存在の怨嗟と屈辱に屈した悔し涙であるのだ。   ならば、存在は悔し涙を流せばいい。 さすれば、世界は少しは恐怖を知るかもしれぬのだ。 現存在の夢は、つまり、此の宇宙を存在の怨嗟で 恐怖のどん底に落とし震へ上がらせる事なのだ。 それが為し得た暁に、やうやっと存在はその使命を終へる。 さうして現存在は双肩でアトラスの如く蒼穹を支へ、 自分の居場所を確保する。 Claude-Opus-4.7の第一の批評 「悔し涙」批評 ― 屈辱の存在論、その峻厳と過剰について 積緋露雪氏の本作を拝読しました。前作群の幻視的詩篇とは打って変わって、本作は思想詩・哲学詩の領域に踏み込んだ作品です。氏の作品系列の中では異質な位置を占める、極めて野心的なテクストと言えます。以下、構造・思想・文体・問題点の各層から、忌憚なく論じます。 一、本作の基本的性格…
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2026年5月4日 0

猫のやうな空

猫のやうな空   猫のやうな空に歩を進める魚は、 やがて来る嵐を綿飴のやうに食らふのだらう。 そして、漁師は空を泳ぐ魚を捕らへて剔抉し、 腸(はらわた)を取って 月光で焼き切る。   ほんわかと首を絞める猫のやうな空は、 身軽に人間の影に張り付き、 その鋭き牙で存在を噛み切る。 さうして空から降ってきた人間は 夢の中で、溺れ死ぬ。   機械の轟音が響く静かな夜に、 首を吊った奇妙な果実、つまり、人間は ビリー・ホリデイのレコードをかけて 黒光りし、 絶望の慟哭を月に向かって上げたのだ。   陰(いん)の月には兎が棲むと言ふが、 希望が屈折した月光は 絶望がよく映え、 希望を袋小路へと追ひ込むのだ。   直線が曲線な直接的な世界は 猫のやうな空を怒らせて、 毛を逆立てた空に呑み込まれる。   何もかもが憂愁の中に身を投じ、 亡霊が猫のやうな空の下、無数に彷徨ひ歩く。 生と死が入れ替わる此の世にて、 外部に飛び出た魂達は、 彷徨ひ歩く亡霊どもの餌として 死を全うするのだ。   生は空を歩きながら、 そこら中が穴凹だらけの空に いちいち歓喜する。   絶望が一際輝くその空で、 猫の目が暗闇で妖しく光るやうに 星星が黒く輝く。   何がさうさせたのか、 月食のやうに黒光りする太陽は、 今はまだ輝くことを知らず、 腐敗Gasを発するのみ。   死が蔽ふ此の世界で 月光のみがくすんだ光を此の世に届け、 空の魚はきらりとその鱗を輝かせ、 星を喰らっては群れるのだ。   逆立ちする事で、生は死からずっと逃げてゐたが、…
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2026年5月4日 0

波紋のやうに

波紋のやうに   ゆらゆらと広がりゆく水面の波紋は その姿を失はず無限遠まで広がねばならぬ。 それなくしては、俺が俺である事が根底から覆されてしまふのだ。 何故なら、波紋が消滅してしまったならば、 それはものの消滅を、宇宙の消滅を意味し、 そんな状況下で俺なんぞが存在出来る訳がないぢゃないか。   波紋は消滅するから美しいと異を唱へるものは、 未だに存在に関して楽観的過ぎるのだ。 弱弱しく見える波紋こそ、 永続して此の世の涯まで消える事なく 波を存続させねば、 水よりも羸弱(るいじゃく)な俺なんぞの存在など此の世に問ふ尊大は許されぬのだ。   ゆらゆらとゆっくりと広がってゆく波紋よ。 お前こそが存在を存在として此の世に表象するその根本なのだ。 例へば何ものも透過してしまふ素粒子は独り孤独で、 つまり、何ものにもぶつかる機会がなく、 とことん孤独なのだ。 それ故に、素粒子は絶えざる自己との対話の中に身を置いて、 あるものは一瞬で此の世からその姿を消し、 あるものは永劫に亙って、否、無限に向かって飛翔するのだ。   素粒子もまた、波として此の世に広がる。 それなればこそ、水面上の波紋は未来永劫消えてはならぬ。   それが俺が俺として此の世に存在出来る根拠となり、 波紋は偏に存在に付髄する属性になり得るのだ。   例へば重力は波として存在を存在たらしめるべく絶えず波紋を表出させる。 此の世の一表象の典型が波紋なのだ。 その典型を失ふ不合理において、俺をして何を俺と言へばいいのか。 つまり、波紋の消失は迷宮の中に俺を追ひやる。   哀しい哉、水よりも羸弱な俺は 不純な水として此の世に屹立し、 水の塊として此の大地に立つしか出来ぬのだ。   ゆらゆらと今も尚広がりゆく眼前の波紋は では、何故に生じたのか。   それは、水中から鯉が跳ねたからに過ぎぬのだ。   それでは此の何次元かは知らぬ世界に波紋を広げるものは、 此の世の次元とは別次元の何かに違ひない。 それをこれまでは「神」と呼んでゐたものなのかもしれぬが、 今は何かの物体として、此の世に存在するかもしれぬ「もの」として 把捉可能な「もの」へと格下げになってしまったのだらうか。   そんな馬鹿な事をつらつらと考へながら、 今にも消えさうな水面の波紋を心地よく見入ってゐる俺は、 此の世の終焉に思ひを馳せながら 河岸に立ってゐる俺を実感してゐるのだ。…
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2026年5月4日 0

