撲殺 二 更に一つのものが有無を言はせずに撲殺されたのだった。 なにゆゑにそれは撲殺されねばならなかったのか、 何ものもその理由を知らず、 さうして、それもまた、撲殺されたのだった。 それは、既に人たる事を已めて、 物になりたく 只管に自虐の渦に敢へて吾を呑み込ませてみたのだが、 何とした事か、それは人たる事を已められず、 人である恥辱をぢっと噛み締めてゐたのだ。 ――人である事は恥辱かね。 と、それには数多の愚問が投げかけられたが、 はっきりと言へる事は、 人は人である事で既に恥辱なのだ。 ――馬鹿を言へ。 何ものも自己である事を已められぬといふギリシャ悲劇の主人公のやうに 既に定められた悲劇の運命を実直に生きねばならぬとしたならば、 誰がこの生を生きられやようか ――嗤はないで呉れないか。 己は悲劇の主人公とはいっちゃゐないぜ。 運命を、苟(いやしく)も吾は知り得ぬのであれば、 さて、そもそも運命とは何ぞや。 それ以前に運命は存在するのかね。 Read More撲殺 二
揺れちゃった
揺れちゃった 浅川マキの歌が脳裡に流れる中、 仄かに揺らぐ吾の在所に 吾既に蛻(もぬけ)の殻 「揺れちゃった」といふ歌詞に 吾もまた揺れちゃったのだ。 陽炎が揺らぐやうに 吾から飛翔する吾の「本質」は また、本質であることをはたと已めて 吾手探りで吾を求める さう、既に吾盲人 何処に消えしか その吾は果たして吾と呼べる代物か 「はっ」と自嘲の嗤ひを吐き捨てるやうに 天に唾するこの吾は 不意にさやうならを言ふのであった 「バイバイ」 さういって此の世を去ったものに対して 吾は吾と何時迄言へるのか そんなもの捨てちまへ、と君は言ふが 吾は吾なるものをどうしても捨てられぬのだ さうして死後もこの世を彷徨ふか それが吾の運命ならばRead More揺れちゃった
嗤ふ死神
嗤ふ死神 そいつは不意に現はれて生を根こそぎ攫ってゆく。 その現実を前にして現存在は為す術もなく ただ、死神の思ふがのままに、 不意に生を断念させられし。 恨めしき死者たちは此の世を彷徨ひ、 生から幽体離脱した死の状況を呑み込めぬままに この激変した現実を全的に受け入れる苦痛を味はひ尽くすのだ。 さうして、死者は初めて、己が死んだことを認識し、 己が肉体とさやうならをするのだ。 この後、ブレイクの銅版画絵のやうに死者は肉体から離れ、 吾が死を悲しみをもって眺めるのか。 それはしかし、残酷極まりないことでしかなく、 生き残ってしまったものにとっては いつまでも宙ぶらりんの現実のまま 現実は止揚されるのだ。 死神の何食はぬ顔で大鉈を揮ひ、 生を根こそぎ奪っていくその刈り取りの様は、 全く慣れたもので感嘆の声を挙げるしかない。 「ふっ」、逃げ惑ふ人間に対して容赦なく生の灯を吹き消すべく、 死神は大鉈を揮ふたびに大風を巻き起こす。 「あっは」とまるで濁流の流れに呑み込まれたやうに 吾はやっとの思ひで息継ぎをし、Read More嗤ふ死神
抽象的な無限
抽象的な無限 それは俺の手には余りあるものと言はねばならぬ。 しかし、闇が此の世に存在する限り そいつは俺を其処へと誘ふのだ。 そいつの名は無限と言ふのだが、 それは俺にとって余りに抽象的なものなのであった。 無限級数をぢっと眺めてゐても何にも解からぬが、 然しながら、其処には俺の与り知らぬ先達たちの知の痕跡が残されてゐて、 或る無限級数は収束する。 ところが、それがさっぱり解からぬのだが、 しかし、俺の拙い論理を当て嵌めてみると、 何の事はない、俺には未だに無限が抽象的な、 否、形而上的な何ものかと 錯覚したいだけなのだ。 