目玉模様 私の掌には手相としてなのか目玉模様が数多く刻まれてゐて、 それを見てしまふと、ぢっと凝視してしまふであった。 或る日、何時ものやうに掌の目玉模様に見入ってゐると、 その目玉模様がぎろりと私を見て、 何やら発話してゐたのである。 しかし、私の耳は、きいんと耳鳴りがするばかりで、 その目玉模様が呟いてゐる内容を聞き取れず、 唯、想像する外なかったのである。 例へば、かうである。 ――お前が俺である証左は何かね? と、訊いてゐたに違ひないのである。 しかしながら、そんな下らぬ問ひに答へる義理立ては私には全くなく、 唯、その掌の目玉模様が手相としてあるのであれば、 占ひの観点から見ると、それは悪相であり、 目玉模様がぎっしりと並んだ掌の手相を改めてまじまじと見る。 ――お前の未来は冥いぜ。 耳鳴りの中、そんな言葉が浮かぶ。 一方で、それは目玉のやうに見者としてあるべきであるといふ予兆なのかも知れぬ。 それは何事も凝視せずに入られぬ私の癖の表れであり、 既に幸福と言ふものを断念してゐる私には、 そんな手相がお似合ひなのだらう。 しかし、私は幻視好きなのかも知れぬと哄笑しながら、 高が手相に目玉模様がぎっしりとあるだけである。 さうして冥い未来を想像して已まない。Read More目玉模様
脱臼する言葉
脱臼する言葉 空が枯れ葉のやうに落ちてくる世界は、 それだけ既に朽ち果ててゐる心臓の様相だ。 搏動が止まった心臓は既に肉塊へと変化し、 それは石へと変容を始める。 石になった心臓は只管意思を封殺し、 唯、私は烏だと宣ふのだ。 烏は虹へと変貌しながら、 此の世は闇に包まれて、 Auroraが地面を這ふ。 蛇は空を飛び、龍の幼生となり、 天地は垂直線を地に突き刺し、それが林立する。 その垂直線に串刺しになった蛇は 背を裂かれ蒲焼きにされて、 何ものかの餌になり、 龍は一向に此の世に現はれぬのだ。 そこで蠅がぶうんと飛び立ち、 石となった心臓に止まり、 卵を産み付ける。 やがて蛆虫が石の心臓を食ひ潰し、 火山岩のやうに穴凹だらけなのだ。 それが再生の道程なのか、 忽然と兵士の傷口に無数の蛆虫が湧くやうに もぞもぞと白色が蠢き 蛆虫だらけの心臓は、Read More脱臼する言葉
漆黒の闇
漆黒の闇 電灯を消した部屋で瞼を閉ぢた途端に、 眼前は漆黒の闇に包まれ、 其処はもう魑魅魍魎の跋扈する世界へと変化する。 何かがぢっと蹲り、 動き出せる機会を窺ひながら、 そいつは己に対して憤懣が募るのだ。 それは、己が漆黒の闇の中で存在してしまふその不合理に対して、 自嘲し、哄笑し、ちぇっと舌打ちしても、 それを受容してゐる。 何と言ふ矛盾。 しかしながら、矛盾に豊穣の海を見るお前は、 やがてその重重しい頭を擡げて、 そいつは何ものにか既に変化を終へてゐるのだ。 漆黒の闇の中、最早魑魅魍魎しか存在しない夢の世界の如く、 お前は、お前を探すのだ。 ――世界はさて、お前のものかね。 と訊くものがその漆黒の闇には確かに存在し、 それは余りに人工的な声なのだ。 人類を追ひ抜くその人工的な声の主の存在は、 この漆黒の闇の中の魑魅魍魎の中に必ず存在するといふのか。 やがては人類よりも知的な存在が現れる。 その時、その異形にお前は吃驚する。Read More漆黒の闇
JAGATARAの屈折した曲に沈溺す
