実念論
実念論 ――ほら、其処にも念が彷徨ってゐる。 さうなのだ。此の世には「先験的」に念が存在してゐて、 何時存在物へと転生するかその時期を見計らってゐるのだ。 ――初めに念ありき。 これが、此の世の誕生を担保する言なのだ。 ――何を馬鹿なことを。 と、誰もが半畳を入れるのだが、 実念論はそんな半畳などに全く意に介さず、 此の世における所与のものとして実在してゐるかのやうに必ず存在してゐる。 何故全く意に介さぬのかといふと 念なしには存在が成り立たないからである。 ――埴谷雄高が説いたやうに念は光よりも速く、念速でこの世界に伝播する。 誰も、実念論に反論出来ぬのだ。 何故なら、誰もが念じられることからも解る通り、 念の存在を否定できる輩はない。 しかし、それでも念なんて訳の分からぬもので 存在論を穢すことを嫌に嫌ふ輩は存在する。 ――当然だらう。そんな馬鹿な話を信用する輩なんぞ此の世にゐやしない。 本当だらうか。 では何故、生物は死ぬのだ。何故、生物は生まれるのか。 生死の因果すら説明出来ぬ論理的な存在者どもは一体何なのか。 その生死を「偶然」に帰す愚鈍な論理は今更言ふに及ばず、 己の存在は「偶然」に生まれ、「偶然」死すと言ふのであれば、 生死を超越する存在をそれは示唆してゐるに過ぎぬ。 全てはギリシャ悲劇のやうに「必然」にもの事が進むとするならば、 仕舞ひには神の存在なんぞ必要なくなり、 基督は磔刑から永劫に解放され、 現存在は現存在のみで自立する存在となるに違ひない。 念を排除したからと言ってその現存在は存在なのか。 ――此の世は必然でなければ到底眼前で起きてゐる凄惨な悲劇を受け容れることは不可能なのだ。 ――何故? と、この下らぬ自問自答に聞き耳を欹てて、 ぢっと聞いてゐる存在が無際限にゐるのを繊細な存在は既に気付いてゐる筈だ。 此の世は全てにおいて必然でなければ、 どうしてその余りに不合理な有様を受け容れると言ふのか。 此の世は不合理であることは「必然」で、 また、無残に生き物が死んでゆくのも必然なのだ。 偶然は必然を受け容れられぬ者達の断末魔の叫びでしかない。 …
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