無限を前にすると、俺は顔が引き攣って 胸奥で快哉の声を挙げずにはゐられぬ。 成程、俺にとって無限は或る憧憬の一種であった。 俺の内なる声を聞けば 無限に呑み込まれたく浮世を這ひずり回ってゐるのだ。 或ひはさうなのかもしれぬが、 無限に憧憬を抱いてしまふ俺は、 今も尚、赤子の如く浮世に投げ出され、 さうして母親の乳房をぢっと待ってゐるだけなのかもしれぬ。 無限とは腹が減るものなのである。Read More抽象的な無限
進退谷まれり
断章『進退谷まれり』 何を思ったのか、彼は不意に哄笑したのである。そのひん曲がりながらも高らかな嗤ひ声には彼の置かれた状況が象徴されてゐて、と、突然彼は涙をその瞳に浮かべたのである。何が哀しかったのだらぅか。 ――そんな事も解からないのか。存在がそもそも哀しいのさ。 ――馬鹿らしい。そんな事は誰もが思ふ事で、殊更に言挙げする必要などないぜ。 彼は何とも名状し難い皮肉に満ちた嗤ひ顔で尚も涙を流すのであった。 ――醜いぜ。男がそんなに泣き顔を世間に晒すのは醜悪以外何ものでもないぜ。 ――なに、死を前にした男の一泣きを、つまり、Swan song(スワン・ソング)を聴く事がそんなに気色悪いかね? 彼は尚も頬に涙を流し、噎び泣くのであった。 曇天の鈍色の雲は竜巻を巻く積乱雲の底のやうに地面近くまで垂れ込めて、彼の泣き声を掬ひ取ったのであった。 ――死を前にした男の泣き声ね、ふっ。お笑ひ種だね。そんなものなど端からある筈がないぢゃないかい? 生まれちまったものは死を抱きしめるしかないのに、何を今更泣く必要があるのかね。全く話にならないね。 その時彼の視野の外縁に突然光が飛び込んできたのであった。それは何だか巴の、若しくは陰陽五行説の太極のやうな勾玉の形をした、つまり、精虫が取り付いた卵子の如く彼の眼に光が飛び込んで来たのであった。さうして、彼の内部には何かが誕生したのである。それが何なのかは、彼が口を開くまで解からぬ事であった。 ――何が見えたのかね? ――何、『お前は死の床に就け!』との天の声が聞こえたのさ。 ――天の声? 馬鹿らしい。 ――お前にかかると何もかもが馬鹿らしいのだな。それぢゃ生きてゐて詰まらなくないかい? ――余計なお世話さ。 ――さう。何もかもが余計なお世話なのだ。それでも此の世には絶えず何かが生まれ、そして、絶えず何かが死んで逝くのだ。諸行無常。森羅万象はこの摂理に対して全くの無力で、それを有無も言はずに造化のままに受容する外ないのだ。それが、果たして何物も我慢出来る代物かね。おれには我慢がならぬのだ。おれにはまだおれの死は受け容れられぬ。 ――……。 ここに彼の進退谷まれり。 さうして彼は茫然と渺茫とした世界を眺めながら、静かに瞳を閉ぢて、死の旅へと出立したのであった。 短歌二首 何ものも 吾を容れる物ならず それ故独り秋月を見る 常世をば 誰もが望み崩れゆく それもまた乙なものとして 夢見するのか Read More進退谷まれり
卒倒