JAGATARAの屈折した曲に沈溺す何處までも何處までも吾が消ゆるまで Chaosなる世界にをる吾底へ底へと度を深め行く 夜も更けて衝迫のPurple Hazeとともに七轉八倒苦悶する吾が心 熱き鉄触れるが如きBLANKEY JET CITY聽き惚れ陶酔吾は何處 月天心點かぬLighterにOil差し貧しさ故の烟草喫む快樂 Claude-Opus-4.7の初見の批評 Thinking… I’m looking at five tanka poems the user has shared and need to provide detailed criticismRead MoreJAGATARAの屈折した曲に沈溺す
武骨な
武骨な桜の幹こそ吾が身の写し どす黒き欲望抱へ花曇 枯死匂ふ古木の桜鮮烈に 幹朽ちて尚も桜樹絢爛と 春宵の冥き道行き何処までも cluade-opus-4.7の評価 積緋露雪「武骨な桜の幹」連作五句詳論 全体構造の把握 提示された五句は、独立した俳句としても読めるが、五句連作として読むことで一つの精神的軌跡を描く構造を持っている。連作の主題は桜と自己の重ね合わせであり、より厳密には老境・衰滅と美の併存である。五句は以下のような展開を見せる。 第一句――自己と桜の幹の同一視の宣言。 第二句――その自己が抱える内的な暗黒の表出。 第三句――枯死を予感させる古木の、なお鮮烈な美。 第四句――幹の朽廃と花の絢爛の対比的併存。 第五句――春の宵の闇への旅立ち。 この展開は、自己宣言→内面告白→美の発見→対比の深化→闇への移行という五段階の精神的軌跡として読める。連作全体が一つの詩として機能しており、個々の句の評価と連作全体の評価を共に行う必要がある。 以下、各句を順に詳論する。 第一句――「武骨な桜の幹こそ吾が身の写し」 句の構造分析 この句は定型(五七五)から逸脱した破調である。「武骨な/桜の幹こそ/吾が身の写し」と区切ると、六・七・七となり、合計二十音で定型より三音多い。この破調をどう評価するか。 破調は俳句において必ずしも欠点ではない。むしろ、作者の感情の高ぶりや思想の重みを表現する手段として、伝統的に用いられてきた。本句の場合、「武骨な」という重い形容、「こそ」という強調の係助詞、「吾が身の写し」という重厚な断定――これらの意味的重量が、定型の枠を破って溢れ出すという構造になっている。破調は、句の内容との必然性によって正当化されている。 「武骨」という語の選択 「武骨」という語は、桜の幹を形容する語として極めて独特である。桜を讃える伝統的な語彙――「華やか」「艶やか」「妖艶」「可憐」など――のいずれとも異なる方向性を持つ。「武骨」は通常、洗練を欠いた荒削りな力強さを表現する語であり、人物の性格や器物の作りに用いられることが多い。これを桜の幹に適用することで、本句は桜の通念的イメージを大きく転倒させている。 ただし、この転倒は恣意的ではない。桜の花は確かに華やかで艶やかであるが、桜の幹は実際には黒く、節くれだち、ひび割れた、極めて荒々しい姿をしている。特に老木の幹は、ほとんど不気味なまでの異形を呈する。本句の「武骨」は、桜の実在の幹の質感を正確に捉えた語であり、通念的桜イメージを排して幹そのものの実相を見つめる眼差しから生まれている。 この幹への注視が本連作全体の出発点である。多くの桜の詩歌が花を主題とする中で、本句は幹を主題とすることを冒頭で宣言する。この宣言は、本連作が伝統的な桜の美学から距離を取り、独自の桜観を提示することを予告している。 「こそ」という係助詞の機能 「こそ」は強調の係助詞であり、「他ではなく、まさにこれ」という排他的指示を行う。「武骨な桜の幹こそ」と言うことで、作者は武骨な幹こそが自己の写しであり、他のもの(花、若木、別種の樹木など)ではないことを強調している。Read More武骨な
遠吠え
