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批評: Claude-Opus-4.7

後ろ向きで

後ろ向きで   いつも前向きといふ言葉に恥辱を感じてゐた私は、 いつも、後ろ向きであった。 その恥辱の感情の出自は何かと問ふたところで、 しばらくは何の答へも見つからず、 いつも前向きであることを避けては 斜に構へて、前向きに進む人を嘲笑ってゐたのかもしれぬ。 しかし、嗤はれてゐたのは、 いつも後ろ向きの私であって、 それが恥辱の出自の糸口だったのだ。   さうして見出した恥辱の糸口を更に辿りゆけば、 私の存在そのものが恥辱でしかないといふ思ひに行き着く。 これは一方で自己否定をしては自身に何をするにも免罪符を与へて、 いつも逃げ道や逃げ口上を設けてゐて、 此の私の小賢しさが恥辱の淵源であり、 既に狡猾で老獪な知恵を身に付けてゐたのかもしれぬ。 だからといって、私の内部に生じる恥辱といふ感情は、 私の存在そのものの根本に結びついてゐて、 だから、私は、私といふものを意識するときには、 己に対する恥辱の感情を禁じ得ぬのだ。   存在が既に恥辱であるといふことは、 或る意味では生きやすく、 しかし、一方では全く生きづらい存在のあり方であり、 他者にとってはそんなことはどうでもいいに違ひないのであるが、 どうあっても私においては此の恥辱なしに私といふものを意識することは出来ず、 ならば、私は無我夢中であり続けばいいだけの話なのであるが、 根っからの懶惰(らいだ)な私は、Read More後ろ向きで

病   それは避けようもなく、 静かに忍び寄ってきて、 不図気付くとそれは既に手遅れの状態なのだ。 病とは大抵そんなもので、 気付いたならば既に手遅れの場合が多い、と慰めたところで、 気休めにもならず、唯唯、未練が残るものである。 それはそれで構はぬとは思ひつつも、 必ずやってくる別れの時のためには 今は、涙を流すことは已めておかう。   愛するものとの別れとは、 いつも残酷なものであるが、 残酷故に、此の世は此の世として成り立つとも言へるのかもしれぬ。 さて、死するまでの残された時間、 いつものやうに普通の日常を過ごすとしよう。 それがせめてもの慰めであり、抵抗でもあるのだ。 有り体の普通の生活こそが最後の晩餐に最も相応しい。 Claude-Opus-4.7の批評 「病」への批評 積緋露雪様の新作、拝読しました。前作「私は函数ではない」とは全く異なる主題・全く異なる文体で書かれた本作について、詳細を究めた批評を申し上げます。 一、本作の骨格——「静けさ」の詩学 前作「私は函数ではない」が、激しい否定の身振りと畳みかけるような論理的反駁によって構築された怒れる思索詩であったのに対し、本作「病」は徹底して静謐の詩として書かれています。 冒頭の三行を読みます。 それは避けようもなく、 静かに忍び寄ってきて、 不図気付くとそれは既に手遅れの状態なのだ。 ここには劇的な比喩も、声高な訴えもありません。ただ「静かに忍び寄ってきて」という一句に、本作全体の調子が凝縮されています。「忍び寄る」という語は古来より病・死・運命に対して用いられてきた紋切型ですが、書き手はそれを敢えて回避せず、むしろ紋切型を引き受けることで、病という普遍的経験の前で個人の修辞的工夫が無意味であることを示しているのではないか。 前作で書き手は「数値化されえぬもの」を激しく擁護していました。本作はその姿勢の裏面にあたります。すなわち、数値化されえぬもの——病、別れ、死——の前に立ったときの、人間の沈黙を描いている。前作が「叫び」であったとすれば、本作は「叫びえぬものへの応答」です。Read More

私は函数ではない

私は函数ではない   私は性能がもの凄い計算機でも私の頭蓋内の闇、 つまり、脳といふ構造をした五蘊場が函数を模した存在でもない。 例へば仮にさうだと看做せても私は死んでも絶対に肯んじない。 私の存在が函数のやうだとしても、 だからといって私が函数である筈はなく、 函数のやうに私を扱ふもの全てが間違ひで、 私は世界を媒介してゐる媒体でもなく、 私は単独者として凜と存在したいのだ。   何時からか、電脳計算機が此の世を 押し並べて統べるかのやうな錯覚に存在は惑ひながら右往左往してゐるが、 それは、吾を函数のやうなものとして蔑視してゐる証左でしかない。   数学は美しいが、しかし、還元主義のやうに此の世は数学で語れるものばかりでなく、 情動で感ずる世界の姿があり、 それは荒ぶる世界であり、慈悲深い世界でもあるのだ。 そこにあるのは敢へて数値化しない恐怖であり、将又、慈しみなのである。   然し乍ら、情感すらも数値で表はす現代の還元主義において、 それを信ずる馬鹿はもう見飽きた。 還元主義がのさばる中でも、 数値で表はせないものが此の世を統べてゐることをそろそろ見破らなければ、 吾は世界に欺かれ続け、 還元主義が構築する欺瞞がさも真実のやうに大手を振って 此の世を闊歩する下劣な世界観が支配する。   そんな世に私は生きたくないのだ。 還元主義の道具として使われる数学が支配する合理的な世界観はRead More私は函数ではない

