死を前にして 胸の奥底が飛び出すやうに どす黒い咳をするお前は、 もうすぐ死の床につく。 だからといって日常は日常のまま、のたりと過ぎて、 お前の風前の灯火の命は今にも燃え尽きさう。 既に死相が浮かんでゐるお前の顔を見るのが辛くて、 もう正視は出来ぬお前の可愛い顔の二つの眼窩にぎらぎらと輝く目玉は、 一方的に俺の顔を凝視してゐる。 さうしてお前は可愛い顔で哀しく泣く。 それにもう応へられぬ俺の心持ちは、 己の死に対しては全く恐怖も未練もないのだが、 俺が愛した存在が死ぬといふことに対しては何と脆弱なものなのか。 さう哀しい声で泣くな。 お前もまた既に肚は決まってゐて、 唯、俺と別れる哀しみに泣いてゐるのだらうが、 夕闇に消えゆくお前の姿が、 お前の来し方を全的に甦へらせ、 それをして行く末を予兆してゐる。 何がこんなに哀しいのだらう。 一つの命が此の世から消えるといふことは 究極的には唯の化学反応の帰結に過ぎぬかも知れぬが、 いくら《念》が未来永劫に残ると看做してゐても 肉体が消えゆくその愛する存在が恋しくて 俺は泣く。 Read More死を前にして
朝
朝 余りに鮮やかな朝日に対して吾が心は未だに艱難辛苦のままにある。 何にそんなに囚はれてゐるかと問へば、返ってくる自問自答の声は、 ――……。 と黙したままなのだ。 何に対しても不満はない筈なのだが、 己の存在の居心地の悪さといったらありゃしない。 こんな凡庸な、余りに凡庸な不快に対して やり場がないのだ。 何に対してもこの憤懣は鬱勃と吾が心に沸き立ち 存在すればするほどに吾は般若の面を纏ひ始めるに違ひない。 ――シシュポスに対しても同じことが言へるかね? ――シシュポスこそが最も安寧の中にある快感を味はひ尽くしてゐる筈である。 ――どうして? ――何故って、シシュポスはすべきことがしっかと定められてゐるからね。それは労役としては辛いかもしれぬが、心は晴れやかに違ひないのだ。労役が課された存在といふものは、何であれ、心は軽やかにあり得るものなのだ。 ――それって、皮肉かね? ――いや、皮肉を言ふほどに私は弁が立たぬ。 ――そこまで言ふと、もう、嫌味だね。 ――シシュポスは労役を得ることで自由への闘争は断念してゐる。 ――何故断念と? ――自由を求めるなら、神からの業罰すら打擲しても構はぬ筈だが。 ――つまり、シシュポスは神に既に馴致された自由なき存在である。 ――だから? ――自尊の境地にシシュポスはある。 ――それって、自分の思ひやうでどうにでもなるといふだけのことじゃない? ――当然だらう? ――つまり、他は想像するしかないと言っているだけじゃないか! ――当然だらう? 外(ほか)に何がある?Read More朝
軛
軛 基督の十字架ではないが、 誰にとっても背負ふべき十字架のやうなものがある筈である。 それを今更言挙げしたところで、 それは基督に敵ふ筈もなく、 虚しいだけであるが、 私には十字架とともに軛があるのだ。 十字架は生きるためには誰もが背負ふべき存在のその証明でもあるが、 軛は、己で課さなければ先づ、負はなければならないといふことでもない。 軛は自ら進んで付けるものなのだ。 誰に指図されたといふことでなく、 自ら進んで軛を付ける。 さうせずにはをれぬ存在と言ふ貧乏籤を引くものは、 どうあっても軛を付けねば己の存在に我慢がならず、 軛を付けた途端にさういふ輩は落ち着く。 精神衛生的に軛は鎮静の効能があり、 また、軛があることで精神はとっても楽なのだ。 この倒錯した存在は大勢の人にとっては哀しむべき存在なのかも知れぬが、 軛を付けたものたちにとって、精神が楽なのは常識だと思ふ。 