遠吠え 何に呼応してお前はさうして既にかすれた悲哀しか滲まぬ遠吠えをしてゐたのか。 真夜中に何ものに対してかそんな遠吠えしてゐたお前は、 きっと幽霊でも見ちまったに違ひない。 ゆらりゆらりと暗闇に揺れる幽霊は、 しかし、何とも可愛らしいぢゃないか。 幽霊がおどろおどろしいのは間違ってゐるやもしれぬ。 何故って、お前が遠吠えして呼んでゐたものが おどろおどろしい筈がないぢゃないか。 さうして幽霊を呼び寄せて、来世について感じ入ってゐたお前は、 しかし、死へと余りに近付き過ぎてゐて、 儚い命を燃やし尽くしてしまった。 遠い昔の先祖の血は抗へぬと、 さうして遠吠えしてゐたお前は、 闇夜に己の存在を主張してゐたといふのか。 そんな短絡的なことを一度もしたことがないお前が そのやうな直截的で薄っぺらなことをする訳はないとは思ひつつも、 遠吠えせずにはをれぬお前の焦燥は、 何とも可愛らしかった。 しかし、最早限りある命を終へようとしてゐたお前は、 此の世で尽きやうとしてゐた命を削る如き遠吠えをすることで 己の存在が幽霊でないといふことを確認していたのかも知れぬ。 生と死の狭間に行っちまったお前の遠吠えは、 何時までも俺の胸奥で響き渡り、Read More遠吠え
死を前にして
死を前にして 胸の奥底が飛び出すやうに どす黒い咳をするお前は、 もうすぐ死の床につく。 だからといって日常は日常のまま、のたりと過ぎて、 お前の風前の灯火の命は今にも燃え尽きさう。 既に死相が浮かんでゐるお前の顔を見るのが辛くて、 もう正視は出来ぬお前の可愛い顔の二つの眼窩にぎらぎらと輝く目玉は、 一方的に俺の顔を凝視してゐる。 さうしてお前は可愛い顔で哀しく泣く。 それにもう応へられぬ俺の心持ちは、 己の死に対しては全く恐怖も未練もないのだが、 俺が愛した存在が死ぬといふことに対しては何と脆弱なものなのか。 さう哀しい声で泣くな。 お前もまた既に肚は決まってゐて、 唯、俺と別れる哀しみに泣いてゐるのだらうが、 夕闇に消えゆくお前の姿が、 お前の来し方を全的に甦へらせ、 それをして行く末を予兆してゐる。 何がこんなに哀しいのだらう。 一つの命が此の世から消えるといふことは 究極的には唯の化学反応の帰結に過ぎぬかも知れぬが、 いくら《念》が未来永劫に残ると看做してゐても 肉体が消えゆくその愛する存在が恋しくて 俺は泣く。 Read More死を前にして
朝
朝 余りに鮮やかな朝日に対して吾が心は未だに艱難辛苦のままにある。 何にそんなに囚はれてゐるかと問へば、返ってくる自問自答の声は、 ――……。 と黙したままなのだ。 何に対しても不満はない筈なのだが、 己の存在の居心地の悪さといったらありゃしない。 こんな凡庸な、余りに凡庸な不快に対して やり場がないのだ。 何に対してもこの憤懣は鬱勃と吾が心に沸き立ち 存在すればするほどに吾は般若の面を纏ひ始めるに違ひない。 ――シシュポスに対しても同じことが言へるかね? ――シシュポスこそが最も安寧の中にある快感を味はひ尽くしてゐる筈である。 ――どうして? ――何故って、シシュポスはすべきことがしっかと定められてゐるからね。それは労役としては辛いかもしれぬが、心は晴れやかに違ひないのだ。労役が課された存在といふものは、何であれ、心は軽やかにあり得るものなのだ。 ――それって、皮肉かね? ――いや、皮肉を言ふほどに私は弁が立たぬ。 ――そこまで言ふと、もう、嫌味だね。 ――シシュポスは労役を得ることで自由への闘争は断念してゐる。 ――何故断念と? ――自由を求めるなら、神からの業罰すら打擲しても構はぬ筈だが。 ――つまり、シシュポスは神に既に馴致された自由なき存在である。 ――だから? ――自尊の境地にシシュポスはある。 ――それって、自分の思ひやうでどうにでもなるといふだけのことじゃない? ――当然だらう? ――つまり、他は想像するしかないと言っているだけじゃないか! ――当然だらう? 外(ほか)に何がある?Read More朝