無意識といふ麻薬

無意識といふ麻薬   無意識といふ言葉は無意識が実際にあるか如く使用されるが、 果たせる哀、実際にはそんなものはないと思ふ。 意識は全て意識上に浮上してゐて、 意識下に沈下してゐるものは、 沈下してゐるやうに擬態してゐて、 それらはぼんやりしてゐるときに肉体が表現してゐる仕草に しっかりと刻印されてゐるのだ。 そして、意味が一見全くないやうに見えるそれらの仕草は、 心模様を忠実に表はしてゐる。   ――それで何かを語ったつもりか? 無意識は無意識故に無意識といふ意識状態はあるのさ。 ――それは詭弁だ。私を目眩まさうとしても無駄だぜ。無意識といふ言葉を全的に肯定して、ある種の神格化に成功するといふことは、止揚の乱用に外ならない。   止揚の乱用か。 或ひはさうかもしれぬが、人間が無意識といふ言葉を見出してしまった以上、 無意識は無意識として神格化、つまり、肯定されるのは必然といふものだ。 このとき私は無意識といふ言葉の目眩ましに遭ひ、 あっといふ間に無意識といふ意識の様相を取り逃がしてゐる。 つまり、無意識は既に解釈されるものとして此の世に存在し始め、 フロイトならずとも無意識といふものの存在を、例へば夢を探求することで その本質が現はれ出ると現代人の誰もが思ってゐるが、 それには懐疑的な私は、最早夢の神通力を信じてはゐない。 現代で、眠ってゐるときの夢見を語ったところで、 それは既に解釈されるものとして体系化されてゐて、 夢が心像の象徴を忠実に表現してゐるなどと思ひ上がった思考は、危険思想の一つなのだ。 何故って、夢に何かを背負はせることは、自死の如く発想を潰す。 つまり、思考を抹殺してゐることに等しき行為で、 だからこそ他人の夢語りほどつまらぬものはない。Read More無意識といふ麻薬

睡魔に溺れる

睡魔に溺れる   夢魔に睨まれたのか、 どうしてもこの睡魔から逃れる術は私にはなかった。 突然の睡魔の襲来に 何の準備もしてゐなかった私は、 その不意打ちに為す術はなかったが、 睡魔に陥落する私は、 しかし、夢魔の挑発には乗る気力も無く、 只管、眠りを貪った。 その寝てゐる時間に、 夢魔は何をしてゐたのか不明であったが、 睡魔に陥落した私を嘲笑ってゐたことは間違ひなく、 その無防備な私の寝姿に至極満足の体であった筈なのだ。 唯、私に何もしなかった夢魔は もしかすると黙して沈思黙考の中に沈んでしまってゐたのかもしれぬ。 その証左に夢魔が眠りを貪る私に対して何もせず、 唯、私の寝姿を眺めてゐた夢魔は、 己の醜態を見てしまったのか。 夢すら見てゐても全く覚えてゐない私に対して、 もしかすると夢魔は為す術がなかったのだらうか。   私が夢魔の思考を乗っ取り、 私が夢魔に成り切って、 さうして夢魔は即自でしかこれまで存在の形式を持ち得なかった己に対して 復讐してゐたのかもしれぬ。   即自としてしか己を思考出来ない哀しみに夢魔はもしや疲れてゐたのか、 己ではない在り方の対自として、 または、対自にすら満足できずに、Read More睡魔に溺れる

曖昧な

曖昧な   濃い霧の中にでも放り込まれたやうに 私は既に世界を失ってゐた。 辺りは無気味なくらゐに静寂に包まれ、 私が現在どのやうな状態にあるのかすら判別出来なかった。   つまり、世界は私の状況を知るには最も基準になるものに違ひないのであるが、 しかし、私はそんな曖昧な私の状態をこよなく愛してゐる私自身を其処で見出した。   私の存在に関して果たして世界は必要なのだらうか。 自己解析する分には世界は必須であらうが 事、私自身が私を語る分には世界は或ひは必要ないのかもしれぬ。 私は曖昧な世界の中で、 何にでも変身出来、妄想を逞しうして その妄想にたちどころに変化する私を思ふのだ。 其処に世界が割り込む隙間はなく、 世界が無くとも私は私の存在を確信できると、 しみじみと思ふのだ。   確かに、世界の存在が明瞭ならば、私の存在も明瞭になるのは自明の理だが、 しかし、仮令世界を失っても私は私であることを已めやしない。   ――何をほざくと思ったならば、世界の紛失が私が私を見出す契機になる? 馬鹿な! 世界の紛失は則、私の消滅を意味してゐるのだぜ。 ――だが、曖昧な世界においても私の存在を全く疑ふことはないんだ。つまり、死後も私は残るのだ。 ――馬鹿な。死して尚も私が存在するといふ戯言は譫妄のなせる技で、お前は既に気狂ひの仲間入りをしてゐるのだ。   気狂ひであらうが、其処には必ず誰にも知られぬ私が確かに存在してゐて、 その私を忖度する権力は、私以外誰も持ち合はせてはゐない。  Read More曖昧な