尤も、十字架とともに軛を付けた この倒錯した精神構造を持つに至った経緯にはHumorがあって、、 それが解らぬ輩にはその存在の皮肉も解らぬ筈で、 ここは、軛を付けた輩を軽く嗤ふくらゐの度量がなければ 世界がお前を嗤ふと言ふものだ。 さう、世界といへば 世界が科学にぶんどられたと哲学者が慌ててゐるという内容の本を読んだのだが、 確かに数学で記述される世界は既に哲学者が語る「世界」とはずれたものに違ひなく、Read More軛
紊乱
紊乱 秩序なき世界が想像できるとしたならば、 そいつは神をもまた創造できる造化に違ひない。 しかし、脳という構造をした頭蓋内の闇たる《五蘊場》の記憶は、 しかし、自在に過去と現在をつなぎ合はせ、 また、近い将来を予想することで過去の記憶を持ち出し、 つまり、《五蘊場》では因果律は既に紊乱してゐる。 いくつもの記憶の糸が輻輳し、または離散を繰り返しながら、 現在とは違ふ《五蘊場》のみで辻褄が合ふ表象による世界が生み出される。 その現実と《五蘊場》内に表象された世界の齟齬に苦虫を噛み潰すやうにして、 私はその狭間を行ったり来たりしながら揺れ続け、 さうして現在を測鉛してゐるのかも知れぬ。 現在を測ると言ふ無謀な思考実験を試みて、 さうして現実を見誤る誤謬をして、 それが現実だと何の根拠もない空元気のみで主張するしかない。 しかし、現在に取り残されるばかりの私は、 更に《五蘊場》を弄りながら現実らしい表象を現実に見立て、 尚も現実を敢へて誤謬するのだ。 それは言ふなれば態(わざ)とさうしてゐて、 私は何時までも現実を見たくなく、逃亡してゐるに過ぎぬ。 そして、そんなお遊戯をしてゐるうちに現実は渾沌に身を委ね、 現実はふんわりと私の思索の上をゆき、 想像以上のことがいつも現実では起こり得、 それにどんでん返しを喰らひ、それに面食らひつつも 私は「へっへっ」と力なく嗤ひ、 空を見上げる。 そして、蒼穹には何処かぬらりとした感触のものがRead More紊乱
貧民どもへの哀歌
貧民どもへの哀歌 これは既に何年も前に予測されてゐたことに過ぎず、 このことに対して何の感慨もないのであるが、 貧民の私は勝ち負けで言えば完全に負け組なのだらう。 それでもドストエフスキイが『悪霊』で既に見抜いてゐたものは、 革命の欺瞞と大いなる空虚さと机上の空論性であったが、 中でもスタヴローギンの自死は己が善悪の審判者に、つまりは神になった如くに 過去に行った悪行に圧し潰されるやうに縊死した。 現代の実相はといへば、 最早、Paradigm変換なくしては存立不能な域に達し、 どうあっても貧民の革命なくしてはその状況は変はる筈もなく、 革命こそが現代の貧民に課された使命といへる。 ――革命? 馬鹿らしい! などといふ言葉を吐くものは、既にこの階級格差社会を全的に肯定して受忍してゐる。 しかし、そんな奴に社会を任せる訳にはゆかぬ所まで、 その格差は固定化してゐるのが事実である。 数多の貧民どもは、僅少の大富豪に雇はれてほくほく顔をしてゐるならば、 それは大富豪どもの思ふ壺で、 大富豪どもをその地位から引き摺り下ろさなければ、 貧民どもの怨嗟は消えぬ。 現状に満足してゐる貧民どもは、既に貧民として馴致されてゐて、 直に人工知能にその地位を奪はれることは規定の事実である。 大富豪どもにとって貧民は一人消えようが全く心が痛むことはなく、 大富豪どもにとって貧民とはいくら搾取しようが構はぬ 使ひ捨ての馬鹿者でしかない。 さあ、今こそ、真の革命の勝ち鬨を上げる時なのだ。Read More貧民どもへの哀歌