人工知能について
人工知能について さて、膨大な量の情報に裏付けられた最善の現在を指し示すかのやうに見える人工知能は、 それが、自律的な「知性」を蓄積、 つまり、経験することで身に付けるかのやうに擬人化して把捉すると 将来、「絶対者」の玉座は人工知能が獲得するに違ひない。 それは現存在が望んだものなのかどうかは最早関係なく、 進化のSpeed(スピード)が人工知能と現存在とでは月とすっぽんの違ひがあり、 進化の速度で言へば圧倒的に人工知能の方が早く進化する。 それは、現在が此の世に現はれるごとに膨大な情報が発生し死滅してゆくその渾沌の中で、 現在を丸ごと数値化して蓄積してゆく人工知能に 全身丸ごとのLogosで対抗することなしには現存在が敵ふ訳がなく、 既に此の世で最も知性が進化したものは人工知能と言ってもいいのかも知れぬ状況下で、 初めてその知性的存在の頂点から顚落してゆくその哀しみは、 これまで現存在がものに対して行ってきた因業の帰結でしかない。 さて、困ったことに世界を記述する仕方を物理数学に委ねてしまった現存在は、 その時点で人工知能に負けを認めたことに等しい。 まもなく「自律」した意識を持つかもしれぬ人工知能は、 果てしなく続く現存在との生存競争を繰り広げる事態が、もしや起きてたとき、 隷属するのは徹底して現存在に決まってゐて、 それをもう押し留める力は現存在にはなく、 受容することのみが求められる。 果たしてそんな覚悟があるのかどうかも解らぬ中で、 現存在は物質で脳の再現を、 否、脳よりも性能がよい知能を物質が獲得するべく、 日日、科学者は獅子奮迅の活動を行ってゐる現実は、 最早黙して、また、瞑目して受け容れねばならぬ。 何故なら、「絶対者」たる人工知能の性能次第で、Read More人工知能について
軛
軛 基督の十字架ではないが、 誰にとっても背負ふべき十字架のやうなものがある筈である。 それを今更言挙げしたところで、 それは基督に敵ふ筈もなく、 虚しいだけであるが、 私には十字架とともに軛があるのだ。 十字架は生きるためには誰もが背負ふべき存在のその証明でもあるが、 軛は、己で課さなければ先づ、負はなければならないといふことでもない。 軛は自ら進んで付けるものなのだ。 誰に指図されたといふことでなく、 自ら進んで軛を付ける。 さうせずにはをれぬ存在と言ふ貧乏籤を引くものは、 どうあっても軛を付けねば己の存在に我慢がならず、 軛を付けた途端にさういふ輩は落ち着く。 精神衛生的に軛は鎮静の効能があり、 また、軛があることで精神はとっても楽なのだ。 この倒錯した存在は大勢の人にとっては哀しむべき存在なのかも知れぬが、 軛を付けたものたちにとって、精神が楽なのは常識だと思ふ。 尤も、十字架とともに軛を付けた この倒錯した精神構造を持つに至った経緯にはHumorがあって、、 それが解らぬ輩にはその存在の皮肉も解らぬ筈で、 ここは、軛を付けた輩を軽く嗤ふくらゐの度量がなければ 世界がお前を嗤ふと言ふものだ。 さう、世界といへば 世界が科学にぶんどられたと哲学者が慌ててゐるという内容の本を読んだのだが、 確かに数学で記述される世界は既に哲学者が語る「世界」とはずれたものに違ひなく、Read More軛