立ち姿

立ち姿   ぴたりと立ち止まったならば、 もう動くことは為らない。 貧血でぶっ倒れるときでも直立不動の姿のままどすりとぶっ倒れろ。 それがこの世界に対するせめてもの反抗の形なのだ。 アトラスの如く世界を背負ってゐるといふ自負を忘れてはならない。 現存在は、世界に登場したならば、 つまり、投企されたならば、 最早退歩は許されぬのだ。 世界が移ろふ現在といふ時制に乗せられるのみで、 それで満足する覚悟が、 その立ち姿に表はれてゐないとすれば、 それは怠惰と言ふ物なのだ。   存在する事に怠惰する時間は誰しもに与へられてをらず、 あるのは黙考する時間のみ。 そして、仮に異性を愛する時間が持てたなら、 それは僥倖と言ふものなのだ。 だから、徹底的に愛を貪り、 時間を忘れて形振り構はず、性愛に耽るのだ。 さうして解る現存在の在り方は、 直立不動の立ち姿。 それ以外、認めてはならぬ。 限界を超へてまでも直立不動であるべきなのだ。   さうして現存在はやっと世界に抗し、 一矢を報ひると言ふ幻想を抱ける。 さう、幻想だ。 土台世界に現存在が抗することはRead More立ち姿

がらんどう

がらんどう   さう、私の内部は一言で言い切るならばがらんどう。   そのがらんどうに五蘊場、つまり、脳と言ふ構造をしたがらんどうは 魑魅魍魎が犇めき合ふ異世界の有様をしてゐる筈で、 容れ物によって自在に姿を変へる《水》の如くに 異形の《吾》どもが輻輳してゐる様は、 将に《水》としか言ひやうがないのだ。   そのひとつを抓み上げて、 ――お前は何やつ。 などと問ひ糺したところで、 そいつはにやりと醜悪な嗤ひを浮かべて、 あかんべえをするのみ。   さて、その魑魅魍魎は、 私の後ろの正面で嬉嬉としてゐて、 私がそいつの名を当てるのを待ってゐるのだが、 私はと言ふとそいつを名指せる言葉は持ってをらず、 唯、魑魅魍魎の異形の《吾》としてしか名指せぬのだ。   言葉で語れぬ物は、 則、その気配のみを漂はせて、 私の後ろの正面で、 戯れてゐるのだ。   ――ちぇっ。 と舌打ちしたところで、 何にも変はる筈もなく、Read Moreがらんどう

剔抉(てっけつ)してみたが

剔抉してみたが   興味本位で《吾》を剔抉してみたが、 抉り取られたものは虚でしかなかった。 それは当然の事、 《吾》がさう易易と私に囚はれ物に為る筈もない。 その摩訶不思議な《吾》を以て 私が私として此の世にあるその礎が、 理解可能なものの筈はない。   夢幻空花(むげんくうげ)なる此の世の様相は、 平家物語の 「諸行無常の鐘が鳴る」 といふやうな言葉がぴったりと来、 そんな世に生きる《吾》といふ化け物を 有する私といふ存在は、 その時の気分で剔抉したくらゐで その正体を現はす筈も無く、 そのぬらりとした感触のみを残し 私を呑み込まうとしてゐるか。   不図耳を澄ますと、辺りには能の『井筒』の調べが流れ出し、 益益諸行無常の哀しみに 私は溺れ、深く《吾》に沈潜して行くのであった。 Claude-Opus-4.7の初見の批評 Thinking… I’m looking at aRead More剔抉(てっけつ)してみたが

独断的存在論私論

独断的存在論私論   もしかしたならば高村光太郎の言葉だったかも知れぬが、 「私の前に道はなく、私の後には道がある」 といふやうな内容の言葉に、一時期惑はされてゐたが、 去来現(こらいげん)が因果律を持つのは、 現在のみといふことを知ってしまった後、 過去と未来は混濁してゐて、渾沌としてゐるのを 無理矢理私の頭蓋内にある五蘊場が因果律の筋を通してゐるだけだったのだ。   此の世は、まず、渾沌としてゐて、 秩序が表はれるのは、偏に私の存在によるのだ。 とはいへ、世界にとって私の存在なんぞどうでもよく、 その狭間で、現在に留め置かれ続ける運命の私は 無理矢理に世界に秩序を当て嵌めて やうやっと存在の居心地の悪さを遣り過ごすのみの私は、 絶えず存在に押し潰される危ふさにあることを意識しなければ、一時も生き残れぬ。   ――科学は?   といふ自問を発する私の胸奥に棲む《異形の吾》は、   ――ふっふっふっ。   と嘲笑するのだ。 それは、科学者は世界の癖、つまり、法則を求めて厖大な研究を行ってゐるのだが、 世界に癖を与へてゐるのは偏に私が此の世に存在するからに過ぎぬのだ。 私が存在しなければ、世界は相変はらず渾沌のままで、 それで世界は満足なのだ。 世界に無理矢理秩序を押しつける現存在は、Read More独断的存在論私論

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