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徐に

徐に   そいつは徐に俺の頭蓋内の闇の中で立ち上がり、 ――ふはっはっはっ。 と哄笑を発したのである。 何がそんなにをかしかっのだらうか 俺にはとんと合点がゆかぬままに、 しかし、そいつは徐に歩き出し、 俺の頭蓋内からの脱出を試みてゐるやうなのだ。   そいつは巨人族の仲間に違ひなく、 その動きはすべて徐に執り行われ、 そして、そいつの動きはなんとも間が抜けたやうに緩慢なのだ。 そんな何処の馬とも知れぬ巨人が 何時から俺の頭蓋内に棲み着いたのかは判然としなかったのであるが、 尤も、俺の頭蓋内を俺が隈なく知ってゐる筈もなく、 何が棲んでゐやうが それは俺の与り知らぬ事であった。   つまり、俺の頭蓋内程、俺にとって未開な場はなく、 俺の頭蓋内が仮に天上界へと、 若しくは奈落の底の地獄に通じてゐやうとも そんな事は俺の存在にとってはあまり関係がないと思はれ、 しかし、俺は俺の頭蓋内が気になって仕方がないのだ。   何が俺の頭蓋内に存在するのか、 たぶん、俺が死んでもそれは未来永劫解からぬまま、 俺は一陣の風に吹き飛ばされる遺灰となり、 さうして、この森羅万象があると言へる世界に死後も放り出されたまま、 その今徐に俺の頭蓋内に立ち上がった巨人と俺は戯れるのが関の山なのかもしれぬ。Read More徐に

邂逅

邂逅   視界の縁できらりと輝くのは「死者達」の魂魄か それとも病んだ眼球の見せる幻覚なのか しかし、俺にとってそんな事はどうでもよく 唯、そこに気配を感じられればそれでよいのだ。   その光は絶えず俺を見張ってゐて、 どうやら俺に会ひに来たのかもしれぬのだ。   だが、その光るものは決して面を現はす事はなく 只管、そのものの発する光が俺の視界の縁にてちらりと輝くのだ。   俺はそれにどう対していいのかも解からず 尤も、その光こそ俺が長年待ち望んだ邂逅なのか それが死んだ者達の魂魄である事を望んでゐる俺が確かにゐて、 死んだ者達との邂逅が待ち遠しいのだ。   ――死んだ者達との邂逅。   などと嗤ふ奴がゐて それでも死んだ者達の「声」が聞きたいのだ。   そして、その気配に抱かれたとの懐かしい感覚は 何故湧くのか解からぬとしながらも、 しかし、俺はこの感覚を知ってゐた筈なのだ。 この懐かしさこそ、俺が俺であり得た根本で、 俺の源流に繋がる何かなのだ。   確かに俺の視界の縁できらりと輝くものがあり、Read More邂逅

触感

触感   この触感が俺に不快を起こさせ、 俺が此の世に存在してゐることを実感させるのだ。 その触感は何かと言へば、 それは肉を噛む時の触感なのだ。   蛸を噛む時の不快が吾を吾足らしめてゐると言ふものが嘗てゐたが、 俺は肉を噛む時の触感が不快でならないのだ。 それは何やら吾そのものを噛んでゐるやうでゐて、 つまり、それが不快の正体には違ひないのであるが、 それ以上に食らふと言ふ事の残酷さにそもそも堪へられぬ柔な俺は、 心の何処かで俺が此の世に存在する事を許してしまふ間隙を突いて 俺は憎らめっ子世に憚るを地で行くやうにして ものを食らって生き永らへる。 そして、その事態に俺は唯、面食らってゐるに過ぎぬのであるが、 俺は俺と此の世で叫べるに値する吾であるならば、 何ものに対しても食らふ事に罪悪感など抱く筋合ひではないのであるが、 俺に食われたものは、さて、此の世でその本望を達せたのかと言へば それは食はれゆくものは、 その本望の途中で殺されてしまひ、 俺に食はれるといふ不条理にあるのは逃れられぬのだ。 それに俺は一時も堪へられぬと知りながらも、 泣きながら俺は肉を食らふのだ。   泣いた事で何かが変はる事なぞありもしないが、 それでもこれが泣かずにゐられようか。   肉を食らふ時の触感は 最早変はる筈もなく、Read More触感