断念
断念 何事に対しても既に断念する癖が付いてゐる私は、 決して偶然なる事を受け容れる事は不可能なのだ。 偶然に死すなどと言ふ事は断じて受け容れられぬ。 何もかもが必然でなければ、私は現実と言ふ荒ぶるものを受け容れられず、 さうであればこそ、私は断念した。 何に断念したのかといふとそれは私といふ存在についてであり、 私が既に存在すると言ふ事は最早偶然ではなく、徹頭徹尾必然に帰す。 例へば偶然の必然と言ふ言ひぶりは、何をか況やなのである。 偶然であることが必然であると言ふ規定の仕方は、 成程、それはその通りだらうが、 現存在の感情としてはそんな言ひぶりでは決して私を受け容れられぬ。 受け容れられぬから私は断念をした。 偶然である事はこの人生において 不合理でしかなく、 それを受け容れるには、偶然であることを断念し、 全ての出来事、若しくは現実は必然と看做して 辛くも己の存在を受容する。 さうでなくして、吾はどうして此の不合理極まりない現実を受け容れればいいのか。 「ちぇっ、不合理と言っているではないか」と半畳が飛んで来さうであるが、 不合理である事も含めて私は現実を断念してゐる。 ――何を偉さうに! と私は私に対して自嘲してみるのであるが、 さう自嘲したところで、私は既に私に対して断念してゐる。 断念しなければ、現実を受容出来ぬ私は、Read More断念
寄生虫
寄生虫 宿主を殺す寄生虫の存在とは自死を望むものになんと似てゐることか。 殆どの寄生虫は宿主を殺さずに宿主の内部で生を満喫してゐる筈だ。 ところが、そんな寄生虫の中で、自らの存在があることで 宿主を殺すのを目的としてゐるものが 何故にか存在し、そして、宿主の死とともに自らも死ぬそれらの寄生虫は、 何をして宿主を、そして自らを死へと追ひやるのか。 寄生虫にとっての宇宙は宿主の体軀であり、 そこから食み出す時は、 唯、他の宿主を求めて媒介する生物により、 外宇宙へと飛び出すのであるが、 しかし、それもまた、寄生虫にとっては飽くまでも内宇宙のことでしかなく、 つまり、外宇宙に関してそもそも寄生虫は知り得ぬのだ。 認識外にある寄生虫における外宇宙とは、さて、何を指すのであらうか。 それは、現存在の想像でも思ひも付かぬ外宇宙に等しく、 寄生虫にとって宇宙とは宿主のことでしかなく、 それは既に全体が想像出来る存在であり、 それは現存在が宇宙の涯を想像するのによく似てゐる。 さて、何人の現存在が外宇宙を想像出来ようか。 そもそも宇宙が閉ぢたものでないと言ふ証左はなく、 とはいへ、此の宇宙が閉ぢたものであると言ふ証左もないのだ。 つまり、現存在は、此の宇宙における寄生虫であり、 芸術的に自然を破壊する現存在は、宿主を殺すべくある寄生虫にそっくりなのだ。 果たせる哉、予定調和の如く自らが生活する環境を 何の躊躇ひもなく変へてしまふ現存在たる此の寄生虫は、 自らの大量死の死屍累累とした様を見るかのやうにRead More寄生虫
独断的存在論私論 二
独断的存在論私論 二 錐揉み状に此の世にばっくりと大口を開けたパスカルの深淵に落ち行く吾は、 果たせる哉、底無しの中を何時までも自由落下し、 それは何時しか浮遊感とも混濁し、 吾が果たして落ちてゐるのか浮遊してゐるか最早己では解らなくなってゐる。 この曖昧な感覚に不快を覚える吾は、 徹底的に落下の感覚を意識するのであるが、 しかし、私の軀体はどうあっても浮遊してゐると内臓から感じるのだ。 自由落下が浮遊感を齎すのは、しかしながら、余りに自然な事で 自由落下してゐる吾は、その錯覚を真実と看做してしまひ、 真実を目隠しする。 