卒倒 不意に意識が遠くなり、脊髄が痺れることで、 私の意識は私の預かり知れぬ領域にぴょんと跳躍するのだ。 さうして、吾は私の自意識から剥落する自意識殻から脱皮し 何物でもないニュートラルな自意識の様相で宙ぶらりんになる。 このどっちつかずの有様にほろ酔ひ気分で上機嫌になり、 私が私であると断言できないこの眩暈の瞬間が なんのことはない、吾が吾から遁走するいつものやり口なのだ。 眩暈にある吾は直にぶっ倒れることがはっきりと解ってゐるのであるが、 その僅かの時間がぐにゅうっと間延びし、 その短い時間のみ、吾は吾であることが言明できる。 この眩暈の時間はダリの絵の如く時計はぐにゃりと曲がり、 どろりと零れ落ちるやうに流体物と化し、 既に吾の意識も歪にぐにゃりと流体化して、 時間の進行を全く意識することなく、 卒倒までの短い時間の快感をもっと堪能するのだ。 ここで、吾は最早今生では会へぬ筈の異形の吾にたまさかでも遭ふのだ。 そこで、吾は吾に溺れてはならぬ。 これは、吾が吾に対して詭計を行ふいつもの手なのだ。 今にも羽化登仙するかのやうな吾の心地よい瞬間に騙されず、 吾は、しかと吾の体たらくを直視し、 さうして吾はほろ酔ひ気分の中にありながらも、吾を断罪するべきなのだ。 それが吾が卒倒するときの唯一の礼儀であり、 吾が現在にしかをれぬことに対する最も有り体な姿勢なのだ。Read More卒倒
口惜しきは
口惜しきは 口惜しきはお前の生に対するその姿勢なのだ。 お前は生に対してかくの如く断言しなければならぬ。 「死んだやうに生き永へえるには、《吾》は《吾》の無間地獄から抜け出すべく、《吾》は須からく覚悟を持つべき事。」 それは陽炎の如く曖昧模糊とした造形を意識に《吾》を齎さないが、それでも《吾》は抽象の中にほんの僅かな具象の欠片を《吾》に見出しては、安寧を抱くのだ。 それ、再び《吾》から陽炎が飛翔する。薄ぼんやりと前方を眺めてゐると《吾》の体軀から陽炎が湧き立つ翳が見えるのだ。 それで《吾》はかう断言しなければならぬ。 「《吾》この珍妙なる存在よ。最後までその正体を現はす事なく、《吾》が太陽のやうに非常に高温なコロナの如き陽炎を放つことで、《吾》を敢へて現実に順応させる陽炎よ。 《吾》の内発する気は祝祭の前夜祭。 気が気の精でならなければ、人間は一時も生きられぬに違ひない。 吾は夢見で知らぬ人と今生で最後の邂逅をするやうにして人いきれの中で《他》に会ひながら、ほら、しかし、最早、一瞥した見知らぬ人は既に私の記憶から忘れられてゐる。 ヒューヒューと風音を鳴らす吾の胸奥に隠れてから暫く立つ《吾》は、 只管孤独を恋しがるのだ。そして端倪すべからず存在に対しては終始穴に首を突っ込み、 恐怖の眼下に隠された何かの奥から鋭き視線ばかりがビームを放つ如くに前方の荒涼とした風景を眺めるのだ。 その渺茫たる抽象世界に果たして生命は生き得るのか。 やがてくる砂漠化した世界で 《吾》はゾンビとして墓から抜け出し、 夜な夜な悔し涙を流してゐるのだらう。 Genmini-3.1-Proの批評 Thinking… Refining CoreRead More口惜しきは
流れる雲に
流れる雲に 《吾》の頭上を流れゆく雲は 絶えず変容して已まぬのであるが、 その中で《吾》は、 流れる雲の如くに絶えず変容してゐると断言できるのか? 仮に《吾》が変容する事を一度已めてしまったならば、 果たして《吾》は《吾》足り得るのか? あの空に浮かび、風に流されゆく雲は、 気圧と気流と水蒸気との関係から、絶えずその姿を変へるのであったが、 《吾》にとって気圧や気流や水蒸気に当たるものは何かと問へば、 それは《他》と《森羅万象》と《世界》、つまり、《客体》と答へればいい。 雲が姿を変へるのは雲の赴くままに全的に雲に任せればいいのだ。 雲は雲にも宿ってゐるに違ひない《吾》が為りたいやうに変容してゐるのではなく、 雲を取り巻く環境、若しくは《世界》に応じて 無理矢理とその姿を変へるのだ。 