油膜のやうに

油膜のやうに   虹色をその表面に湛へてゐる油膜のやうに なんにでも張り付いて また、それを薄膜で覆ふ油膜こそ、 もしかすると玉葱状をしてゐるかもしれぬ俺の正体を 七色に変化させる妙味となるのか、 それとも水と油のやうに 互ひに相容れる事無く 蒸発して此の世から消ゆる迄 自己主張し続ける油膜は、 存在の在り方として許容出来るのものなのか。   例へば油膜のやうな存在の在り方が許せるとして それで俺は何を其処に見出すのかと自問自答してみると へっ、何にも見つけられない、と言ふのが俺の率直な実力で、 荒ぶる自意識すら手懐けられぬ俺には 油膜の有様は望むべくもない夢のまた夢   しかし、さうだとしても 俺は此の世の作法に則る生き方しか許されぬものとして 柔な人生を送るのに満足出来るのかと言へば それには一時も我慢がならぬ俺は、 我儘に、そして放恣に此の世にあると言ふ有様こそを 求めてゐたのではないのか。   俺の有様を、さて、虹色に変へる油膜のやうな薄膜で 風呂敷包みのやうに包んでみるかと俺自身、独り遊んでみるのであるが、 それはまるで影踏みのやうな自己満足の恍惚しか齎さないのは承知の上で、 自己陶酔する俺といへば目眩みたいなのだ。Read More油膜のやうに

惚けてしまった哀しみの

惚けてしまった哀しみの   惚けてしまった哀しみの 茶色い色はすっかり褪せて、 柿渋のやうな衣魚が残りました。   ――どうして私は と思ふ以前にすっかり草臥れ果ててゐたのです。 それでもやっぱり哀しいと言ふ感情は幽かに蠢いてゐて、 私は無言で涙を流すのでした。   惚けてしまった哀しみは 私の心を蔽ひ尽くしてみたはいいが、 鋭き刃物で剔抉された私の心からは どろりとした哀しみが腐臭を発して流れ出たのです。   それは眼球を抉り取られるに等しい苦悶をもって 眼窩のやうな穴が心に開いたのでした。   さうして、既にどろりと溶けてしまった私の脳味噌は その眼窩からちょろりと流れ出て、 まったく死靈と化してしまってゐたのです。   生きる屍は 此の世の多数派に違ひなく、 誰もが既に鰯の目玉のやうな目つきをしながら、 己を食らふ奴の目玉を睨み付けてゐる筈なのです。   まだしも、食はれるだけでも死んだものは幸せなのでせうか。 既に腐った吾は食ふには最早適さずに、Read More惚けてしまった哀しみの

哀しいと言った奴が

> 哀しいと言った奴が   それは何とも不思議な事であった。 確かに哀しいと言った奴がゐて 俺はそちらに面を向けると そいつは既に姿を消してゐた。 ところが、哀しいと言った奴は 姿は隠したが、絶えず声を発してゐて、 俺を弾劾するのであった。   何をして俺は弾劾されねばならなぬかと言ふと 俺がそもそも此の世に存在することが罪だと言ふのだ。 そんな事を言ったならば、 俺以外も同じではないかと思ふのだが、 そいつに言はせると 存在が哀しいと思へぬ者は全て弾劾されるべきものであったと言ふのだ。   確かに哀しいと言った奴がゐて、 そいつの警告を解からぬ馬鹿な俺は、 怖いもの知らずで、俺の存在は、と胸を張り、 さうして墓穴を掘るのだ。   何の事はない、 俺はこれまで一度でも俺の存在に対して胸を張った事はなく、 むしろ、俺は穴があったら入りたいといふ姿勢で これまで卑屈にも生きてきたのではないか。   そいつにすれば、俺のその卑屈さが気に入らなかったのだ。  Read More哀しいと言った奴が