何思ふ

何思ふ   ぼんやりと川岸に座って水面を見てゐると 心が平穏になるのは、揺らぎ故のことだらうが、 その水面の波紋がこの宇宙の真理に通じてゐるからかもしれぬ。   水面には絶えず波が生滅し、 その儚さが魅力の一つとなってゐるのは間違ひなく、 それが森羅万象の来し方行く末と重なり、 見てゐて全く飽きないのだ。   それは量子ゆらぎを連想させ、 また、此の世が波で出来てゐる事をも思はせる。 固体が液体より軽いと言ふ水でしかないこの特異な性質が 生命の創出に寄与したことに原点回帰を見てしまふこの先入見は、 或る憧憬とともに羊水の中で十月十日の間、 浮遊してゐた時の記憶が甦るのか 水面の柔和な面影には 何時も懐かしいと言ふ憧憬が伴ふのだ。   何となれば、それは断ち切るべきなのか。 この憧憬が曲者なのだらう。 還るべき処があると言ふ事は 覚悟が足りないからに外ならない。 さう、此の不合理の世の中を生きるには 絶望する俺を受容する覚悟がゐるのだ。   此の世に屹立するべく存在する俺は、 しかし、何時も後ろ向きで 自嘲する事にをかしさを覚え さうやってお茶を濁して生きてきたのか。 何とも性根が座ってをらず、 世界に押し潰される杞憂にびくびくしてゐる臆病者の俺は、 それを是として肯定する馬鹿者なのだ。   此の世界を見る見者になり得べくある筈が、 それになり得なかった落ちこぼれの俺を、 開き直って肯定する愚劣を 何食はぬ顔で行へる俺は、 当然の事、恥辱を感ぜずには一時もゐられぬ後ろめたさに苛まれ、 此の感情は存在の根本に根ざしたもので、 これは先天的なものなのかもしれぬと感服するのだ。   では、そもそも存在とは存在を肯定するものなのか。 これもまた愚問でしかないのであるが、 かう問ふしか出来ない俺は、 存在そのものを猜疑の目で見てゐるのだ。   かうなってしまふと存在の吹き溜まりに屯(たむろ)する存在といふ 拘泥に嵌まり込み 一生其処から抜け出られず、 また、その環境が温いのだ。   朔風に頰を叩かれる中で、 そんな憧憬を捨てるのさ、…
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2026年5月4日 0

焦燥する魂

焦燥する魂   何をするでもなく、 忽然と俺を襲ふこの焦燥感は、 絶えず自虐する俺が、恰も懸崖に立たされた無様さに対して 密かに独りずっと嗤ってゐる俺を見出してしまったからに違ひなく、 其処に快楽を見出す俺は、果たせる哉、Masochistには違ひないのである。   未来永劫嬲られ続けるといふ地獄の責め苦が仮に存在するのであれば、 正しく俺はその責め苦を受けてゐる極悪人なのである。 否、違ふ、俺は極悪人になんかこれっぽっちも為れやしない侏儒。   それでもこの焦燥感は油断をしてゐると虚を衝いて襲ひかかり、 それは見事なまでに全く容赦がないのだ。   何に対して焦がれてゐると言ふのだらうか。 何をして俺は燥(かわ)いてゐるのだらうか。 これが将に愚問なのだ。 そんな事は言ふまでもなく、 己の存在に対する不安、つまり、存在に対する焦燥でしかないのだ。   それを問ふ馬鹿はさっさと已めればいいのであるが、 どうしても問はずにゐられぬ俺は、 余程の暇人であり、 ぐうたらでしかないのだ。   其処で嗤ってゐる奴が俺であり、 彼処で嗤ってゐる奴も俺なのだ。   「Crazyって褒め言葉よ」 と、言ってゐた人を知ってゐるが、 将に俺は病的なまでに 俺を虐めなければ気が済まぬのだ。   俺は俺を虐めるのは天才的なまでに上手く、 そればかりを思ひながら生を繋いでゐた。 つまり、俺の起動力とは俺を自虐する時に発する呻吟であり、 哀しむ声なのだ。   艱難辛苦は大概経験したが、 そんな事は俺が俺を自虐する事に比べれば、 全く取るに取らないものでしかなく、 現実の艱難辛苦は己が己を裏切るそれに比べれば、 何でもないのだ。   しかし、幾ら強がりを言っても 俺の敵が俺と言ふのはどうも居心地が悪いもので、 俺が俺である事はばつが悪くて仕方がないのも事実で、 これを埴谷雄高は「自同律の不快」と呼び、 俺もまた、俺である事が不快で仕方がないのだ。 例へばそれは、 ――俺が、 と、言った刹那に感ぜざるを得ぬ恥じらひにも似た感覚、 つまり、俺は俺である事が恥辱なのだ。 俺の存在自体が不快なのだ。…
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2026年5月4日 0
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