それでも雲を見る度に 雲が己自体で姿を変容してゐると見えてしまふ此の《吾》のちっぽけな哀しみは 《吾》が《世界》を認識出来ぬ焦りからか、 《吾》が《吾》で完結する夢想を今も尚抱へてゐるに過ぎぬのか? このちっぽけな《吾》は 絶えず《吾》でなければならぬのだ。 さうして初めて《吾》は《世界》を認識し得るのだ。 さうして初めて《吾》は《吾》と呼ぶがよい。 そして、《吾》もまた《世界》によって変容を強要されるのだ。 Read More流れる雲に
何気なく
何気なく 何気なく見ただけであるにせよ、 一度でも目にしたものは必ず見た事を覚えてゐなければならぬ。 何故って、今生の縁として、多生の縁として 眼にしてしまったものは必ず死後までも覚えておかなければならぬ。 それは此の世を生きるものの最低の礼儀だ。 さうしてやつと吾は吾として認識出来るのだ。 または、これが吾と他との相容れない線引きなのだ。 この線引きこそが他を思ふといふ事のアルケー、つまり始まり。 そして、アルケーなしに吾の縁の出立はないのだ。 そこでやがて来る死に備へて何かをすることは要らぬお世話なのだ。 死を迎へるにせよ、 それは日常を何の衒ひもなく生き切るといふ事以外何物でもない。 死を前にして生者たる吾は何も特別なことをする必要がない。 死を前にして、吾はただ、ものを喰らひ、寝、そして日常を生活するだけでいいのだ。 さうして吾は死を受容するのだ。 さて、お前は何時も吾を嘲笑ってゐるが さうしてゐられるのも今の内だけだ。 他を嗤へる存在は賤しく醜悪な存在でしかない。 嗤ふのは吾に対してのみでしかない。 自嘲するといふ行為こそ、 自慰行為に似た吾の快哉なのだ。 そんなとき、吾は「わっはっはっはっ」と哄笑し、 己が存在を堪能すればよいのだ。 なあ、何気なく見てしまったものこそ、 脳裡から離れぬものだらう。 Gemini-3.1-Proの批評Read More何気なく
寂寞
寂寞 此の寂寞とした、何とも表現し難き感覚は、何なのであらうか。 ――それ。 と其処に石ころの一つを投げ入れても、カランコロンと虚しい音が響くだけなのだ。 しかし、その寂寞とした其処を、吾は決して見放すことは不可能なものなのだ。 何故って、其処は此の胸に外ならないから。 それでも吾は何度でも其処に石ころの一つでも投げ入れて、 カランコロンという虚しい響きをぢっと聴かずにはをれぬのである。 さうして、吾は、やっと此の世に屹立する事が許され、 また、吾はその虚しい響きで以て吾の存在を確認するのだ。 その響きは、しかし、虚しいものでなければならない。 でなければ、吾は直ぐに吾に飽きてしまって其処で大欠伸をするのが関の山なのだ。 それは、シシュポスに比べれば、何の事はない、簡単に自己確認が出来ちまふ代物なのだ。 つまり、吾は絶えず虚しい響きに聞き耳を欹てる事で、 吾が虚しいものとして納得出来るのだ。 さう、吾は何としても虚しいものでなければならぬ。 吾が虚しくなければ、途端に吾は吾自身に対して猜疑の眼を向け、 無理矢理にでも吾は吾を虚しいものとして把捉したがるのだ。 その傍では、お道化たものが、つまり、それも憎たらしい吾に違ひないのであったが、 吾を嘲笑ふ吾もまた、その虚しい響きに安寧を感じてゐるのだ。 ならば、吾、立たんとす、シシュポスの如くに。 さうして胸奥に石ころのカランコロンといふ虚しい響きが永劫に残るのだ。 短歌二首俳句一句 何を見る闇間に浮かぶ月明かり其は絶望の写し鏡かRead More寂寞