しかし、その錯覚してゐる事こそが真実であり、 己の感覚に反する事を意識し、それをして認識とするのは吾には 余りにも酷と言ふものだらう。 認識といふものは、そもそも曖昧で、錯覚塗(まみ)れのものでしかない。 錯覚を錯覚と指摘したところで、 それが錯覚だと思ひなすには吾は余りにも未完成なのだ。 そして、未完成故に時間は流れる。 時間が流れるものならば、 その時間には固有時といふ小さな小さな小さなカルマン渦が生じる。 未完成が完璧を欣求する事で時間の大河は流れざるを得ず、 固有時のカルマン渦の寿命は現存在の寿命にぴたりと重なる。 世界が完璧を欣求することを諸行無常とする吾は、 森羅万象が欣求するものこそ、 詰まる所、悦楽の死んだ世界なのかもしれぬとも思ふのだ。 死の周りをぐるぐる回る吾の思考癖は止まるところを知らず、Read More独断的存在論私論 二
矛盾は豊潤
矛盾は豊潤 此の世は不合理故に矛盾は豊潤であり、 矛盾の棲処である渾沌を呑み込むべき存在として吾はある。 そもそも吾の存在を合理的と看做してゐる誤謬の徒は 最早その存在根拠を見失ひ、右往左往してゐるのが実情ではないのか。 渾沌を敢へて呑み込む不快を吾は堪へなくして、 誰が此の世界を支へるといふのか。 既にアトラスは消滅してからいったい何年経つことか。 既に玄武が此の世から消滅して何年経つことか。 既に神話の世界が、つまり、黄金時代が幕を閉ぢてしまったこの時代で、 敢へて生きてゆくには、世界はどうあっても己の双肩で支へるしかないのだ。 そんな過酷な状況を知ってか知らずか、 現存在は、相変はらず旧態依然の考へ方をしてゐて、其処に新しい発想の芽生えはない。 唯、世界が電脳化されゆくので、それに対応するので精一杯なのだ。 其処に夥しい矛盾が横たはってゐるのであるが、 その矛盾に真正面からぶつかる勇士は未だ出現せず。 嗚呼と、嘆くことは誰にでも出来るのであるが、 誰も矛盾に豊潤なものを見出す真正直な輩は、 いったい此の世に現はれることが可能なのか。 矛盾にこそ不合理である世界の根拠が隠されてゐて、 矛盾を取り上げない論理の浅はかさは、 言はずもがなであるが、 矛盾を無視する言説にはもううんざりなのだ。Read More矛盾は豊潤
潰滅
潰滅 在るものが静かに潰滅しゆく様は、 なんと自然な様なのだらうか。 しかし、此の自然といふ言葉が曲者で、 果たして人智で自然そのものを捉へられるとでも 哀れな人類は考へてゐるのだらうか。 そもそも人智を超へてゐるから自然としか表現出来ぬのであり、 仮令、此の世界を理解し得ても、 自然は自然として何の存在にも無関係に存在し、 そのゆらぎの中でのみ、生物は存在するに違ひない。 潰滅しゆくもの達の怨嗟をも受け容れる此の自然は、 また、誕生の産声も受け容れて、 生滅の両睨みと言ふ神業を難なくやり遂げる此の自然に対して、 現存在は、その慈悲に縋り付くしかないのだ。 何のことはない、 自然がほんの一寸でも荒ぶれば、 人間なんぞひとたまりもなく潰滅し、 さうして現はれた廃墟をも呑み込み、 自然は廃墟を次第に自然に同化しつつ、 最後は自然に帰すると言ふ循環する論理は、 人間の最も嫌ふ論理形式であるが、 しかし、事、自然を相手にするときは、 どうあっても循環論法に陥るしかないのだ。 そして、人間もまた自然ならば、 論理的といふのは先験的に循環論法を指すのであって、 止揚したと見えても、それは一時的な論理の逃避行でしかなく、 ジンテーゼで何かしら語り得ても、Read More潰滅