薄明の中の闇

薄明の中の闇   其処に開けた闇へ至る道に 立てる脚を持ってゐるならば、 しっかと両の脚で立ち給へ。   もしそれも出来ないといふのであれば、 匍匐してでも薄明の中でその重たき体躯を引き摺ることだ。 さうして漸く目指すべき闇が開けるに違ひない   なにゆゑに今更闇なのかと問ふ奴には ただ、かっと目を見開き睥睨すればよい。 それが唯一のお前の答へるべき姿勢なのだ。   そして、闇に至れば、闇を愛でるがよい。 しかし、此の世に存在しちまったものに 闇に至るべき術はないのだ。   夢のまた夢、それが闇なのだ。 それに気付いてしまったならば、ただ、黙って瞼を閉ぢて 闇紛ひの贋作の闇に戯れる事だ。 さうして、お前に何かが生じれば、 それを以てして お前はこの世知辛い此の世で生を繋げる筈だ。   ふうっと一息吐いて そうして、胸、否、肚一杯に息を吸って 頭蓋内を攪拌してみる事だ。   其処には必ず異形の吾が棲んでゐてRead More薄明の中の闇

撲殺 二

撲殺 二   更に一つのものが有無を言はせずに撲殺されたのだった。 なにゆゑにそれは撲殺されねばならなかったのか、 何ものもその理由を知らず、 さうして、それもまた、撲殺されたのだった。   それは、既に人たる事を已めて、 物になりたく 只管に自虐の渦に敢へて吾を呑み込ませてみたのだが、 何とした事か、それは人たる事を已められず、 人である恥辱をぢっと噛み締めてゐたのだ。   ――人である事は恥辱かね。 と、それには数多の愚問が投げかけられたが、 はっきりと言へる事は、 人は人である事で既に恥辱なのだ。   ――馬鹿を言へ。   何ものも自己である事を已められぬといふギリシャ悲劇の主人公のやうに 既に定められた悲劇の運命を実直に生きねばならぬとしたならば、 誰がこの生を生きられやようか   ――嗤はないで呉れないか。 己は悲劇の主人公とはいっちゃゐないぜ。 運命を、苟(いやしく)も吾は知り得ぬのであれば、 さて、そもそも運命とは何ぞや。 それ以前に運命は存在するのかね。  Read More撲殺 二

揺れちゃった

揺れちゃった   浅川マキの歌が脳裡に流れる中、 仄かに揺らぐ吾の在所に 吾既に蛻(もぬけ)の殻   「揺れちゃった」といふ歌詞に 吾もまた揺れちゃったのだ。 陽炎が揺らぐやうに 吾から飛翔する吾の「本質」は また、本質であることをはたと已めて 吾手探りで吾を求める さう、既に吾盲人   何処に消えしか その吾は果たして吾と呼べる代物か   「はっ」と自嘲の嗤ひを吐き捨てるやうに 天に唾するこの吾は 不意にさやうならを言ふのであった   「バイバイ」   さういって此の世を去ったものに対して 吾は吾と何時迄言へるのか そんなもの捨てちまへ、と君は言ふが 吾は吾なるものをどうしても捨てられぬのだ   さうして死後もこの世を彷徨ふか それが吾の運命ならばRead More揺れちゃった

嗤ふ死神

嗤ふ死神   そいつは不意に現はれて生を根こそぎ攫ってゆく。 その現実を前にして現存在は為す術もなく ただ、死神の思ふがのままに、 不意に生を断念させられし。   恨めしき死者たちは此の世を彷徨ひ、 生から幽体離脱した死の状況を呑み込めぬままに この激変した現実を全的に受け入れる苦痛を味はひ尽くすのだ。 さうして、死者は初めて、己が死んだことを認識し、 己が肉体とさやうならをするのだ。   この後、ブレイクの銅版画絵のやうに死者は肉体から離れ、 吾が死を悲しみをもって眺めるのか。   それはしかし、残酷極まりないことでしかなく、 生き残ってしまったものにとっては いつまでも宙ぶらりんの現実のまま 現実は止揚されるのだ。   死神の何食はぬ顔で大鉈を揮ひ、 生を根こそぎ奪っていくその刈り取りの様は、 全く慣れたもので感嘆の声を挙げるしかない。   「ふっ」、逃げ惑ふ人間に対して容赦なく生の灯を吹き消すべく、 死神は大鉈を揮ふたびに大風を巻き起こす。   「あっは」とまるで濁流の流れに呑み込まれたやうに 吾はやっとの思ひで息継ぎをし、Read More嗤ふ死神

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