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断念といふ狂気

日常を断念するといふ無益な事に執着する私は、
既にそれは狂気の人と呼ぶべきものなのだらう。
さて、そもそも日常を断念するとは何を意味するのだらうかといふと、
幸せを求める事を断念する事であり、
それは敢へて己から進んで闇の中を灯火なしに歩く事を意味する。
一方で、光を当てられたものは、
羞じらひから穴があったら入りたいといふ程に
その羞じらひは凄まじく、
存在の尻尾を摑まれたかのやうに身を縮込ませる。


私はそれが堪へられぬのだ。
光の下、醜悪な姿態を晒すなどといふ恥辱は、
それこそ断念するしかないのだ。
何事に対しても断念する強靱さを
私は身に付けたいところだが、
まだまだ未熟な私はその境地には程遠いとはいへ、
それが此の狂った日常を生き抜く唯一の道なのだ。
さういふ経緯で私は断念するに至った。


私が恥辱を何の不満もいはずに噛み締めるから
それを他人はMasochistic(マゾヒスティック)な狂った人と呼ぶが、
私としては狂人で結構。
そもそも狂気なくして此の不合理な日常を
生き抜く事は不可能で、
その不可能は狂気を以てしてではなくては
ぶち破る事は出来ぬのだ。
それしか此の不合理な日常を生き抜く術などあらうか。
現在に存在するとは、
狂気なくしては存在する事は不可能を意味してゐて、
現在とは狂気が犇めく不合理な世界なのだ。
だから、私は日常を断念し、
狂気を手にして
此の不合理な日常を生き抜くのだ。
とはいへ、一度狂人と化すと
もう後には退けぬ。
その覚悟がなければ、
断念などそもそも出来ぬ相談だ。

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